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日本の教育・英国の教育 [イギリス論]

オックスフォードに来てすぐの頃、ある講義で日英の教育の違いについて面白い話を聞いたので、それに少し自分の考えを加えて紹介する。これはいわゆる大衆教育に関しての話で、エリート教育についてはまた別の機会に何か書こうと思う。

日本と英国の教育システムはいろいろな点で異なっている。教育カリキュラム、入試制度、教師の質、重点がおかれるポイントなど、異なる点を列挙していくと膨大になるので今回はやめておく。しかし、こういった表面的な差異を生み出している根本的な思想とか教育理念については案外シンプルであり、知っておいても良いと思う。

日本の教育がよって立つ基本理念あるいは前提条件は以下の三つである。1:すべての生徒は等しく能力を与えられている 2:生徒間の差を生み出すのは本人たちの努力量の差である 3:すべての生徒に等しくチャンスが与えられなくてはならない。

一方イギリスの教育は以下のような前提条件の上に立って作られているらしい。1:潜在能力や資質は生徒ごとに全く異なる 2:異なる潜在能力や資質をそれぞれの方向に最大限に引き出さなくてはならない 3:チャンスは能力に応じて与えられるべきである

したがって日本では全国一律同じカリキュラムで子供を教育し、その教育において最も重視されるのは「どれだけ努力させたか」という点である。そして高校や大学への進学に関してはカリキュラムに準じた内容のペーパーテストをしてその点数のみで合否が判定される。すべての子供に等しくチャンスを与えるためにはこういった一律な内容を「純粋に客観的」な方法で評価するしかない。そしてすべての生徒にチャンスが与えられるから競争が激しくなる。受験戦争が過熱するのはこういった理念の当然の帰結である。

イギリスでは学校ごとにカリキュラムが全く異なる。さらに言うと中学校くらいから選択科目が増え、個人ごとにカリキュラムが変わってくる。教師が最も重点を置くポイントは「生徒の潜在能力をどれだけ引き出したか」という点である。そして入試においては推薦状や面接といった主観が入る方法が重視される。統一された基準で生徒を選別しないから、「ペーパーテストの点数」という一点のみに競争が集中せず、いろんな要素に分散される。

この日英の教育における根本的な思想面での違いを如実に表しているのが、両国における「教育アイコン」あるいは「理想像」の違いである。

日本の学校教育において長く理想とされている(されていた)人は二宮金次郎である。貧しい家庭に育ち、薪をかついで働きながら本を読む二宮の姿に日本人は学習者の理想像を見出す。つまりここで重要視されているのは二宮の能力ではなく努力である。そして、二宮がその後どのような大人になり、世界の学問に対してどのような貢献をしたのかについては実は誰も知らなかったりする。そのような事はどうでもよいからである。ストイックに努力をしたという事実こそが重要なのである。

一方、イギリスの教育における理想像はニュートンやスティーブンソンである。リンゴが木から落ちるのを見て万有引力をひらめいた話や、鍋から湯気が上がって蓋が振動しているのを見て蒸気機関をひらめいた話がよく語られる。要するに彼らが持っていた潜在能力が最大限に発揮されたという事実が重要なのである。こういった話の裏でニュートンやスティーブンソンが人知れず猛烈な努力をしていたことは誰も取り上げない。それは重要ではないからだ。

ここに日英の教育の最大の違いがあると思う。日本ではどんなに貧しい家の子でも努力すれば鉛筆一本でエリートになれることになっている。「努力すれば報われる」という信仰を実現するためにすべての教育制度が形作られている。億万長者の子息でも皇族でも国公立の学校の入試では一点でも足りなければ落とされることになっている。そしてあらゆる教育現場で「努力」が強調される。生徒個人の潜在能力についてはあまり取り上げられない。

イギリスでは特異な能力を持つ子がもてはやされる。早くからそれを指摘され伸ばせるようなシステムになっている。しかし問題は学問的能力だけではなく、階級ごとの「資質」も伸ばそうとする点にある。エリートの家の子はエリートになれるような仕組みになっている。エリートの家の子はエリートとしての「資質」を持っていることになっており、それを最大限に引き伸ばすのが教育だと考えられているからだ。逆に労働者階級の家の子は労働者としての「資質」を引き伸ばされる。彼らがパブリック・スクールに行きオックスフォードやケンブリッジに入るのは極めて困難だが、しかるべき身分の人なら容易にそれができるシステムになっている。最初から労働者階級は労働者階級として諦めている。チャンスも平等には与えられない。だから受験戦争が熾烈化しない。

