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メキシコの女たち [a r t]

日本で初公開された〈フリーダ・カーロ展〉(有楽町アートフォーラム 1989)は今でも鮮烈な記憶として脳裡に焼き付いている。所謂女性的な優しく淡い色合いの〈リーガ・パング展〉に引き続いて公開されたせいか、その原色の血の色や痛々しい傷跡や解剖学的にグロテスクな描写に怖気づいたものの、画面全体から受ける印象は不思議とコミカルに映る。つまりフリーダちゃんに襲い掛かった「過酷な現実」とは裏腹に、「絵画」そのものが自律的にポップで面白いのだ(彼女の描いた絵は鑑賞者をして「同情」然らしめる種類のものではない)。この辺に21世紀の今日に至っても少しも色褪せることのないフリーダの秘密が隠されているのだが(七面倒臭い話はさて措き)、2003年の夏、14年振りに彼女が還って来た。それも同郷のメキシコで活躍する女性シュルレアリストたちを引き連れて。〈フリーダ・カーロとその時代〉(渋谷・Bunkamura ザ・ミュージアム 2003)は彼女を含めた5人の女流画家──マリア・イスキエルド、フリーダ・カーロ、レメディオス・ヴァロ、レオノーラ・キャリントン、アリス・ラオンの絵画80点と、2人の女性写真家──カティ・オルナ、ローラ・アルヴァレス・ブラヴォの写真50点によって構成されている。

フリーダ・カーロ(Frida Kahlo 1907ー1954)のトレード・マークと言えば上杉鉄兵クンみたいな1本線に繋がった「カモメ眉毛」と「口髭」‥‥例えばパティ・スミスのポートレイトにも生えていたヒゲがフリーダ嬢にもあったかどうかは分らないが──夫のディエゴ・ヴィエラ(メキシコの壁画家)が彼女の髭を好んだという逸話もある──、残された写真を見る限り彼女の眉毛は「自画像」のようには繋がっていない。フリーダ一流のデフォルメ(茶目っ気!)だろう。実際に眉毛が「小鳥」に変身して今にも翔び立とうとしている〈自画像〉(1946)もあるくらいだ。『フリーダ・カーロ』(河出書房新社 1991)の著者・ローダ・ジャミ──彼女は自伝風1人称(私)と伝記風3人称(FK)を交互に挿み込むことで「自画像」を語り、「生涯」を読み解いて行く──は《黒く濃い眉は小鳥の翼のように、額の上で繋がり、フリーダの顔の象徴となった。それはまた思うまま歩き回れなくとも、出発したい、飛び立ちたい、という彼女の願望を表わしている。ひとことで言えば、空想上の逃避の象徴なのだ》と書いている。

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6歳で小児麻痺(右脚の後遺症)。18歳の時、木造バスで帰宅途中、路面電車との衝突事故で重傷を負う(背骨・右脚・骨盤に多数の骨折、バスの鉄製の手摺が腹部を貫通!)。それから47歳で生涯を閉じるまで、健康人の預かり知らない想像を絶する苦痛(流産・中絶)に涙し、夫ディエゴの「女性関係」に苦しめられたフリーダ──彼女自身もトロツキー、イサム・ノグチ、ニコラス・マーレイらと浮き名を流したし、ディエゴの女と同性愛も経験した──だが、残された絵画(その多くは「自画像」)はポップで今でも決して色褪せることがない。「あなたはシュルレアリストですよ」と言うアンドレ・ブルトンに対して「私はシュルレアリストではありません‥‥私は自分の現実を描いている」と切り返すフリーダ。ここにも1つの顛倒がある。フリーダにとっての「現実」も一度カンヴァスに描かれると、鑑賞者(第三者)にとってシュールこの上ない「夢想」に変貌してしまうメカニズムが‥‥。パリの個展(1939)でカンディンスキーやホアン・ミロ、マックス・エルンスト、パブロ・ピカソ、マルセル・デュシャン、イヴ・タンギーらの賛辞を浴びたことで画家としての彼女の評価も高まった。

