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Jelling-studier [Medieval Denmark]


Karl Martin Nielsen
Jelling-studier og andre afhandlinger. Udgivne på halvfjerdsårsdagen den 8. august 1977 af Selskab for Nordisk Filologi København.
København: Akademisk Forlag, 1977, 215 s.

Forord, by Kristian Hald
TABULA GRATULATORIA

Sproghistorien(1965)
The position of proto-Scandinavian in the Germanic language groupe(1975)
Mutation, breaking, and syncope(1962)
Guldhornsindskriften. Tawido(1940)
DanmarkaR bot(1943)
Bække-Lærborg-stene og den lille Jelling-sten(1954)
The position of the attribute in Danish runic inscriptions(1943)
Omramning eller fri apposition i runeindskrifter(1945)
Var thegnerne og frengene kongelige hirdmænd ?(1945)
Kuml(1953)
Grammatiske bidrag 8. Glda. niuta, nyta, nytia, nytta, nøta(1972)
Til hærværkskapitlet i Eriks lov Glda. scenæ(1975)
Tre jyske bønnebøger(1956)

Bibliografi over Karl Martin Nielsens sprogvidenskabelige arbejder, by Jørgen Larsen

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イェリングはユラン半島中部の地方都市ヴァイレから約20分(だったかな)。一見特に何があるというわけでもない小さな町である。しかしデンマークの歴史にとってこの小邑の持つ意味は決定的である。というのも、現在に続くデンマーク王家の開祖ゴーム老王とその息子ハーラル青歯王の命によって造られた大小二つの石碑が立っているからである。特にハーラルによる大石碑にはルーンで「王ハーラルは、その父ゴームと母チューレを記念してこの碑を立てるよう命じた。これなるハーラルは、全デンマーク、そしてノルウェーを手中にし、デーン人をキリスト教徒となした」とあり、デンマークの統一、ノルウェーの支配、デンマークのキリスト教化といういわゆる「ハーラルの三大事績」を伝える。キリスト教国デンマークの歴史はこのハーラルから始まったのであり、その事実を伝えるこの石碑はデンマークのアイデンティティとなる。

デンマークの著名な言語学者によるこの論集は、「Arkiv för nordisk philologie」や「Acta philologica Scandinavica」などに掲載された著者の代表的論文を収録する。必ずしもイェリングの石碑のみを扱っているわけではないが、歴史言語学の視点からイェリング石碑と同時代(そうでないものも含む)のルーンによる述語群を検討しており、歴史学にとっても有用である。ルーン学者はすなわち言語学者であるが、北欧特にデンマークの言語学はラスムス・ラスク(1787-1832)以来オットー・イェスペルセン(1860-1943)やルイス・イェムスレウ(1899-1965)のような天才肌のリーディング・スカラーを輩出している。アマーにあるコペンハーゲン大学人文学部付属図書館(国立図書館分館でもある)での言語学関係のレファレンスは他の分野に比べて突出しており、デンマークにおける言語学の地位を想起させる。
オットー・イェスペルセン(新谷俊裕訳注)『ラスムス・ラスク』(大学書林 1988), 155頁

しかしこのイェリング石碑の研究は、その重要性にもかかわらず遅々として進まない。言語学者の関心はテクストにあるが歴史家のそれはコンテクストの中にテクストを位置づける事にある。イェリングの大石碑にはテクストだけではなく、動物とキリストの図像も彫り込まれている。イェリングには二つの石碑だけではなくその傍らに教会、石碑の南北には大小二つの墳がある。これらをまとめて「イェリング・モニュメント」と呼ぶが、その成立過程と社会的意味はいまだはっきりとしない点も多い。従来の論者は「異教からキリスト教へ」という問題設定でイェリング・モニュメントを論じてきたが、モニュメントである以上そこには見る者に対する視覚的・心理的効果が想定されなければならない。出自不分明なゴーム老王と彼の遺産を引き継いだハーラル青歯王がどのような意味を込めてこのモニュメントを作成したのか、解答はまだ出ていない。

イェリングはその重要性にもかかわらず、これといった研究書がない。ヴァイキング時代を扱う研究者は必ず触れるが、まだ深みにまで達していないように見える。文献史料が手がかりにならないため、歴史学によるアプローチはなかなか難しいとはいえるのだが。しばしば引かれる、
Knud J. Krogh, Gåden om Kong Gorms Grav(Vikingekongernes Monumenter i Jelling I). København: Poul Kristensens Forlag, 1993, 269 s.

は、イェリング・モニュメントの一部を構成し、ゴームが埋葬されたとされる北墳の発掘史である。歴史学にとって有効なのは同じ著者による、
Knud J. Krogh, The royal Viking-age monuments in the light of recent arcaeological excavations. a preliminary report, Acta Archaeologica 53(1982), p. 183-216.

であろう。歴史学としてエポック・メイキングな研究は、
Birgit & Peter H. Sawyer, A Gormless history ? The Jelling dynasty revisited, in: Runica - Germania - Mediaevalia(RGA-E 37). Berlin-New York: Walter de Gryter, 2003, S. 689-706.

である。ゴームではなくその妻チューラに焦点を合わせ、彼女の家門の持つ潜在力を正当に評価している。しかし「チューラ」と書かれた碑文を全て同一人物のものとするなど、やや説得力にかける点もある。その批判として、
小澤実「ゴームの足跡を求めて ヒストリオグラフィと文字資料の中のゴーム老王」『北欧史研究』21(2004), 1-19頁

なお、近年の研究成果として、
Jörn Staecker, Jelling - Mythen und Realität, in: D. Kattinger et al.(hrsg.), Der Ostseeraum und Kontinentaleuropa 1100-1600(Culture Clash or Compromise 8). Schwerin: Thomas Helm, 2004, S. 77-102.

とりわけ考古学におけるヒストリオグラフィの再検討である。著者は現在ルンド大学考古学部の教授職にあるが、ヴァイキング時代について興味深い論考を次々に発表している。 図像学的な見地から、
鶴岡真弓「ヴァイキング美術における異教とキリスト教」『和光大学人文学部紀要』19(1984), 11-36頁

写真は二つのイェリング石碑。各国のデンマーク大使館の前にはこのレプリカが置かれる。イェリング・モニュメントから道路を挟んで向かいには、「ハーラル青歯王」という名前の喫茶店があった。


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