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モオツァルト/小林秀雄 [音楽の雑談]

今日は朝から西京極@京都に行っておりました。
風が強く、冷たく、コートが手ばなせませんでした。
時間があるときに、『モオツァルト/小林秀雄』を読んでいました。

小林秀雄……私の大学受験の折には、現代文で絶対出るぞ!!と先生に脅された評論の神様(!?)。
先生に読めと言われると、生来天邪鬼の私は、絶対読むもんかとそっぽを向き、
実際テストで出されると難解だし、で、
受験生の身分である間は、読もうとしませんでした。
それでも、もともと読書好きですから、受験という足枷がとれれば、すっと手が出、買って読んだものです。
今ふと読んでみたくなり、家中探したのですが見つかりません。
誤って古本屋へ持っていく本に混ざったのかもしれません。
そうなると、益々読みたくなり、しょうがないので買ってきました。

今の文庫本は、字が大きく行間もあき、1ページあたりの文字数が減っていて、その割りに値段が高くなって、損した気分になるのですが、
この『モオツァルト・無常という事/小林秀雄』は、昔さながら結構字がつまっていて、嬉しくなります。

大学生のとき読んだはずですが、すっかり忘れていて、初めて読むような新鮮な感じでした。
なにより、小林秀雄はモーツァルトがよっぽど好きなんだなぁと呆れるほど。
いささか読みづらいところもあったけれど、これは!と思う箇所も。

凡才が容易と見る処に、何故、天才は難問を見る」……ああ、私はモーツァルトのピアノなんてそれほど難解じゃぁないと思ったよな、まさしく凡の凡たる所以!!

彼のピアノ曲の様な単純で純粋な音の持続に於いては、演奏者の腕の不正確は直ぐ露見せざるを得ない。」……そうだね。私はなめてたね。もう決してそんな態度はとりません。そして、心してモーツァルトのピアノソナタを聴き入りますから、お許しを!!

他にもなかなか特筆すべきことがちりばめられていて、おもしろかった。

クラシックは奥が深いというけれど、モーツァルト一人にしてこれだから、
奥が深いなんてものではないでしょう。
モーツァルトをなめてはいけない(←私!!)。
心をいれかえて、精進します。

モオツァルト・無常という事

モオツァルト・無常という事

  • 作者: 小林 秀雄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1961/05
  • メディア: 文庫


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コメント 5

ポッチ

のすけの母さん、こんばんは。
さすが、小林秀雄。鋭いですねー。『モオツァルト』の「モオ」という表記がナイスで、本屋で見つけるたびに気になってはいたんですが・・・今度見つけたら、私も読んでみようと思います。試験に出るかな?(笑)
by ポッチ (2006-12-03 01:08) 

Hiji-kata

『モオツァルト』・・・・・秀雄 の代表作のひとつですね。
彼一流の 『決めぜりふ』 のオンパレード!  
その言葉を発する瞬間の彼は、まるで “見えを切る歌舞伎役者”
って感じで、彼自身楽しんでいるのが分かります。(笑)
「抵抗物のないところに創造という行為はない。これが、芸術における
形式の必然性の意味でもある。」
「一番大切なものは一番慎重に隠されている、自然においても人間に
おいても。生活と芸術との一番真実な連続が、両者の驚くべき不連続
として現れないと誰が言おうか。」
人を驚かせ面食らわせるこんな言葉を ハッシ!と放った瞬間の秀雄の
心境は、してやったり! という “いたずら小僧” のそれだったでしょう。
この評論は、「永遠のいたずら小僧 ・モーツァルト」 を最も理解している
のは、いたずら好きの俺をおいて他にない、という秀雄の絶対の自信の
もとに書かれた最高の “モーツァルト研究書” なのかも知れませんね。
by Hiji-kata (2006-12-03 03:50) 

のすけの母

>ポッチさん
好き嫌いがあると思うので、ポッチさんのお気に召すかどうかわかりませんが……。
>土方歳三さん
私は、実はこれを読んで、これは評論じゃないんじゃないか!?と思えました。理論を超えた情緒の世界ですもの。
ただ、小林秀雄が、心からモーツァルトを敬愛してやまないということは、ひしひしと伝わりました。
by のすけの母 (2006-12-03 21:54) 

としゆき

道頓堀を歩いていて、頭の中でト短調交響曲が流れている云々、といった逞しい想像力、というか飛躍的な表現が出ているのが個人的には印象的。
道頓堀でモオツァルトは響かないでしょう(響くとすれば、浪花節の演歌や六甲おろしか)!?
ある意味凄いなぁ、小林秀雄というのが只者でないということが伺えるのと思います。さすがに、今は入試の評論では余り出なくなっているのでは?
by としゆき (2006-12-04 20:57) 

のすけの母

確かに道頓堀を歩いて、頭にモーツァルトが流れるというのは、少なくとも今を生きている私達には想像もつきませんよねぇ。
でも、小林秀雄の時代には、そんな風情があったのでしょうか。
なんにしても主観の世界ですから、まあ何でもありでしょう。
by のすけの母 (2006-12-04 22:45) 

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