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区議会で中村彝アトリエ保存の質疑応答。 [最新情報]


 2007年(平成19)2月23日(金)、新宿区議会の予算特別委員会で、中村彝アトリエの保存について根本二郎議員(新宿区議会無所属クラブ)が、教育委員会および区長へ向けて質問をぶつけてくれました。区長は直接答弁をしませんでしたが、教育委員会からは事務局次長が、区からは地域文化部長が答弁に立ちました。答弁書を棒読みなのが気になりましたが、以下はその概要です。

■質問概要
 下落合3丁目に、明治末から大正にかけて活躍し37歳の若さで、亡くなった画家、中村彝のアトリエが奇跡的に今でも残っている。その保存を求めて質問する。
●中村彝と新宿
 明治20年(1887年)茨城県水戸に生まれ、父の死後、11歳で、長男を頼り牛込区原町に移り愛日小学校に通った。市ヶ谷谷町(現住吉町か)、河田町、百人町に住み、早稲田中学校で学ぶ。23歳の時に新宿中村屋、相馬夫妻の好意で中村屋裏の荻原守衛(碌山)が使用していたアトリエに移り創作活動に励んだ。その後29歳(大正5年)から下落合に住み、この地で、「エロシエンコ氏の像」など数々の作品を世に送り、大正13年12月24日、37歳の若さで亡くなった。水戸の生まれではあるものの、中村彝と新宿のかかわりは極めて強い。
●近代美術史における中村彝
 明治期以降の近代美術史における中村彝の位置は、近年益々高くなっている。今、東京国立近代美術館で開催されている所蔵作品展に是非行ってみて欲しい。「エロシェンコ氏の像」は国の重要文化財として東京国立近代美術館4階正面に特別の扱いで展示されている。又、下落合の時代、彝を慕い尊敬する人々で作った「中村彝会」は12月24日の命日に途切れることなく集り、昨年第83回を数えた。
●奇跡的なアトリエの現存
 このアトリエが今も残っているということは奇跡的なこと。中村彝を尊敬していた画家、鈴木誠氏が昭和4年、この建物を買い取り大切に保存してきた。その後子息であった正治氏も、父の意思を継ぎ保存に努めてきた。関東大震災や第2次大戦を潜り抜け奇跡としか言いようが無い。しかし、残念ながらご子息も一昨年に亡くなり、今ご遺族の方々が、その意志をついで区に強く保存を求めている。しかも、建物の老朽化、防災の関係などから、3月末には結論を出さざるを得ないという状態。この事態に危機意識を持ち、住民有志の方々が保存を求めて運動を始めた。落合文士村の拠点として保存後の活用方法も提案している。
●中山区長の姿勢と保存の意義
 区長は2期目の所信で緑と地域の文化の発掘を表明している。「落合文士村」整備の第一歩として、又新宿の文化の発掘という観点から「中村彝と中村屋」は、重要なテーマ。
 昨年12月に出された新宿区景観まちづくり審議会の中間答申の中で、景観重要建造物の指定の方針の考えが出されている。つまり「歴史的又は文化的価値が高いと認められた建造物」で、地域の景観形成上重要と認められるものを対象に、所有者の負担について支援措置を検討することが提案されている。
 また区長は、先の区政の基本方針説明の中で、今後、地域における貴重な文化的歴史的な資産を保存・継承し、活用していく仕組みについて検討すると表明している。
 私は、この際、「景観重要建造物」保存支援のための基金の創設を提案したい。そして、その第一号として中村彝アトリエの保存を提案する。

 先ず、教育長に・・・
 「エロシエンコ氏の像」など近代美術史における中村彝の評価を訊ねる。
 大正5年に建てられたアトリエはその建築様式も歴史的価値があると考えるが、調査された文化財保護の専門家の見解は如何か。
 区長に・・・
 下落合4丁目の570坪の「旧E邸」の保存運動の経験から、開発業者の手に渡ってしまってからの保存運動がいかに困難であるかを身にしみて経験した。今が最後のチャンス。
 中村彝アトリエは、二代にわたって大事に保存してきた所有者が、区へ保存を求め、待ち続けている気持を、是非汲み取って欲しい。区長の積極的な答弁を頂きたい。

■答弁概要

●教育委員会事務局次長

 『エロシェンコ氏の像』など近代美術史における中村彝の評価に関するご質問について。中村彝が活躍した大正という時代は、個性的な芸術家たちが西洋美術の新たな動向を意識しながら、さまざまな新しい表現を試みた時代だった。その中で彝は、ヨーロッパ印象派の代表画家として知られるルノワール、セザンヌなどの作品に学びながら、独自の表現を追求したと評価され、大正期を代表する洋画家といわれている。特に代表作『エロシェンコ氏の像』は重要文化財にも指定され、近代日本肖像画の傑作として評価されている。
 次にアトリエ建築様式の歴史的価値に関する専門家の見解に関するご質問について。教育委員会では昨年、新宿区文化財保護審議会委員で、日本建築史を専門とされている方とその研究室に委託し、アトリエの現状調査を行った。この調査により、建物全体にわたり改修、改変が行われ、現状では建吻の劣化が進行しているが、建物の一部である洋館のアトリエと居間は、中村彝が居住していた時代からのものが、部分的には残っていることが判明した。また、画家が専有アトリエを持つことが珍しかった時代に建築され、その後のアトリエ建築として一般的に採用されるようになったという意味で、落合のアトリエ付き住宅のなかでも先駆的形式であるとの評価を得ている。

●地域文化部長
 画家・中村彝のアトリエの保存に関するお尋ねについて。議員のご指摘のとおり、中村彝は下落合にアトリエを構え、数々の優れた作品を残した。中村彝のほかにも、多くの芸術家たちが住み暮らし、作品を生み出した落合のまちは、また文士のまちでもあり、落合文士村といわれている。区では平成19年度(2007年度)に、この落合に住んだ文化人たちを取り上げて、案内板の設置や小冊子の作成などにより、幅広く情報発信をしていく。
 文化的歴史的な資源に富み、斜面緑地などの豊かな緑に包まれた落合は、さまざまな魅力を持ったまちだ。その落合のまちに残された中村彝のアトリエについては、地域の方々も建物の保存とその後の活用についての検討を進めていると聞いている。地域の文化的資産として、また景観の面からもまちづくりのための貴重な財産として活用を検討することは、「水辺と緑・風・歴史・文化を感じる美しいまち新宿」の実現のために大切な取り組みであると考えている。
 地域における貴重な文化的歴史的な資産を保存・継承し、活用することについて、財政的な面も含めて、その仕組みを構築していく中で、中村葬のアトリエについても課題等を整理し、検討していく。


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