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「GUNSLINGER GIRL6巻」:破滅に至らない過程 [漫画]

 一度死に瀕した状態から、機械の体を与えられることでもう一度新しい生を与えられた義体の少女達。外見上はまったく普通の子供と変わらないながらも、身体能力においてははるかに人をしのぎ、また条件付けという洗脳によって担当官と公社の命令には絶対に服従する一方、任務を離れれば普通の女の子でもある。そうしてテロリズムが横行する国の中で、銃を手に正義のない戦いの中で戦うために、生きていく悲しみと小さな喜び。
 そんな世界が展開する「GUNSLINGER GIRL」も6巻まできて、話も大きく展開しました。
 義体の少女達も新しく二期生が開発され、それに伴って物語もその二期生の最初の1体ペトルーシュカ(ペトラ)と担当官アレッサンドロを中心に新しく始まります。とはいえ、今後どのように彼らが従来の一期生たちと関わっていくのか、あるいは関わらずに新展開を進むのかは不明なのですけど。

 ただこのペトラとアレッサンドロの出会い、関係性の描き方を見ていて、この「ガンスリンガー・ガール」物語世界の特徴、これが優しい破滅への物語でありながら、破滅を回避しようとする強い力が働いていることを感じましたので、そのあたりから今回の感想をまとめてみたいと思います。

*以下、この巻の内容に触れていますのでご注意下さい。


 ペトラは義体となる前は、エリザヴェータという16歳のロシア人の女の子でした。彼女はバレリーナ志望で幼い頃からひたすらバレエに打ち込んできたのですが、右足を骨肉腫(ガン)におかされ切断せざるを得ない状況に追い込まれます。絶望のために投身自殺を試み瀕死の状態になりますが、そこで条件が一致したため、本人の意志とは関係のない部分で二期生の義体として新しい生を与えられることになりました。
 二期生は一期生よりも改造をマイルドに行うとはいえ、全身を新しく作り替えられ、低身長に悩んでいた彼女が160cmを越える身長を与えられます。またバレリーナとして多少メディアに露出していたため、顔も整形によって完全に作り替えられ、少し陰のある金髪の少女だったリーザは、赤毛の(外見上は)活動的な美人になりました。

 もう一つ物語上のポイントは、ペトラは担当官となったアレッサンドロに、未だエリザヴェータであったときに一度会っていることです。人を観察してその性質や生い立ちまでも見抜く事が趣味であり、仕事上の特技でもあるアレッサンドロが何気なく声をかけ、国籍や年齢まで素早く鑑定してみせ、最後に「バレリーナとして大成すると思うよ」と言った相手がエリザヴェータでした。その時、彼女はすでに足を切断せざるを得ない自分の運命を知っていて、あるいはもしかしたら生前のエリザヴェータが最後にあった他者がアレッサンドロであったかもしれないのですが。

 アレッサンドロは全て作り替えるなら知っていても仕方ないと、自分が担当する義体の、義体となる前の人生をまったく知らないことを選択します。ですから彼はペトラがエリザヴェータであることを知りません。
 そのことは物語に独特の緊張を生みます。元々義体という悲惨さを背負った少女達に、フラテッロ(兄妹)と呼ばれるほど緊密に関わる担当官達は、しばしば彼女たちの境遇に感情移入して過度の愛情を注いで、あるいは逆に反発して無関心無反応に逃げ込むか、悩み苦しむのが一期生の担当官達でした。
 アレッサンドロは深い人間観察眼を持つ一方で、軽薄さによって自分の身を守るすべも知っており、比較的防御の強い安定したパーソナリティの持ち主ではあるのですが、そんな彼も義体という存在を前にしては戸惑います。彼が今後どのような関係をペトラとの間に築いていくのか、その緊張の陰に「アレッサンドロは義体となる前のペトラに出会っていた」という事実が潜んでいるのです。


 この物語を読む人々は、無意識のうちに義体達の救済を、彼女たちの存在の理不尽さに誰かが意義を唱え、彼女たちを救ってくれる事を望んでいます。一方で、それはこの物語に決定的な破滅をもたらす事も知っています。

