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「なぜアメリカは戦うのか」:自由は与えるものなのか [テレビ番組]

 昨夜、この番組を見ました。
 これは昨日(24日)、20時からNHKハイビジョンにて放映された番組です。元は2004年アメリカ シャーロット・ストリート・フィルムズ制作の「Why We Fight」という番組で、2005年サンダンス映画祭 グランプリ (アメリカ・ドキュメンタリー部門)を獲得したとか。それをNHKが翻訳・吹き返えして放映したものです。
 邦題は「なぜアメリカは戦うのか」ですが、原題の「Why We Fight」のほうが生々しくて身につまされます。ちなみにNHKの紹介ページはこちら

 内容はもちろん現在のイラク戦争についてがメインですが、アメリカの過去の戦いの歴史も振り返り、アメリカは今まで何のために戦ってきたのか、そしてこれから何のために戦っていこうとするのかを、2時間近くに渡って問い続けた内容でした。
 日本のドキュメンタリーはわりとストーリー性を持たせたがるというか、起承転結の形を整えて作り上げたがるように思いますが、これは全体として散文的な内容で、それぞれの立場の人がそれぞれの意見を語り、それを交互にいくつも同時進行で重ねて積み上げて、現代アメリカ像を浮かび上がらせるという内容に思われました。私はあまりアメリカのドキュメンタリーを見慣れていないので、多少戸惑った面もありますが・・・。


 いくつもの興味深い発言もありました。「アメリカは世界の警察の役をやっているが、本当はアメリカ人もそれをしたいとは思っていない」という発言はショックでした。もちろん、その人個人の意見ですけれど・・・。私はイラク戦争の難しさは、まさにここにあると思っているので。

 私の意見ですが、イラク戦争はもちろん間違った戦争です。そもそも起こしたこともまずかったし、その後の進め方も下手を重ねた。今も泥沼が続いています。ですが、ではここでアメリカがイラクから手を引いたら、どうなるのでしょう。・・・私はそれが今よりよい状態をもたらすとは思えないのです。イラクは泥沼の内戦に突入するのではないか、非情なようですがそれだけならまだしも、それは単に内戦で終わるのか。テロは国境無き戦争です。イラクを拠点として周辺アラブ諸国の治安が激しく悪化する懸念もあります。それはアラブ内の争いというよりは、進出している「異教徒」国へと矛先はより向くでしょう。日本企業とて例外とは限りません。日本には石油がありません。中東諸国から輸入しなくてはならないのです。

 もちろん話を返してみて、イラクだけを問題としてみても。アメリカを非難することは簡単です。ブッシュ大統領はあまりに愚かです。でも、では自分の国が代わりに表に出て行って仲介しようとした国が、他にあったのでしょうか。アメリカを止めるだけの発言力や力を持つ国が他にあったのでしょうか。今だって「では失敗したアメリカには手を引かせて、うちが代わりにイラク立て直しに全力を尽くしましょう」という国が、いや国じゃなくてもいいです、国連がそれを出来るのですか。
 私がイラク戦争に関して全面的にアメリカを非難できないのは、そこなのです。イラク戦争はすべきではなかった、では誰が止められたのか。今もイラク駐屯はすべきではない、では誰がイラクの将来に責任を持つのか。荒らすだけ荒らして後は放り出して、それでいいのか。例え道は険しくとも、失敗の上にさらに正しくないことを塗り重ねようとも、成したことに対する責任は果たすべきではないのか。・・・あるいはやはり放り出すべきなのか。

 「アメリカの軍事費は恐ろしい額だ。それは他のNATO全諸国を合わせたよりも、さらに中国などを加えたよりも多い」という発言もありました。それに関して軍需産業への利益誘導や、石油利権確保への思惑も流れました。
 けれど、私は思うのです。アメリカが世界の警察を気取っていることは、確かにアメリカ人自身が選択したことだ。だけど、他の国は、彼らの増長を都合良く利用している側面はないのか、と。

 石油に関しては、もう一つ皮肉なことを考えました。確かに石油利権は巨大なものです。アメリカはそれを逃したくはないでしょう。だけど・・・。アメリカは資源に恵まれた国です。自国内でも多量の石油が採れます。日本はそうではありません。
 彼らが求めている利権は、あくまでより多くの富を求めてのことなのです。これがなければ死活問題という話ではありません。そこに底知れぬ恐ろしさを感じました。


 アメリカはなぜ戦うのか?、多くのアメリカ国民が登場して語りましたが、一番多い理由は「自由のため」でした。そのあまりの象徴性に目眩がしました。理想を求めて戦うほど、恐ろしいものはありません。自由と民主主義を世界に広めるために、彼らは戦っているというのです。
 冷戦時代なら、あるいはそれはソビエトとのイデオロギー陣取り合戦の一環として有効なことだったのかもしれません。だけど、今はポスト冷戦時代であり、また民主主義の限界に我々が気付きつつある時代でもあるのです。

