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日本西洋史学会 第57回大会 [授業研究・分析]

 昨日6月17日(日)、新潟県の「朱鷺メッセ」で開催された、日本西洋史学会第57回大会・シンポジウムⅣ「歴史教育への現代的アプローチ -歴史学者、社会科教育学者、実践家の立場から-」に報告者として出席してきました。

 午前中は新潟県立万代島美術館(朱鷺メッセ内)で開催中の「始皇帝と彩色兵馬俑展~司馬遷『史記』の世界」を見学。入場料は1200円。図録(2200円)の他、マグネット(黒板やホワイトボードに紙類を貼る際に使用)を2個購入(1個500円)。荒川静香ほか出演のスケートのショーが同じ会場であっており、すごい人出でした。

 シンポジウムは以下のような内容でした。
司会者:児玉 康弘先生(新潟大学)
発表者(発表順)
「われわれは《世界史》をどう語るのか?」桃木至朗 先生(大阪大学)
「構築主義からの授業構想」田尻信壹 先生(富山大学)
「歴史教育の教科論的転回-「社会科歴史」の教育を求めて-」溝口和宏 先生(鹿児島大学)
「生徒の自発的思考を促す世界史学習の試み」平井英徳
コメンテーター:秋田茂先生(大阪大学)、宮薗衛先生(新潟大学)

 私の発表用レジュメはこちら。[http://www005.upp.so-net.ne.jp/zep/sekaisi/jyugyou/jyugyou.html]

 個人的な感想を言わせていただくと、田尻・溝口両先生が提示された授業プランは、「世界史」でやらなくともいいのではないか、という気がしました。公民科目(現代社会や政経)でやってもいいのではないか(歴史でやる必然性が感じられない)ということです。田尻先生の授業は、「総合的な学習の時間」でもいいかなという気もします。秋田先生が溝口先生になさった質問「なぜアメリカをとりあげるのですか?」という質問は、たぶんそうした意味合いもあったのではないでしょうか。

 こんな感想もありました[http://d.hatena.ne.jp/conv-99/20070618]。この記事中にでてくる「かなり投げ投げな回答」をしたパネラーというのは私です(^_^;)。「近現代史を必修にせよ、という考えをどう思うか」とふられたので、「カエサルやアレクサンドロスくらいは知っておくべきではないか、さっき見てきた『始皇帝と彩色兵馬俑展』は大盛況だったが、ビスマルク展なんてやってもあまり客は来そうにない、面白くないとダメだと思う」と答えたわけです。2004年の全国社会科教育学会(鹿児島)の発表で、有名な先生から「どんな生徒を育成したのか」と問われて、「センター試験で90点以上とれる生徒」と答えて以来の迷回答だったか?ちなみに鹿児島での私のコメントを聞き、隣で吹き出したのが今回のコメンテーター宮薗先生。宮薗先生が今回「K先生の行ってる討論授業に比べて、解釈批判型の討論授業のメリットは何か」と私に質問されましたが、鹿児島で「どんな生徒を育成したいのか」と質問なさったのが、そのK先生でした。

 フロアーからの発言でいちばん面白かったのは、麻布中学・高校(!)で世界史を担当なさっている先生からのご指摘。①歴史好きの生徒が歴史の先生になって、歴史嫌いの生徒をつくっているのではないか、②グループ学習にすると、生徒はよく発言する。発表の代表になっても、自分だけの意見ではないので、よく発言する。意見をいただいた先生とは、シンポが終わって少しだけお話しさせていただきましたが、言葉の端々からよく勉強されていることが伝わってきました。このような方と知り合えるとは、うれしいことです。他にも、熊高OBで、国立公文書館アジア歴史資料センターで調査官をなさっているという方ともお話できました。東北大の小田中先生ともお会いできましたが、挨拶だけだったのが残念です。
こちらの記事を参考に:「世界史研究所」http://www.history.l.chiba-u.jp/~riwh/japanese/index.php?itemid=27
http://www.history.l.chiba-u.jp/~riwh/japanese/index.php?itemid=103
 
