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「誰が」「なぜ」買うのか (「ヒット商品を最初に買う人たち」森 行生) [ひと/本]

「本が好き!」プロジェクトでいただいた本。
実はそう思って頼んだ訳ではないのだが、イノベーター理論についての著作だった。


ヒット商品を最初に買う人たち

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書評/ビジネス

イノベーター理論については、なぜか少し前のエントリで柘植さんとお話ししているときに全然別の文脈で出て来た。まぁ、それだけ汎用性の高い発想法だと云うことか。

とりあえずマーケティングについては後付けの(アカデミックではない)知識しかないぼくではあるけれど、この理論そのものはそんなぼくでも知っているだけあって有名な(ひょっとすると基礎的な)もの。でもまとまった本のかたちで読むのは初めてだったりする。

で、思ったこと。
非常に薄く、また活字組も大きいので、結構あっという間に読める。著者もまえがきで、書いているうちに原稿が脱線して新書二冊分もなったと記しているので、内容としては相当絞り込んだものになっているようだ。でも、この点は若干曲者だと思う。
簡単に読めて、すぐに分かった気になる。でも、ぼく程度の読解力では、じつはその時点で結構読み落としている。骨子になる基本的な部分は何度も例証して丁寧に書いているけれど、その裏付けになる部分は結構芯になる部分以外は削ぎ落とした書き方になっているように思える。実は、さくさくっと読み終えた後で、この書評を書こうとする段になってからあちこち読み返した。

そう云う意味では、再読三読に耐える、と云う云い方もできるかも知れない(ちょっと違うが)。

以下、興味を持って、再度読み直した部分を幾つか。

  1. イノベータが食いついた商品がアーリーアドプタ、フォロワーに広がって行く場合と、行かない場合。それぞれの理由。
  2. イノベータに与える必要のある「規格」の概念(この概念は意外に難しい。実際のところなにを意味しているのか、どうしてそれが必要なのか、を呑み込むためにこの概念に触れた数ページを結構行ったり来たりした)
  3. 「規格」「ベネフィット」「エッセンス」それぞれがインパクトを与える層の違いと、与えるインパクトの質の違い(とても重要だと思うけれど、記述はあっさりしている)

他にもあったのだけどまずはこれくらい。実際のところこれらについてもちゃんと書いてあるのだが、記述がシンプルすぎてきっちりした理解を得ないままに読み飛ばしてしまいがちになる。机上の勉強や教養としての知識としてはそれでもいいのだろうけれど、実際の自分のビジネスに関わる示唆を得ようとすれば、これらについてのそっけないくらい簡潔な記述から本当に著者が云わんとする部分をそれなりに集中して読み取ろうとする必要がある(おそらく著者の云う「脱線した」初稿にはこの辺りもっと詳述されているのだろうけれど、各論になり過ぎて想定読者層にそぐわないと云う判断があったのかも知れない)。

そう云う意味で、あっさり読める割に結構コクのある本でした。


タグ:書評
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fuku33

世の中で新しいものに最初に飛びつく「感度のいい」人たちが最初にいて、彼らをイノベーターと呼ぶというのは非常にわかりやすく参考になるフレームだと思うのですが、実は自分はもうひとつ早い局面で、「イノベーター」が飛びつく前に、ただ自分の目の前の日常の問題を解決するために実用的に手弁当で何か身の回りの物を改良・改造する人たち、その人たちの「ブリコラージュ」の役割が非常に重要だと思っています。「早く飛びつく性質の人たち」がいる前に、「自分を触る人たちの感覚を変えるくらい新しいモノ」があって、その新しいモノの周りの人たちはどんなに引っ込み思案で保守的な人でも、否応なしに事後的に「イノベーター」にされてしまう、そんなモノの力を近頃意識しています。

とはいえ最近なんか気忙しくて、だんだんじっくりとものを考える余裕がなくなりそうですが。
by fuku33 (2007-05-08 15:17) 

pooh

> fuku33さん

そうですね。
この本は「売る」フェイズについて書かれたものですが、その前には必ず「造る」フェイズがあって、でその前には(分離して考えるのが適切かどうかはともかくとして)「何を造るべきかを考える」フェイズがある訳ですよね。で、以前これらのフェイズをそれぞれ個別のモジュールとしてぶった切るんじゃなくて、一連のプロセスとする(と云うかもっとごろんとした一塊として捉える)と云うのがお考えのひとつでしたよね。