フリーダ・カーロの残した約200点に及ぶタブローの大半は「自画像」だったが、〈フリーダ・カーロとその時代〉の中には初めての鑑賞者に多少なりともショックを与え兼ねない衝撃的な代表作──白いシーツで上半身を覆われた女性の股間(M字開脚!)から子供の頭部が出ている〈私の誕生〉や、工業都市デトロイトの地にデペイズマンされた病院のベッドの上の女性‥‥彼女の左手から伸びた6本の赤いリボンの先に子宮模型(トルソ)、胎児、蝸牛、骨盤、萎れた蘭の花、万力が結ばれている〈ヘンリー・フォード病院〉(1932)。木製のベッドに横たわる血塗れの女(フリーダ)を刃物を手にした男(ディエゴ)が見下ろしている〈ちょっとした刺し傷〉(1935)。裸体に刺さった夥しい釘、ベルト状の4帯のコルセット、罅割れた脊髄が解剖図のように露出した〈折れた背骨〉(1944)──は残念ながら出品されていない。

それでも今回の展示作品──ピンク色のドレスを着て右手に一輪の黄色い花を持った少女が髑髏のお面を着けている小品〈死の仮面を被った少女〉(1938)や、人魚姫のような衣裳(赤・オレンジ・白)を纏って横たわったFKの空洞化した胸から植物の葉と茎が伸び、葉脈→血管が罅割れた溶岩の大地に根づくレオノール・フィニ風の〈ルーツ〉(1943)は充分に刺戟的でしょう。「自画像」にしてみても、オレンジ色とブルーの洋蘭をバックにペットの手長猿を肩や腕に乗せた〈猿をつれた自画像〉や、メキシコ民族風の白い花嫁衣裳に身を包んだFKの髪や、レースから伸びた黒と白の糸が放射状に拡がる絡新婦のような〈私の心のディエゴ〉──タイトル通りFKの額にディエゴの顔が浮き出ている──はユーモラス(黒いユーモア?)で面白いし、マンゴ・スイカ・バナナ・パイン・ココナッツ等の果物の片隅から白い花嫁ドレスの少女人形が顔を覗かせる〈あからさまになった人生を見て怯えた花嫁〉も、女性器を想わせる果実の断面に驚く純真な乙女の表情が可憐で愛らしい。遺作となった絵が〈生命万歳(Viva La Vida)〉(1954)という西瓜の静物画だったことも実にフリーダらしく、瑞々しく美しい。

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「メキシコの女性シュルレアリストたち」と銘打っているように今回の美術展にはFK以外にも、お気に入りの女流画家の絵が多数出品されている。7年前に日本で初公開された〈レメディオス・ヴァロ展〉(新宿・伊勢丹美術館 1999)は素晴しかった。レメディオス・ヴァロ(Remedios Varo 1908ー1963)はバルセロナからパリに移住後、1941年メキシコに亡命した女シュルレアリスト。錬金術や占星術が蔓延する魔術的中世のようなファンタジー世界を一貫して描いているが、日本ではトマス・ピンチョンの長編『競売ナンバー49の叫び』(サンリオ 1985)の表紙に彼女の〈大地のマントを織りつぐむ〉が使われた(その絵の描写が作中に出て来る!)──《2人はどうしたはずみか、スペインから亡命して来た美しいレメディオス・ヴァロの絵画展に彷徨い込んだ。ある3部作の中央の、「大地のマントを織りつぐむ」と題された画の中にはハート型の顔、大きな目、キラキラした金糸の髪の、華奢な乙女たちが沢山いて、円塔の最上階の部屋に囚われ、一種のつづれ織りを織っている。》──ことで知られる程度の、殆ど未知の女性画家だった。