 木畑先生からは、東大で行っている「グローバル・ヒストリーの挑戦」というリレー講義(http://www.ealai.c.u-tokyo.ac.jp/ja/lectures/2007/global_history/ )について、もう少しお話をお聞きしたかったのですが......残念。これは秋田先生も同じお気持ちのようで、ぜひ紹介したかったとのことでした。昨年教育実習に来られたU君(M1)によると、「東大世界史第一問の意義がわかる」授業で、「グローバル・ヒストリーの話は、かなり高校世界史の書き方を意識してる気がします」とのこと。実に興味深いですね。

 帰りは、空港まで阪大の秋田・桃木両先生とタクシーでご一緒させていただき、空港でもカフェ・オ・レを飲みながら色々と興味深いお話をうかがうことができました。桃木先生からは、カリキュラム・シラバス研究の必要性が指摘されました(特に世界史Aを年間2単位でどう進めるのか)。

 児玉先生がおっしゃったように、こうした試みが継続していくことが大切だという気がします。まだ始まったばかり、なのかもしれません。

朱鷺メッセ

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コメント 8

小田中直樹

zepさん、ご挨拶だけで失礼し、申訳ありませんでした(ドタバタと走り回っていました・・・なぜ?)。

ちなみに麻布の先生とは鳥越くんですね。かつて遅塚ゼミでご一緒したことがありますが、今では実践と理論の両面で歴史教育学界を担うひとりだと思います。

いずれ、また、ぜひ。
by 小田中直樹 (2007-06-19 11:07) 

zep

小田中先生、学会お疲れ様でした。たぶん参加する機会は二度とめぐってこないであろうという会で、報告できたのは望外の喜びでした。
麻布の先生は、おっしゃるとおり鳥越先生です。知識・見識、尊敬に値する先生でした。青山で教育法を担当なさっているようですが、三省堂の教科書も史筆なさっているようですね。お話できたのは大きな収穫でした。おっしゃるとおり、実践と理論の両面で歴史教育学界を担う方だと思います。
ロビーで先生の本を買おうかと思ったのですが、買えずじまいでした(2割引は魅力でしたが)。いずれ読んで感想などを述べさせていただきたいと思います。またの機会を楽しみにしております。
by zep (2007-06-19 21:21) 

conv

zepさま、

トラックバックありがとうございました。
まさかご覧になっているとは思わず・・・「投げ投げ」などという不適切な表現で自分の理解力不足を棚に上げ、お恥ずかしいです。
しかし、インパクトある回答でした。

私は一介のケチな院生ですが、研究の一つのアウトプットとして、歴史教育についてもっと考えていかねば、と思った次第です。

ちなみに、出身が新潟です。新潟っ子の味イタリアン、取り上げていただけてとても嬉しいです!
by conv (2007-06-23 21:38) 

zep

あまり気にしないでください(笑)。とはいうものの、世界史という科目が今の高校現場で置かれている状況は、「不良債権」になりつつあるのか......という気がしないでもありません。英数国や理系教科・科目に比べると、役に立たない(=最近では「お金にならない」という意味になりつつある?)というイメージが広がりつつあるようです。「世界史は必ず知っておかなければならない」ということはないけど、「知っておくと楽しい」ので「学ぶ価値はあるよ」ということで、「楽しいほうがいい」という発言につながった次第です。それにしても「イタリアン」はおいしかったです。今度新潟に行ったら、別の味にチャレンジしようと思います。
by zep (2007-06-24 06:59) 

conv

私はついつい「網羅的で何が悪い」と開き直ってしまうところがありますが、それこそ鳥越先生がご指摘されたように、「知るのは楽しい」ということを前提にしてしまっていること自体が問題なのでしょうか・・・

「役に立つ」を追求するこの短絡的風潮は、例えば院生の就職活動などの場面でもひしひし感じるところです。

ちなみにイタリアンには「中華風イタリアン」というもはや何がなんだか分からない形容矛盾なものもあります。新潟にお越しの際には是非お試しあれ。
by conv (2007-06-24 22:52) 

zep

「網羅的でやるほうがいい」と思っているのは、世界史教師の「暗黙の了解」のような気もしますね。因果関係を考えるうえで、「知識は思考力の前提」だと考えてますから。私もそうです。しかし年を追うごとに、現場ではこれがどうもうまくいかなくなっています。おそらく他の学校でもそうではないでしょうか。それでも「(歴史を)知るのは楽しい」ということは正しいと思います。『世界不思議発見!』は長寿番組ですし、「始皇帝と彩色兵馬俑展」は大盛況でした。未履修問題が発覚したとき、デイヴ・スペクター氏は「ヘタな教師の授業を聴くより、『世界不思議発見!』を見るほうがずっといい」と言ってましたが、これから世界史の教師が身につけるべきスキルは、知識ももちろんですが、巧みな話術とICT機器の活用かもしれませんね。
「中華イタリアン」!それは「中華」と「イタリアン」という組み合わせがまか不思議。これはぜひ食べてみたいものです。
by zep (2007-06-26 23:26) 

