SSブログ
前の10件 | -

最新情報

※※ 最新情報 ※※


■海外旅行
にっぽん丸クルーズ&ロシア・ユジノサハリンスク弾丸ツアー
オーストラリア旅行記2017
バリ島ニュージランド旅行~序章篇~

バリ島旅行記2016
ニュージーランド旅行記2016
フィリピン「シキホール島・ドゥマゲティ」旅行記

■国内旅行
隠岐の島スーパー弾丸ツアー
最後の急行「はまなす」最後のブルトレ「北斗星」乗車記
北陸新幹線乗車記(日本鉄道完乗タイトル奪還)
銀色の寝台特急カシオペア乗車記
北海道新幹線新函館北斗開業及び札幌市電乗車記
富士山日帰り登山をやってみた(富士宮から御殿場)

■鉄道関連
ムーンライトながら廃止
長崎新幹線は最終的にはフル規格が望ましい
新函館北斗駅を実地検証する
北海道新幹線新函館北斗開業を検証する
北陸新幹線の今後の展開
三江線の沿線をクルマで走ってみた


■バイクツーリング
第5回令和記念西国33カ所ツーリング
第4回令和記念西国33カ所ツーリング
第3回令和記念西国33カ所ツーリング
第2回令和記念西国三十三カ所霊場ツーリング
第1回令和記念西国三十三カ所霊場ツーリング
■私は如何にしてクルマに乗るのをやめてバイクに乗るようになったか
事の始まり
どのバイクを買うか
駐輪スペースの確保
アドレス購入
アドレス納車
バイク盗難対策
リアボックス取り付け
USBコネクタ取り付け
カーナビ&動画撮影
アクションカム
冬の寒さに勝つ
傘ホルダーを取り付け
リアボックスのステーを修理する

■最近買ったもの
キーホルダーに筆記用具をつけよう
ケンタッキーフライドチキンはご飯のおかずになるか
アルポットで作る豚肉ともやしの蒸し煮
介護用車いすにカゴ置き場を設置
ソフトバンクColor Life5(401PM)の不満点
愛用手帳「ダイゴーの手帳E1014」
ポメラDM25
電子レンジで温める湯たんぽ「ゆたぽん」
「写ルンです」が静かなブーム
ポメラDM200を購入した
ポメラDM200ケース作成
ストラップホールのないスマホにストラップを取り付けよう
Edyストラップを改造する
紫外線殺菌装置に注意

■自動車関連
フィットにバックカメラ取り付け
フィットのバックカメラ追加改造
フィットにハンズフリーフォンを取り付け
フィットのバックカメラ再追加改造
フィットで車内泊
フィットで車内泊~実践編
ホンダN-BOX+にスズキアドレスを載せてみた
ホンダN-BOXスロープ(車いす仕様)にスズキアドレスV125Sを載せてみた
セダンの魅力を語る

■野球関連
ソフトボールを冬季オリンピックの種目に
センバツ救済は夏の大会の休養日に招待試合を実施しよう
プロ野球16球団は実現できるか
2014年マリーンズ総括と来年の展望
2015年マリーンズ総括
広島東洋カープ25年ぶりの優勝
2016年マリーンズを振り返る


■政治経済関連
キャッシュレス社会を生きる・クレジットカード篇
ギャンブル専用口座を作ろう
自衛隊は平和防衛隊に名前を変えよう
憲法96条、両議院過半数で発議に反対
大阪都構想に関する私見
■競馬関連
オルフェーヴル
オークス馬とダービー馬の対戦成績
朝日杯FSと阪神JFを同日開催、阪神カップはを2歳上G1に
拙作競馬Website厩戸光明伝
■資格関連
簿記3級取得記
独学で合格☆ファイナンシャルプランナー2級取得記
第2種冷凍機械責任者合格記
第2級陸上及び航空特殊無線技士ダブル合格記
危険物取扱者乙種全類取得記(Z作戦計画)
平成最後の資格~刈払機安全衛生教育受講

■その他
高齢者運転標識に異議あり
風呂場用冬は暖房、夏は送風
追悼・大瀧詠一 



共通テーマ:blog

第5回令和記念西国33カ所ツーリング [旅行]

西国33ヵ所第5回.jpg
 5回目の西国33箇所巡礼。善峰寺から中山寺の5ヶ寺が目標。出発は6時00分。
 まずは、京都に向かう定番ルート。国道24号線、鍋谷峠、外環状線から国道1号線バイパスだ。鍋谷峠では少し雨に降られた。久御山で左折しナビの指示通り走るといつの間にか淀川を渡っていた。途中休憩はせずノンストップだった。
 狭い道を抜け、さらに急な道を登って9時00分頃善峰寺に着いた。駐車場は大型ショッピングセンターのような堅牢なつくりだ。料金ゲートの横にはバイクは無料とあったが、それを知らなかったので、駐車場入口の付近の勾配のある路側に停めた。
IMG_2537.jpg
↑この建物の下に駐車場がある
IMG_2534.jpg
↑駐車場ゲート
IMG_2536.jpg
↑ショッピングセンターのような駐車場
IMG_2539.jpg
↑山門手前
IMG_2540.jpg
↑山門
 入山料は500円。「おちないお守り」の看板がある。阪神大震災の際高架橋から落ちる寸前だった運転手がこの善峰寺のお守りを持っていたことから、交通安全、学業成就にお利益があるとポスターに書いてある。
 平成30年10月を持って釈迦堂の薬風呂が終了したのと貼り紙。そんなのがあるとは全然知らなかった。一度体験してみたかった。
 手水舎には花が飾られていた。手水舎には龍の置物が定番だが、何となく女子的な雰囲気を感じる。燈明は50円、線香は2本10円と良心的だ。写経は本殿に上がって納めた。
IMG_2551.jpg
↑手水舎
IMG_2554.jpg
↑扁額
IMG_2556.jpg
↑線香
IMG_2557.jpg
↑蝋燭
IMG_2559.jpg
↑写経台
IMG_2562.jpg
↑納経所
 参拝を済ませた後、日本一の松を見る。何が日本一かというとその長さで40mはある。それもかつては54mあって松食い虫で切ったという。上空ではなく横に伸びているのも特徴で、その形から遊龍松という異名がある。長すぎて1枚の写真では迫力を表現できないほどだ。
IMG_2564.jpg
↑紫陽花とともに
IMG_2570.jpg
IMG_2573.jpg
↑遊龍松
 善峰寺は一度は戦乱で荒廃したが、徳川綱吉の母、桂昌院が多額の寄進をして、伽藍が復活した。そのため境内は桂昌院の名が多く残されている。
IMG_2574.jpg
↑紫陽花とともに淀川を望む
IMG_2575.jpg
↑幸福地蔵
IMG_2580.jpg
yosimine.jpg
↑御朱印 左・令和 右・平成 
 ここに来たときはいい天気だった。境内は広く歩き疲れた。10時00分頃寺を辞した。
 続いて穴太寺を目指す。国道9号線は亀岡市内が混んでいた。途中出光で給油。そこからは予想よりも燃料の減りがはやい。バイクを傾けて駐輪していたせいか、燃料のタンク内に不具合が生じたらしく、満タンになっていなかったようだ。
 やがて国道を外れ、田園風景が広がり、11時00分前に正面に穴太寺の山門が見えた。例によって駐輪場はなかった。いや駐車場にバイクが停まっているのが見えるが、有料みたいだった。バイクは寺の近くの球場前の空き地に停めた。穴太寺は平地にある。階段は山門にあっただけだった。こじんまりした寺で、街中の檀家寺という感じ。それでも西国巡礼の寺だけに、参拝者が多い。燈明と線香2本で50円。参拝、合掌、読経。
IMG_2600.jpg
↑穴太寺山門
IMG_2608.jpg
↑穴太寺本堂
IMG_2613.jpg
↑線香
 本堂と庭は有料。その玄関には靴を並べているあたりに桶が置いてある。なんでこんなところにと思って、上を見上げると燕が巣を作っていた。落ちてくる糞を受ける桶であった。庭のある円応院から斜め廊下を渡り、堅い障子を開けて、本堂に入る。写経は内覧の後ろに丸めて置いた。布団をかぶっている釈迦如来大涅槃像で有名。具合の悪いところを撫でるといいというので、肩こりに悩まされている私は肩を撫でた。
IMG_2614.jpg
↑燕の巣
IMG_2616.jpg
↑廊下
IMG_2619.jpg
↑写経台
 札所本尊の聖観世音菩薩は重要文化財であるが、盗難に遭って、現在安置しているのは模造品である。本尊の薬師如来は秘仏で開帳されたことはないという。
 庭の縁側には明治天皇が使われた茶碗などが置かれている。疲れたのでじっくり座っていたいが、時間がない。御朱印を書いてもらって。11時30分に辞する。
IMG_2623.jpg
↑中庭
IMG_2625.jpg
↑由緒ある陶磁器
anano.jpg
↑御朱印 左・令和 右・平成
 峠を越えて茨木の総持寺へ。かなり細い道であった。途中崩落した箇所があり、交互信号になっていた。3台の大形バイクと競争になったが、急カーブは大型バイクにとってはスピードを出せないらしく、アドレスは容易に追いついた。
 12時30分に総持寺に着いた。これは本当に街中にあって、山門の前に近代的なマンションが建っている。駐輪場とは明記されていないが、山門前のチェーンに囲まれたところがそうであるらしい。このあたりで天気が曇ってきた。
IMG_2640.jpg
↑総持寺山門
IMG_2637.jpg
↑山門の反対側は市街地
 山門前に手水舎があるのは珍しい。センサ付きで近づくと水が出る。入山料は不要。
 都会の寺らしく、あらゆるところで、近代化が進んでいる。蝋燭と線香は冷蔵庫の中に入っている。ほとんどの寺は蝋燭の火が消えないようにガラス戸の中に立てることが多い。この寺は破格の立派さで中華料理の回転テーブルのようなところに蝋燭を立てる。そんな豪華な燈明立てが2基もある。しかも蝋燭30円、線香1束20円と良心的である。
IMG_2641.jpg
↑山門
IMG_2644.jpg
↑仁王様
IMG_2647.jpg
IMG_2650.jpg
↑蝋燭
IMG_2649.jpg
↑線香
 石敷きの境内の左側にある不動堂は、前年の大阪北部地震の影響で解体撤去されたという。さっきの峠の道路崩落もその地震の影響かもしれない。
 寺の管理者は新しいもの好きらしく、納経所はアルミサッシでガラス張りの明るい建物である。御朱印は300円の現金決済なのだが、スーパーのレジのようなお支払い額表示とレシート発行。ここまでする寺は初めてだ。銀行の窓口のような感じだ。写経は納経所の奥の掛け軸の前に積み重ねて置いていく。目に入った塗香を衝動的に買った。今後写経をする時に身を清めるために使おうと思う。
IMG_2667.jpg
IMG_2669.jpg
↑納経所
IMG_2744.jpg
↑塗香
sojiji.jpg
↑御朱印 左・令和 右・平成
 13時20分、国道171号線沿いのマクドナルドの昼食。身体のことを考えて、フィレオフィシュバーガーとスイートコーンにした。座席は満員だったがどうにか座れた。
 次に行く勝尾寺に向かう府道4号線はバイク通行禁止だ。しかし、箕面警察署で許可証を発行してもらえばバイクで乗り入れできる。そんなことは勝尾寺のウェブサイトにも載っていない。あまり知られたくないのだろう。大阪府には昔から暴走族に悩まされ二輪車の通行禁止が数多い。これについては下記URLが詳しい。
↓日本二輪車普及安全協会
https://www.jmpsa.or.jp/society/roadinfo/201207.html
 14時00分、箕面警察署に着いた。許可証の発行にはバイクの自賠責保険証と運転免許が必要。印鑑を押す欄があった。認め印は持ってきていたが必要なかった。手続きには約10分要した。
IMG_2675.jpg
↑箕面警察署
kyokasho.jpg
↑許可証
IMG_2677.jpg
↑指定された道
 許可証があるといっても、どの道でも走れるわけではなく、指定された道を走らねばならない。勝尾寺へは東方面から入らないといけない。そのためここまで来た道を戻ることになる。しばらく走ると「勝尾寺」の看板が上がっている。しかしこの道は自動車用なのでバイクは入れないのである。警察署の人が丁寧に道を教えてくれたし、要所に「勝尾寺」の標識があるので迷うことはなかった。道は確かに細いが、これより劣悪な道路は日本にいくらでもある。未だにバイクを禁止している理由としては、近道で大型トラックが通ることが多いのと、西国巡礼で参拝者の多い勝尾寺行きのバスがあるからではなかろうか。
 このツーリングでナビゲーションしている「ツーリングサポーター」アプリはバイクの排気量別にルートを検索してくれる優れものだが、今走っている道は本来バイクは通行禁止なので、別の道に案内しようとする。これは仕方がないだろう。許可証を持っているかどうかはアプリはわからないのだから。
 若干遠回りしながら、勝尾寺に15時40分着。バイクは「下馬」の碑のある歩道に置いた。サイクラー達も歩道に置いている。
IMG_2735.jpg
↑勝尾寺入り口(筆者のバイクが見える)
 入山料は400円。噴水が出迎えてくれる。池を渡る橋には霧が立ちこめている。境内は広い。池には弁天さんの赤い鳥居が見える。正面に観音菩薩と多宝塔が見える。数多くのダルマを横に見ながら階段を登ると本堂に至る。こも樽四斗特撰献酒奉納者の看板には漫才師の「西川きよし・西川ヘレン」の名がある。ある参拝者が西川きよしさんは箕面に住んでいるんやと思うで、と言っていた。この樽四斗特撰は10万円程度するようだ。
IMG_2678.jpg
↑山門
IMG_2681.jpg
↑山号
IMG_2685.jpg
↑噴水
IMG_2696.jpg
↑西川きよしヘレン夫妻の名がある
 この寺は元々「弥勒寺」という名前だったが、元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。清和天皇は源氏の始祖であるので、鎌倉時代以降も源頼朝の庇護を受け栄えた。
IMG_2697.jpg
↑手水舎
 本堂は朱色で十一面千手世観音菩薩が本尊である。勝尾寺は朱色の伽藍が多いが、もしかするとダルマの色に合わせているのかもしれない。灯明は20円、線香は3本30円である。
 「勝」という文字のある寺は得である。それだけで合格祈願や心願成就の寺となるからである。本堂の前には大小様々のダルマが売られている。確かに他の寺で買うよりも勝尾寺で買った方がありがたみが増すだろう。
IMG_2716.jpg
IMG_2693.jpg
↑縁起物のダルマ
 納経受付所はログハウスのような建物だ。写経は納経帳に書いてもらうところで手渡した。端に所定の位置があるようだ。
IMG_2702.jpg
↑本堂
 至る所に小さなダルマが置かれている。建物の格子戸や欄干、瓦、植木の根元や縁石の上にまで置かれている。参拝者が勝手に置いたにしては秩序を感じるので、一部寺の人が置いたのだろう。
 例外は法然上人第五番霊場二階堂でそこには1個の小さなダルマが置かれていただけであった。
IMG_2704.jpg
IMG_2721.jpg
IMG_2728.jpg
↑至る所に置かれたダルマ
katuoji.jpg
↑御朱印 左・令和 右・平成
 祈祷の声が境内のスピーカーで流されている。住所と名前が読み上げられる。個人情報の保護は、といいたくなるがそんなのお構いなしとばかりに、気合いのこもったかけ声と太鼓の音が響き渡る。
 この寺は観光施設と同じように土産物店を経由しないと外に出れない仕組みになっている。土産物の中には西川ヘレンが監修した出汁なども売っている。
 15時35分に寺を辞す。次に予定していた中山寺までナビで検索すると到着予定が16時43分となっていた。納経の受付は17時00分までなので中山寺は諦めることにした。
 帰りもナビに従うことなく来た道を戻る。途中どうみても許可証をもらっていないような不良少年の連中がバイクで走っていた。
 新御堂筋を南下する。大阪の中心部を抜ける。肥後橋にある高砂堂できんつばを買う。かつて大阪市内の各地に出店していた高砂堂も、世間の嗜好が変わってきたせいで衰退し、この本店を残すのみだ。それも人を雇う余裕がないらしく、男性の職人らしい人が応対していた。
IMG_2737.jpg
↑大阪の老舗和菓子「高砂堂」
 この訪問の約1年後の2020年6月、高砂堂は4億円の負債を抱え自己破産した。時代の流れとはいえ残念でならない。
 ナビの指示は国道26号線の走行だったが、距離的には遠回りになるものの、信号が少なく、阪神高速が屋根代わりになる臨海線経由で帰る。途中泉大津のローソンイートインで休憩。
 今回はツーリング中睡魔に襲われなかった。昨晩よく寝たおかげだろう。やっぱり睡眠は大事。
 雄ノ山峠経由で和歌山県に戻った。
 19時10分頃車庫に戻る。今回のツーリングの走行距離は295.6km。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

