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「私の頭の中の消しゴム」:記憶が消える順番 [映画]

 この映画は、元々日本のテレビドラマが原作の韓国映画で、主人公の女性がとある魅力的な男性と恋に落ち結婚しますが、やがて若年性アルツハイマーであることが発覚してどんどん記憶を失っていくというもの。とりあえず設定だけで泣けといわれているような映画です。
 しかし見に行った感想としては思ったほどには泣きではなかったというか。記憶を失っていく過程をもっとじっくりリアルに容赦なく描いていくのかと思いましたが、肝心なところでは綺麗にフォローされているのでそのあたりが個人的ツボにははまらなかったのかもしれません。ただもちろん、「うわあ」な悲しみとか、感動的なシーンもあるのですけれども。最後のシーンと、その一歩手前のシチュエーションには確かに涙腺を刺激されました。

 ところで私がこの映画を見に行くにあたってもっとも興味があったのは、人はどの順番で記憶を失っていくのかということです。大切な記憶ほど後に残るのか、日常的な動作(歩くとか食べる)とかそんなことだけが残っていくのか。
 映画の中で語られる答えは単純で、最近の記憶からどんどん失っていくというものでした。そうなのかと拍子抜けする一方で、それは幸せなことなんじゃないかとふと考えたり。つまり段々子供に戻っていくわけです。何も知らなかった頃に戻っていって、時間を逆に回してやがて死に至る、それは幸せなことなんじゃないかと一瞬考えて、次にはまったく逆のことを考えました。それはなんて残酷なことだろうと。
 人を人たらしめているものは何か。記憶と経験です。ならば記憶を徐々に失っていくということは、すなわち人間性の剥奪ともいえるわけです。映画の中でもそういう場面は出てきますが・・・。
 特にこれを恋人達の記憶としてみた場合、恋愛や結婚は生来のものではありません(対照となるものとして家族がきます)。誰かと出会い恋をして結婚して新しい生活を築いていく、それはまさに記憶と経験の積み重ねであり、生来の要素が何一つ入っていないという時点である意味もっとも人間らしい行為といえるのです。しかしアルツハイマーという病はこの部分に容赦なく襲いかかります。

 愛し合う恋人達にとって、もっとも幸せな瞬間はいつだってもっとも新しい瞬間ではないでしょうか。幸福とはそういうものだと思います。逆に言えば「昔の方がよかった」と思い始めた時点でその恋は終わっているのです(恋が終わっても愛や情は残るとか、そういうことはあります)。
 この物語構成の絶妙なところは、幸せの絶頂にある恋人達に記憶の喪失が訪れるところです。


 この映画でもう一人印象的な登場人物は、主人公の女性の父親でした。彼は会社の経営者であり父であり、娘が不倫の恋に破れたことも、また新しく自分の会社の下請けをしている大工と恋に落ちたことも知っていきます。もちろん心に思うことはいくつもあったでしょうが、このお父さんはその全てを許して受け入れていきます。そして娘が手元を離れ、結婚し、新しい家庭を築こうとするところで、同じように娘の病に直面するのです。

 私はこの物語の裏の主人公は、父親だと思ってみていました。彼には彼の苦悩があるのです。それはもしかしたら、若い恋人達よりずっと深いものかも知れない。けれどもその苦しみに直接スポットライトがあてられることはありません。だからこそ、私はこの父親の苦しみについてずっと考えずにはいられなかったのです。
 娘の病を知って、夫となった恋人に離婚を勧める父親。その心中。離婚届を差し出すその心中、どんなものかと考えずにはいられませんでした。それは決して娘を手元に取り戻そうという気持ちではなく、ただ純粋に人生の先輩として二人にとってもっとも幸福(マシ)な未来を選択する。そのためには憎まれ役もかい、苦悩も一人で背負ってやろうという静かな覚悟。

