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高校中退に関する経験談 [雑記]

 今日はふと思い立ち、ちょっとした昔話をして(書いて)みようかと思いました。ちょっとしたといっても、私のことですからむやみやたらと長いです。また、別にそんなに心温まる話でもないというか、どっちかというとくらーい話です。そういうわけで、読むかどうかは各自お決め下さい。

 私は高校中退者です。入って二ヶ月でやめました。ある日いきなり「もう行かない」と母に宣言し、その通り二度と行きませんでした。親は一応1学年の終わりまで籍を残してくれたんですが、私は「無駄なのにな」と非常に醒めた目でそれを受けとめていました。まああの頃は、私もちょっとばかり疲れていて、そして心に余裕がなかったのです。


 やめることを決めた日のことは、今でもよく覚えています。それは多分5月で、気候もよく、風は涼しく空は晴れ渡り、緑が綺麗な日のことでした。私は学校から下校する途中、キャンパスにある並木道の途中で絵を描いている中学校時代からずっと仲の良かった親友と挨拶し、「バイバイ」と言って別れました。その時は普通の挨拶のつもりだったんですが、本当にバイバイになったわけです。
 私は校舎の外側にそって、道を歩いていました。私が通っていた高校は自由な校風を標榜し、実際にとても自由で生徒の自主性を重んじ、むしろそれを先生が率先してけしかけているくらいでした。その一つの象徴として、うちの高校には外壁というものがありませんでした。敷地の外と中を隔てるフェンスは、車が多い大通りに面した1面にしかなく、あとはそのままどこからでも出入りできるという、そんな素敵な設計がされていました。
 私はその外壁のない周辺を、家に帰るために歩いていました。足元には緑の畝があり、雑草と花が綺麗でした。とてもいい日でした。だけど、私の心は暗かった。とても暗かったのです。

 「私は幸せじゃないな」と思いました。当時、私はそれを自分に問うことを一つの指標としていました。「今の私は幸せかな?」と自分に問い、「まあ、幸せなんじゃないかな」と答える。そうやって不安定な思春期の日々を、自分なりの指針でもって進んでいたのです。
 でも今、私は幸せじゃない。じゃあ、このまま先に進んだらまた幸せになることもあるんだろうか?・・・どうもそれもないような気がしました。私が通っていたのは府内でも有名な名門校で、頭のいい人たちが集まり、個性的でユニークな先生が多く、上には大学もあり、普通に勉強していればエスカレーターで進学できることも分かっていたのに、です。
 いえむしろ、そのように目の前の道がはっきりしていたからこそ、「このまま行っても私は幸せになれない」と眺望することができたのかもしれません。
 そういうわけで私は決めました。高校を辞めると。

 その当時の私にとっても、また多分今の多くのその年代の子供にとってもそうだと思うのですが、学校というのは子供の小さな世界の中でかなりの多くを占める存在でした。家庭と学校、あとはまあ塾とかスポーツクラブとかそんなところでしょうか。しかし前二者が占める圧倒的な割合は、一般に後者に対して比べものにならないと思います。
 私は幸せじゃない今の現実を打破する必要を感じていました。それには自分の現在の人生において多くを占める、家庭か学校、どちらかを捨てるべきだと考えました。しかし家庭を壊すことはできません。それはちょっと無理というか、むしろ自分自身にとって致命的(文字どおり)になるのです。そのことは分かっていました。ほとんど本能的に。
 それに比べれば高校を辞めることは、簡単な決断でした。本当に、簡単だったのです。自明の理というくらいに。


 そして私は高校を辞めました。しばらくは家で、今でいう引きこもりをやっていました。といっても自室に引きこもるわけでもなく、昼過ぎに起き出してはリビングでケーキやクッキーを焼き、テレビを見て本を読み、ふらふらと本屋に買い物に出かけ、時々は地下鉄に乗って繁華街をうろつき、そういう引きこもりでしたけど。・・・それは引きこもりとはいわないのではないかという気が、今猛烈にしてきました。えーと、じゃあ「ニート」で。
 どうしてここまで開き直れたのかというと、まず最初に「辞めるのだ」ときっぱり決めていたことがよかったのだと思います。そして親にもきっぱりはっきり宣言したことが。親は私がそう言ったら、もう二度とくつがえさない人間であることを知っていましたので、早々に半分諦めモードに突入して見守ってくれていました。

 そして夜になると、自分と自分の将来、そして社会や人間のあれこれについて、ひたすら考えていました。今ならネットでもやるでしょうが、当時は幸か不幸かまだ自分にはネット環境がなかったので、夜は暇だったのです。そして私は基本的に日が落ちてからのほうが、頭が猛烈に働くという夜型人間だったのです。