 民族自決の時代において、国はそれぞれに適した政体を持つべきです。それは必ずしも民主主義とは限りません。先進諸国を見てみても、お飾りとはいえ王室や貴族制を残している国の多さを見てみればいいでしょう。そしてその国の王室がいかに国民にとって心の支えとなっているかを考えてみれば、「完璧な民主主義」なんてあり得ないことが分かると思います。
 民主主義は確かに優れた政治形態です、だけど民主主義自体の形も一つではない。それぞれの国に、それぞれの発展段階に応じて、適した政体というものはあるのです。それは必ずしも、アメリカ人の考える「民主主義」の形態を取っているとは限らないのです。王をいただく民主主義があってもいいし、政教一体の民主主義があってもいい。それはもはや民主主義とは呼べないものであったとしても、その国の国民大多数が支持しているなら・・・また幸福であるのなら、それが本当の民主主義なのではないでしょうか。
 私はまた同時に思います。民主主義は国民の成熟も必要とする政治形態である。つまり民主主義とは「育てていく政体」なのだと。完璧な民主主義は過去にも未来にもない。民主主義とは永遠に模索を続けるという覚悟なのだと。

 同様のことが「自由」にも言えます。自由ってなんでしょうか。「アメリカ人の自由のためにアメリカ人が戦う」なら話は別です。でも例えば「イラク人の自由のためにアメリカ人が戦う」。これって文字にしてみただけで、複数の疑問点が湧き上がってきませんか。それもイラク人から頼まれたわけでもないのに、としたら。
 私は彼ら(アメリカ人)の語る「自由」が分かりません。自由を他国に与えてあげるのだという考えの傲慢さに、彼らが気付かないことが不思議でなりません。自由は確かに素晴らしいものです、だけど自由には多くの苦痛も伴います。自由とは楽しむものではありません、背負うものです。自由と責任は表裏一体です。人は自由であればあるだけ、多くの責任も背負います。子供から大人になる過程を考えてみれば分かるでしょう。人は成長するに従って多くの自由を手に入れますが、それだけ多くの責任も背負うのです。秤にかけてみれば責任のほうが多いくらいです。

 他人によってポンと与えられた自由。それを果たしてその国の人達は背負うことが出来るでしょうか。それだけの覚悟や心の準備ができるのでしょうか。
 今のイラクだってそうです。アメリカ人は確かに彼らに自由を与えた。選挙権を与えた。結果として投票所はテロの格好の標的になった。・・・これが、イラク人が求めて勝ちとった結果としての戦いであるのなら、まだ筋は通ります。けれどそうじゃない。私はそれでも投票に行くというイラクの人々の勇気に、敬意を表します。そしてそのような人々を全力で守るのは、アメリカのそして国際社会の義務だと思います。


 同時多発テロで息子を失った元軍人の父親が、イラクに落とす爆弾に息子の名前を書いて欲しいという要望を出したという話も衝撃的でした。それが一兵卒から段々上級士官へと話がつながり、最終的には本当に爆弾に息子さんの名前が書かれたという話を聞きながら、私は「それがイラクの一般人を殺すかもしれないのに?」と心の中で呟きました。しかし実際、番組がその方向に、つまり爆弾によって死傷するイラクの一般人の姿をうつし、「精密爆弾といえども50回のうち40回以上は一般人に死傷者を出す」という現実を突きつけるに至っては、目を覆いたくなりました。ドキュメンタリーとは恐ろしいものです。現実以上に衝撃的なフィクションなどこの世にはありません。またそれを知らされた父親の顔は・・・正直、正視できませんでした。

 イラクに大量破壊兵器がなかったという事実も、父親を打ちのめします。私はイラクで殉職された日本人外交官奥大使についてNHKが制作したドキュメンタリーで、「アメリカは当初からまったく、本気で大量破壊兵器など探していなかった」ということを知ったときのショックを思い出しました。
 自分自身、元々大量破壊兵器があるとはほとんど信じていなかったのですが、現場でもそこまで手抜きだったのかということに、アメリカの無能は想像以上だと頭をかきむしりたくなりました。そこは見つからなくても本気で探せと、少なくとも本気であると思っていたという嘘は突き通せよ馬鹿、とブッシュさんの胸ぐらを掴みたくなったくらいです。・・・まあ、そういう私の態度もどっか間違えているかもしれませんけど。
 今はもう、そういう時代ではないのかもしれませんね。嘘は容赦なく暴かれていく。


 ともあれ。賞を取っただけのことはある、とても濃くて重い番組でした。何気なく見始めたのですがあまりの内容の重さに、チャンネルを変えることが出来ませんでした。
 番組は今流行りのアメリカのネオコンにスポットを当てて終わりましたが、私はやはり第二次大戦からずっとひたすら、アメリカ人は「自由のために」戦ってきたのだという部分が頭に残りました。
 自由ってなんでしょうね。このどこまでも続く重いモノを、人類は本当に背負っていけるのでしょうか。


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おぼうさん

アメリカの大きなネットワークTVで放送されてのでしょうかね?
本当の事は伝わらないのです。今回の大統領権限の盗聴も同じです。恐ろしいことは、静かに進むのです。
by おぼうさん (2005-12-19 21:20) 

Aa

はじめまして、おぼうさん。
私はアメリカのTV事情をよく知りませんが、映画祭で上演されて賞を取ったそうですから、その前なりその後なり、それなりに大きく放映されたのではないでしょうか。
こういった物事を考える時、私は別のアプローチをします。本当のことは伝わらないのではなく、伝わっているのだけど何故か誰にも止める事が出来ずに進んでいく、という見方です。
今回のこの番組で発言していた人も、その多くは一般のアメリカ国民でした。私は元CIAの人などの証言よりも、彼らの言葉こそが最も怖かった。世の中は知らない内に動いていくのではなく、自分こそがその渦中にいて手を貸している、手を汚しているのだという意識を持つ事は重要だと考えます。
by Aa (2005-12-20 22:17) 

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