SSブログ

「千の風になって」に思うこと(1) [音楽鑑賞]

秋川雅史さんが歌う「千の風になって」がとても売れているそうですね。

私も(今はお休み中ですが)、所属しているコーラスで歌ったことがあります。

この曲に癒されている方も多いのでしょうね。

この曲の詞で自分が慰められる・・・ということはないのですが、メロディーは結構好きです。

でも積極的に歌えるか・・・と言ったらそうではないのです。(カラオケでは何度か歌いましたよ。気軽な気持ちで。絶対歌わない・・・というわけではなく、歌いながらいつももやもやがある・・・と言う感じでしょうか?)

理由はこれから書きます。

 

ここから書くことは私の勝手な随想です。

まず第一に、流行り物に抵抗を感じる私の性格がそう思わせている・・・というのもあるのでしょうね。

普通は流行が廃れた頃に好きになったりします。

そして第二に・・・というかこれが最も大きな理由かもしれませんが、私の死生観からすると歌詞を全面的に受け容れられないということです。

私はクリスチャン(プロテスタント)です。

その考えからいくと死んだ後に風になる・・・ということはあり得ないわけです。

雪になったり鳥になったり星になったり・・・この歌詞からすると非常に仏教的な感じもしますね。

いや仏教というよりアニミズムなのでしょうね。

お墓の中に眠っていない・・・という歌詞も気になります。

キリスト教的な表現の中に「永眠する」というのがありますが(他の宗教でも使いますが。)、来るべきキリストの再臨の日まで死者は「永遠の眠りにつく。」という考え方ですね。

同じくキリスト教的な表現で「天に召される」というのも今まで気になる表現でした。

一度このことは誰かとじっくり語ってみたいと思っていました。

眠りについた状態かもしれないけれど、「天に召されている」(=救われている)状態なのかどうかそれも人間にはわからないことですよね。

このようなことは個人的な思いがお互いにあるだろうし、デリケートな問題なので、おいそれと聞けないことなのです。

ですから同じクリスチャンであっても聞きにくいことの一つでもあります。

 

時々気になって「千の風になって」と仏教、或いは「千の風になって」とキリスト教・・・で調べるとかなり多くの方がこのテーマでブログを書いていらっしゃるのですね。

皆様思うことが多いようで・・・。

「千の風になって」と神道はどうなのでしょう?

「千の風になって」はキリスト教的な価値観のもとで書かれている・・・というのがありましたがそうなのかなあ?

私にはそうは思えないのですけれど。

私にはちょっと思うことが多い内容ですが、クリスチャンの多くがそう思っているわけではない証拠に牧師でもある新垣勉さんも歌っていらっしゃいますよね。

千の風になって

千の風になって

  • アーティスト: 新垣勉, 新井満, 篠原敬介, 淡海悟郎
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2004/09/22
  • メディア: CD

同じくクリスチャンの有名人である日野原重明さんも確か歌っていらっしゃったはずです。(コーラスだったと思います。)

このような曲は心で捉えることが大切で、理屈っぽく考えてはいけない・・・と言う声が聞こえてきそうですが、どうも私は歌詞が引っかかってしまうのですね。

それにしても仏教関係者のブログを見たらこの曲によって「お墓の供養がばかばかしくなった。」と考える人がいたり、「自分は大切な人がお墓に眠っている、と思っていたのに違うんですか?」と言ってくる人がいる・・・というのが非常に興味深かったです。

皆様それらのことに丁寧に記事を書いていらっしゃるというのも興味深いことでした。

私もそのようにしてみたい・・・と言う思いはあるものの、多くの方々の死生観に配慮する余裕がないので今は書けません。

 

ただ、この曲がとても流行っていて慰められる人が多いのはよいことだと思うのですが、私のように歌詞が引っかかる・・・という人も多いのでしょうね。

同様に私が日ごろ素晴らしいと感じている宗教曲の多くに引っかかる方も多いでしょうね。

 

それにしてもどうして秋川さんだけあんなに売れるのでしょうか?

やっぱりルックスも影響しているのでしょうか?

上で載せた新垣さん・・・と言えば、この前実家に帰った時に母の車の中に新垣さんのCDがあって驚きました。

さとうきび畑

さとうきび畑

  • アーティスト: 新垣勉, ジョルダーニ, ヘンデル, マロット, 平井康三郎, 北島尚彦, フランク
  • 出版社/メーカー: アットマーク
  • 発売日: 2001/07/25
  • メディア: CD

おそらく「さとうきび畑」に惹かれて買ったのだろう・・・と思われますが、他にイタリア古典歌曲や"Panis Angelicus"などの宗教曲・・・更にバッハの"Bist Du bei mir"が入っています。

うちにもこのCDはありますが、母が買っていた・・・というのにびっくり。(クラシックを聴くような人ではないし。)

もちろん秋川さんの「千の風になって」もありました。

ついでに言うと讃美歌のCDがあったのにも驚き。(母はクリスチャンではないので。おそらく愛唱歌と言う感覚でしょうね。)

 


 追記:そう言えば、うちの娘たちは♪わたしの~おはかのまえで~おこめたかないでください~♪と替え歌を歌っています。

だれか芸能人がそのように歌っているのでしょうか?