ブリコラージュ、と云う概念については生煮えの理解しかしていないのですが、要するにこれは「ある商品を着想して、練り上げて、作り上げるために、実際はすでに存在する(周囲にある、でも『そのようなもの』として捉えられていない)もの、ことを材料にする」と理解していいのでしょうか。そうすると、例えばぼくなんかはそのブリコラージュの材料をその地域の歴史や、文化や、地政学的立地みたいなものに求めたいなぁ(と云うか、そこに材料は見つかるはずだよなぁ、そこから生まれてくるはずだよなぁ)、と主張して来た、ってことになるのかな。

おおぉ。なんかうすぼんやり考えてたことがちょっとかたちをなしたような気がする。いつもながらありがとうございます。
by pooh (2007-05-08 22:05) 

pooh

あぁそうか。そうすると、「ものづくりのセンスのある文系の人材」ってのは、イノベータをひきずりこむ力を持ったモノをつくるための要素を見いだすセンスを持っていて、それを結実させることに関与できる、ブリコルールとしての素養がある人材、ということになるのか。

で、ぼくは多分その素養を、「地域社会の中で真剣に暮らすこと」で養えるんじゃないか、みたいに考えている、ってことになるのか。だから、「ブリコラージュのための素材が集積した地域」と云う発想に固執しているのか。そうなのかも。
by pooh (2007-05-08 22:20) 

fuku33

いえいえこちらこそ、poohさんに言葉にしていただいたことですっきりしてきた面もありまして、ありがとうございます。

地域の文化遺伝子ミームの多様性とか、関係しそうですね。
by fuku33 (2007-05-09 23:04) 

pooh

> fuku33さん

> 地域の文化遺伝子ミームの多様性とか、関係しそうですね。

あぁ、いいですねこの概念。上手にブリコラージュできれば、地域ごとに違ったレントが生み出せる、みたいな感じですかね。
by pooh (2007-05-10 06:20) 

柘植

こんにちは、poohさん。

>イノベーター理論については、なぜか少し前のエントリで柘植さんとお話ししているときに全然別の文脈で出て来た。まぁ、それだけ汎用性の高い発想法だと云うことか。

私は視点の多い人で「ニセ科学批判」というのを個別の「マイナスイオン批判」「血液型と性格相関の批判」とか捉えるのと同時に、「ニセ科学批判」という事柄が社会に広がっていく過程みたいなものにも興味がある訳です。そして、それはまさに「ある種の消費者に歓迎される新商品」が普及していく過程と類似している気がします。

私は「きくちさんたちは『ニセ科学批判』という商品を唐草模様の風呂敷に包んで行商するところから始めた」なんて言うけど、そんな辛い時期でも行商が続くのは「手応えがある」という事だと思うわけですね。どこかの小さなフォーラムでニセ科学批判をすると、聴衆の何人かが「よくぞ言ってくれた、そうやってきちんと言ってくれる人が出ることを待っていたんだ」と反応を返してくれる人が居る訳ですね。まあ、私なんかも経験した訳だけだけどね。

ポストイット逸話というのを思い出したりもするのね。ポストイットはいろんな逸話があるんだけど、「弱糊つき付箋紙」なんてのは、なかなか、その便利さが理解されずに、売り上げはわずかなものだったという話ね。経営者は「この程度の売れ行きだと作り続けても仕方ないのじゃないか」と生産の打ち切りまで考えたのだけど、反対したのは会社の事務の人たちだったなんて逸話があるのね。実際に使って使い慣れると「便利」なものなので、「こんな便利なものが売れないはずは無いから作り続けましょう。何より自分たちが昔の不便な付箋紙に戻りたくないから、作り続けてくれ」なんてね。その後、便利さが理解されるに従って、急速にヒット商品になっていく訳だけどね。まあ、経済の逸話には創作やデフォルメはつきものだから、どこまで本当かは知らないけどね。
by 柘植 (2007-05-15 10:06) 

