閉店間際のスーパーマーケットの風景

　俺の住む土地は万年不況みたいなもので、誰もが概ね金がなく、勿論この俺もその例に漏れない。

　外食産業が全体に地盤沈下傾向にあることはこれまでにも何度か書いた。殊に商業施設が著しい。不景気であれば真っ先に切りつめられるのが食費だろうからこれは仕方がない。とは言え人間必ず飯は食わねばならないのも事実である。

　人間は大体一度何かの利便性を享受するとやがて有難味がなくなってその利便を当たり前だと思うようになる生き物だと俺は思っている。
　「食費を切りつめる」という行為がどういう方向に向かっていくのかは容易に想像できる。
大体に於いて、それは外食を控えて安価な食材を自宅で手間をかけて調理するという行為ではない。ましてや家庭菜園をこしらえてそこで何かを栽培するなどということは天地がひっくり返ってもない。

　答えは閉店間際のスーパーにある。値引きのステッカーが貼られ始めた頃の総菜売り場にその実情を見る。およそものを食べるという行為について、人間の最も切実で最も浅ましい姿を其処に見ることが出来る。
　どうしてこんな断言口調が出来るかというと、恥ずかしいことに俺もそのうちの一人だからだ。いや実に恥ずかしい。実に惨めだ。しかし瀬戸際自営業にとって金欠の場面では背に腹は代えられない。やるせない現実をかみしめるひとときだなあ。

　３割引のステッカーが貼られ始める頃、半額のステッカーが貼られ始める頃、そのタイミングを伺っていたかのようにゴンドラ周辺をうろついていた群衆が腹を空かせたハイエナのように殺到する。恥も外聞もないとはこのことだ。お目当ての弁当を横からかっさらっていった誰かを恨めしげに睨み付ける目、目、目。

　どっかの父さんや母さんが携帯電話を取り出して自宅と連絡を取る。どの弁当が幾らで売られていて何が欲しいかの協議を行っているのだ。どう考えたって一度に食べられないほど大量の弁当をいくつもいくつも買い物かごに放り込む奴もいる。買いだめだ。半額の弁当を買えるだけ買っておいて自宅の冷蔵庫に入れておき、飯時になったら取り出してレンジでチンするのだろう。これはオヤジに多い。多分嫁さんと別れたやもめ暮らしか、或いは単身赴任の寂しい父さんなんだろうなあ。

　実のところ俺もまた、こうしたもの悲しい一群に紛れていることが結構あることは白状しておく。貧乏は人をなりふり構わなくさせる。露骨にさせる。しかしここで苦しい弁解をさせて頂くと、俺は商売上、５千円の晩飯を食わざるを得ない場面がおそらく一般の方々よりは多いのだ。金持ちでは勿論ないが年がら年中そういう食生活を送るわけにはいかないので食費の平均化をここで計るわけである。いやしかし、苦しい弁解だなあ、ほんとに。

　もうひとつ、時として俺はゴンドラの向こうにあるバックヤード越しにこれら飢えたハイエナどもの観察をする人でもあるのだよ諸兄。一仕事終えて試運転の最中、マネージャーと一緒に売り場を眺めているとなかなか興味深い人間観察が出来る。
　「そろそろステッカーを貼るぞー」という頃合いにゴンドラの周辺に現れる某人物がそのタイミングをねらっている奴なのかどうかはスーパーの社員には一目瞭然なのだそうだ。ゴンドラに何が並んでいるのかを確かめるために歩調が遅くなる、ねちっこい目つきになる。何よりも『早くステッカーを貼れよこの野郎！』みたいな苛立ちのオーラがバシバシ放射されているのである。
　「なんかみっともないよねえ。本人はわかってねえんだろうなあ」と、某マネージャーは苦笑いしていた。「まあ、それでもいいさね、売れ残って廃棄するよりは」と続ける。既にご存じの方は多いと思うが、あれらは半額で販売してもなにがしかの利益は出るような価格設定である。

　最後に一つ、忘れがたい場面のことを書いておきたい。ゴンドラの商品が残り少なくなってきたある時刻、商品を並べ替えて整理し始めた社員をどっかの母さんが呼び止めた。手には天ぷらの入った容器を持っている。母さんは至って大まじめにこういうセリフを吐いた。「ちょっと、この天ぷら、衣のサクサク感はどうなのかしら？」

　俺はのけぞったな。サクサク感ときたもんだ。よくもまあつらっとしてこんなことが訊けるよなあかあさん。
俺だったら半額の総菜などというものは無言でばつが悪そうに買っていくくらいの演技はするぜ。いや、オバサンというのは本当にたくましい。衣のサクサクした天ぷらが欲しかったら半額になってから買いに来るんじゃない！

　ある時、別の場面で、やはり俺はこういうオバサンを見かけて実際に上の文句を冷やかし半分に言ったことがある。オバサンは馬耳東風と聞き流し、全くの無反応であった。ある意味これは冷やかしにいきり立つよりも恐るべき反応ではなかろうか。