 義体の存在に根本的な疑問を呈する事、また義体を生み出し運営している公社のやり方を否定する事。ただまっすぐに事実を見れば、それは正しく意味ある事です。けれども本当にそれをするとどうなるのか。実際、死んでしまった(殺された)担当官もいました。
 それに・・・例え公社に戦って勝つことが出来たとしても、今もうすでに義体とされてしまった少女達の救いにはなりません。公社と戦うことは条件付けの上でも葛藤を招き下手をすれば精神的破滅へと追い込まれますし、それがなくても強い生命の危険が伴うことは必然です。そこまでして解放を得ても、その先にあるものは短い生に与えられた意味をなくし、ただ自由を手に入れることでしかないのです。
 それが本当に救いなのか。それよりも今、ほんの少しでも掴んでいられる小さな幸せを偽善と分かっていても維持することが、嘘で本当の幸せではないのか。それはこの物語が根本的に抱えているジレンマであり、この二律背反の葛藤ゆえに、「ガンスリンガー・ガール」の物語は奥深く魅力的なのです。

 また物語から少し距離をおき、読者として見てみても、義体vs公社という展開はこの「ガンスリンガー・ガール」という物語自体が、終局へと向かうことを意味しています。
 いわば二重にこの葛藤は仕組まれているのです。義体の少女達への同情と救済への願い、それは今の「与えられたものは大きな銃と小さな幸せ」の生活へのアンチテーゼであり、同時に「ガンスリンガー・ガール」という物語の継続を望むこととも背反します。読者はこの葛藤の中で、いつの間にか義体の少女達を今のままの(悲惨な)状態に留めおこうとする共犯者へと、組み込まれているのです。
 そこがこの物語の最高に魅惑的な部分です。


 さて、話はアレッサンドロとペトラに戻りますが、彼らの間に隠されているこのエピソードも、非常に絶妙なバランスの上に成り立っています。
 彼らの間にある、隠された出会いの物語。いつかそれが暴かれたとき、彼(アレッサンドロ)はどのような反応を示すだろうか、そこに読者は緊張を感じます。

 一方でこのエピソードは、例えばヒルシャーとトリエラの関係ほど決定的なものではなく、「ただ出会っていた」だけで終わる可能性も持っています。アレッサンドロがペトラに深く感情移入しておらず、また義体という存在についても強く疑問を感じていなければ、彼は例え事実を知ってもそれを淡々と受け入れるでしょう。
 けれども、将来アレッサンドロがペトラに過度の感情移入をし、また義体という存在についても疑問を感じるようになっていれば、このエピソードは最後の一押しとして決定的で致命的な引き金を引く存在となる可能性も秘めています。

 破滅に至る引き金を引く事も出来るが、引かない事も出来る。「ガンスリンガー・ガール」という物語は、常にその選択肢を維持し続けながら、維持する事そのものによって緊張を作り出し、また義体の少女達の不安定性、「小さな幸せ」の儚さをも表現して進んでいくのです。

 破滅を望むか。それとも小さな幸せの継続を望むか。どちらにしろ、行く先にあるのは最後には破滅ではあるのですけれども。
 それでも破滅に至りたくない。そう考える事もまた、私には得難い人間の感情に思えます。


GUNSLINGER GIRL 6

GUNSLINGER GIRL 6

  • 作者: 相田 裕
  • 出版社/メーカー: 角川(メディアワークス)
  • 発売日: 2005/12/17
  • メディア: コミック
   
 
 
GUNSLINGER GIRL Image Album「Poca felicita」

GUNSLINGER GIRL Image Album「Poca felicita」

  • アーティスト: イメージ・アルバム, JOSEFA, Revo, 南里侑香, 三橋加奈子, 仙台エリ
  • 出版社/メーカー: マーべラスエンタテインメント
  • 発売日: 2005/12/21
  • メディア: CD

 
↑こっちも予約してしまいました・・・。
Gunslinger Girl Image Album ポカフェリ制作週記 銃ト少女ノぽかぽか日和 (曲の試聴等)


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