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02.お姉ちゃんは美大生 [蒼ざめた微笑]

グローバーオール ヘリンボーンダッフルコート



 メダルを期待していた男子回転競技の木村は残念ながら十三位に終わってしまった。

 オリンピックもいよいよ、明日で終わる。今回の主役は何と言ってもジャンプの原田だろう。声も出ない程に男泣きをしながら喜んでいたあの姿は日本中を感動させた。その姿をその夜のテレビで見た私は四年前の原田を思い出すと共に、自分の姿も思い出した。あの頃の私は荒れていた。毎日、酒を浴びるように飲んでいた。原田が辛かったように、私も私なりに辛い思いをしていたのだった。

 今日も何事もなく終わりそうだ、とうんざりしていた四時頃、遠慮がちにドアをノックをする者があった。

 また、東山か、とドアを開けると、真面目そうな娘が立っていた。

 グレイのダッフルコートに赤いチェックのマフラーを首に巻き、ルーズソックスをはいた娘が、小さなカバンを持って立っていた。

 娘は値踏みするような目で、おずおずと私を見ながら不安そうな声で言った。

「あの‥‥日向さんですか?」

「はい、日向ですが‥‥‥」

 私は彼女に悪い印象を与えないように、優しく笑いかけようと思ったが、あくびが邪魔をした。

「外は寒いでしょう」と私は娘を招いた。

 娘は軽く頭を下げると部屋の中に入って来た。

 彼女に椅子を勧めると、私はタバコに火を点けて、彼女の顔を遠慮なく眺めた。丸顔、好奇心に輝いている大きな目、少し上を向いた小さな鼻、ふっくらとした唇、肩まででカットしてある真っすぐな髪。髪は少し茶色く染めているようだが、化粧はしていない。どう見ても女子高生だった。

 彼女は目をキョロキョロさせて、遠慮がちに部屋の中を見ていた。私と視線が合うと慌てて目を伏せた。

 ここに来る客には珍しく、彼女はさわやかだった。さわやかだったが、金になりそうもなかった。

「どんな御用ですか?」

 私は愛想笑いをしながら、努めて優しい口調で聞いた。娘は俯いたまま、毛糸の手袋を膝の上で、もてあそんでいた。

「力になりますよ、どんな事です?」

 私はタバコを消すと、娘に笑いかけた。娘はしばらく俯いたまま、手袋と遊んでいたが、顔を上げて私を見つめた。

「あのう、お姉ちゃんを捜してほしいんです。あたし、東京の事、分からないんです。全然、分かりません。どうしたらいいか分かんなくて、そして‥‥‥あの、捜してもらえるんでしょうか?」

 娘は一気に喋った。娘の言葉にはいくらか東北なまりがあった。

「お姉さんを訪ねて来たわけですね。でも、お姉さんはいなかった」

 娘はうなづいた。

「いないんです」

 娘はしばらく間をおいてから話し続けた。

「あたし、二時前に東京駅に着きました。それから、新宿に出て、調布まで来て、タクシーでお姉ちゃんのアパートに行ったんです。そしたら、お姉ちゃんは、そこにいなかったんです。どっかに引っ越しちゃったんです」

「成程、東北新幹線で来たのですか?」

「はい、今朝、出て来ました」

 娘は下を向いてクスクスと笑い出した。

「どうしました?」

「いえ、何でもありません。ちょっと思い出したんです」

 娘はまた笑った。どうやら、緊張も解けたらしい。緊張が解ければ、一人で勝手に喋り出すだろう。一々、若い娘の機嫌を取って疲れたくはなかった。

「すみません」

「いえ、新幹線は面白かったですか?」

「はい。面白いお坊さんが一緒だったんです。どっかの偉いお坊さんだと思うんですけど、電車ん中で、お酒を飲みながら、おかしな事ばっかり言うんです。ほんとにおかしいんです」

 娘の思い出し笑いは、なかなか止まらなかった。そして、急に悲しそうな顔をして私を見た。

「あの、お姉ちゃんは、どこ行っちゃったんでしょ?」

「アパートの大家さんか、管理人の人に聞いてみましたか?」

「はい、聞きました。でも、知りませんでした。一月位前に引っ越したそうです。どこに行ったんか分からないって言われました」

「一月位前にねえ‥‥‥お姉さんはそこに、どの位いました?」

「二年近く、いました」

「よくある事ですよ。この東京では住所なんて年中、変わっています。去年、いたと思って行ってみれば、もう他人が住んでいる。お姉さんもきっと、そのアパートに飽きたんでしょう」

「でも、おかしいんです。うちに連絡もしないで勝手に引っ越すなんて‥‥‥お姉ちゃん、そんな事をする人じゃありません」

 彼女は手袋を握り締め、当惑そうな顔をして、机の上の電話を見つめていた。私はメモ用紙を引き寄せるとボールペンをつかんだ。

「で、お名前は?」

「お姉ちゃんは竹中冬子です。私は裕子です」

「お姉さんの職業は?」

「まだ、学生です。美術大学に行ってます」

「美大? 絵画きさん?」

「ええ、そうです」

「絵画きなんて、気まぐれですからね」

 男でもできて、男の所に行ったんじゃないですか、と言おうと思ったがやめた。

「お姉さんから最後に連絡があったのは、いつですか?」

「お正月には、うちに、青森なんですけど、帰って来ました。そん時、引っ越しの話なんて全然、聞きませんでした。それなのに‥‥」

 彼女は泣き出しそうな顔をして、左手の甲を右手の平でこすっていた。その小さな手は、やけに白かった。

「というと、お姉さんは東京に戻って来てから、すぐに引っ越したわけですね?」

「ええ、そうだと思います」

「とりあえず、そのアパートに行ってみましょう。どこです?」

「この近くなんです‥‥‥ありがとうございます」

 彼女は両手で胸を押えて、白い歯を見せてニコッと笑った。

 何となく、この娘に金の話をするのは悪いような気がして言えなかった。どうせ、すぐに姉は見付かるだろうし、姉から、いくらかの謝礼金くらい貰えるだろう。いや、多分、貰えないだろう。絵画きの姉ちゃんが金を持っているわけがない。

 とにかく、この事務所で退屈しながら、あくびと溜息の数を数えているのは飽きたし、東山宛の電話番をするのも腹が立つ。たとえ、金にならなくても、誰かが私をここから連れ出してくれるのを待っていたのだ。

 私はマフラーを巻きコートを着ると、裕子と一緒に事務所を出た。


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