pooh

> 柘植さん

実はこの話って、fuku33さんのお考えの部分(「ものづくり」に対する文系的技術の関与)と柘植さんの問題意識(最近ではなく、以前からの)が逆方向からちょうど収束するような場所にあるように思えます(って、おふたりの結節点を勝手に自分の内部につくってる)。柘植さんは基本的には「つくる」工程から後工程をご覧になっているし、fuku33さんは「売る」工程から前工程をご覧になっている。で、それぞれの工程がモジュールとして独立して動く仕組みは果たしてこの時代に有効なのか、みたいな。

もちろん実は安直に結節点ががっちり出来上がるわけではなくて、それはおふたりのスコープが(当然ながら)同じではないからなのですが、ぼく的には両面からの示唆を得られてとてもうれしい(って結局自分のことか)。
by pooh (2007-05-16 09:36) 

柘植

こんにちは、poohさん。

>fuku33さんのお考えの部分(「ものづくり」に対する文系的技術の関与)と柘植さんの問題意識(最近ではなく、以前からの)が逆方向からちょうど収束するような場所にあるように思えます

この30年くらい製造業は「多品種少量生産化」という事に取り組んできている訳です。その理由というのは「消費者の欲しい製品は多様である」という事につきます。私は極論として「プラスチックのバケツは青かピンクが普通だけど、もしも、ピンクの水玉のグレーのバケツが欲しいお客さんが1人いるなら、その1個を同じ値段で製造出来る様になるのが多品種化の理想だ」なんて事を言っている訳です。

実際の所、1個はまだ無理でも、100個なら1万個生産と大して変わらない値段でできるところまで来ていると思います。この、製造者が「青かピンク」と決めて売り出すのが「プロダクトアウト」であり、客が「ピンクの水玉のグレーのバケツ」という要求がある時にそれを値段を変えずに作り出すのが「マーケットイン」という事ができるわけです。

そういう「プロダクトアウト」から「マーケットイン」の流れの中で、製造者以上に「意識改革」が必要になるのが販売者である訳です。プロダクトアウトの時代には販売の中を流れる情報の向きは「製造から消費」です。「こんなに良い新製品ができました。どうぞお買い求めください」ですね。それに対して、マーケットインに対応した販売の中では情報の向きは「消費から製造」に向かいます。「消費者のうちの0.1%はピンクの水玉のバケツを求めている、作ってくれ」ですね。この流れが無いと製造が多品種少量生産に対応した意味が無いわけです。

情報の向きが「製造から消費」である時代には、製造に関して詳しい知識があることが情報の欠損がおきにくく有利となります。しかし、「消費から製造」への情報流れの時代には、製造に関する知識よりも消費者の欲求をいかに的確に捉えるかというセンスの方が大事になるわけです。私が「使用者の手ごたえ」などという話をするのはそのためです。

実のところ、マスコミなどにもこの「手応え」感覚がおかしくなっている面があると思います。きくちさんたちが大きく動き出す前にも、ニセ科学を問題視する動きは幾つかありますが、マスコミは動きませんでした。スポンサーシップの関係と穿った見方もあるとは思いますが、それ以上に、そういう情報に対して「よく言ってくれた」という人たちがいると言う「手応え感覚」が麻痺している面があると思うわけですね。
by 柘植 (2007-05-16 14:37) 

pooh

> 柘植さん

実際のところ、おっしゃるような技術の進歩も背景のひとつとして、プロダクトアウトでもマーケットインでもない時代に突入しつつあるのではないか、とか思ったりします。小さなスケールでも、「プロダクトをもってマーケットをつくる」時代になりつつあるのかも。

そうすると、必要なのは各セグメントの連携なんてレベルのことじゃなくて、生産も商品企画もマーケティングも同時に視野に入れるみたいなスコープになるのかなぁ、みたいな。

マスコミは多分、そう云う視野の持ち方ができなくなっています。でもまぁ、そうでなくともぼろ儲けできる、と云う状況がある以上、その辺りのエッジが失われても不思議はないのかな、と思ったりもします。
by pooh (2007-05-16 23:19) 

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