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げ)ゲド戦記 [映画(か]

随分と言葉に頼った映画だ。

老成した子供たちが、大人の言葉を吐き続ける。
子供たちは、描かれた映画の中で成長してはいかない
成長を果たした子供たちが、その自分なりを表現している。そんな映画だ。

吾朗チャン。貴方に私のことばが通るか分からないけれど
言わずにはおれない。だから、…それを試します。

ひとついっておきたいことがある。私の放つ言の葉の全てをよけてもいい
ただし、この言葉だけはココロにとめて欲しい。

アニメーションとは、子供たちのものなのだ。
宮崎マニアのためのものではない。

日本アニメ界の巨匠の息子として生まれ、いつも偉大な父親の
息子として、人から謂われのない羨ましさやプレッシャーと
戦い続けて39年…父親とは異なる道を自分で見つけ、
それを元に人が集まる美術館を成功させた。

それってすごいと思う。それを踏まえたうえで話しておくよ…

この映画のテーマは、とてもまじめなものだ
託したい思いはわかるんだけどな。
だけど、からまわりしている。
大切なことをつたえたいとき
単純に言葉に素直に表しただけではつたわらないのだ。

特に、映像として表現を果たすときは、
可能なかぎり、映像化によりそれを伝えなければならない。

貴方の初回作品を、音を止めてもう一度みて欲しい。
貴方のいいたいことが、伝わっているだろうか?

1.宮崎一家を率いていく条件

スタジオジブリとは世界に代表できるアニメ制作会社である
そしてこれすなわち、日本屈指のアニメ職人たちが
集う宮崎一家だ。
生を受け、宮崎駿の映画に出会いアニメ職人になることを
「いつの日か駿さんの映画に携わりたい。」
として志した人たち、駿さんは、その棟梁なのだ。

ジブリ一家をこれからどう代替わりさせていくか
そのことはそのなかにいるものにとっては
解決しなければならないことだったね。

元熱烈な宮崎駿さん映画ファンだった朱色会も、最近の作品には
首をひねるものが多かったし、そしてそれは受けるほうよりも
むしろ中にいる作り手の中で大きな問題として現れていたことだと思う

いわくマンネリズムのニーズと創造者としての葛藤
いわくテーマを高度化していかざるをえないためにおこる説教臭さ化
いわくアニメ技術の高度化による描きたいテーマよりも映像偏重の作品作り

貴方が現実のなかで父親からもらいたかったものを
映画の中からいくつか見つかることができたけど
そういったことはプライベートことだ。観客としては受けたくはない
カットだ。

2.職人たちの頭領となるための条件

いままでの継承をまもるだけでは、後継者として認められないよ

仕事をうけたとき、駿映画を継承することにしたのならば

お父さんは落胆していると思うよ。

そして、お父さんを慕ってきた職人達もね。

お父さんは仲良しクラブでやってきたわけじゃない

世界最高・最強の頑固ジジィ(失礼)だから、作品に一切の緩みがないもの

となったのだ。そして、それは製作過程においての一切の妥協を

許さなかった結果でもある。

叱って、職人たちを泣かせるのが、棟梁の仕事だ。

一度でもそれをやれば、貴方は本当に認められる。

それをやってくれ。貴方なら、できるはずだ。

3.観客は、劇中で演者たちが変化していくことを望んでいる

劇中に変化が起きたとき、そのことに観客は感動するのだ
悪人が善人になる。善人が悪人になる。その変化を描かないと

新しいことはいくつか試していることが認めよう。

・おばさんを連呼するヒールなどはいままでにはなかった型だ。

しかし、あとはとてつもなく古典的なキャラクター達だった。

ことばを繰り返しておこう。心の変化をつづる。そしてそのために

事件を用意する。

採点:評価不能( ゚д゚)ポカーン

2作目について、たくさんの宿題がでてきた。そのいくつかを片付けて
もう一度、私たちの前に姿を現してほしい。そう願う。

ヒントをひとつ。映画監督として、観客に認められた人たちには
ある共通点がある。それを見つけて欲しい。

…そして、それをやり通すんだ。


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コメント 4

こっちゃん

こんにちわ。朱色会さん。
どうしてもキツイ感想になってしまいますよね。
でもみんな「ジブリはこうじゃない」と純粋に感じ取った結果だと思います。

今のジブリには後継者がいないというこの致命的な事実。
とはいっても自分は駿氏のファンなので
彼のいないジブリはいかがなものかという根本的な疑問があったりします。

もちろん今まで世の子供たちとともに大人まで感動させてくれた
ジブリがこれからも続いて行って欲しいとは思いますけどね。
ただしその結果GONZOみたいな意味不明な方向へ堕落するならば
駿氏の引退とともに即刻やめて欲しい。
そして伝説として語り継がれる方がどんなにマシか、と。