 机の前に座って、今はもう勉強はしないかわりに、ひたすら考えていました。考えていた内容は、今ではもう思い出せません。同じところをぐるぐる周りながら螺旋状に伸びていく、そんな思考形態だったことは覚えています。
 例えば、「学校とは何だろう?」と考えて「通うべきところとされている」という答えがまず浮かび、そしてぐるぐる様々なことを検討した結果、「ああなるほど、通うべきところとされているんだな」と最初に戻る。そういう思考でした。無駄といえば無駄ですし、確認といえば確認です。

 で、数ヶ月もするとそれにも飽きてきました。その頃季節はたぶん晩秋か初冬くらいで、私は漠然と「じゃあ春になったら動こうか」と決めました。
 そして春になりました。私は近くのスーパーにバイトに出かけました。15歳のフリーターなんぞ雇ってくれるくらいですから、経営傾きかけのスーパーで、バイト(正しくはパート)は他にも未婚の母とか30過ぎても作家になる夢が諦めきれないフリーターとか、普通の人のほうが少なかったです。面白い環境でした。
 そして店長さんは一人、とても有能な方でした。私はこの人に、働くということの基礎を教えてもらいました。例えば、就業中は給料をもらっている時間なわけだから、仕事がなかったら仕事を探してでも働き続けるべきだとか、そういうことを。まあ、基本的にはバイトの心得ですね。しかし後々まで役立ちました。おかげで後年どこでバイトしても、いい評価をもらえたくらいです。


 そうしているうちに、このまま働く(就職する)のもいいんだろうけど、私の取り柄はやっぱり頭脳方面だなーということも分かってきたのです。働くことはとても楽しかったのですが、多少の物足りなさもありました。私はここで初めて高校生活のことが、ちょっと懐かしくなりました。
 もっとも高校での勉強は、また勉強方法は、私にとってとても無駄かつ不必要なことが多すぎるとしか思えず、戻るという選択肢ははなから頭になかったのですけど。

 私は中学受験を経験しています。ですから小学校高学年から塾に行って、(学校の他に)1日3時間の授業を週4日、さらに日曜日には毎週試験+宿題といった勉強を体験していました。そこの塾の先生はとても有能な方で、今でも恩師というと一番にこの方が思い浮かぶのですが、教え方が上手く、国語算数社会理科、どの科目についても系統立てて効率的にかつ的確に、物事を理解するということを教えてくれました。
 そういう塾での勉強に比べると、学校での勉強はあまりにも稚拙。というより、率直に言って勉学ですらないと思っていたのです。今にして思えば、私があっさり高校を捨てられた一番の理由でした。

 高校というのは、やっぱり基本的に学ぶための場だと思うのですね。先生との出会いや同級生との友情といったものは、付加的なことで。・・・まあ、それには異論ある方もあると思われますが、私はやはり高校は第一に学びの場であると思います。そしてその基本が出来ていないところでは、いかに付加的なものに価値があろうと、それはただの誤魔化しなのです。人とのふれ合いなんて他の場所でも出来ます・・・例えば私が行ったバイト先のスーパーのように。あそこでは、学校に行っていては決して出会えなかった人達と、楽しい時間が過ごせました。
 私は学校で作れたであろう最善の人間関係と、あの場での人間関係を秤にかけて、どちらがいいと判断することはできません。ただ、バイト先では働くことを教えてもらえ少ないながらも(最低賃金に違反しているくらい少なかった)お金がもらえたのですが、高校では学問すらろくに教えてもらえなかったのです。


 ともあれ、私はそういうわけで大学への進学を視野に入れ始めました。いろいろな本を買って、調べました。親は一切助言はしてくれませんでした。その代わり、「お金は出すよ」と言ってくれました。
 定時制というものも考えたのですが、無駄が多い。普通に通うよりも卒業までの時間がかかるなんて、嫌だと思いました。私はちょっと、普通に高校に通い続けている人達に対して、対抗心があったのです。「絶対にいつか見返してやる」と思っていました。今にして思えばねじ曲がった根性ですが、ともあれそういうものも一つの奮起させる力になったことは確かです。
 ・・・高校を中退したことについては、色んな人に色んなことを言われました。親は私をあちこちのカウンセリングに連れて行きましたし、そこでは常に私は「異常な子供」として扱われました。「治療対象」だと。高校復帰以外の選択を求めて行った先の塾でも、高校を中退した理由を聞かれ「つまらなかったから」と答えると、「そんなことではこの先の人生、やっていけないよ」とこんこんと説教もしていただきました。たくさん、たくさん、そんな経験をしました。まあ、一面では正しい考え方です。一面ではね。

 というわけで、大検というものが選択肢に浮上してきました。正式には大学入学資格検定です。これに合格すると、大学入学試験を受ける資格が得られます。
 この試験自体はとても簡単なものです。教科書レベルに出ている問題しか出ません。ただし、この後にはもちろん大学入試がひかえているわけで、そちらは普通に高校を卒業した人達と同じ立場で、それなりの難易度の試験を受けるのです。

