大築城跡(埼玉県比企郡ときがわ町) [埼玉県の城館跡]
大築城跡(おおづくじょうあと)は、慈光寺(じこうじ)の南約4キロメートルにある室町時代の山城跡で、標高は465メートルです。JR八高線明覚駅下車バス、椚平入口(くぬぎだいらいりぐち)下車。
『新編武蔵風土記稿』では、上田安独斎(うえだあんどくさい。松山城主上田能登守朝直)の城跡であると伝えられ、また『慈光寺(じこうじ)略誌』には、北条氏康の家臣である上田安独斎(上田朝直)が大津久山(おおづくやま)に出陣して慈光寺を焼き討ちした、という記録があります。
慈光寺の記録や発掘調査からも戦国時代に慈光寺の建物が焼失したことがうかがわれ、後北条氏が上田朝直に命じて慈光寺を攻撃させるための城がこの大築城である可能性が高いといわれています。
椚平入口(くぬぎだいらいりぐち)のバス停で下車し、氷川にそって椚平の集落を目指します。約800メートル歩くと、左側に小さな橋があります。それを渡って、山道を登ると猿岩峠に出ます。
登山道の途中から、椚平方面を望む。そこから越生町の麦原に向かってさらに進むと「モロドノ郭(くるわ)」に出ます。
「モロドノ郭」と呼ばれる小規模の郭が南側にあります。
「モロドノ郭」から南に毛呂山町(もろやままち)方面をのぞむ。ここからさらに登ると山頂にあるのが大築城跡です。途中の細い道は危険なので注意が必要です。
堀切。本郭に近いほうの堀切。
この堀切を小口郭から見下ろしたところ。
手前左が「小口前郭」で、先の坂を上って「小口郭」に入ります。小口郭の手前に小口前郭を設置する縄張りは埼玉県比企郡小川町の青山城跡や腰越城跡にも見られる特徴です。写真では見えませんが、小口前郭の両端には南側斜面に向かって竪堀が二本あります。
本郭への通路は狭くなっています。
本郭跡。
本郭の北側にある土塁跡。(2003年12月23日)
■参考資料
『城郭資料集成 中世北武蔵の城』梅沢太久夫、岩田書院、2003年
『都幾川村の歩み 都幾川村史 普及版』都幾川村史編纂委員会、2001年
「比企西部の3城について-特に小口に見られる共通性-」梅沢太久夫、『埼玉県立歴史資料館研究紀要 第11号』
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