ソフトボールを冬季オリンピックの種目に [スポーツ]

640px-Robert_E._Taylor_Stadium_at_Terrapin_Softball_Complex.jpg
 新型コロナウイルス騒動で一年延期された東京オリンピック2020で、ソフトボールと野球が暫定的に復活し、両方とも日本が金メダルを獲得するという大団円となった。しかしこの二つの競技は2024年のパリ五輪では採用されないことが決まっている。その次のロスアンジェルスとブリスベンは野球の母国アメリカとプロリーグもあるオーストラリアにあるので、復活の可能性があるが、それ以外の地域が開催地になったら採用されないだろう。
 野球とソフトボールの問題点は、アマチュア段階を含めて実施している国が限られていることだ。プロ興業として成り立っているのはアメリカ、日本、韓国、台湾、メキシコなど10数カ国だけだし、これはサッカーに比べて断然少ない。野球はルールが複雑な上、専用の競技場とバットやグラブなど高価な道具が必要で、プロ野球で使用している硬式球はその名の通り硬く初心者には危険を伴うものだ。ルールを知らないIOCの委員が野球の試合を見ても、全く面白くないというのは当然だ。2004アテネ五輪、2008北京五輪では正式種目採用されたが、せっかく作ったスタジアムはオリンピックが終わるとすぐに朽ち果ててしまった。これでは開催国にとって負担が大きすぎ、無駄なものを作ってしまうことになる。
 野球については、オリンピックが開催される7月から8月というのはプロ野球リーグの真っ盛りであり、特にアメリカはこれまで五輪にプロのトップリーグであるメジャーリーグから選手が派遣されたことはない。選手にとっても怪我のリスクがあることからできることなら避けたいだろう。何しろオリンピックはメダル獲得の名誉だけで、IOCからは一切賞金は支給されない。もし怪我をしてレギュラーシーズンに支障が生じれば給料や選手生命に影響するからだ。それにサッカーのFIFAのような世界を統括する組織は近年まで存在せず、日本ではプロ野球、実業団、大学野球、高校野球と主催団体がそれぞれ別個であり、統一された組織もない。これはアメリカも同様だ。組織がピラミッド状になっておらず、それぞれに互換性のない王者が存在する。プロ・アマが混在するサッカーの天皇杯のようなものは野球にはなく、日本代表チームが常設されているわけでなく、大会毎に招集されているのが現状だ。国別対抗戦としては2006年からMLB選手や日本のプロ野球選手も参加するワールドベースクラシックが始まったが、サッカーのワールドカップと比べて、本気度や権威、伝統もまだまだこれからというところだ。
 ソフトボールはリクリエーションとしては野球よりも普及している。ボールが大きくて身体に当たってもそれほど痛くなく、敷地も野球よりも狭くてすむからだ。日本では男女ともソフトボールは実業団リーグがあるほどだ。つまり企業で仕事をしながら、その企業の宣伝活動としてソフトボールができるわけで、興業として客を呼ぶには弱いソフトボールにとっては現実的な活動だといえる。男子は野球のうまい子は高校野球から直接プロに入る道が用意されているので、ソフトボールを実業団でやっている男子は野球の競争からはじかれた人たちがやる余興に近い。しかし女子は危険防止のため高校野球の選手として登録できない。東京六大学や独立リーグではその制限はないので何人か選手がその壁に挑んだものの、やはり男子と混ざるとスピードにおいて見劣りする。したがって女子はソフトボールを目指し、男子は野球を目指すという図式ができあがった。
 さて会社がお金を出してスポーツ選手を抱える以上、それの見返りとして要求するのは会社の宣伝である。つまり競技団体の主催する大会で好成績をあげることにより、メディアに取り上げられ知名度が上がるという構図である。好成績といってもソフトボールのようなマイナースポーツの場合優勝しないと一般紙では取り上げられない。ある意味プロよりも厳しいといえる。
 しかし一般紙あるいはスポーツ紙にしても優勝しても記事は新聞の片隅。やはり国民の注目を集めるオリンピックが最高の宣伝効果だ。例えジャパンのユニフォームを着ていても、選手の所属会社名がメディアに頻繁に掲載されるからだ。したがって、プロ興業として成立している野球やサッカーを除き、オリンピック選手で活躍することが実業団スポーツにとって最高の宣伝となるわけだ。
 そういう意味でソフトボールがオリンピック種目に残ることは実業団の切なる願いといえる。しかし常に野球とセットになっていたソフトボールが夏季オリンピックで正式種目で復活することは前述したように極めて困難だ。
 そこでソフトボールを冬季オリンピックの種目として採用を推進するのである。さすがに雪と氷の屋外でソフトボールを行うのは無理だ。しかし日本でも雪の降らない地域では冬でも屋外でソフトボールをやっている。冬季オリンピックが開催している2月上旬はプロ野球チームがキャンプインしている。それはトレーニングの段階だが、早いところでは紅白戦もやっている。ソフトボールの普及している国ではほとんど2月は屋外でできるだろう。
 問題はいうまでもなく、冬季オリンピックの開催都市では屋外でソフトボールは現実的ではないということだ。何らかの屋内競技施設が必要だ。ソフトボールは元々アメリカで冬場に屋内で野球をするために工夫された競技なので、実は冬季にふさわしいスポーツなのだ。少し大きめの体育館であれば、観客の問題は別にして競技はできるはずだ。日本には出雲ドームや大館樹海ドームなどソフトボールはもちろん軟式野球もできる室内競技施設がある。これに少しばかり3000人ほどの観客席を設け、興業面を考えて開催都市の中心部、あるいは少し離れた練習施設として郊外に建設すれば、後利用も可能だ。
640px-出雲ドーム_(3510398063).jpg
↑出雲ドーム
640px-Interior_of_Odate_Jukai_Dome_20181020b.jpg
↑大館樹海ドーム
 他の競技との共用を考えるなら、スピードスケートが最も適している。スピードスケートの競技施設は平成以降のオリンピックは1992年のアルベールビルを除いて全て屋内リンクで開催しており、稼働率を上げるため、リンクの上に蓋をして、催し物など多目的に使えるようにしていることが多い。スピードスケートのトラックは一周400mで陸上トラックよりも狭いものの、ソフトボールができる広さを確保することができる。スピードスケートからソフトボールに段取り替えに1日、練習期間を1日、オリンピックには8チームが出場するとして、準々決勝、準決勝、敗者復活、3位決定戦と決勝戦を行うとすれば、6日間の競技日程となる。
エムウェーブ.jpeg
↑左・スピードスケート、右・催し物@エムウェーブ
 ただ問題は近年団体戦のマススタートやパシュートなどスピードスケートの種目が増えており、ほぼ大会期間中の競技日程が埋まっていることだう。基本的に2人ずつの周回でタイムを争うスピードスケートは距離が長くなるほど時間が掛かる。時間短縮は容易ではないが、室内競技で天候に左右させることもないし、時間も前後にずらせば、何とか6日の捻出は可能ではないか。
 もちろんベストは専用の競技場で実施することだ。オリンピック規定では競技の過半数以下は開催都市以外で実施できる。いささか邪道ではあるが、ソフトボールは雪の降らない温暖な地域での開催が可能だ。それなら屋根付きに拘る必要がないし、スピードスケートに遠慮することはない。ソフトボールはマウンドがないため、スタンドの見やすさなどを考慮外にすれば、陸上競技場でも仮設は不可能ではない。陸上競技場ならある程度の人口の都市ならば既に存在するし、後利用にも困ることはない。
スクリーンショット 2021-09-17 161753.jpg
↑ロス五輪の野球は元陸上競技場で開催された
 もっともヨーロッパには競技場の問題を解決する以前に、ソフトボール競技の普及という大問題が立ちはだかっている。ソフトボールとは全く違うが、ヨーロッパはハンドボールが普及しているし、こちらはアメリカ生まれのバスケットボールよりも人気がある。同じくアメリカ生まれのソフトボールがヨーロッパの人々に受け入れられるのは至難の業だろう。今後ソフトボールが普及する可能性があるのは、台湾、フィリピン、中米各国があげられるが、これらの国では気候から冬季オリンピックが開催されることがない。やはり野球・ソフトボールが盛んなアメリカ・日本・カナダが音頭を取らないと実現は難しい。しかし万難を排してソフトボールが普及すれば、野球も開催しようという雰囲気が熟成されるかもしれない。まずはソフトボールを世界の人々に知ってもらうのが重要だ。
 かつて元ロッテマリーンズ監督のボビー・バレンタイン氏が「野球・ソフトボールは冬のオリンピックでやればいい」と発言したことがある。最初聞いた時は突飛な意見に感じたが、ソフトボールに関しては熱意があれば実現する可能性があるのではないか。
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