 なので、塾に行くことにしました。いろいろ調べた結果、大阪にある私塾が私の求めるものに近いと分かったので、通うことにしました。そこは高校をドロップアウトした人間を「むしろ感受性が強く、今の世の中の間違いを見抜くことが出来た子供」として扱っていたのです。
 もっともー。その塾の方針ともいずれ対立し、結局やめてしまうことになるのですがー。・・・ここまでくると、「おまえは単にこらえ性がないだけだ」説をあんまり否定できなくなってきますね。

 それでも1年以上は通ったのです。ただ私がどうしても我慢できなかったのは、そこの塾では「高校中退者」を「高校に通っている人間」より上の人間だと考えていたことです。私は、それは違うだろうと思った。中退者を「それも一つの価値だ」として認めることはいい。むしろ嬉しい。でもちゃんと真面目に通い続けている人より上だと考えるのは嫌だ。私は中退した高校は今でもいい高校だったと思うし、同級生たちのことも好きだった。ただそれではどうしようもない末期的な状況が、今の日本の高校教育にはある、それだけのことなのだと思っていました。
 「中退者」と「まだ通っている人間」が同等ならいいのです。または「違う価値観を持っているだけ」ならいいのです。でも、二つを比べてどっちが上と決めつけるのは、どうしても我慢がならなかった。
 ・・・いやまったく、私は本当に細かい部分にこだわるヤツで、こらえ性がないのです。


 というわけで大検に合格した時点でそこの塾は辞め、あとは近所の私塾を利用して大学入試の勉強をしました。受ける大学は、自分が中退した高校のライバル校。・・・まあ、ライバルだから選んだわけじゃないんですが、「見返してやる」理論によると偏差値があのまま通っていたら行けた大学より下というのは敗北であり、あのまま通っていたら行けた大学を受けてもよかったんですが、さすがにそれは同級生と顔を合わせた時に気まずい気がしたのです。当時の私は、今より厚顔ではありませんでした。ちなみに今は厚顔です。

 で。結局、18歳(ストレートの年齢)であっさり合格。「人生ってちょろい」と思った瞬間。
 学部選択についても私なりの色んな考えがあったんですが、ここでは割愛します。ただ選んだ学部は結果として、とてもいいところでした。大学に入ってからの勉強は、すごく楽しかったです。毎日がとても幸せでした。と同時に、やっぱりフリーターという身分は、凄くストレスフルな状況だったんだなということも分かりました。自分が所属するモノがあるという安心感。

 私は幸せでした。「幸せかな?」と問いかけて、ためらいなく「幸せだ」と答えられる状況に、ようやくなったのです。それには2年と10ヶ月がかかりました。しかしその期間は私の人生にとって、とても実り多いものでした。沢山の経験ができ、また自分にとって不要な経験(高校通学)はせずにすみました。
 中退したことを後悔したことは、今に至るまで一度もありません。実際のところ、大学に入ってからも高校にろくに行っていないことで勉強についていけないとか、そういう苦労は一切なかったのです。

 ただー。私はその後、病気を患って大学でもつまずくんですが、まあ、それはまた別の話です。


 私がこれを書く気になったのは、しょちょうさん「理論のない教科書」という記事に触発されてのことです。高校中退とはまったく関係ありませんが、現在の高校教育の問題点について、非常に面白い問題提起がなされていると思いますので、是非ご覧下さい。

 高校中退に関する話、また高校って本当に必要なのか?という話をすると、どうも人は感情的になりがちだという経験測があります。まあ私自身も、書いていて充分感情的だなと思ったので、あんまり人のことは言えません。
 たぶん、高校生にとって高校は人生のほとんど全てであるということが、理由なのだと思います。だから高校を否定されたら、その間の自分の人生を否定されたような気に、人はなるのではないでしょうか。

 けれどそのような感情を越えて、高校教育に関してはもっと議論がされていいと思うのです。人生の貴重な時間を、何のために費やすのか。高校は義務教育ではありません。「みんなが行くから」で自動的に行くものなのか、それだけの価値は本当にあるのか。
 高校進学率は95%を越えています。一方で高校中退率は2.5%。これは決して少ない数字ではありません。50人に一人はいるってことは、クラスに一人くらいはいる可能性が高いのです。さてこの不適応者を、個人の問題と見なすか社会システム上の問題とみなすか。
 そして何より高校の教育システムは、このままでいいのか。15歳から18歳という、人生の中で多分もっとも頭の回転する時期、それに与えるに相応しい、「高等教育」という名にふさわしいだけのものを、大人は子供たちに提示出来ているのか。責任を持って、与えられているのか。
 いろいろと、面白い話です。

 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


追記。ちなみに私は高校生活が楽しかった、実りあるものだったと考える人のことを否定するつもりはまったくありません。ただ同時に、楽しくない、実りあるものだと思えない人の価値観も認めて欲しいと願っているだけなのです。そんな両者が普通に共存できる社会こそ、私が望むあり方です。


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