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義経 [本(歴史もの?)]

燃えよ剣」ではまってしまった司馬遼太郎さんつながりというか

朝敵つながりというか、、、

次に紹介したいのはコレ↓です。

義経〈上〉

義経〈上〉

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文芸春秋
  • 発売日: 2004/02
  • メディア: 文庫
 
義経〈下〉

義経〈下〉

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文芸春秋
  • 発売日: 2004/02
  • メディア: 文庫

日本の政治制度の舵を大きく律令制度→封建制度へと

切ったといわれる源頼朝の弟、九郎義経のお話です。

とかく悲劇の英雄として描かれることの多い義経ですが、彼を

ほんとに英雄と呼んでいいのかどうか? を考えるきっかけが

燃えよ剣」との比較。

今回は、ちょっと長い紹介です。

ネタばれの危険があるので、義経の話を知らない人はココ

避難してください

 

 

律令制度、特に「公地公民の制度」というのは土地と農民を

すべて朝廷のものであると定めたものですが、この制度のために

自ら土地を開いた農民たちが【搾取されるもの】と定められて

しまいました、、、

そして横暴な国司に対抗するために農民たちが武装していった、

というのが武士のはじまりと言われています。

(当時、国司というのは貴族が任命される朝廷の手先で、税の取り立てとかするのが主な

役目です)

 

で、平氏(桓武平氏)や源氏(清和源氏)らは元々は天皇家の出

ですが、臣籍(国司とか。。。)に下った元貴族なわけです。

彼らは武家の棟梁になりますが、武士たちは自分たちの土地や

財産を守ってもらうために平氏/源氏を支持したのです。

 

が、一度(?)は源氏に勝って成り上がった平氏はそれまでの

藤原家による政治を繰り返してしまい、なんと土地を拓いてきた

武士たちから【搾取する側】になっちゃいます。

 

イケませんね

 

で、これに対抗するため、そして土地を拓いて守ってきた武士たち

のための政治を行うために源氏の棟梁として源頼朝が鎌倉に

政権の基盤を作り始めたのですが。。。

この流れが読めなかったのが義経

 

いくさは強いんですが、とにかく頼朝の【武家政権樹立】邪魔

ばかりしちゃいます

そして仲違いして、ついに兄弟が対決。

この当時は院宣(簡単に言うと法皇からの命令です)を得て大義名分

もとで勝負するのが習いなんですが、なんと義経は京都にいると

いう地の利(法皇がそこにいるのです)を活かして、頼朝追討の院宣

ゲット。

でも戦力がないので都落ちするのですが、その後は今度は

頼朝有利と見た法皇は頼朝の機嫌を取るためなのか??

義経追討の院宣を発行。

(ずいぶん大雑把に書きましたが、院宣や天皇・三種の神器の奪い合いが日本の歴史の

大きな一部みたいです)

当然、義経に下した【頼朝追討の院宣】は取り消されてしまい、

義経は朝敵頼朝は官軍になります。

 

う~ん。

歴史ってすごく面白いです。

 

新撰組も歴史の流れを読みきれずに朝敵になってしまいました

が、それでも彼らは自分たちが仕えてきた将軍や幕府のため、

という志で戦いつづけたわけです。

(どうも彼らの多くは「幕府に仕えることが朝廷に仕えるということだ」という認識だったの

かもしれませんね。将軍は、天皇に代わって政治を行っているという立場ですから)

 

この言い替えれば信念の有無が、新撰組と義経との違い

ではないでしょうか。

義経の落ち延び方には、どうしても【自分が信じる道をいく】という

信念が感じられません。

(もちろん、歴史は勝者が書き換えるものでもありますから、今伝わっている義経の話が

すべて真実とは限りませんが)

 

同じ逆賊という汚名を着せられていますが、義経よりも土方歳三

のほうが美しい散りざまだな、と思うのです。

 

みなさんは、いかがでしょうか。

ぜひ、ご自分で読み比べて、いろいろと考えてみてください


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