ムーンライトながら廃止 [旅行]


 JRから2021年をもって東京-大垣間を運転していた夜行快速「ムーンライトながら」の廃止が発表された。この報道に対してかつての利用者による惜別の声が寄せられた。総じて廃止を惜しむというよりも、「来るべき時が来た」「今までよく頑張った」という声が多かった。高速バスなど他の交通手段が発達した現在にあっては夜行普通列車はその役割を終えたというべきだろう。
 筆者が「ムーンライトながら」の存在を知ったのは、小学生の頃に読んだ「鉄道のわかる本」からであった。その本には「いちばん長いドン行電車(347M、344M)」として東京-大阪間を安く移動できる列車として書かれていた。その頃は「ムーンライトながら」という愛称はなく、俗に「大垣夜行」と呼ばれていた。当時は「ドリーム号」という夜行高速バスがあったものの、鉄道に対して運賃、設備ともさほどの優位性はなかった。だから普通運賃だけで眠りながら移動できて時間を有効に使える「大垣夜行」はとても人気があった。当時の車両は153系という急行型の電車で、4人掛けのボックスシートはとても快適とはいえなかった。しかしグリーン車が連結されていて、リクライニングシートが普通グリーン料金で乗れるとあって人気を博していた。当時の私は気軽に旅行に行けるような身分ではなく、そういう列車があるのだと知っただけだった。
スクリーンショット 2021-02-23 230235.jpg
↑鉄道のわかる本
s-大垣夜行.jpg
↑1978年8月の大垣夜行時刻表
 上の時刻表は東京発の下り時刻表で、赤線が「大垣夜行の」時刻である。当時は定期の寝台急行「銀河」の他に多客期にはオール座席の臨時急行「銀河」が運転されていたのに驚く。
 やがて筆者が自由に旅行に行けるようになった平成時代には、夜行高速バスが台頭し、JR夜行列車を脅かしはじめた。特に大阪-博多間の夜行バス「ムーンライト」は3列シートを採用し居住性を高め、やがてこれが夜行バスの主流仕様となった。また東京-弘前間の「ノクターン」は地方都市でも収益性の高い路線となることを証明し、雨後の竹の子ように大都市と地方都市を結ぶ夜行バスが設定された。筆者の住む和歌山も東京へ直通する夜行バスが開設され、利用してみると、寝苦しさはあるもののとても便利で安価に東京に行けるようになり重宝した。
 大垣夜行は鉄道ファンを中心にまだ根強い人気があったものの、旧態依然としたボックスシートであり、勢力を伸ばしつつある高速バスに対抗するためにも、何らかのてこ入れが必要だった。そして1996年3月、大垣夜行は「快速ムーンライトながら」として生まれ変わった。車両は身延線の特急に使われていた373系が使われた。これは足乗せ付のリクライニングシートで快適になった。また基本的に全車指定席を採用した。大垣夜行時代はグリーン車を含めて自由席であり、多客時には通路に横になったり、デッキに身を沈めたりしていた。指定席料金500円は必要ではなるものの快適な特急車両に乗れるわけだから、納得できる話だ。
 しかしムーンライトながらは安泰とはいかなかった。規制緩和で観光バスを利用した低価格なツアーバスが運転されるようになり、さらに航空規制緩和で早期購入割引のような安い運賃の導入、さらに格安航空会社による価格破壊により、高速バスですら廃止するところも出現した。徐々に一般客は飛行機とこれまた安くなったビジネスホテルを選ぶようになり、ムーンライトながらは徐々に客が離れていった。特に普通列車ならJRの普通列車に乗り放題となる青春18きっぷの使える学校の休みの期間以外は閑散とするようになった。
 そして2009年からはその青春18きっぷの使える時期しか走らない季節列車となった。青春18きっぷを使えば高速バスよりはるかに安く、東京-大阪間を移動できるので、続行の臨時列車も運転されるほど人気があった。もっとも多客時の続行臨時列車は昭和時代から設定されてた。
 このような形で運転されていた「ムーンライトながら」だが、2020年の新型コロナウイルス対策としての外出自粛要請は、これ列車の存在意義を問い直す結果となった。2020年3月29日の大垣行きを持って「ムーンライトながら」は多客時でも運転されなくなり、2021年1月車両の老朽化と乗客の減少を理由に列車の廃止が発表された。
 そんな「ムーンライトながら」だが、筆者は2度の乗車経験がある。東京に早く前述したように和歌山からは高速バスで東京に出る方が、安くて快適なのだが、東京到着時刻に問題があった。1998年4月の中山競馬場、同年11月の東京競馬場を訪ねる旅だった。当時の競馬場の指定席は事前予約はなく、朝早くから窓口の前に並ばなければならなかった。高速バスで東京に着いて移動したのでは並ぶのが遅くなるからであった。当時はスマートフォンはもちろんデジカメもなく、競馬場用にフィルムを確保する必要があったので「ムーンライトながら」の写真は一切残っていない。当時の日記にはこのように記述されていた。

1998年4月17日 (原文ママ)
 阪和線から環状線に乗り、大阪駅で友人と合流。21時00分発の新快速に乗る。はじめ神戸方面の間違って5番線に上がり、続いて京都方面の7番線に上がったが新快速は9番線からの発車だった。階段の上り下りでいい運動になった。
 近江八幡でやっと座れた。22時23分米原着。22時25分発大垣行きに乗り換え。117系系4両編成。進行逆方向、車端、窓が開いていたので寒かった。
 23時3分大垣着。橋を渡って1番線にムーンライトながらが待っていた。我々は最後尾の1号車。指定席は3両。前の6両が自由席となる。
 23時8分、1号車に約10名の客を乗せて出発。久しぶりのウィスキーが気持ちが悪くなるほど睡魔を誘う。名古屋で8割ぐらいが埋まった。そして岡崎で記憶がとだえた。
 翌日4時16分、横浜到着に気付く。しばらく夢と現実がごっちゃになった。いつのまにか9割5分埋まっていた。
 洗面所の数が少なすぎる。この車両は昼行用としては合格でも夜行用としては難点がある。上の送風機からの風も冷たく、特に腹が冷えた。
 定刻4時42分東京着。未明とはいえ東京の電車は1両20名の客がいる。



1998年11月20日 (原文ママ)
 阪和線快速の車両、クハ111-7041。阪和線はゲームで過ごすも眠気が襲ってきた。
 環状外回りで大阪着は19時53分。その3分後に友人と合流。彼は皮ジャンにジーンズ。
 予定を早めて20時00分発の新快速に乗る。石山で私が座り、草津で友人が座った。
 米原からの豊橋行き快速は113系。相席にならずに座れた
。  大垣到着。予定通り西側ローソンに向かい、つまみと朝食を買う。
 マフラーなしでは寒い大垣であった。ところで今回私はコートにフードをつけ忘れていることに気がついた。これがあると思ってイヤーパットを持ってこなかったのに競馬場で心配だ。
 23時03分、ムーンライトながらが入線。半分の乗車率。我々の席は3号車4CDで大阪よりのドアから2列目で比較的揺れてうるさい。ついでに車両の真ん中のグループもうるさい。車両を見ると1番2番がグループ用のシートで大阪よりから3番から14番まで並んでいる。今日の指定席は完売しているという。
 その通り満員で女性はディズニーランドに行く人が多かった。
 持ってきた焼酎のおかげでよく眠れたが、沼津ではドアからの風が冷たかった。結局2時間ぐらいしか眠れなかった。お尻が痛くなった。
 定刻4時24分川崎着。トイレに行く。ホームは寒いので階段を2往復した。
 南武線は103系。5時25分府中本町到着。競馬場への連絡通路はまだ暗い。また人影も少ない。西門から見える1コーナーがライトに映える。

スクリーンショット 2021-02-23 230041.jpg
↑当時の上りムーンライトながらの発車時刻

 東京行きは名古屋からの乗車が多く、大船あたりからも初電として利用されていたのがわかる。11月の青春18きっぷの使えない時期でも指定席が売り切れていたというのに驚く。競馬場やディズニーランドのように早くから入場門に並んでおきたい人たちにとっては、5時前に東京に到着するのはかえって都合がよかったのだろう。ムーンライトながらがこんなにも早く東京に到着するのは通勤通学ラッシュを避けるためだ。従ってムーンライトながらもしくは大垣夜行は伝統的にこの東京に向かう上りより、到着時間帯が利便性に優れていた下りが多く利用されていた。
 その下りに乗る機会はついに恵まれず、2008年3月東京-大阪間の寝台急行銀河も廃止された。その翌年に季節運転になったムーンライトながらはその後、車両もJR東海の373系からJR東日本の185系という古い車両に変更され何とか命脈を保ったが、前述のように2020年3月の運転をもって廃止された。
 JR東海にとっては客単価の安い青春18きっぷの乗客のために、車両を仕立て、客扱いのための人員を配置することに費用対効果を見いだせなくなったというところだろう。これでかつては全国各地に走っていた夜行普通列車は全て廃止された。夜行旅客列車は東京-高松を結ぶ「サンライズ瀬戸」とそれに併結して走る出雲市行きの「サンライズ出雲」のみとなった。それ以外の夜行列車としては七つ星のようなクルーズトレインがあるとはいうものの、これらは乗車券を買っていつでも乗れるものではなく特殊な列車だ。あとは近い将来北海道新幹線が全通したら、もしかすると飛行機に対抗するためにカシオペアのような豪華寝台電車が走るかもしれないが、可能性は高くない。結局夜行列車の最後の牙城「サンライズ瀬戸・出雲」に頑張ってもらうしかないだろう。まだ乗られていない方は早い目に乗っておいた方がいい。廃止が報道されると寝台券を入手するのが難儀するからだ。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

レシート発行をなくせないか [社会]

 キャッシュレス決済が進むのはいいとして、あいかわず旧態依然としているのはレシートである。スマートフォンのおサイフケータイで決済しても、レシートが渡されるから、それを入れるために財布を取り出さないといけない。これは全然スマートではない。あとでオンラインで明細書を見ればいいという人がいるが、その人はおそらく家計簿をつけたことのないのであろう。何故なら電子決済の明細書ではどこでいくら使ったのかはわかるが、買った商品の内訳がわからないのだ。例えばスーパーでパン、洗剤、電池を買ったとすると、パンを食費、洗剤を日用、電池を雑費に勘定科目に指定する必要がある。家計簿の付け方は人それぞれだが、勘定科目がなければ、どの分野にお金を使っているのか把握できないので家計簿の意味をなさないと思う。買ったものの値段を全て記憶できる頭脳を持ち合わせていない限り、レシートは家計簿をつけるためには必須といえる。
 レシートには店側としてもやっかいな問題がある。レシートに使っている紙はリサイクルのできない感熱紙だ。よくレジの前にはレシートを受け取らない人のための捨て場があるが、その紙は焼却せざるを得ないのだ。そもそも不要であるのに発行するのは紙の無駄使いだ。要求があった時のみ発行するようにしたいのが本音だろう。
 まずは実現可能性は別にして理想的な方法でレシート発行をなくすことを考えよう。一番いいのは、クレジットカードか電子マネーの機能として、あらかじめ設定しておけば、買い物すると自動的にレシートのイメージが送信されて、あとでWebサイトで確認できるようにすることだ。店のレジとカードのオーソリゼーションとリンクしなければならないが、利用者としてはこれが手間がかからない。しかしレシートを送信する時に個人情報が残るのが難点で、現金チャージ専用のSuicaなどはどうやって対応するのかという問題がある。
次に可能性があるのは、買い物をした利用者のスマートフォンにイメージデータを送信する方法だ。これの利点は現金決済にも対応できることだ。つまりレジにレシートを印刷する代わりにQRコードに変換し、それをスマホのカメラで読み取って、スマホ内部に保管する。QRコードは漢字で1817文字収容できるのでレシートのデータ量としては十分だ。今のコンビのレジなら酒類の年齢確認するためのタッチパネルがあるので、そこに表示できるようにソフトウェアを変更するだけでいい。それがない店でも簡単なタブレットを接続するだけで実現可能だ。筆者のようにEdyストラップを使っている場合、レシートのためにスマホを取り出さなければいけないのは面倒だが、利点の方が勝っているので我慢できる。店側としてもレシートの紙代と処理代が節約できるわけだから、現金やポイントで還元するのも普及策としては有効だ。
 QRコードを読み取るにしてもアプリで管理した方が都合がいいので、メーカーで規格を統一してもらいたい。またスマホでQRコードを読み込むほかに、メールアドレスを仕込んだバーコードを店のレジで読み取ってデータを送信するという方法も考えられる。LINE PAYのようなQRコード決済の電子マネーなら、支払いコードにメールアドレスを付け加えることにより、支払いとレシート送信を同時にできるだろう。
 さらにレシート発行を利用者の希望がないと発行しないようにしてもいい。コンビニはQRコードをモニターに表示するだけ。かなりの経費削減になるだろう。
レシートQRコード.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:マネー

