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The Age of the Vikings [Medieval Scandinavia]


P. H. Sawyer
The Age of the Vikings.
London: Edward Arnold, 2 ed., 1971(org. 1962), 275 p.

1. Introduction
2. The written sources
3. Archaeology
4. The ships
5. Treasure
6. The raids
7. The Danish settlemtns
8. Towns and trade
9. Causes and consequences: a survey of the Viking period

Analysis of Russian coin hoards
Abbreviations
Notes
Bibliography
Index

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著者は1923年生まれでリーズ大学名誉教授。退職後スウェーデンに移住し、現在はそこで出会った妻ビアギット(現トロンハイム大教授)とともにノルウェーのトロンハイムに住んでいる。そもそもアングロサクソン史家であったが、40を前にヴァイキング研究者へと転換した。もちろん、アングロサクソン史とヴァイキング史は表裏一体であるが。現在彼の講座を継承するのはイアン・ウッドである。

コペンハーゲン大学でランカスタ大学からの交換留学生を対象とした英語ゼミがあり、ニルスに頼んで出席させてもらった。ロスキレでヴァイキング船を漕いだり、国立博物館でレクチャーを受けたりとなかなか面白いゼミであったが、初回に本書を「revolutionary book to the Viking studies」と評していたのが印象に残っている。

彼はソーヤーの弟子なのでその評価は少々割り引いたほうがよいが、本書がヴァイキング研究にとって革命的であるというのは、まあそうだろうと思う。本書の初版は1964年に公となったが、その内容をつづめて言えば、文献史料の文言は強調が過ぎ、実際のヴァイキングの影響とりわけデーンローへのそれは以前言われていたほどではなく、そしてヴァイキング活動の根本には銀の流入問題という外的要因があるとするもので、北欧とりわけデンマークの歴史家はそれは驚いた事だろう。というのも、ヴァイキング時代はデンマークの国力が最大限に発揮された時代の一つであり、その自生的な諸力の結果海外へ展開し、イングランドに衛星圏を確立したというのがおおよその理解であったからである。ソーヤーはその展開の源泉を問うたわけで、旧説とすり合わせができない事でもないのだが、反発もあった。急先鋒は当時コペンハーゲン大学の教授をつとめていたアクセル・クリステンセンであり、即座に反応した。

Aksel E. Christensen, Vikingtidens Danmark paa oldhistorisk baggrund. København: Akademisk forlag, 2 red., 1977(org. 1969), 311 s.

クリステンセンは戦後ポール・ネールンらによって詳細に調査されたトレレボー型要塞をヴァイキング時代デンマークの権力基盤の強大さを反映するものとして、ソーヤーによるヴァイキング・デンマーク権力の相対化への反論とした。スチューレ・ボリーンやホリェ・アルブマンのようにイスラーム銀と国家形成について鋭い嗅覚を示していたものもいたが、彼らのほうが例外であったように思う。また考古学資料と歴史展開の関連付けも、ソーヤーの本も含めて作業途上の感があったことは否めない。

ソーヤーの研究書は第二版で大幅に書き換えられたといわれている。私は初版を読んでいないので比較できないが、クリステンセンを含めて北欧の学者から厳しい反論があったのだろう。その点では誠実な学者であるのかもしれない。かつてルンド大学の中世考古学者たちと夕食をともにする機会があったのだが、私がヴァイキング時代の研究をしているというと一様に「ソーヤーが一番だ」と言っていた。ソーヤーは本来文献史学者でありながら、考古学、古銭学、船舶史学等ヴァイキング時代へのさまざまなアプローチへ開かれた態度をとっていた。とりわけニュー・アーケオロジーの到来により、理論設定をしてマテリアルに問いかける事が主流となった北欧の考古学会にとって、ソーヤーの研究書は歴史学からの先駆的模範であったのかもしれない。

その後、ヨーロッパ的視野でヴァイキング活動と経済変動を結びつけた、
Peter H. Sawyer, Kings and Vikings. Scandinavia and Europe AD 700-1100. London: Routledge, 1982, 182 p.

を公刊した。前著よりも考古学資料への依拠とルーン碑文への言及が増えた。

写真はリンディスファーン島の聖マリア教会。7世紀の遺構も残っているという。


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