廃墟のような場所で女性の弾く手回しオルガンから伸びた糸が、人工の翼を拡げて空中浮游する男と繋がっている(凧揚げのイメージ?)〈魔術飛行〉(1956)。戸棚から流れ出すマグリットの白い雲、水を張った洗面器から妖怪「一反木綿」のように立ち上がる手拭い、腰掛けた椅子と同化してしまったハート型の顔の女性(それを見つめる床下の仔猫ちゃん)──ルイ・ヴィトン風のクッションの柄に顔も染まる!〈擬態〉(1960)。胸元にブラ下がったバイオリンと繋がった絵筆(星を蒸留した三原色の絵の具!)で鳥の絵を描くフクロウ画家‥‥彼女が月光のプリズムを絵に照射すると小鳥は生命を得て窓から翔び立つ、マグリットの〈洞察力〉をヴァロ風に発展させたような〈鳥の創造〉(1957)。塔の中の女性が鳥籠の中の三日月(花王石鹸のマーク?)に星屑を粉砕器で摺り潰した「離乳食」を与えている〈星粥〉(1958)等‥‥RV独特の不思議な夢物語に惹き込まれる。それにしても、なぜ塔や城壁の中、螺旋形の水路や迷路、奇妙な自転車や乗り物を好んで描くのか、なぜ女性の顔はハート型なのか?

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英ランカシャーからパリへ、第2次大戦中にメキシコに亡命したレオノーラ・キャリントン(Leonora Carrington 1917ー)は風変わりな小説も書くシュルレアリスム女性画家。〈レオノーラ・キャリントン展〉(東京ステーションギャラリー 1997)以来の対面ですが、JR東京駅構内に赤レンガの美術館(小スペースなので「ギャラリー」と名乗っている)があるのを知っていましたか?‥‥。生前のバルティスが京都でしか回顧展をやらないと言い放った際、口惜しい想いをした東京人は少なくなかったけれど、その後何年かしてTSGで密かに〈バルテュス展〉(1993)が開催された時は流石のヘンクツ老人も気が咎めたのかと思いましたね(単に、この小空間が気に入っただけだったりして?)。毎日通勤通学に利用しているサラリーマンや学生たちも、まさか東京駅の構内でバルティスやキャリントン、マックス・エルンストが観られるなんて夢にも想わなかったんじゃないか。入場チケットも「みどりの窓口」で安く買えるし、ハッキリ言って、ここは穴場です。

白と黒の牛模様の布を全身に巻き着けた女性の傍らに、果して馬なのか犬なのか判然としない動物2匹が繋がれている〈グリーンティ(卵型の貴婦人)〉(1942)。ハンモックの中の少女や飾り戸棚の上に猫のいる室内で年長の女性が娘にダンスを教えているような〈夜の子供部屋のすべて〉(1947)。赤い服を着た、爆発した藁みたいな金髪の長身女性が巨大な青いヤマウズラと散歩している〈故パートリッジ夫人〉。メソポタミア文明ウル王朝期の城塞都市内部の光景なのか、馬と烏賊(!)、蛾と鳥(?)のハイブリッド生物たち一行が「赤いパンツ」の旗立てて見学〜探険ツアーする〈ウルのパンツ〉(1952)。宮殿内でミノタウロスの娘(水母のバケモノ!)に水晶玉占いをして貰う少年たち2人を描く〈そしてそれから私たちはミノタウロスの娘に逢った〉(1953)。ポール・デルヴォー的遠近法の修道院の中庭の前景に赤いドレスの猫女と黒いテルテル坊主みたいな修道僧2人を配したパロディ風の〈ダルヴォー〉(1952)‥‥そして森の深部に生息する白い幻獣──山羊の角と一対の翼、蛇の尻尾を有する「キマイラ」を描いた〈お前は誰? 白い顔よ〉(1959)は見るも怖しく悍ましく、LCの幻視力の凄じさを垣間見せてくれる。これに比べれば『もののけ姫』に出て来る「シシ神」なんて可愛いもんですよ。

