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難波田城跡(埼玉県富士見市) [埼玉県の城館跡]

 2006年2月20日、埼玉県富士見市の難波田城跡(なんばたじょうあと)を訪ねました。難波田城は、戦国時代前半関東地方に勢力を築いた扇ガ谷上杉氏に仕えた難波田氏ゆかりの城郭です。

難波田氏は、平忠常の末裔である平安時代末期から活躍した武蔵七党の一つ村山党がその出自です。
 北条氏が関東を制する画期となった河越夜戦(1546年)で上杉方が敗れる際に難波田善銀(正直)も討ち死にしました。記録によると、難波田善銀は勇猛果敢で教養の高い武将であったようです。
 難波田城は、戦国時代を通じて三重の堀を備えた城郭にまで拡張されたようです。縄張りは、南の追手(大手)、四の曲輪、三の曲輪、二の曲輪、本曲輪が北に向かって配置されていたようですが、三の曲輪は二の曲輪と本曲輪を時計回りの反対方向に取り巻き、さらに東に天神曲輪、北に蔵屋敷を含む曲輪が存在したようです。
 北条氏が関東を制してからは北条氏方の城になりましたが、豊臣秀吉が関東を支配下に置くと廃城となりました。
 難波田城の規模は400メートル四方にも及びますが、その一部が富士見市の歴史公園として整備・復元されて見学しやすくなっています。

城郭の南にあった追手門が復元されています。追手(大手)から北に向かって撮影しました。門の向こうに四の曲輪が見えます。

追手門を入るとそこは四の曲輪です。左(西)に埼玉県富士見市立難波田城資料館が見えますが、ここにも曲輪があったようです。

四の曲輪から三の曲輪に入るための食い違い小口。これは侵入を阻むためのもので、写真は三の曲輪から撮影しました。

三の曲輪の北に二の曲輪があるのですが、三の曲輪は東のほうにも延びていて(写真右)平仮名の「つ」の字形をしています。
 その内側の部分と二の曲輪が木橋でつながっていたことが発掘調査でわかりました。

資料館から見た三の曲輪(右)、二の曲輪(中央)、本曲輪(左)。本曲輪はほとんど住宅地になっています。

城郭の東にあった木橋が、発掘調査に基づいて復元されています。この木橋を西に渡ると、二の曲輪(写真奥)で、右奥に見えるのが本曲輪跡です。本曲輪(本城)の門に至るには二の曲輪の中で北、すなわち右に直角に曲がらなければなりません。
 二の曲輪は、馬出曲輪となっていますが、本曲輪の小口を防衛するために置かれた「小口前曲輪」考えることもできるのではないでしょうか。
この「小口前郭」の築城技法は、埼玉県比企郡の腰越城跡(小川町)、青山城跡(小川町)、大築城跡(埼玉県比企郡ときがわ町)など松山城主上田氏に関わる城に共通して見られるもので、この難波田城も北条氏方の城になってからは上田氏が整備・拡大したといえるのではないでしょうか。

二の曲輪から見た本曲輪(本城)。木橋と門が復元されています。

本曲輪跡の手前部分に立つ難波田氏館跡の碑(右)。そのすぐ後ろは住宅地です。ここまでが市の公園です。

二の曲輪から見た墓地。ここもかつては曲輪であったと考えられています。
墓地は、江戸時代の十玉院の墓地です。
■参考資料
『城郭資料集成 中世北武蔵の城』梅沢太久夫、岩田書院、2003年
『難波田城資料館常設展示図録』富士見市立難波田城資料館、2000年
『難波田城公園・資料館施設案内』富士見市立難波田城資料館


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コメント 6

はじめまして、ご訪問ありがとうございました。
フィルムだとこのタイムラグが心躍る一方、じれったい感じだと思います。これからよろしくお願いします。
by (2006-02-23 20:11) 

i-shinkuro

こまっちゃん樣、コメントありがとうございます。しかもナイスまでいただきまして、ただただ恐縮しております。
いま使っているフィルムカメラは壊れるまで使い続けるつもりですが、やはりデジカメも必要になってくると思います。
こまっちゃん樣のプログにはこれからも訪問させていただきますのでよろしくお願い申し上げます。
by i-shinkuro (2006-02-23 23:05) 

左馬介

こんにちは。ckk12850改め左馬介です。
ここは、埼玉でも珍しい復元の城ですね。
私もフィルムカメラ派だったのですが、ホームページを始めてデジカメ派になってしまいました。スピード、手間、値段を考えると、デジカメに移行せざるを得ない環境になったのが、便利であると共に少し残念です。
by 左馬介 (2006-02-26 11:53) 

i-shinkuro

左馬介樣、こんばんは。ブログにおいでいただきありがとうございます。
難波田城跡ですが、本郭の小口の前に郭(二の郭)を配置しているのがおもしろいと思いました。
カメラはずっとフィルムカメラです。かつてはニコンのコンパクトカメラを使っていました。
さて昨日(2/25)、埼玉県比企郡吉見町の源範頼館跡(息障院)を訪ねました。方形館で、堀が残存していましたが1メートルに満たない状況でした。土塁は確認できませんでした(見落としたかもしれません)。
by i-shinkuro (2006-02-26 22:31) 

みっこ

城跡も資料と照らし合わせて見ると、
色んな発見がありますね*
歴史は苦手でしたが、侵入を阻む工夫などにはすごく興味があります☆
これからも勉強に参りますっ(^^*)♪
by みっこ (2006-10-28 12:19) 

i-shinkuro

>みっこ様、ご訪問ありがとうございます。私も「侵入を阻む工夫」大好きです。入り口に見られる工夫も面白いですが、堀や土塁を巡らせたり、敵を複数の角度から攻撃できるようにした横矢掛けなどの工夫もあります。近世城郭は工夫がわかりやすいですが、自然に潜む中世城館にみられる工夫も楽しいですね。
by i-shinkuro (2006-10-28 23:35) 

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