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クラスメート列伝(2):博愛主義者 [クラスメート列伝]

オックスフォードではチュートリアルと呼ばれる少人数での対話式教育が毎週1回ある。学生はチュートリアルのために2000words程度の小論文を提出し、教官はその小論文をネタにして批判的な議論をする。

このチュートリアルを初めて受けた日のことである。僕のコースの主任教官であるH先生は僕の提出した小論文に赤い字で大きく書き込みをしていた。
「あなたはあまりこのテーマを理解できていない。いや、全く理解できてないと言ってもいいだろう」
議論の時もずいぶん手ひどく批判された。

チュートリアルが終わって図書館でほんやりしていると、クラスメートのAがベソをかきながらやってきた。
「見てよ、これ」
彼女の小論文には僕と同じように赤い字でH先生の書き込みがしてあった
「この程度の論文を書いていたら、このコースでは生き残れません!」

Aはクラスで一番親しい友人だ。彼女はエチオピア人とイギリス人のハーフである。父が外交官だったため小さい頃からアフリカ諸国を転々とし、12歳の時単身アメリカに渡り寄宿学校に入った。そこで飛び級を繰り返し、若干15歳で高校を卒業し大学に入学。大学でも飛び級し8年間で英文学、人類学、地域保健の3分野で学士を取得する。卒後しばらく国連で働いていたのだが、仕事で久しぶりに祖国エチオピアに帰ったとき、あまりのエイズの惨状に心を痛め、「医者になって自分の手で何とかしたい」と決意。これからの国際保健は社会や文化の特性にあわせて展開する必要があると考え、現在ここで医療人類学を学ぶに至っている。ここのコースが終わったらケンブリッジの医学部に進学することが決まっている。テコンドーの黒帯でエチオピア代表で国際大会に出たこともあるらしい。

この経歴だけ見ると、とてつもない天才のように思えてしまうが、彼女は天才というよりも努力家である。いつも人の3倍くらい努力している。何が彼女をそうさせているのか興味があって聞いてみたことがある。
「自分はいい教育を受けている。でも教育が受けられない人も私の国にはたくさんいる。一生懸命勉強してこの人達に少しでも還元したいのだ」

彼女は博愛主義者である。英語の不自由な僕にいつも「何か困ったことはない?」とか「先生の言ってることで聞き取れないところはなかった?」とか声をかけてくれる。クラスメート全員のために教科書をコピーしてファイルを作ってくれたり、わざわざロンドンの大英博物館まで資料を取りに行ってくれたりする。せめてコピー代くらい払わせてくれと言っても決してお金を受け取らない。クラスメートたちの間ではMother Terresa of the Yearと称されている。

彼女は決して恵まれた境遇の人ではない。事故にあい生死のふちを彷徨ったこともある。家族のことでいろんな大きな問題を今も抱えていたりする。アメリカでもイギリスでも白人と黒人のハーフは「黒人」として扱われる。多くの差別も体験してきた。だから人にあれほど優しくできるのかもしれない。

ところで、そんな彼女が現在困っていることが一つある。彼女はH先生が求める「批判的分析」が苦手で、小論文でなかなかよい評価をもらえないのだ。H先生は自分の考えと異なる学説を徹底的に批判するし、学生にもそれを求める。だが博愛主義者である彼女は人を批判することが出来ない。論文を読んで理解することはできるが、その学説を批判したり、否定したりすることは彼女の信念に反するのでできないのだ。

チュートリアルのあと、お互い酷評された小論文を見せ合ってなぐさめあったものである。
「オウ、ゴーシュ!今回も自分だけじゃなかったんだ!」


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