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マリア・イスキエルド(Maria Izquierdo 1902ー1955)はFKと同じくメキシコ生まれの女性画家。椅子を覆う白いヴェール、ネックレス、赤い帽子、香水ビン、林檎、ブローチ、マロット(女性の頭部マヌカン)、紫色のカーテン等‥‥キリコ的なオブジェを配置した〈花嫁のヴェール〉(1943)。ピンクのドレスを着た(デッサンの狂った?)少女、左前方に巨大な南瓜、右に青い球と長方体の木片、テラスの背後に浮かぶ紡錘形の気球、というマグリット風道具立ての〈無関心な少女〉(1947)。前景の大きなテーブルの上のクチナンダ(Red Snapper)、ロブスター、アボガド、チーズ、ゆで卵、パプリカ等‥‥メキシコ産の食材が、暗く淀んだ曇り空と送電線と遠方に山々を望む曠野にデペイズマンされた〈フエダイのある静物〉(1946)‥‥。ヨーロッパからの亡命シュルレアリストより土着の彼女の方が、ある意味で一番ストレートに西欧シュルレアリスム絵画の影響を受けている。

シュルレアリストの夫と共にオーストリアからメキシコへ移住して来たフランス生まれのアリス・ラオン(Alice Rahon 1904ー1987)は他の4人とは毛色の違う半抽象的な絵画を残している。カンディンスキーやホアン・ミロのような抽象性が際立つ〈ミュージック・ボックス〉(1944)や、旧約聖書を題材にした〈ユダとキメラ〉(1952)、ネイビー・ブルーの記憶の海の底に沈んだ〈フリーダ・カーロのバラード〉(1956)にはメキシコ市郊外の街並み、コヨアカン広場、プルケ酒を売る酒場、観覧車などが描かれている。2人の女性写真家──ハンガリー生まれのカティ・オルナ(Kati Horna 1912ー2000)と、生前のFK最後の回顧展をアンベレス通りの自分の画廊で開いたローラ・アルヴァレス・ブラヴォ(Lola Alvarez Bravo 1907ー1993)はフリーダたち女性画家や芸術家の素顔、当時のメキシコの市井の人々の生活風景を(今にして思えば、貴重な記録として)カメラに写し撮っている。

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  • 〈フリーダ・カーロとその時代〉は高知県立美術館のHPにリンクしました

  • その他の美術展の参照先はリンク切れ(TSGを除く)のため、各アーティスト名をGoogleイメージ検索にインクしています(IEからは飛べないかも?)。彼女たちの「絵画」や「写真」が百鬼夜行のようにゾロゾロ出て来るのでググって下さい^^

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フリーダ・カーロとその時代

フリーダ・カーロとその時代

  • アーティスト:フリーダ・カーロ(Frida Kahlo)/ レメディオス・ヴァロ(Remedios Varo)/ レオノーラ・キャリントン(Leonora Carrington) 他
  • 会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
  • 会期:2003/07/19 ー 09/07
  • メディア:絵画・写真


フリーダ・カーロ ── 太陽を切りとった画家

フリーダ・カーロ ── 太陽を切りとった画家

  • 著者:ローダ・ジャミ (Rauda Jamis) / 水野 綾子(訳)
  • 出版社:河出書房新社
  • 発売日:1991/07/31
  • メディア:単行本
  • 目次:「私のからだは衰弱そのものだ」/ 父ヴィルヘルム・カーロ / 母マティルデ・カルデロン / 両親の結婚 / 青壁の家 /「私はどんなに笑ったことだろう!」/ フリーダの誕生をめぐって /「果てしない断末魔の苦しみ‥‥」/ 子供時代 /「思い返してみると、それは恐ろしい午後の‥‥」/ メキシコ革命 / 革命動乱の闘士たち /「狂気の時代だった」/ リーベ...


恐怖の館 ── 世にも不思議な物語

恐怖の館 ── 世にも不思議な物語

  • 著者:レオノーラ・キャリントン (Leonora Carrington) / 野中 雅代(訳)
  • 出版社:工作舎
  • 発売日:1997/09/10
  • メディア:単行本
  • 目次:序文またはロプロプは風の花嫁を紹介する(マックス・エルンスト)/ 恐怖の館 // 卵型の貴婦人 / デビュタント / 女王陛下の召喚状 / 恋する男 / サム・キャリントン叔父さん // リトル・フランシス //〔キャリントン・アルバム〕// ダウン・ビロウ / 1987年 後記

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