無論、こういった差異は理念上そうだというだけで、日英ともに例外はいくらでもある。しかし理念がどういう方向に向かっているかを知ることは重要だと思う。その方向に基づいて国全体の教育制度が形作られるからだ。そして、教育改革において、理念はそのままで表面的な制度のみを変える、あるいは制度はそのままで理念だけ変えることがシステム内部の整合性を奪い、教育現場に混乱をもたらすことを知っておく必要がある。

この記事の評論:

文化間における本質的な差異は単純であり、同等である http://blog.so-net.ne.jp/sanpeita/2005-04-12-1

努力すれば報われるhttp://blog.goo.ne.jp/ayami_saito/e/d75aae3a78797580aa27abd80ca2a7a9

関連記事 教育の話 http://blog.so-net.ne.jp/syocho/2005-07-26

 

 


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どらとら

幸運にも偶然貴殿のblog発見し、深い洞察力に感銘を受けました。
最近は、親はWorking Classという方でも、本人はPh.D保持者という方も見かけます(Glasgow)。しかし、依然として圧倒的にMiddle Class出身者が多く、英国における大きな階級差の存在を感じます。過去の話題になりますが、ユーモアの英国での比重の大きさに関して、深く同感致します。小生は、話半ばにて「ユーモアを入れずに真面目に話しすぎてしまった」と後悔することが多々あり、未だ英国ユーモアの糸口を掴めておりません。これからも、同じ島に住む者として閲覧継続していく所存でございます。敵国イングランドで行われたチャールズ&カミラの婚礼の儀には全く興味のない、スコットランドからのコメントでした。
by どらとら (2005-04-11 02:55) 

しょちょう

どらとらさま
大変恐縮です。
全くご指摘のとおりだと思います。この国の教育の基本理念は階級制度と深く結びついています。それを何とかegalitarianなものにしようとして過去の政権が表面的な部分をいじっては批判を浴びてというのを繰り返しているようです。

スコットランドは大好きな場所です。アクセントも興味深いです。こちらこそそちらのブログを今後拝見させていただきます。
by しょちょう (2005-04-11 03:05) 

興味深いお話、ありがとう。日本と英国の教育の基本理念あるいは前提条件、なるほど、と言う感じです。戦後日本がとった策としては、誤りではなかった、とも思いますが、今後のとるべき策として、どうすべきかになると、考えざるを得ない時代なのかもしれません。

そういえば、二宮金次郎は、どうなったのか?遠い昔、聞いたような気もするが、成人した彼の印象は、薄いですよね。
by (2005-04-11 04:46) 

しょちょう

みちあきさん
こんばんわ。その通りだと思います。教育制度をいじらないといけない時期だと思います。ただいじるにしても理念と制度との整合性をあわせないと混乱を引き起こすだけになってしまうので要注意だと思います。日本が今そうなっているような気がしてなりません。
二宮金次郎は非常に古い例なので上記の記事に相応しいかどうか・・・。ただ二宮金次郎的な価値観というのは今の日本にも強固に残っていると思います。イギリスに来て、イギリス人の「努力」というものに対する冷めた見方を目の当たりにし、それを強く感じるようになりました。
逆に何の資源も持たない日本人から「努力の美学」を奪ったら何が残るのだろうか、はたしてそれなしで今後欧米などに伍していけるのだろうかというのは非常に疑問です。そこが今のゆとり教育に対する一番の不安要素ですね。
by しょちょう (2005-04-11 05:15) 

三平太

ゆとり教育ですか、、、。難しいですね。日本人から「努力の美学」を奪ったら何が残るのか、ですか。僕は、今、もはや日本でも危機に瀕している「努力に対する信仰」をどう肯定的にリフレームするかが大事だと思います。その上で、欧米などを(これまで日本がやったように)追い越していけるように、日本の実情に合わせて更にどういうものが必要なのか検討することが必要なのでは? そのために西洋的な価値を輸入することに躊躇する必要はないですが、その応用はトリッキーですね。そこんとこ頑張らないといけません(笑

僕はイギリス人の「努力」に対する冷ややかさは、いかにegalitarianなものを指向しようとも、彼らが持たざるがゆえに、決して成し遂げられないものへの降伏であり、それは彼らの限界を示していると思います。同時にそれを成し遂げている日本が持つ、非常に高いバリューへの無関心は彼らの敗北とうけとりますよ(笑 