キャッシュレス社会を生きる・電子マネー篇 [社会]

 2019年の消費税増税とともに施行されたキャッシュレス決済によるキャッシュバック政策や新型コロナウイルスの感染対策で現金のやりとりが忌避され、2020年は一気にキャッシュレス決済が進んだ感がある。この電子マネーについて、筆者の使っているものを中心に解説していく。ただし電子マネーは統合・廃止・機能追加などが頻繁に行われるため、ここに書かれた情報が常に正しいとは限らない。あくまで2020年12月の情報であることをお断りする。
s-Ainokaze_Toyama_Railway_uozu_station_Suica.jpg

1.電子マネーとは
 おそらく電子マネーの元祖といえるのは、テレホンカードだろう。1000円、5000円など一定の金額を前払いして、公衆電話の料金に充てられるようにしたカードで、利用者にとっては硬貨を用意しなくてもいいこと、また1000円で50円分余計に利用できるなど特典があった。事業者にとっては硬貨の回収の必要がなくなること、表面を多様に印刷すること宣伝用に用いることができる。またそうすることで希少性が出て蒐集家の対象となったりした。この場合電話料金として利用させることがほとんどないので、電話会社はマル得となった。テレホンカードは今でも発売されているが、携帯電話の普及で、あまり利用させず、もらってもあまり嬉しくない贈答品となっている。このテレフォンカードに類するものとして、JRの切符を買えるオレンジカード、高速道路の料金支払い用のハイウェイカード、コンビニの支払いに使うクオカードなどがある。これらを総じてプレペイドカードという。
 しかしこれらのカードは購入した金額を使い切ると、再利用はできなかった。今現在普及している電子マネーはこれを何度でも利用できるようにしたものといえる。

2.種類
 形態としてカード型とアプリ型とコード型、支払い方法として前払いと後払いとデビットがある。
 カード型はSuica、ICOCAなどのように交通事業者や楽天EDY、nanako、WAONのように金融流通業者が発行しているカードで、多くはスマートフォンのおサイフケータイ機能としても利用できる。その場合は別にカードを持たなくてもいいし、スマホの電池が切れても利用できる。この手のカードはセンサにカードを近づけることで発生する電磁誘導を利用しているからだ。またカードでなくともICさえ組み込めばいいのでコイン、ストラップやキーホルダーのような形にもできる。
 アプリ型はスマートフォンのアプリを利用するもので基本的には通信環境が必要だ。一部にはオフラインでも使えるのが存在するが、画面にコードを発生させる必要があるのでスマートフォンの電池残量は必須である。
 コード型はカードに書かれた数字や文字を、利用時に端末から入力するものである。アマゾンやグーグルプレイのギフトカードなども該当する。これの利点は銀行口座や個人情報が必要ないことで、年少者や何らかの理由でクレジット契約や口座を持てない人が利用できることだ。一般的にはインターネットでゲームアプリを買ったりするのに使われ、コンビニなどの店舗で利用するものではない。
 前払い式は一般的な電子マネーの形態で、あらかじめ一定の金額を入金しておき、使った分だけ減っていく方式だ。一番の利点は使いすぎを防止できることだ。中にはクレジットカード情報とリンクして簡単にチャージできるようにしたり、一定の金額以下になったら自動的にチャージできるようになるのもある。しかしこれでは歯止めが効かないので注意が必要だ。
 後払い式はチャージはしなくてもいいかわりに、使った分だけリンクしたクレジットカードから引き落とされる方式だ。関西私鉄の共通カードのPitapaやJCBカードが運営するQuickpayなどが該当する。この方式の欠点はは前払い式と逆に歯止めが効かないので使いすぎてしまう可能性があることだ。レジで払うのであれば初めからクレジットカードを出せば済むことだ。クレジットカードとの差は決済スピードだが、最近ではクレジットカードにもタッチ決済に対応しているのがある。そんなわけでこの後払い式はあまりお勧めできない。
 デビット式はチャージしなくても使った分だけ引き落とされるのは後払い式と同じだが、引き落としが締め日でなく即時に行われその時点で銀行口座の残高のゼロになると引き落としがされない。つまり前払いと後払いの中間を狙った方式だ。NTTドコモが運営するiDがこれに該当する。ただしiDはデビットカードだけでなくクレジットカードや現金をチャージして前払い式にもできる柔軟性を有する。
howtouse_bc.png

3.使っている電子マネー
1.楽天EDY
 電子マネーとしては老舗的存在。ソニーを中心とした大手企業数社が出資しEuro、Dollar、Yenの三大通貨の頭文字を取って名付けられた。その後楽天グループに買収されて「楽天EDY」と改称され、同グループの中核である楽天クレジットカードにはその機能が組み込まれている。形態としては非接触センサでカードやスマホに埋め込まれたチップを読み取る。決済が完了すると「シャリーン」という音が鳴る。
 筆者がEdyを最初に知ったのは全日空のマイレージカードにその機能があったからだ。当時アパホテルのポイントを1000ポイント貯めると500円分のEdyがもらえたので重宝していた。またネットショッピングでクレジットカードの番号を知られるのを嫌って、PCにパソリというEdyカードを非接触で読み込むリーダーをつないで決済をしていた。いづれにしても利用ポイントはなかったので積極的に利用していなかった。
 楽天Edyとなってからは楽天IDと連携すれば、楽天スーパーポイントが200円の利用で1ポイント付くようになった。これでEdyの利用価値が高まった。またチャージするときにも200円につき1ポイント付くようになった。しかしこれは楽天クレジットカード利用時に限られる。問題はポイントの単位が200円だということだ。楽天クレジットカードで直接払えば100円で1ポイントだ。チャージ時にもポイントが付いているとはいえ、無駄になることは避けられない。
 ではEdyはあまり使いどころはないのかというと、そうではない。筆者はEdyをストラップにしてキーホルダーにつけているのだ。これにより財布からいちいちカードを出さなくても買い物ができる。自販機によっては電子マネーが使えるのがある。ただしレシートの処置については困ることがおおい。これについては別の記事を書きたいと思う。
Edyストラップについては、下記拙作記事を参照していただきたい。
UVレジンでEdyストラップを作る

 さて、筆者はEdyのチャージについては「いつでもチャージ」を使っている。これはあらかじめ設定した金額をファミポートやPCにつないだリーダーからチャージできるようにしたものだ。一度チャージすると次の日の正午を過ぎないとチャージできない。これによって使いすぎを防止できる。しかしこの「いつでもチャージ」は不安点がある。それは盗難に遭うと暗証番号など本人確認なしにチャージできることだ。一日1回とはいえ、数千円チャージできるわけだから、盗ったものからするとうちでの小槌みたいなものだろう。筆者のようにストラップしているのであれば、可及的速やかに「いつでもチャージ」を解除する必要がある。あとEdyを含む電子マネーは紛失した場合の残高の保証はされない。テレホンカードをなくした場合と同じである。「いつでもチャージ」の場合もおそらくこの約款が適用されるから取り扱いには注意することだ。
 Edyは先行者の強みで使える店も多い。しかし最近は後発のnanacoやWAONの後塵を拝している。nanacoはイトーヨーカドーやセブンイレブン、WAONはイオングループという強力なバックアップがあるからだ。この3大ブランドを簡単に比較してみよう。
イトーヨーカドーやセブンイレブンはnanacoとEdyは使えるがWAONは使えない。イオンはWAONしか使えない。また吉野家も同様である。Edyはイトーヨーカドーやセブンイレブンで使えるが、イオンで使えない。ファミリーマート、ローソンはWAON、Edyを使えるがnanacoが使えない。イトーヨーカドーとイオンがそれぞれの顧客を囲い込みをした結果このようになっている。nanacoの方がやや開放的な対応をしている。イオンで買い物するならWAON、イトーヨーカドーならnanaco、どちらでもないならEdyがいいだろう。ただnanacoは公共料金の支払いに使えてポイントも貯まるのが利点だ。
 Edyストラップの残高確認は使った時のレシートを見るか、ファミポートを使う手もあるが、スマホがおサイフケータイを使えなくてもAndroidでNFC機能をもっていれば「残高リーダー」アプリを利用することで、残高を読み取ることができる。このアプリはEdy、WAON、nanaco、後述する交通系カードでも使えるからインストールしておくべきだ。
 電子マネーは利用額に応じてポイントで還元があるのが普通である。ポイントは無期限でどこでも使えるのが理想だ。ポイント還元率に釣られて、期限があったり、使える店が少なかったりすると、かえって損をするので十分吟味することだ。
電子マネー相関図.jpg
2.LINE PAY
 LINE PAYはQRコード決済だ。使用時に一定の時間で無効になるQRコードをスマホ画面に表示し、それを店側のスキャナで読み取る方法だ。残高はスマホの内部ではなく、基本的にはサーバー上にある。従って使用時には電波が届いていて通信が確保されている必要がある。この方法の最大の特徴は設備が非常に簡単だという点だ。Edyなどの場合はカードリーダーが必要だが、QRコードであればスマホのカメラで十分だ。これは友達のスマホ同士の送金や露天の商売でも使えることを意味する。決済方法には2種類あって、スマホに表示させたQRコードをレジのPOSに接続されたセンサーやスマホでQRコードを読み取る方法と店に提示されているQRコードをスマホで読み取って金額を入力する方法がある。
 QRコード決済の欠点はQRを表示させるのに時間がかかることだ。後の人のためにレジで並ぶ前に済ませておけばいいが、クーポンなど出ていないかチェックしなければならないし、レジで並んでいる時にこれをやっていると結構焦る。それと通信が確保されていないと決済ができない。しかし中国のアリペイは通信が確保されているうちに残高情報をスマホ内部に取り込んでおくことにより、電波が届いていなくても決済できるようになっている。
 さて日本で最も普及しているQRコード決済はソフトバンクグループのPaypayだ。利用者側に現金を配ったり、店舗側には手数料無料としたり派手な販促活動で一気にシェアを獲得した。前述したように設備が簡単なので、個人商店ではPaypayしか使えない店舗も多い。
 しかし筆者はLINE PAYを選んでいる。LINE PAYの利点は友達への送金やギフトを簡単に送れることだ。これは厳密にいうとそうした利用はLINE Payでなくとも電話料金から引き落とされるのだが、筆者は格安SIMなのでそれが利用できないのだ。それと筆者が利用している電子書籍HontoがLINE PAYが使えるという点もある。クレジットカード番号をスマホで入力するのは危険だし、カード番号を売り手に預けるのも同様に危険だ。
 LINE PAYの欠点は自社ブランドのLINEクレジットカードからチャージした場合にしかポイントが加算されないことだ。筆者のように銀行口座からチャージした場合はポイントがつかない。これではあまり魅力がないが、LINEショッピングで楽天市場やYahooショッピングを利用すると0.5%のポイントが付く。このポイントはLINE PAYの支払いに使える。
 あと全く利用していないがPaypayも持っている。これはヤフオクなどの売上げをPayPayにチャージすれば割り増しになること、1000円以上であればジャパンネット銀行に手数料無料で口座に戻せること、ヤフーがLINEを買収したので、将来的にはPayPayとLINE Payが無手数料で送金できる可能性があることからである。
linepay1.jpg