 記憶が最近のものから失われていくなら、父親との記憶はわりと最後のほうまで残るものであるはずです。けれども娘が一番失いたくないと思っているのは、恋人との記憶なのです。そのために余計にストレスを抱えて錯乱してしまうほどに。
 記憶と経験を積み重ね成長していくことは、同時に卒業していくことでもあるのだなと思いました。そして卒業と言葉を飾ってみることもできるけど、それは間違いなく切り捨てていくことでもあるのだなと。・・・親は決してそれを喜びこそすれ、引き留めたりはしないのでしょうけど。
 最後まで恋人との記憶を忘れたくないと魂で泣く娘の姿を、父はどのような思いで見ていたのでしょうか。そして「これは天国?」と娘に言わしめた、最後の幸福な瞬間、父親は傍観者でした。でもきっと、それでも彼は幸せだったのです。


 記憶と経験の重さを思いました。同時に成長していくことの強さを残酷性を思いました。けれども決して後ろは振り返らずに、生きるしかないのだなということも。
 私が記憶を失うとしたら、最後まで忘れたくないことは一つです。「ありがとう」という気持ちだけは忘れたくない。私を愛してくれた全ての人に、感謝して死んでいきたい。
 それは多分叶わない願いなのでしょうが、だからこそ忘れたくないのです。父親が娘をじっと見つめていたあの眼差しのように。
 失われ卒業されていくものだとしても、それはかけがえのないものだと、あの父親は教えてくれました。その眼差しの前では、記憶が失われていく順番など、些細な問題にすぎません。

公式サイト:http://www.keshigomu.jp/index2.html


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コメント 4

きりきりととと

見たい見たいと思っていてなかなか機会のない映画のレヴューをありがとうございます。ますます見たくなりました。

記憶じゃなくて、音が一つずつ無くなっていくという小説を筒井康隆氏が「残像に口紅を」という小説で書かれていますが、「どういう順番で記憶を失うのか」という視点にすげぇなーと思いました。
by きりきりととと (2005-11-08 00:42) 

Aa

こんばんは、hyperbomberさん。ご無沙汰しております。格好いいアイコンですね。
いつか是非実物をッ。それはさておき。

この映画、泣きに弱い人はともかく、ある程度醒めてしまっている人には残念ながら泣けるまではいかない気がします。ツボにはまるととっても来るのですが、来ない人には全然こないタイプの泣きです。
というわけで泣けない人間は他に視点を探そうとするもの。私の場合はそれが父親と記憶を失う順序だったのですが。
あと、主人公の恋人達が恋に落ちる、そのさりげなさも印象に残りました。元が連続ドラマだったせいか、とてもおとぎ話的でありながら庶民的というかある種の雑さがあって。このあたりもツボにはまるかは人それぞれかなーと。私は微笑ましかったです。
まああまり高尚な映画を期待するよりは、連続ドラマを2時間に凝縮しましたという目線で見るのが、妥当かなと思います。でもあの父親役の役者さんは、本当によかったですよ。
by Aa (2005-11-08 01:58) 

きりきりととと

>ある程度醒めてしまっている人
わははw
by きりきりととと (2005-11-08 02:34) 

Aa

hyperbomberさんは、きっとそのような方だと思うのですがー。
うーん、本気で泣かせるにはちょっと際で逃げすぎというか。
たぶん元がテレビドラマなのも影響しているのかなと思いました。
テレビドラマの範疇ではあそこまでの描写が精一杯なのだろうけど、映画として見た場合は周りはもっとどぎつい描写にあふれかえっているわけで、これは正直綺麗事に見えてしまう。
そのあたり惜しいなと思いましたです。題材はとってもクリーンヒットなだけに。
んでも、悪い映画ではないのですよ。話の筋はちゃんとしっかりしていますから。エピソードもいいし。あまり期待しすぎない方が楽しめるタイプの映画と見ました。
by Aa (2005-11-08 11:45) 

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