大丈夫ですよ。日本人はやっていけますよ。信じていきましょう。そして必要なら意見していきましょう。

あ、そうそう、「努力」についてですが、最近見た「鋼の錬金術師」という人気漫画を見ていて気づいたことがあるので、また今度かいてみます。では。
by 三平太 (2005-04-12 08:23) 

しょちょう

どうも、御意見ありがとう。
>「努力に対する信仰」を肯定的にリフレームする
まさにこれですよ!新しいスタイルの「努力信仰」を具体的に示せればかなり日本の教育は救われるでしょうね。昨今教育現場で流行の「生きる力」ってのはこれのことなんでしょうかね。
by しょちょう (2005-04-12 08:44) 

HANA-PINgPONg

>「努力に対する信仰」を肯定的にリフレームする

その通りだと思います。何に努力するかがキモでしょう。
欧米の人も努力はしているし、時には日本人より凄まじい努力をしてる方もお見かけします。その努力は人格を作る方向に向かっている。他の人間を評価できるかどうかも、自分が自分として生き続けていけるかどうかも、すべてこの
努力にかかっている。
残念ながら日本の努力は、「上の人」に適応するための努力、出世のための努力にとどまっている感じがします。
by HANA-PINgPONg (2005-04-25 16:54) 

しょちょう

HANAさん
日本も英国も努力に関しては個人差が大きいので、一般化するのは難しいのですが、それでもあえて一般化すると、日本人は努力の絶対量が多いがその使い方があまり効率的ではない、一方イギリス人は効率よく努力を使うがそもそもの絶対量が少ない。といったとこが僕の至った結論でしょうかね。
戦後イギリスの経済力が一貫して落ち続けたのは、一人一人の努力の絶対量が足りなかったせいではないでしょうかね。僕個人としては人格を作る方向とか出世のためとかという印象はあまり持ってないのですが、身近にそういう例がいればそう感じてしまうかもしれませんね。
by しょちょう (2005-04-25 17:38) 

kazumi

はじめまして
私はスクールインターンプログラムに参加し、イギリスのプライマリースクールで日本の紹介をしてきました。
日本の小学校との違いに驚かされる毎日。授業内容、設備、通学の方法等
ここでは書ききれませんが、みんなが同じことをするのでなく科目によっては
能力別にグループがありクラスの枠を超えて授業するのが一番の驚きでした。
同じ学年でもすごく差があります。日本でこのような授業をするとどこからか
お叱りの声が聞こえてきそうですがイギリスでは当たり前なんですよね。
by kazumi (2005-07-08 22:34) 

しょちょう

kazumiさん
おっしゃるように皆がすべて同じことをするかどうかが日英の初等・中等教育の最も大きな違いでしょう。その学校がイギリスのどの地区のどういった階層の子が主に通う学校かによっても教育内容等に雲泥の差があります。そこがイギリスの教育の強みであり弱みでもあります。日本の全国一律カリキュラムも上記の記事に書いたように一長一短があります。
by しょちょう (2005-07-08 23:08) 

plum-tree

こんにちは。 nanakeさんのブログを通して、こちらに初めて伺いました。
日本とイギリスの教育制度の比較について、興味深く読ませていただきました。大変よく分析されており、考察もとても素晴らしいです。

日本の教育は、個人の能力の差というものを無視して、すべてを平均化してしまうことに、やはり問題があると感じます。
そもそもクラスの人数が多いので、教師もできる生徒と、できない生徒の中間のレベルを取って教えているのが現状だと思います。だから、能力がいくら優れた生徒でも、学校教育だけでは、平均レベルまでしか伸ばせないんですね。
それでは、子供の才能がつぶれてしまします。
日本もイギリスのように、生徒が自分の得意分野の科目を選択し、伸ばしていけるカリキュラムに変わっていく日が実現すればいいのにと切実に思いました。
by plum-tree (2005-08-05 11:19) 

しょちょう

plum treeさん
おっしゃるとおりです。僕もそうあって欲しいと願っています。と同時に日本の教育の優れている部分にも目を向けるべきだと思っています。そしてイギリスの教育の問題点にもです。そうしてはじめてバランスのとれた教育観になるのかなと思います。
by しょちょう (2005-08-05 17:26) 

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