3.ICOCA
 ICOCAはJR西日本が発行している交通カードである。自動改札機のセンサに読み込ませると、残高がゼロでない限りゲートが開く。朝のラッシュ時には猛烈なスピードで処理しなければならないので、日本の改札機でQRコード決済が使える日はまず来ないだろう。交通カードにはICOCAの他にJR東日本のSuica、JR北海道のKitaca、JR東海のToica、JR九州のSugoca、関東民鉄のPASMO、関西民鉄のPITAPAなどがあるが、一部を除いて相互に利用できる。従っていずれのカードをいずれか持っていれば、全国の鉄道やバスに乗れる。また駅構内の売店や駅周辺のコンビニではこれらの交通カードで決済できる。つまりこれ一枚あれば他に電子マネーは必要ないという人もいる。
 この交通カードの欠点はポイント特典が弱いことだろう。ポイントが付いてもそれは鉄道の乗車か管内の売店でしか使えない。財布の中はスッキリするがこれは残念な点である。
 しかし前述したように特に首都圏や関西圏といった大都市に住んでいる人なら電車は必ず利用することだろう。交通カードは用意するべきアイテムといえる。
 筆者の持っているICOCAはスマートICOCAというタイプで、あらかじめ引き落としのクレジットカードを登録しておき、駅構内の端末でチャージして利用する。本人確認は全く行われておらず、紛失したら一日何回でもチャージできる。しかしJR西日本は紛失後直ちに届ければ、不正利用分は返金すると発表している。
 ポイント特典は薄いので原則として交通費にしか用いていないが、まれに構内の自販機で缶コーヒーを買ったりする。

4.Suica
 関西圏に住んでいる筆者が本来Suicaを所持する必要はないのだが、旅先でSuicaグリーン券を購入するには、ICOCAではダメでSuicaを持っていなければならない。邪魔になるのでモバイルSuicaにしたいところだが、筆者のスマホ端末は海外製でおサイフケータイに対応していないのだ。それにICOCAの残高が足りない時にも使えるし、また普段電車に乗らず交通カードを持っていない友達などに一時的に貸すこともできる。

 電子マネーは非常に多くの種類があって群雄割拠の時代だが、いずれは相互利用できるようになったり、淘汰されたりして便利になっていくことだろう。また中国のアリペイが日本でも使えるように、日本の電子マネーも中国やその他の海外で普通に使えるようになるだろう。そうなると両替の手間もなくなるし、あの重いコインも持ち歩かなくてよくなる。ユーロのように無理に統一通貨を作らなくても利用者の利便性が確保されるだろう。
suicaicoca.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:マネー

紫外線殺菌装置に注意 [最近買ったもの]

 新型コロナウイルス対策として、マスクやスマホなどを殺菌する装置がある。管理人もそれを買ったのだが、どうやらまがい物だったらしいので報告する。
 買ったのはこれ。アマゾンで2480円だった。
2020-10-17 223232.jpg
IMG_7684.JPG
↑買った製品
 電源を入れるとHello!と元気よく英語で挨拶される。結構うるさいのだが、問題は本当に殺菌するかどうかだ。左のボタンを押すと、3分間殺菌用の紫外線ランプが点灯する。
IMG_7692.JPG
↑殺菌中?
 作業完了と英語でアナウンスされる。入れたマスクは何の変化もない。本当に殺菌されているのだろうか。紫外線波長は253.7nmと説明書にあるが。
spec.jpg
↑取扱説明書
 紫外線が発光しているのならば、蛍光ペンのインクで反応するはずだ。UVライトを持っているので、それで蛍光ペンの筆跡を照らしてみるとこのようになる。
IMG_7685.JPG
↑UVライト
IMG_7688.JPG
↑蛍光ペンでマークする
IMG_7689.JPG
↑紫外線を当てると蛍光ペンの箇所が光る
 これを例の装置に入れてみる。
「あれっ?光らない」
 これは紫外線が発光していないことを意味する。だいたい散髪屋に置いている紫外線殺菌装置が1万円くらいなのに安過ぎと思った。
IMG_7690.JPG
↑光らない・・・
 偽物と確信したので、装置をバラしてみた。左右2本の蛍光管もどきとスピーカーとアロマテラピーを熱っするためのヒーターなどがある。
IMG_7693.JPG
↑装置を分解する
 電源を入れてみると、蛍光管の端が光った。よく見るとそこには青色LEDが輝いていた。この形をした紫外線LEDは確かに存在するが、発光色からしてそうではないのは間違いない。
IMG_7699.jpg
↑蛍光管のように見えるチューブ
IMG_7701.JPG
↑実は単なる青色LED
 よくこんなものを造ったものだ。現在、この商品が在庫なしになっており、おそらくトンズラされたのだろう。
 アマゾンで類似の商品を買うときは蛍光ペンで紫外線がでているか確認し、出ていないの時は返品するべきだ。
 注意:この記事はあくまでも個人の見解です。実際には紫外線が出ている製品だとしても、当方は一切責任を負いません。真偽の程は読者が自己責任で判断していただきたく思います。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

セダンの魅力を語る [自動車]

s-IMG_2485.jpg
↑トヨタ・マークX
はじめに
 昭和時代まではクルマといえばセダンが王道であった。セダンとは3ボックスと呼ばれる形態でエンジン、キャビン、トランクの3つの部屋に別れた構造を持つ。タクシーを想像していただければ一番わかりやすいかもしれない。とにかく昭和の頃は若い頃は軽自動車やシビックのようなトランクのない2ボックス車に乗っていたとしても、家族を持てばカローラ、コロナ、ブルーバード、マークIIなどのセダンに乗るのが一般的だった。
 流れが変わったのは元号が平成になってからである。まず日産からプレイリーが発売され、フロントエンジンで3列シートという仕様が注目された。次にトヨタからエスティマが発売された。これはエンジンは床下に配置した1ボックスカーで、デザインを重視した丸みを帯びた大柄な車体で、家族を乗せて長距離移動するのに十分な居住性があった。それまでの1ボックスカーは商用のバンの延長でデザインされたもので、女性からは「商売人の女将になった気分」と嫌われたものだったのだ。さらにホンダからオデッセイが発売され、エンジンをフロントに配置し乗用車と同じ静寂性を得た。これらのクルマはミニバンと呼ばれ、この後他のメーカーも同様のコンセプトのクルマが発売され、いつの間にか「ファミリーカーはミニバン」という流れになってしまった。
Nissan_Prairie_1988.jpg
↑日産・プレイリー Photo by Wikipedia

640px-1999_Toyota_Estima_Supercharger_(widebody;_Japan)NZ Car Freak .jpg
↑トヨタ・エスティマ Photo by Wikipedia (C)NZ Car Freak
640px-1996_Honda_Odyssey_van_(2015-08-07)_01 OSX.jpg
↑ホンダ・オデッセイ Photo by Wikipedia (C) OSX
 これとは別にセダンのトランク部分の屋根を客室と同じ高さにしたセダンの2ボックス化というべきステーションワゴンが市民権を得るという流れがあった。スバルから発売されたレガシーツーリングワゴンは優れた雪道走行性能と、専用設計ボディーのステータスもあって、傾きかけた同社の経営を立て直すほどのヒットを飛ばした。
Legacy_I.jpg
↑スバル・レガシィツーリングワゴン Photo by Wikipedia
 この2つの流れに共通しているのは、行楽と多目的利用だ。つまり家族で河原でバーベキューをするにはたくさん荷物を積めて、動き回れるほどの広い室内の方が子供達も退屈しない。それに運転手の目線が高く遠くを見れて道路状況が把握しやすく、見下ろして上から目線で運転できるので気分がいい。ステーションワゴンは室内の広さはさほどではないが、リアシートを倒すことによりスキー板のような長いものが積めるし、買い物でも何かと便利だ。この特徴はミニバンでも同じだ。今考えてみれば、バブル景気のスキーブームがミニバンとワゴンの隆盛に貢献したように思える。さらにいえば平成になって高速道路網が急速に進み、遠くまで行けるようになったこと、それにカーナビが普及してその付帯機能としてテレビが見れるようになって渋滞になってもある程度気が紛れるようになったことも影響しているだろう。
 そこで割を食ったのはセダンである。セダンではリアシートを倒せないとスキー板すら積めないし、シートの座り心地は悪くないものの、座ったらそれっきりで、トランクに置いたものも、停車しないと取り出せないという欠点もあった。家族でクルマで旅行するというウキウキ感ではセダンではどうしても厳しいものがあった。セダンでバーベキューなんて場違いであった。そうした事情もあってセダンは販売台数を落としていった。
 しかし冠婚葬祭などのフォーマルな場面ではセダンにまだ分があったし、実際レクサスやインフィニティなどの高級車はセダンが販売が中心だった。しかし平成時代も末期になるとSUVという見かけはオフロード車でありながらスタイルを重視したデザインで、これの販売にメーカーが力を入れるようになった。これはエンジンがハイブリッド化し、車体が大型の方が設計しやすいという事情もあるのだろう。各界の著名人がこれに乗るようになってステータスを得て、いつの間にかセダンは片隅に追いやられるようになった。もはやセダンはフォーマルというのは昔話で、今はSUVやミニバンでも全く問題はないだろう。
640px-Lexus_NX_200 Milhouse35.jpg
↑レクサス NX Photo by Wikipedia (C) Milhouse35
 もはや風前の灯火ともいうべきセダンだが、実は多くの利点が存在するのだ。それを今回検証していこう。

1.重心が低く安定してる
 これがセダンの最大の利点だろう。SUVやミニバンは車高が高い、すなわち重心が高いために、カーブ走行時に不安定になりやすい。その対策としてサスペンションを固めにセッティングする。しかしそのために通常の走行時の乗り心地が悪くなってしまう。セダンだと柔らかく最適に設定できるので、乗り心地が良好だ。またステーションワゴンのようにテールゲートがない分、後輪にかかる重量が軽く、これも走行の安定性向上に有利だ。
 セダンが最もその実力を発揮するのは高速道路の走行だろう。とにかくハンドル操作で意図した通りに運転できるので楽しさを感じる。自分の経験ではクルーズコントロール併用すれば、3時間ぐらいの連続走行は可能だ。
 ただし渋滞に捕まると、運転手目線が低いので、遠くを見通せず、ストレスが溜まることになる。

2.安全性が高い
 エンジンルームが分離しているのはミニバンやステーションワゴンでも同様だから正面からの衝撃吸収性はセダンも互角だが、後ろから追突された場合、トランクルームという空洞がある分衝撃が吸収されるので安全性が高い。
 またセダンの場合トランクルームがあるために後ろの窓の下に横方向に構造材が入る。そのために剛性が高く横方向からの追突にも強い。

3.静寂性が高い
 後輪から発生するロードノイズは空洞となっているトランクルームで吸収されるので、キャビンは静かである。またミニバンやステーションワゴンの場合、後方の荷物がむき出しなので走行中に荷物が動くと耳障りだが、セダンは密閉されているのでその心配は無用だ。また密閉されているので、臭いの強い物を積んでもキャビンに漂うことがない。

4.空調の効きがいい
 キャビンが狭く、ガラス面積が狭い分、エアコンやヒーターの効きがよく、夏のあの熱気を追い出したり、冬の震えるような足元を温める時間が短い。その分快適な運転ができる。

5.防犯性が高い
 トランクが独立して、外からは見えないので、窃盗犯が盗みをしようとする動機を抑えることができるので防犯性が高い。これは特に犯罪の多い北米では重要視される。またエンジンキーとトランクキーが別な場合、キーを係員に預けなければならない駐車場に停めた場合でも、盗難の心配を軽減できる。

6.トランクが意外と広い
 ミニバン、ステーションワゴン、SUVの場合一見荷室が広そうだが、3列シートを使ったり、ウォークスルーしたりするとたちまち荷室が狭くなってしまう。セダンのトランクは外から見ると狭そうだが、実際はリアシートの背もたれまで空間があるので、クルマによってはゴルフバッグ3つ積める。

7.音楽の再生で有利
 これは少しマニアックでマイカーにする場合の利点ではあるが、リアシートの背もたれ後方にボードがあるので、そこにボックス型のスピーカーを置ける。ボードに穴を開けることで、トランクルームをエンクロージャーの替わりにでき、バスレフ効果で低音再生に有利となる。運転席、助手席に座った場合、理想的なトゥイーター位置になるので、これも音楽の再現性が高くなる。ミニバン、ステーションワゴン、SUVのリアスピーカーはドアにつけざるを得ず、後ろに座っている人のスピーカーとなってしまっている。
 もっとも現在はナビが組み込まれた純正オーディオで満足している人が多く、わざわざボックス型のスピーカーをセットする人は少数派でメーカーも力を入れていないのが残念だ。

