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科学と仮想 (「脳と仮想 」茂木 健一郎) [ひと/本]

読了。

脳と仮想 (新潮文庫 も 31-2)

脳と仮想 (新潮文庫 も 31-2)

  • 作者: 茂木 健一郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 文庫

と云うか、間違えた。

茂木健一郎が各所で行っている言説についての違和感を、これまで何度か書いて来た。でも、何冊もある単著をひとつも読んだことがない、と云うのも事実としてあって、自分でもどうかな、と思っていた(言い訳になるけど、自動車通勤をしているサラリーマンが読書時間を捻出するのは結構大変だったりするのだ。ぼくはここで書評としてとりあげる3倍から4倍くらいの本は読んでると思うけれど、「それについて語る」ためだけに本を読む余裕は時間的にも金銭的にもない)。だからと云って興味がなかったわけではもちろんなくて、むしろ彼が語ろうとしているらしいことに強烈な興味を持っているので、それに伴った違和感も強く感じていた、と云うのが実際のところ。

でも、読むべきなのは多分この本じゃなかったんだろう、と思う。帯に「代表作、文庫化」とか書いてあったから勘違いした。

ついでに気付いたのが、ぼくが「脳科学」というもの、その学問的ドメインについてほとんどまったく知らないのだ、と云うこと。だから、そもそものぼくの期待がお門違いだった可能性もある。

この本の中で、脳についての科学とその学問的成果についてはほとんどなにも触れられていない。むしろ、現在までの科学の方法では「心」の問題についてはすべてを知り得ないこと、について延々と記述してある。脳、と云うのは特に説明もないまま、心の在処、魂の座、として扱われている。と云うわけで、ぼくが知りたかった「彼が実際のところなにに基づいていろんな発言を各所で行っているのか」については、まったく分からないままだ。

科学はそもそも心の問題を簡単には扱えない。その部分は人文が担って来た。だから、人文寄りの言説で心の問題について言及するのは、簡単とは云わないまでも無理がない。確かに著者は博覧強記で、高い文芸的センスを持ち、文章も達者だ。でも「脳科学者による脳科学についての著書」を期待して読んだぼくはちょっと困ってしまった。と云うか、冒頭に「間違えた」と書いたのはそう云う意味だ。

脳科学が心の問題に踏み込む。おそらくそこにはフロンティアがあって、人文の領域に肉薄するまったく別の角度からの知見が呈示されるんだろう。--なんて期待はすっきりと裏切られた。悪いけど、これならもっとスリリングな考察が人文の領域内にいくらもあると思う。この本を「脳科学者」が書いた意味が分からない。

とは云え、ぼくが脳科学の学問的ドメインがどこにあるのかを理解したうえで読んだのなら、また印象も違ったんだと思う。そう云う意味で、本当は茂木健一郎の著書で読むべきものはまた別の本だったんだろう。改めて、この著者の手になるぼくの期待に応えてくれそうな本を探して読むような時間もお金もないのだけれど。

(こんなレビューばかり書いてるから、amazonからさっぱりお金がもらえないのだな、と云うことに最近気付いた)


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コメント 4

内海

いや、実際問題poohさんの求めているような「脳科学者による脳科学について」の本は茂木氏は書いていないのではないかな、と。
私が今までで読んだ彼の著作は「ひらめき脳」「クオリア入門」とあと一冊(タイトル忘れちゃいましたf^_^;)の三冊ですが、どれも現在の脳科学の研究法の何が問題なのか、そしてそれらの代わりに何故著者はクオリアを持ち出すのか、そもそもクオリアとは具体的にどういったものなのかについてハッキリと答えたものはありませんでした。
私は正直茂木氏のクオリア関係の論に期待するだけ無駄だと考えています。
現在の脳科学の手法で、意識を初めとする人の精神活動の解明はかなりのところまで進められると個人的には思っていますし。
あ、それと脳科学者の脳科学に関する著作でpoohさんにオススメなのは、斉藤環は否定的な評価を下してましたけど、ガザニガの本です。
ガザニガ本を読んだ後、茂木氏の本を読むと、彼のクオリア関連の持論がいかに具体性を欠いたものかがわかります。
本としてはボリュームはそんなに無いので、お忙しいpoohさんでも短期間で読了できると思いますが。
by 内海 (2007-06-27 02:17) 

pooh

> 内海さん

あぁ、そんな感じですか。ご教授ありがとうございます。

実質的にクオリア論はどこが新しいのか分からないんですよ。大きなテーマであることは確かなんですが、そのテーマが茂木さんから出てくることについては、「人文系ではなく、最先端の脳科学者と云う自然科学側の人間から出てくること」と云う意義しか感じられなくて。現段階では、人文的な学術の成果を踏まえて継続的にアプローチするほうが有意義に思えたりするんです。

と云うか、極論すれば「感覚の質感」と云うものに「クオリア」と云うジャーゴンを充てて、そのジャーゴンを独立して流通させることでさまざまな(本来異分野の)ことを語ろうとする、と云うスタイルは、新鮮に聞こえて耳当たりがいいだけに(しかもそれが「最先端の脳科学」と云う権威を背負ったものだけに)やはり非常に危険なもののような気がします。誰でも感じる「感覚の質感」を別の名前にしただけで、いろんなことが説明できるのだ、とか(特にそういう部分での問題意識に触れたことのないひとたちに)思い込ませてしまっているような。

クオリア、と云う事柄は、多分それについて具体的な議論が導けるような概念じゃないんですよね(だから、この本でも「文学的」な議論しか行われていない)。それはそれでいいんです。でも、まるでそれが導けるようにこの概念を扱う戦略は、ジャーゴンによるミスティフィカシオンを意図的に行っている、と云うことのように感じられます。少なくともなにか新しいことを云っている、と云うことを示すためには、その援用する「最先端の脳科学」の成果を示してもらわないと。

ガザニガ、とても興味深いです。次に図書館に行く機会があったら探してみます。
by pooh (2007-06-27 07:53) 

TAKESAN

今日は。

「アハ!体験」なんかも、そういう面がありますよね。元々、大抵の発達心理学のテキストに載っている様な概念を、ああいう風に流布するのはどうなんだろうなあ、と。クオリアの話とは、またちょっと違いますが。

>内海さん
ガザニガの本、面白そうですね。私も読んでみようと思います。

意識について論じている本では、苧阪直行他『意識の科学は可能か』が、面白かったですね、確か。
by TAKESAN (2007-06-27 15:12) 

pooh

> TAKESANさん

いや、まぁ、「脚光を浴びていなかったものに別の光を当てて注目を呼び寄せる」こと自体は、それほど問題ではないとも思うんですよ。問題視しているのは、本来の概念に対して敢えて誤解を許す(許しているように見える)ことで。
by pooh (2007-06-27 22:00) 

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