gooのユーザーレビューを読んでなるほど!と思った記事があります。
朱色会さん読みました?
真偽のほどは分かりませんが、妙に頷いてしまいます。

http://movie.goo.ne.jp/review/movie/MOVCSTD9102/1_20/index.html

今回のすべての責任はプロデューサー鈴木氏にありといったところでしょうか。
by こっちゃん (2006-08-01 09:25) 

朱色会

こんにちは。こっちゃん。
gooとyahooの映画レビューはあらかた拝見しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%89%E6%88%A6%E8%A8%98
こっちゃんの宮崎映画を愛するがゆえの悔しさや哀しみがつたわってきますよ。
わたしの考えはもちろん鈴木プロのあやまちも大きいとおもいます。まだ、監督ができないものを指名してしまったのですから。もちろんそれをいつやるかということだったのだろうとは思いますが…。しかし、やはり受けた吾朗ちゃんの責任が一番大きいかなとは思います。受けたからには全身全霊をかければ、優秀なスタッフががっしりと支えてくれて、このようなものはできなかったと思います。私がおやっとおもったのは観る前の4チャンの特番での宣伝特別番組にて、試写会での終幕後のスタッフの表情が印象的でした。親父どのがでていったエピソードもありましたが、そうではなくて終わったあとのスタッフの表情です。「やってしまった。たいへんなものをでかしてしまった」というような顔と瞳をしていたのです。まるで、緒戦に敗れたWC代表と同じ顔でした。印象的な表情でした。しかし、終わってしまった、作ってしまって世に出してしまったのをいまさら元に戻することはできません。つぎ。つぎに何をするのか。これにつきファンとして注視しています。
by 朱色会 (2006-08-01 19:12) 

睦月

朱色会さん、こんばんわ。
朱色会さんの記事にはジブリへの愛があります。単なる批評とは全く違うから・・・なんだか素敵。
きっとたとえ誰が監督をしたとしても『ジブリ』というブランドネームだけでそこそこ動員を稼げてしまうほど影響力のあるジブリアニメ。でも実際、その基盤を作り上げてきたのは他でもない駿さんです。
このまま永遠に駿さんがジブリを支えていくことは不可能。どこかで世代交代が行われ、次世代の力量を試す時期は必要だったろうとも思います。
でも。それをわざわざ駿さんが特に思い入れのある『ゲド戦記』で行う必要はなかったろうに・・・そう思うんです。あまりにも著名で、あまりにも特別な原作。
吾朗さんの苦悩もあったかと思うけれど・・・やはりジブリの看板を背負っていることには変わりないのだから。

ヴェネツィアに出品されるんですっけ?・・・親子で受賞という肩書きでも狙っているのかしら?せっかく世界で高評価を受けているジブリアニメが・・・この作品でどんな風に見られるのか・・・とても気になります。
by 睦月 (2006-08-04 01:06) 

朱色会

睦月さん。・・・・いつもどうも。

ジブリは、朱色会が思春期のころから、感動をもたらしてくれました。
おとぅさん。想像するに忙しかったと思います。吾朗さんは
その息子で、すこし寂しい青少年時代を送ったのではないかと…

で、今回だけでもうジブリだめだ~というのはやはり早計。
連綿と受け継がれたアニメ職人「魂」は、まだ、煌々と灯っていると思う。
受け手として、まだ、あきらめるのは早過ぎる・・・・

心配なのは、やはり「職人達」のアニメを作り続けていくという
気持ちの減退や消失です。これが起きてしまうならば、日本の宝が
ひとつ失われるということを意味しています。

「ジブリ」のいない日本を想像してみてください。過去の宝石のような
作品たち。それをつくりつづけてくれたスタジオに、もう一度光がさすことを
いまも、願っていますよ。
by 朱色会 (2006-08-04 13:50) 

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