8.何だかんだで高級感がある
 SUV、ミニバンが市民権を得たといっても、総理大臣や皇族の公式乗用車がミニバンになることはないだろう。今後とも3ボックスのセダンやリムジンが使われ続けるだろう。このことはセダンに高級なイメージを植え付けることになる。

最後に
 今や街乗り、通勤、行楽などの家族のいる人のマイカー需要ではミニバンやSUVが有利で、セダンをマイカーに所持するとすれば富裕層か昔気質の高齢者か、あるいは逆に走りに拘った独り者の若者だろう。
 現在にあって、セダンがもっとも役目を果たせるのはレンタカーだろう。実際、レンタカーのラインアップはセダンが中心だ。大きな荷物を抱えて空港に降り立ち、荷物をポンと載せて、レンタカーに乗って高速道路を走ると、前述したセダンの利点が理解できるだろう。
 日本のレンタカーの場合、ヤリスのような小型車とクラウンのような高級車とは料金の格差が激しいが、海外の場合価格差が少なく、むしろ小型車は割高な設定になっている。海外旅行に行く機会があったら、ぜひ大型のセダンに乗ってドライブを楽しんでもらいたい。ただしその国の交通ルールを理解し,トラブルに遭った時の英会話力は備わっている必要がある。
s-IMG_1782.jpg
↑トヨタ・アリオン
タグ:セダン
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

第4回令和記念西国33カ所ツーリング [旅行]

4の1地図.jpg
↑1日目のルート
2019年7月7日 曇
 今回は数多くの寺院がある京都が中心なので泊まりがけで行く。10番札所の三室戸寺から19番札所の革堂まで対象とする。
 5時55分、自宅の車庫を出発。バイク専用ナビゲーションアプリ、ツーリングサポーターを起動する。三室戸寺の到着は10時30分となっていた。予想よりも遅い。これでは上醍醐への登山は無理ではないかと思われた。とにかく国道24号線、鍋谷峠、外環状線、国道1号線バイパスを通った。途中、富田林のガススタで給油も兼ねて休憩した。楽天ポイントが使える出光を選んだ。平日なので外環状線の八尾以北は当然のように混んでいた。大型トラックのすり抜けは緊張する。1号線バイパスは路肩が広く、高速道路同然で進むことができる。ここで一気に時間を詰めた。
 10時8分に三室戸寺に着いた。入山料は800円と高い。この寺はあじさい寺という異名があり、実際に広大なあじさい園がある。しかしあじさいはもう枯れはじめており、むしろハスの花が見頃であった。中国人や巡礼ツアー客がいたせいもあって、平日なのに30人を越える参拝者が訪れていて活況を呈していた。おそらくあじさい寺のブランド力だろう。
IMG_2092.jpg
↑入り口
IMG_2095.jpg
↑山門
IMG_2096.jpg
↑紫陽花が咲いている
IMG_2097.jpg
↑さらに階段を登る
 「強打禁止」と書かれた鐘をついた。本堂の前に「勝運の牛」と「福徳兎」の御影石の像がある。なんかとってつけた感がある。蝋燭と線香はそれぞれ50円。線香は祈願線香しかなかった。「心願成就」を選んだ。納経と書かれた白い状差しみたいなのが置かれていたが、何も入っていなかったので、御朱印をいただく前に手渡した。三室戸寺の朱印はシンプルな筆使いだ。帰りはあじさい園を抜けて帰った。動物園にあるような回転扉を押して退園したのは10時50分。出たところのテントで土産物を売っていた。
22ks10.jpg
↑新旧御朱印
IMG_2103.jpg
↑「強打禁止」と書かれた鐘
IMG_2106.jpg
↑勝運の牛
IMG_2107.jpg
↑福徳兎
IMG_2111.jpg
↑線香
IMG_2115.jpg
↑あじさいを強調
IMG_2121.jpg
↑あじさいも見頃を過ぎて
IMG_2123.jpg
↑動物園の出口のような回転扉
 11番札所醍醐寺へはバイクで20分ほど。駐輪できるようなところが見つからなかった。「五大力うどん」の昼食を食べている時に、背中に「原付で日本一周してます」と書いた男が店に入ってきて「バイクはどこに停めたらいいですか?」と着物を着た店員に聞いていた。店員は「トイレの前のスペースに置いて下さい。そこなら無料です」と返答した。食べ終わってから私はバイクをそこに移動した。
IMG_2128.jpg
↑醍醐寺駐車場
IMG_2131.jpg
↑五大力うどん
 入山料はいわゆる宝物殿たる霊宝館と三宝院を含めて800円。受付の人は「西国巡礼の方は観音堂で朱印をお受けいたします」とのことだった。西国巡礼の対象は上醍醐寺となっているが、その伽藍は落雷で焼失しており、醍醐寺内の観音堂が11番札所になっているのだ。上醍醐は現在再建中で、入山料600円を払って登ることができるのだが、そこには建物の一部が残るだけらしい。何より3.6キロ1時間の山道だ。体力的に問題がなくても、時間がなさ過ぎる。醍醐寺の現状を見てからお参りするのは断念した。
 ツアー客がさっきのうどん屋にゾロゾロ入っていったのを見たが、他には10数人の参拝者数。昨年の豪雨で木がなぎ倒され、醍醐寺全体としては再建に4億6千万円以上要するとのこと。寄付を募っていた。日本の神社や寺院は古来そのような自然災害に見舞われるので、その度有力者の寄進や民衆の浄財を集めて再建していた。
 金堂、五重塔を抜けて日月門を過ぎて観音堂がある。広大な寺域の割に伽藍は少ない。
IMG_2157.jpg
↑参道
IMG_2137.jpg
↑五重塔
 観音堂も損傷しているらしく裏から入らないといけない。無地の蝋燭と線香3本で100円。写経は納め札入れの横に積み重ねられていた。参拝者は私一人だけだった。なのに納経所には二人いた。
33ks11.jpg
↑新旧御朱印
IMG_2140.jpg
↑観音堂
IMG_2142.jpg
↑仮設看板
IMG_2143.jpg
↑納経
IMG_2144.jpg
↑燈明線香
 池の先には金網越しに上醍醐への登山道が見える。上醍醐へは後日、天気のいい日に、バイクではなく電車で訪れることにする。
IMG_2152.jpg
↑上醍醐への道
IMG_2153.jpg
↑通行注意の看板
 三宝院は立派な唐門と庭園が素晴らしい。襖絵は時代を超越した色彩だが撮影禁止である。
IMG_2151.jpg
IMG_2160.jpg
↑庭園
IMG_2162.jpg
↑写経所
 霊宝館も仏像がまた素晴らしい。五大力王像はさっき食べた五大力うどんの由来だろう。たぶん五大力は醍醐にも掛けているのではないか。
 次の12番札所岩間寺を目指す。上醍醐から岩間寺までの直線距離は短く、古来は山道を通って行き来していた。しかも醍醐寺と岩間寺は親戚のような関係がある。しかしバイクはもちろん、徒歩でも行き来は難しい。大津を通って大きく迂回しなければならない。国道1号線で道を間違え、気がつくと敦賀方面の湖西道路を走っていた。
 道案内はすべてツーリングサポーターにお任せした。岩間寺は平成の西国巡礼で最後に訪れた寺だ。その時は石山から自転車を借りて、岩間寺を目指したものの、自転車で急な山道を登る困難さを考え、途中から寺まで3キロほど走ってようやく御朱印を書いていただいた。前回訪問時に自転車を停めた上千松バス停は、当時あった待合ベンチが撤去され、参議院議員選挙のポスターが掲示されてた。
 そのような思い出があるので、見る風景に確かな記憶があった。自転車で登る猛者を見かけた。かなり苦戦していた。私のアドレスもエンジン全開で頑張っている。
 13時45分、岩間寺に着いた。平日で閑散としている。駐車場には2台しか停まっていなかった。受付らしき小屋には誰もおらず、「入山料500円は納経所にてお支払い下さい」とある。
 前回7年前に参拝した時には、醍醐寺の住職が岩間寺に入ってから、旧檀家と揉めていて嫌がらせの立て看板があったが、和解したのかそれは撤去されている。去年の台風の影響か建物があちこち壊れていた。本堂の両脇に納経所とお守りやお札の置き場があるというこじんまりした造りだ。
IMG_2172.jpg
↑境内は一部損壊している
IMG_2176.jpg
↑本堂
 燈明1本と線香2本で100円。燈明は願掛けしかなく「ぼけ封じ」を選んだ。写経は賽銭箱の横に積み上げていく。読経と参拝を済ませてご朱印をいただいた。
33ks12.jpg
↑新旧御朱印
IMG_2178.jpg
IMG_2181.jpg
↑燈明
IMG_2185.jpg
IMG_2190.jpg
↑祈祷御札
 岩間寺というのは通称で、正式名は岩間山正法寺という。西国33カ所の12番札所であると同時に、ぼけ封じ近畿十楽観音の4番札所でもある。
 岩間寺をあとにし、13番札所石山寺を目指す。
 20分ほど走って、14時30分に石山寺観光駐車場に着いた。毎度駐輪場に苦労するのが面倒なのでそこに停めることにした。料金所の横に停めるよう促され、200円を徴収された。なんだか罠にかかったような気分だ。
 石山寺といえば、紫式部がここで源氏物語を執筆したことと、かつて切手の意匠に採用された多宝塔で有名だ。寺としては紫式部を前面に押し出した商売をしている。あちこちに紫式部だらけである。入山料は400円。
IMG_2200.jpg
IMG_2201.jpg
↑石山寺山門
 石段を登ると岩の上の向こうに多宝塔が見えた。ただし木が邪魔してよく見えない。さらに石段をあがって近づく。石山寺の多宝塔は1194年に建立された日本最古の塔だが、おそらく日本一美しい形を伝えている。
IMG_2219.jpg
↑有名な多宝塔
 経堂の下の空間にある岩には座布団が置かれている。ここに座ると安産になるとの言い伝えがある。岩がちょうど座椅子のような形になっている。
IMG_2215.jpg
↑ここに座ると安産
 本堂は多宝塔より古く、1096年に再建されたもので、滋賀県で最も古い建物だ。源頼朝が鎌倉幕府を開くより100年も前に建てられたわけだから、当然国宝に指定されている。国宝を煙から保護するためか、線香はなく、燈明のみだ。蝋燭は1本50円だ。写経は賽銭箱の横に積み上げていく方式だ。読経と参拝して御朱印をもらった。
33ks13.jpg
↑新旧御朱印
IMG_2230.jpg
↑歴史を感じさせる本堂内
IMG_2231.jpg
↑線香は禁止
 紫式部の人形が飾られているのは当然として、MURASAKIというデジタルアートも存在している。
IMG_2235.jpg
IMG_2238.jpg
↑石山寺といえば紫式部式部
 母親からお土産を頼まれていた。石山寺の近くにある「茶丈藤村」という店の和菓子である。彼女の遠い記憶を元に「千山万水」というのを買った。あとで食べると記憶とは違ったそうだ。しかし胡麻入り白あんの菓子は美味であった。
IMG_2239.jpg
↑茶丈藤村の店
 次に14番札所の三井寺を目指す。琵琶湖湖岸の大津市の中心街を通る。大形商業施設やホテルが並んでいる。
 20分ほど走って16時00分頃三井寺に着いた。嬉しいことに下は砂利ながら駐輪場が用意されていた。西国巡礼を始めて明確に駐輪場がある寺は三井寺が初めてであった。
IMG_2244.jpg
↑三井寺には駐輪場がある
 三井寺は通称であり、正式には長等山園城寺と称する。境内に三つの井戸があることから三井寺と呼ばれるようになった、というのは俗説で、実際はこの寺に湧く霊泉が天智、天武、持統の3代の天皇の産湯に使われたことから「御井(みい)」の寺といわれていたのが転じて三井寺となったらしい。
IMG_2258.jpg
 三井寺の境内は広大だ。仁王門、釈迦堂、金堂、経蔵の他に、伝説の名鐘「弁慶鐘」というのがある。弁慶が三井寺にあったその鐘を奪って比叡山に引き上げた際、三井寺に帰りたがる鐘を谷底に投げ捨てたという伝説がある。それ以降変事の前兆がある時には音が鳴らなくなったりしたという。
IMG_2253.jpg
↑弁慶鐘
 珍しいものとしては孔雀明王として実際に孔雀が飼われている。孔雀は不思議な鳥である。鳥類の場合、オシドリのように雌を誘うために派手な色彩をした雄がいるが、孔雀は人間が改良して作ったのではないかと思うほど派手である。
 そんな広大な三井寺境内を7言語で説明してくれる無料のナビアプリがある。アプリの場合、保存性に難点があるものの、一時的な解説には便利だ。令和時代は電子マネーも含めた寺社のIT化は進行することだろう。
IMG_2247.jpg
↑寺もIT化が進む
 創設時の風景を維持するために、境内の道は砂利であえて舗装されていない。そのため映画の撮影に使われ、それを示す立て看板がある。
IMG_2263.jpg
 微妙寺という変わった名前の寺を通って、観音堂に着いたのは16時25分。もっとじっくり見たかったのに足早で歩いたのは、だいたい寺というのは16時か17時になると朱印の受付が終わってしまうからだ。
IMG_2268.jpg
 燈明は50円、祈願線香は1本100円だった。納経は賽銭箱の横の納札入に「写経は受付へ」と貼り紙していたのでそのようにした。読経、参拝、ご朱印をいただいた。
 もう寺は後片付けに入っていて、私のあげた蝋燭の火は消され、楼を掻き落とす作業を行っている。何はともあれ予定通り5ヶ寺の御朱印はいただいた。
33ks14.jpg
↑新旧御朱印
IMG_2274.jpg
↑本堂
IMG_2276.jpg
↑線香立て
IMG_2277.jpg
↑燈明
IMG_2285.jpg
↑本堂全景
 今夜は宿泊し、明日は京都市内の6カ寺を巡礼する。ホテルは大津市内ではなく、草津市内とした。大津市内のホテルは駅前にあり、駐輪できるかどうかわからなかったなかったからだ。駅前の駐輪場は125ccは不可というところもある。それなら駅から離れた郊外のホテルの方がいい。それと宿泊費、快適性などを考慮して選んだのは「草津第一ホテル」だった。
 近江大橋を渡り、17時20分ホテルに着いた。駐輪スペースはなかったものの、駐車場の空き地に停めることができた。吹きさらしだが仕方がない。盗難防止にU字ロックを掛ける。
IMG_2288.jpg
↑草津第一ホテル
 ホテルの部屋は喫煙室で臭いが鼻についた。しかしすぐに馴れた。最近リニューアルされたらしく、特にベッドがスッキリしている。しかしユニットバスは旧来のままだ。
 近鉄百貨店草津店へ夕食の買い出しに行く。ここの食料品売り場は成城石井が入っていた。今夜は外食せず、スーパーで買ったものをホテルの部屋で食べることにした。
 酩酊して22時頃横になって寝た。