ケイ

お久し振りです。最近は早朝からの教職科目に苦しんでおります……。

「知識は思考力の前提」というのは当然だと思います。単語を一つも知らない人間が文章を全く読めないのと同じです。公立高等学校の問題点は、単純に「知識獲得の期間が短過ぎる」という所にあると思います。実際に全て終わりきらない学校も多いようですしね。取り敢えずの解決策としての中高一貫化は有効かもしれません(しかしながら、時代が下るに従って学ぶべき事項が不可逆的に増え続けるという自体をどう扱えばよいのかという問題は依然として残りますが……)。
「歴史を知るのは楽しい」というご意見には、賛成と反対それぞれ半々といった所です。生の「歴史」それ自体が楽しいという保証はありませんが、語り手の遣り様によって万人にその楽しさを与えることは可能でしょう。但し、「歴史は楽しくなければならない」訳ではない、と私は考えていますが……。
歴史をきちんと学ぶかどうかは、各生徒の判断に任せればいいと私は考えています。単に、世界史を勉強することで何らかの精神的利益あるいは経済的利益(一例として、前者に楽しさ、後者に学歴がそれぞれ挙げられます)を得ることを望む生徒が学べばいいことであって、それ以上の対策は正直不可能ではないかと思います。高校生ならその程度の認識は持っていて然るべきでしょう(高校時代の私自身に突き刺したい言葉です……)。
但し、「役に立たない」(もしくは「お金にならない」)から学ばなくていい、という考え方は非常に浅薄です。現状がそのようだからといって、それが存在しなくてもいいということにはなりません。そのような「役に立たない」事項たちは、世界という集合を支える為の要素であり、それを取り払った後の世界はひどく貧しいものになると予想されるからです。というより、私のこのような言い方も歴史(や哲学、芸術等)を侮ったものかもしれず、こういう「役に立たない」学問は、どんな苦境でもしぶとく生き残っていくのかもしれません。
とはいえ、「役に立たない」学問が「役に立つ」学問より「経済的に」貢献していないということは事実です。「役に立たない」学問に携わる人間のこれからの課題は、いかにしてそれらを経済的な価値に結び付けるかということでしょう(経済的な価値が全てという訳ではなく、あくまでベクトルの一つとして持っておく必要がある、ということです)。
ところで、高校時代の世界史教育を思い出してみると、私はオセアニア(一応フィリピンを除きます)の歴史を学んだ記憶がありません。単に失念しているだけならいいのですが(それにしても、完全に覚えていないということは、授業があったとしても余程内容が薄かったのでしょう……)、もし本当に扱われていないのであればそれは何故でしょうか? 資料がないだけなら納得できますが、そうでないのに教育していないとすれば非常にまずいことだと思います。

最後に話が変わりますが、母校の教育実習の受け入れ期間は5月に統一されているのでしょうか? その頃は公務員試験を受ける予定なので、できれば秋にも受け入れがあると大変助かるのですが……。教師一筋でない学生は必要ない、という趣旨なのかもしれませんがね(苦笑)。
by ケイ (2007-06-28 00:32) 

zep

ケイくん、お久しぶり。う~む、ケイくんの代がもう大学3年生.....なんですよねぇ。早いものです。ケイくんの意見、興味深く拝読させてもらいました。「歴史をきちんと学ぶかどうかは、各生徒の判断に任せればいい。」という点は、同感(以前も言ったことですが)。オセアニアの歴史は世界史の教科書には近代以降しか出てこないですね。センター試験には「マオリ族」が出題されたことがありますよ。教育実習の件は、あの時期でないと学校が対応できないというのが現実。夏休み明けは、文化祭・体育祭・体験入学と行事が続き、そしてなにより放課後海外が始まるので、社会系と理科の先生が対応できないからです。でも確かに5月は忙しい学生も多いでしょうね。
by zep (2007-06-28 23:03) 

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