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J.D.攻略法その1 なぜJ.D.か? [J.D.攻略法]

(1) まえがき

 こんにちは。J.D.三年生のMです。最近、J.D.を目指している日本人の方たちから様々なご質問を受けることがあります。私が留学を目指した当時を振り返ってみても、周囲にJ.D.の経験者もしくは受験者は非常に少なく、情報にも乏しかったことを思い出します。そこで、まだ現役のJ.D.の学生である今、この2年間半およびその前の準備期間も含めて、私の経験・感じたことを書き綴ってみたいと思います。J.D.を目指す方々だけでなく、留学を目指している、もしくは留学を始めようとされている方々にとっても、少しでも参考になれば幸いです。
 
 このJ.D. 攻略法では、数回に亘って以下のようなお話をしていきたいと思います。
 ・ J.D.とは何か?
 ・ LL.M.とJ.D.はどう違うのか?
 ・ なぜ私がJ.D.を選んだのか?
 ・ J.D.にはどうすれば入れるか?
 ・ どうやって受験準備をすればよいか?
 ・ どうやって学校を選ぶか?
 ・ J.D.入学前の準備は必要か?
 ・ 死ぬほど怖い1LをどうやってSurviveするか?
 ・ なぜ2Lは死ぬほどつらいのか? 
 ・ ジャーナルとは何か?なぜみなメンバーになりたがるのか?
 ・ 就職活動をどうやって乗り切るか?

 さて、本題に入る前に、ここでひとつ、ローヤーらしくDisclaimer(いいわけ)をさせていただきます。これから書いていくことは、その多くが私の独断と偏見に基づいており、なんら正確性を保証するものではありません。他の学校の現役日本人J.D.を存知上げませんので、比較をすることもできません。あくまで、Vanderbilt University Law School に在籍する一人の日本人J.D.の経験談としてお読みいただければ幸いです。
 
 第一回目となる今回は、私がなぜJ.D.進学を選んだのかを、LL.M.とJ.D.の比較にも触れながら、お話したいと思います。

(2) J.D.とは何か?LL.M.とどう違うのか?

 アメリカで弁護士になるには、原則としてJ.D.という3年間のプログラムを終了することが必要です。J.D.とはJuris Doctorというラテン語の略で、法学博士などと訳されることもあります。J.D.は修士レベルのプログラムであり、入学には学士号が必要なため、各人の出身学部は、文学部・経済学部・理工学部など様々です。ちなみに、アメリカには日本の法学部にあたる学部はありません。大学を卒業後、数年間働いてから入学する人もいます。当校の入学者の平均年齢は23~24歳です。J.D.を卒業すると、原則として全米すべての州での司法試験受験資格を得ます。通常は、自分の就職先がある州の司法試験を受けます。
 
 一方、LL.M.は、主に母国で既に学部レベルの法学教育を終えた人(弁護士・法務部員・裁判官など法律の仕事に携わる人)を対象とした、1年間の修士プログラムです。LL.M.とはMaster of Lawのラテン語表記だそうです。LL.M.を終了して一定の単位を取得すると、ニューヨーク州のみ司法試験の受験資格が与えられます(カリフォルニア州も可能と聞いたこともありますが、未確認です)。米国人がLL.M.に進学する場合は、J.D.の取得が要件となります。ただし、米国人でLL.M.に進学することは非常に稀で、税法・知的所有権法など、特化したプログラムに限られるようです。
 
 J.D.とLL.M.の違いを簡単に表にまとめてみました。あくまで私の経験・知見を一般化したもので、すべての学校に当てはまるものではありません。

(3) なぜ私はJ.D.を目指したのか?

 一言で言うと、J.D.はアメリカ人弁護士養成のためのプログラム、LL.M.は留学生が米国法を学ぶためのプログラムです。それではなぜ日本で生まれ、育ち、教育を受け、企業に勤めていた私がJ.D.留学を目指したのでしょうか?私は日本の大学の法学部を卒業後、日本の会社に就職しました。司法試験にチャレンジすることもなく、多くの法学部の卒業生がそうであるように法律とは全く関係ない仕事に携わっており、まさか自分が弁護士を目指すことになるとは思ってもみませんでした。ただ、留学に対する漠然とした憧れ(その当時はMBAなんて格好いいな、などと考えていました)や、国際的な仕事に従事したいという気持ちはありました。

 入社して数年が経過し、転機が訪れました。会社が国際事業を拡大するため、国際部門の人員増加を図ったのです。国際法務専門の担当者が必要ということになり、たまたま法学部を出ていて社内の英語試験の結果がよかった私に白羽の矢が立ち、法務経験のある先輩方といっしょに仕事ができることになりました。法務のホの字も知らない(国際法務はさらに遠い世界の)私にとっては、分厚い英文契約書と格闘する毎日でした。
 
 あるとき、幸運にも海外での合弁プロジェクトの交渉に参加(というより見学)させてもらう機会がありました。それは米国でもヨーロッパでもない、あまりなじみのない国でのプロジェクトでしたが、そこで見たのは驚くべき光景でした。先方政府の代理人はすべてニューヨークの弁護士、当方の合弁チームの代表はイギリス人の弁護士。交渉はすべて英語で行われ(その国の母国語は英語ではありません)、契約書はニューヨーク法や英国法に準拠していました。経験の少なさや語学力の問題ももちろんありますが、欧米の弁護士が支配する交渉の場で、日本で法学教育を受けてきた(はずの)私にできることはあまりに少なかったのです。

 日本にもどった私は、米国ロースクールへの留学を決意し、情報を収集しました。そんなときに出会ったのが、阿川尚之さんの書かれた「アメリカン・ローヤーの誕生」です。日本人J.D.の元祖とも言える阿川さんの本には、私と同じく日本で育ち(阿川さんは大学時代に留学されていらっしゃいますが)、日本の企業に勤めていた阿川さんが大変な苦労をされてアメリカン・ローヤーになる姿が鮮明に描かれていました。そのとき私は、J.D.に行くしかない、と決意したのです。自分は留学経験もなく、ビジネスで使える語学力はない。日本の弁護士でもない。法学部は出たけれど、法務部員としてキャリアを積んできたわけでもない。そんな自分には一年間のLL.M.プログラムは短すぎる。あの国際交渉の舞台で出会った欧米人弁護士に少しでも近づくには、かれらの育った環境に飛び込んでいかなければならない、そう思ったのです。

 そんなこんなでJ.D.受験を決意した私でしたが、周囲にJ.D.についての情報はほとんどありませんでした。受験に何が必要なのか、どうやって準備するのか、どこを受験したらよいのか、試行錯誤の毎日でした。そこで次回は、そんな私の受験過程について書きたいと思います。


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