2019年7月8日
4の2地図.jpg
↑2日目のルート
 何回か目を覚ましながら7時30分起床。
 朝食はバイキング。内容は東横イン並みで少々残念だった。客も5人ほどだった。
 8時30分にチェックアウトし、8時45分に出発。天気は雨は降っていないものの、今にも雨が降りそうで、バイクのシートは濡れていた。
 まずは、番外札所山科の元慶寺を目指す。ツーリングサポーターの到着予定時刻は9時32分。ほぼ予定通りの9時26分にナビの指定場所に到着した。住宅地を縫う曲がりくねった道を進んだ先は砂利の駐車場で行き止まりだった。どこに寺があるのかわからなかった。駐車場の札をみると「元慶寺」とあり、「寺→」の看板に従い、その横の小径を抜けると確かにその寺はあった。ツーリングサポーター恐るべし。バイクは邪魔にならない場所に置いた。
 元慶寺は唐風の門を持つこじんまりした寺で、まるで街中の檀家寺のようだ。青々とした木が眼にまぶしい。本堂以外に何もない。手水場もなく、火鉢くらいの大きさの壺に水が溜まっているだけだ。
 燈明は1本30円、線香は1本10円で賽銭箱に直接入れる。写経は郵便受けのような箱に直接入れる。おそらく私は本日最初の参拝者らしく、線香も蝋燭も人気がなかった。
 読経、参拝、合掌。
IMG_2307.jpg
↑唐風の山門
IMG_2309.jpg
↑石畳の参道
IMG_2310.jpg
↑本堂
IMG_2312.jpg
↑燈明線香
IMG_2315.jpg
↑手水所
 奥に進むと納経所があり、とても僧侶に見えない普通の初老の男性に御朱印を書いていただいた。普通の寺なら維持費にも事欠くだろうが、西国33カ所の番外札所の看板は大きく、それなりに裕福に見える。
33ksy.jpg
↑新旧御朱印
IMG_2317.jpg
IMG_2316.jpg
 次に15番札所今熊野観音寺に向かう。10時5分に着いた。今熊野観音寺は泉涌寺の敷地内にある。泉涌寺の門の手前にレンタサイクルを置いていたので、そこにバイクを停めた。
 泉涌寺は皇室の菩提寺である。明治以降は天皇の神秘性を高めるために仏教を切り離すことになったので、公式な関係はないが、それでも年に数回皇族の私的訪問がおこなわれ、宮内庁の事務所も設置されている。
 そこから歩いて8分ほどで今熊野観音寺に着いた。ここには駐車場があり、駐輪スペースもある。ただしクルマはギリギリ通れる道幅しかない。
 今熊野観音寺は「いまくまさん」の通称で知られるが、正式には新那智山観音寺と称する。
 下から見上げると清水寺の舞台のような鉄筋コンクリート造りの建物があるが、そこが僧侶の学習施設らしい。弘法大師ゆかりの寺なので大師堂が存在する。その向こうに赤い三重塔がある。
IMG_2325.jpg
↑山門
IMG_2334.jpg
↑舞台風の本堂
IMG_2341.jpg
↑本堂
 燈明は小が1本50円、大が100円、線香は1本10円である。写経は靴を脱いで上がった本殿内に「写経箋」と書いたところがあるので、そこに積み重ねた。
IMG_2343.jpg
↑線香立て
IMG_2346.jpg
IMG_2348.jpg
IMG_2350.jpg
↑写経は積み重ね
IMG_2354.jpg
 読経、参拝、合掌。
 御朱印をいただいた。ここの住職はなかなか気さくで参拝者と話をしながら書いている。
33ks15.jpg
↑新旧御朱印
IMG_2358.jpg
↑寺をあとにする
 次は16番札所清水寺に向かう。京都で最も参拝者の多い寺。京都観光する場合はこの清水寺と金閣寺は外せないだろう。最近は外国人旅行者が増えてテーマパークのような雰囲気になっている。クルマも満車なのに待っていて身動きできなくなっている。バイクはその横を軽くすり抜けた。それにしても駐輪スペースがないので、諦めて有料駐車場に置いた。前払いで400円だった。2時間以内でお願いしますと書いているが、係員がいちいち把握しているわけではない。
IMG_2359.jpg
↑清水寺駐車場
 11時15分、ずらりと並ぶ土産物店を抜けると、朱色の仁王門が出迎えてくれる。レンタル浴衣を着た外国人が自撮り棒を使ってインスタグラムしていた。日本人より中国人の方が多い。
 本堂は参拝料400円が必要だ。とにかく人が多く、大きな鐘を叩くのすら15分ほど並ばないといけない。前回訪れた時にはこんなことはなかった。
IMG_2362.jpg
IMG_2363.jpg
↑山門
IMG_2366.jpg
IMG_2372.jpg
↑舞台から見た音羽の滝
 燈明は1本50円。蝋燭は鐘を打つ人の行列に少し割り込むようにして立てた。線香は探したが売っているところも香炉もなかった。写経は靴を脱いで上がる本堂の中の賽銭箱の前に積み重ねていく。中にはボールペンで写経している人もいる。それもありなのだろう。ここで読経と合掌をする。
IMG_2382.jpg
↑燈明
IMG_2383.jpg
↑写経
 納経所は少し離れたところにある。音羽の滝から上がれば本堂に入らずに御朱印をいただくことも可能だ。清水寺は観光客は多いが、巡礼者はさほどではなく、ほとんど並ぶことなく御朱印をいただけた。私は散華はダイソーで買ったビニールケースに入れている。御朱印を書いてくれた人が「これ何?」と覗いていた。
 最近は外国人でも御朱印をもらっている人がいるようだ。その外国人が手にしていたのは浅草寺の朱印帳だった。
33ks16.jpg
↑新旧御朱印
 せっかく清水寺に来たのだから、音羽の滝の霊水をいただこう。音羽の滝の清らかさにちなんで清水寺と名付けられたのだ。並んでいるのは一部の白人を除き、全て中国人だった。みんな手水場の作法に従って、勺に口をつけることなく飲んでいる。マナーは確実に向上しているようだ。
IMG_2389.jpg
↑音羽の滝の行列
 清水の舞台は修復工事中で黒い幕と足場で覆われていた。
IMG_2388.jpg
↑舞台は工事中
 喧噪な清水寺を去り、17番札所六波羅蜜寺に向かう。そこで駐輪できるかどうかわからなかったので、バイクを置いたままそこまで歩いて行くことにした。
 12時15分、歩いて10分ほどで六波羅蜜寺に着いた。周辺は民家は外国人向けのゲストハウスになっているところがある。
IMG_2397.jpg
IMG_2400.jpg
↑街中にある六波羅蜜寺
 六波羅蜜寺は平家盛ゆかりの寺で朱色の本堂こそ立派だが、山門もなく、街中の小さな寺に見える。道路から本堂は丸見えであり、その距離は20mも離れていない。
 燈明は1本30円、線香も3本で30円。蝋燭の種火は香炉の近くにあり、火がついても蝋燭立てに持って行くまでに風で消えてしまう。手で囲むようにしてようやく立てることができた。
 靴を脱いで本堂に上がる。写経は賽銭箱の中に「御写経御納経」という箱の中に積み重ねていく。
IMG_2401.jpg
IMG_2402.jpg
IMG_2403.jpg
 参拝、読経、合掌。
 本堂の端の方に納経所があり、そこで御朱印をいただいた。ここのおみくじは乱数によるものでなく、「四柱推命」をもとにした生年月日と性別で占う開運推命おみくじというもので、400円もするが、結構評判が高いらしく、私の前にいる参拝者はそのおみくじの結果で盛り上がっている。このおみくじは13歳未満と88歳以上は対象外となっている。
33ks17.jpg
↑新旧御朱印
 清水寺に戻り、昼食はどうしようかウロウロする。こんな時は混んでいる店に入れというわけで、選んだのは「京都勝牛」という牛カツ屋。田舎者の筆者は知らなかったが、既に全国展開しているチェーン店らしい。豚カツではなく牛カツ。関西では串かつは豚肉ではなく牛肉を使うのが主流だ。
 狭い店内は混んでいたが、テーブル席にありついた。客は目の前の着物を着た男女以外はすべて中国人だった。ここの特徴は肉の他に、ソース、山椒、山葵醤油、ポン酢と付ける物が豊富なことと、ご飯のおかわりが自由な点だ。
 食べてみると味は悪くない。山椒と山葵醤油が私の好みだ。もう昼には遅い時間帯だが外には行列ができている。これで1280円+税は安いかもしれない。
IMG_2411.jpg
IMG_2409.jpg
↑京都勝牛
 次は18番札所紫雲山六角堂頂法寺に向かう。京都の道は一方通行が多いのでナビに頼った方が賢い。
 バイクで15分ほど走り、13時30分頃六角堂に到着。例によって駐輪場には苦労したが、納経所の横にバイクを停めているのを見て、その後ろに停めた。よく見ると「参拝者以外のご利用はご遠慮下さい」とあるから、ここは駐輪場らしい。前の民間駐車場はバイクは400円取られるようだし、周辺では違法駐輪の取締もしているみたいだし、これは助かった。
 六角堂は聖徳太子が創建したという古い寺だが、もしそうならそれは京都に都が移る前ということになる。そんな昔からあると思えないから、これはおそらく伝説だろう。しかし聖徳太子はともかく、古い時代に誰かが建てたのは間違いない。特徴は本堂が六角形をしていることで、京都の中心部に位置することから「へそ石」が境内に残る。また生け花の発祥の地でもある。
IMG_2416.jpg
↑山門
IMG_2418.jpg
↑コラボ?
IMG_2422.jpg
↑手水所
IMG_2420.jpg
↑本堂
 建物が六角形であるかどうかは周辺の高いビルから見れば一目瞭然なのだが、狭い敷地から見るとそれを実感できない。となりのウエスト18というビルからはよく見える。
IMG_2430.jpg
IMG_2431.jpg
↑六角堂の一部
IMG_2432.jpg
↑寺はビルの狭間にある
IMG_2433.jpg
 境内は松の木と柳の木が何やら生け花か盆栽のように彩りを添えている。
 燈明は赤と白がありどちらも1本20円。線香は2本10円。2本というのはちょっと他に例がないが、ここではそれが普通なのだろう。香炉の灰の真ん中に練炭が仕込まれていて、それで点火する。
IMG_2423.jpg
↑蝋燭は赤と白
IMG_2424.jpg
↑線香
IMG_2428.jpg
IMG_2429.jpg
 写経は賽銭箱の横に箱に積み重ねていく。
 鳩の数が尋常でない。どうやらちょっと頭のおかしい男が餌を蒔いているせいだ。納経所には「鳩が入るので扉はすぐに閉めて下さい」と書かれている。
 御朱印をいただき、外に出ると、少し雨が落ちてきた。
IMG_2434.jpg
↑納経所
 これはずいぶんあとに気づいたのだが、平成に西国33箇所参りは終わったと思ったのだが、なんとこの18番札所は参拝していなかったのである。順番はバラバラでどこかにいったついでに参っていたので見落としていたのだ。令和になって全部参ったのだから、巡礼はできたことになるのだが、平成でも1回やったという自負があっただけに打ち砕かれたような気分になった。
33ks18.jpg
↑御朱印は令和のみ
 次は19番札所革堂に向かう。14時15分、ツーリングサポータにしたがって到着した目的地は革堂ではなく、隣の下御霊神社であった。元慶寺で発揮したあのナビ能力はどこにいってしまったのか。駐輪できるところは見当たらず、その神社の壁に沿うようにして駐輪した。
 革堂は通称で、正式には霊麀山行願寺という。革堂の由来は開基の行円上人が元猟師で自分が射止めた牝鹿の皮に経文を書き、それを寒暑に関係なく身に付けていたことに由来する。本名の行願寺よりも革堂が有名で寺町通りから見える看板にも「こうどう」とあるし、赤大提灯にも「革堂観音」とある。小さな寺だが、蓮の花が咲きかけでもうすぐ見頃を迎えることだろう。
IMG_2437.jpg
↑山門
IMG_2439.jpg
↑本堂
IMG_2440.jpg
↑燈明線香
IMG_2441.jpg
↑線香立て
IMG_2443.jpg
 燈明は1本30円、線香は3本で20円。六角堂が2本10円だったが、この違いは一体なんだろう。細かいことだが考えさせられる。
 写経は賽銭箱の横に、正月の鏡餅を置く三宝のような台があり、「写経はこちらに置いて下さい」とある。20cm角ぐらいの小さな台なので、きれいに折って置いた。
IMG_2444.jpg
IMG_2445.jpg
IMG_2449.jpg
IMG_2450.jpg
 参拝、読経、合掌。
 納経所は本堂の横にあり、御朱印をいただいた。14時30分に寺を後にした。
33ks19.jpg
↑新旧御朱印
IMG_2452.jpg
↑看板
 時間はまだあるので、東寺に行くつもりでナビをセットしたものの、降り続く軽い雨が心配なので、自宅に直行することにした。
 ツーリングサポーターのよる到着時刻は18時50分頃となっていた。4時間強の長いツーリングである。
 皮肉なことに、自宅に向かいだすと、天気は回復し、晴れ間も覗くようなった。しかしもう遅い。
 国道24号線を南下し、国道1号線バイパスと合流。ここからは事実上高速道路で寝屋川から外環状線をひたすら南下する。もうこのルートを通るのは4回目だ。外環状線で印象的なのは大東市の大阪桐蔭高校の校舎と富田林のPL教団の塔だ。
IMG_2456.jpg
↑PLの塔が見える@富田林
 16時10分、東大阪のマクドナルドで休憩する。疲れていたので休憩時間は30分を越えてしまった。
 外環の河内長野を過ぎるとガススタが減るので早い目に給油した。コスモ石油に「楽天ポイントが貯まる」という幟があったので反射的に入る。しかしポイントカードは受け付けなかった。嘘つきだ。いや私のやり方が悪いのだろう。
 ここからはノンストップで走った。鍋谷峠を越えたらもうこっちのものという感じだ。あとは慣れた道をひたすら走るのみ。
 19時02分、車庫に戻ってきた。走行距離は358.4km。この日もアドレスは頑張った。次の出撃までにエアクリーナーを掃除してあげよう。
ーーーつづく

