魂を大きく繊細にする。 [心と魂の癒し]
前回、魂の傷を癒すことについて書かせて頂きましたが、
今回は、魂を大きくしつつ、また繊細にもしてゆく中で、自分の魂の傷も癒してしまおうということについて、少しだけ書いてみたいと思います。
魂を大きくするというのは、とても単純化して言ってしまうと、多くのよきことができる人になれると良いですねということであります。
魂を繊細にするということは、大きな魂になれることを努力しつつも、繊細でセンシティブで、細やかな配慮ができるようになれるといいですねーという話であります。
魂というのは、心の深い部分であるともいえます。
フロイト、ユングなどの精神科医・心理学者にいたしましても、深層心理を深めてゆくと、人類の共通の記録に辿り着くみたいなことを言っていたように記憶しています。アガシック レコードというのでしょうか。
宗教的、哲学的見地から見ますと、「魂」と「こころ」の違いは、
仏教の世界では、「こころ」の持って行き方を教え諭していることが多く、それが、沢山の仏典となって残っています。同じ仏教の中でも、禅宗の世界では、「こころ」が極まった「魂の世界」を向上させようとしているようです。
キリスト教の世界では、人それぞれの中に「神なるものがある」という考え方が多く見られます。これを「魂」と表現している人もいるのではないでしょうか。
日本古来の神道の考えでは、人は皆、様々な神様の子孫であって、人は皆その体の内に、神様の分魂を持っているという考え方をしています。つまり、人は皆その身の内に神なるものを宿しているということを言っているのです。
いずれにいたしましても、
できないことができるようになると、魂が大きくなります。
苦手で、恐ろしいと感じてしまうことに負けてしまわず、
少しずつでもいいから、おそるおそるでも構わないから、できるように努力すると、
魂の傷を現実的に治し、癒してゆくことができます。
現実的なことに対しても、細やかな配慮ができるよう努力すると、
魂を繊細に細やかにすることができます。
魂を大きく繊細にすることができると、深い喜びを得ることができます。
その深い喜びというのは、こころのレベルではない、もっともっと深いレベルでの喜びが得られるということであります。
初めて訪れるはずの場所に訪れて、突然涙があふれてくるようなことを私たちは経験します。
はじめて会った人であるはずの人に出会って、強烈に引きつけられるような経験も、誰もがいたします。husbandという言葉は、実はここから出ているのではないかと思ったりもします。
ふと耳にした音楽に、涙が流れるような経験も、誰もが体験します。
このようなことは、全て、その人その人それぞれが持っている「魂」が感応して起きていることであります。
「魂」には、生まれ変わる前からの記録が全て記録されているのです。
前世の記憶、そのまた前世の記憶も全て、記憶されています。
よいことをしたこと、後悔するようなことをしてしまうことも全て記憶されているのが「魂」であると、多くの精神科医であったり、哲学者であったり、宗教家であったりが、そのようにいっています。
私も、その通りであると、魂の旅を続けてきて、深く同意する次第です。
ですから、私も、できないことができるように努力してゆきたいと思っています。
また、より細やかな配慮ができるようにもなりたいとも、日々努力をしております。
このような努力を積み重ね、「よき経験」を積み重ねてゆくことが、魂を大きく繊細にすることになり、それは、自分自身の深い喜びをもたらすことだけでなく、より多くの人に愛され、頼りにされ、魅力的になれることにつながりますし、ひいては、この世界全体を住みよい世界に向かわせることにつながると信じるのです。
学問。芸術。宗教。
この三要素の奥底には、「神なるもの」があり、
学問においても、芸術においても、深めてゆくほどに、「神なるもの」に近づいてゆくことができるのです。これは私の師匠から教わったことです。
仕事をしていても、オン・ジョブ・トレーニングという言葉があるように、
仕事を通じて、自分の学問的要素を深めることもできますし、
仕事を通じて、美しい振る舞いをできるようにも努力することができます。
美しい振る舞いには、芸術的要素が必要です。
逆にいえば、美しい立ち居振る舞いをできるようになるためには、芸術的要素も磨く必要があるということです。
私もまだまだ駄目駄目ですが、自分の魂を大きく繊細にすることができるようにしてゆきたいと、日々努力を重ねてゆきたいと思います。
今回の「旅人Jのひとりごと」をお読み下さった方に心から御礼を申し上げます。
次回は、『キノの 旅 -the Beautiful World-』を取り上げてみたいと思います。
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