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

隠岐の島スーパー弾丸ツアー [旅行]

oki-islands-2895893_640.jpg
 皆生温泉に滞在中、予定外に一日の空白ができたので、どこに行こうかと思案し、隠岐の島に渡ることを決めた。
 隠岐諸島は島前といわれる小さな島3つと島後といわれる大きな島とで構成されていて、島前が西ノ島、知夫里島、中ノ島で島後が隠岐の島である。隠岐の島が人口約1万5千人で面積も人口も全体の3/4を占める。隠岐の島にはローソク島やよろい岩など奇岩や隠岐牛による闘牛など見所も多いが、小さな島も無視できないほど景勝地に恵まれていて、中ノ島には後鳥羽上皇が配流されたところであり、諸島でもっとも権威のある隠岐神社が存在する。
 このような魅力的は隠岐の島だが、調べると日帰りで行くには難しいことがわかった。
 もっとも滞在時間が長いのは出雲空港から9時00分発の隠岐行きの飛行機に乗り、9時30分に到着。そして島後の最大の町西郷15時10分発の船に乗って17時35分に隠岐の対岸にある七類港に戻るルートである。これだと約5時間半の滞在時間がある。
 その次は七類9時00分発のフェリーに乗って西郷に11時25分着、15時10分発の船に乗って17時35分に七類に戻るルートで、3時間45分の滞在時間がある。
 しかし行こうかと思った時点で、すでに8時半であり、出雲空港はもちろん、七類港にもたどり着かないことがわかった。
 結局実行可能な計画は、12時00分境港発の高速船に乗って13時23分西郷港着、そして15時10分発のフェリーに乗って17時35分に七類の戻るルートで、滞在時間は約1時間半だ。
 滞在は1時間半だからできることは限られる。西郷港から遠く離れることはできない。やることは、昼食を食べる、レンタサイクルを借りる、玉若酢命神社に参拝、お土産を買う。これらに絞ることにした。

 皆生温泉へはクルマで来ていた。だからクルマで境港にやってきた。隠岐汽船のウェブサイトには無料駐車場があるということだが、明確な看板はなく、岸壁にある駐車場らしきところに停めた。それらのクルマの中には「違法駐車厳禁」の警告書が貼られていた。だからそこが公式駐車場かどうかわからないが、道路交通法違反ではないと開き直った。
 JR境港駅に隣接したビルの1階に隠岐汽船の乗船券売り場がある。警備員に乗船名簿の記入を促され、それを提出して乗船券を買う。高速船は6280円。切符は今時珍しい硬券である。買った直後に警備員が検温。
IMG_1221.jpg
↑切符売り場
IMG_1219.jpg
↑乗船名簿
IMG_1220.jpg
↑乗船券
 待合室で待っているいると、まもなく乗船開始のアナウンス。高速船レインボージェットの係留されている岸壁まで歩く。乗客は10人ほどで寂しい。
IMG_1222.jpg
↑待合室
IMG_1227.jpg
↑高速船レインボージェット
 12時少し前に出港。東京ゲートブリッジのような境水道大橋を潜る。
IMG_1334.jpg
↑境水道大橋(地上から)
IMG_1232.jpg
↑境水道大橋(船上から)
 レインボージェットは船体を海面から浮かせて航行する水中翼船だ。船内は飛行機とよく似ていて、シートベルトも装着しなければならない。船内放送は海洋生物を交わすために急旋回することがあるといっている。
IMG_1228.jpg
↑船内
 船はエンジンの音を囂々と水しぶきを派手にぶちまきながら西郷港を目指している。船内ではほとんど寝ていた。
 定刻13時25分に西郷港に着いた。離島でひなびた船着き場を想像していたが、本州でもここまであるかというフェリーターミナルだった。降りるより乗る方が多い。外は軽く雨が降っている。まずは食事と思ったが、先に道路を渡ったところにある観光案内所で自転車を借りた。3時間500円。3段変速付きママチャリ。
IMG_1238.jpg
↑乗船客の方が多い
IMG_1239.jpg
↑空港みたいなタクシー待ち
IMG_1241.jpg
↑竹島は日本のものだ
IMG_1248.jpg
↑観光案内所
IMG_1249.jpg
↑レンタサイクル
 外の雨は強くなった。雨宿りがてらMS Homeといううどん屋に入る。先客が4人いた。藻塩うどんを食べる。少し臭いが強いが、鯖にうまみがある。塩辛いがそれが個性。
IMG_1252.jpg
↑MS Home
IMG_1277.jpg
IMG_1250.jpg
↑藻塩うどん
 まだ外は雨が降っている。雨宿りするところもない。目指す玉若酢命神社は3キロほど離れている。雨の中自転車を漕ぐ。漕いでいるうちに雨が止んだ。
 玉若酢命神社は立派な本殿があるが誰もおらず、お守りは無人販売。御朱印は隣の宝物館で書いてくれた。狭い料金所ブースのようなところにある呼び鈴を押すと年配の女性が現れた。
IMG_1269.jpg
↑玉若酢命神社鳥居
IMG_1256.jpg
↑茅葺きの山門
IMG_1261.jpg
IMG_1263.jpg
↑本殿
IMG_1258.jpg
↑無人販売のお守り
IMG_1268.jpg
↑白い看板の右を歩いた先に宝物殿がある
IMG_1265.jpg
↑御朱印はここで書いていただいた
s-jin317.jpg
↑玉若酢命神社御朱印
 もう15時10分の出航まで30分しかない。あちこち巡るわけに行かず、岸壁に係留されているフェリーを眺めただけだった。
IMG_1270.jpg
↑島内バス
IMG_1272.jpg
↑出航を待つフェリー
IMG_1273.jpg
↑隠岐汽船本社
 お土産はなるべく安く実用性があって、他では手に入らないものという基準で、隠岐汽船の社章を模したマスキングテープにした。さらにおやつに藻塩クリーム大福というのを買った。
IMG_1280.jpg
↑土産物店
IMG_7660.JPG
↑マスキングテープ
IMG_1294.jpg
↑藻塩クリーム大福
 帰りのフェリーは2等で3300円。乗船すると混んでいた。しかし混んでいたのは横になれるカーペット席で椅子席は空いていた。真ん中の空いているカーペットに座った。隣で毛布で脚を隠した女性が横になっている。
 疲れて横になった。老若男女にかかわらず今はスマホいじりだ。新聞や本を読んでいる人は少ない。テレビは放映しているものの、音声は小さめで、その代わり字幕を出すようにしている。
IMG_1296.jpg
↑七類港ターミナル
IMG_1298.jpg
IMG_1301.jpg
↑七類港入港
 17時30分。七類港接岸。係留作業を見る。このターミナルビルも真新しい。松江行きのバスはすぐに発車した。米子行きは普通の路線バスで17時45分にやっていた。あとから来たフェリーの客と10人乗せて、18時00分に発車した。
IMG_1314.jpg
↑七類港ターミナル
IMG_1323.jpg
↑米子駅行きバス
 境港駅に着いた。筆者の他に降りたのは一人だけ。彼は駅の写真を撮って境線の列車に乗り込んでいった。境港は「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげるの出身地なので、街中鬼太郎だらけである。
IMG_1327.jpg
↑境港駅
 埠頭まで歩き、クルマと対面。何も貼られておらず無事だった。
 ホテルの夕食は豪華だった。ウナギの凌ぎが旨かった。あとハモの柳川風、ヒラメの刺身、キスの天ぷらもよかった。
IMG_1339.jpg
↑その日の夕食
 隠岐の見所は全く無視した弾丸ツアー。今回はまさに船に乗りに行ったようなものだった。隠岐空港へは全国各地から直行便があるので機会があればもう一度訪問したい。皆生温泉も温泉・料理とも素晴らしかったと付け加えておく。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行
前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。