 

 

 


nice!(8)  コメント(35)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 8

コメント 35

Ma-toshi

おはようございます。
おひさしぶりです。
私はクリスチャンではありませんが、おなじようにこの曲を積極的に聴いたり歌ったりということはありません。
やはり、ちょっとひっかかります。
どこが、といわれると辛いのですが、やはり「宗教っぽい」ところでしょうか。
「宗教」ならまだいいのですが、「っぽい」ということです。
(抽象的ですみません)
それと、この曲はじめのうちは「哀しみのソレアード」(ダニエル・センタクルツ・アンサンブル)に歌詞を付けたものだと思っていました。
by Ma-toshi (2007-09-16 09:57) 

Cecilia

Mashi☆Toshiさん、コメントありがとうございます!
やはりひっかかりますか!
「宗教っぽい」という表現、納得です。
皆が良いと思っているものにケチを付けるようで書きにくかったのですが、勇気を出して書いてみました。
この曲によって支えられている悲しみの只中にいる方々もいらっしゃるのでしょうね。
でも好きな人にとってはどの部分が好きなのか聞いてみたいですね。
「哀しみのソレアード」、どんな曲か知らないのですがコメントで興味が湧きました。
by Cecilia (2007-09-16 10:19) 

euridice

この歌、昨年末のNHK紅白ではじめて聴きました。けど、好きというものではなくて、耳にも残りませんでした。 そして、いつだったか「クローズアップ現代」で取り上げられたのには、びっくりしました。それでもまだ旋律も歌詞も頭に入っていません^^;;
by euridice (2007-09-16 13:48) 

nyankome

CDショップにはたくさんの「千の風になって」が積まれています。日本人は飽きっぽいのに結構長い間ヒットしているので驚きです。
さて宗教観、死生観についてはコメントを差し控えますが、この詩は随分前に絵本になっていて、同僚に紹介されたことを思い出しました。
by nyankome (2007-09-16 19:03) 

klavia

Ceciliaさんのお気持ちよく分かります。私も歌詞に違和感を感じます。この歌詞を全面的に受け入れてしまうと、お墓って何のためにあるのだろう?と疑問になるはずです。
私が死んだら、お墓の前でちょっとは泣いてもらいたいし、お花もお菓子も水もお米も供えてもらいたいなっと思っています(贅沢かな)。
お墓って、その人が生きていた証しだし、とても大切なものだと私は思っているからです。
私はぶっちゃけですが、秋川さんの千の風が嫌いです。もう少し軽い歌だと思っているからです。女の人の方がいいかな〜と思ったりもします。まず第一に何故歌にしたんでしょうかね。
でも、歌詞の内容は描写がきれいで、感じはいいと思っています。
by klavia (2007-09-16 21:16) 

krause

メッセージが遅れました。
私も曲は良いと思いますが、歌詞は他宗教のもの(宗教っぽいにも賛成)と考えています。私は、「日本人は宗教に無頓着」だと思っていたのですが、Cecilaさんやコメント欄の人たちのご意見を読むと、日本にもきちんと宗教観があることが実感できます。実は、私もぶっちゃけ、klaviaさん同様に、最初にこの曲を聴いたときに、その歌詞に戸惑いを感じました。
by krause (2007-09-17 06:28) 

2ndLT

お久しぶりです。
ご訪問ありがとうございました。
作詞をするときの考え方がどうなのかで凄く違ってくるのでしょうね。
その時のフィーリングで書いてしまうのか、最初から思想を持って書くのか・・なんでしょう。
by 2ndLT (2007-09-17 07:24) 

Cecilia

euridiceさん、コメントありがとうございます!
その「クローズアップ現代」らしきものをネット上で見ました。
(音が途切れまくっていたので途中でやめましたが・・・)
9.11の同時多発テロのエピソードなどが絡んでいることも人気の原因なのでしょうかね。
きのうは調べていていろいろな考えを知りましたが、オペラ好きで「好き」というのは今のところなさそうですね。
by Cecilia (2007-09-17 08:24) 

Cecilia

nyankomeさん、コメントありがとうございます!
「さとうきび畑」と同じように夏の特別ドラマなどでこの曲が流れたようですね。(違和感があったという評判ですが・・・)
人気のあるものは売り出し方法も上手なのだろうなあ、と感じます。
面白いのは、この曲が「日本人に受け入れられやすい」とする説と「日本人に受け入れられにくい」とする説があることです。
私もその絵本は名前だけはこの曲が流行る前から知っていました。
by Cecilia (2007-09-17 08:29) 

Cecilia

klaviaさん、コメントありがとうございます!
私は内心「散骨でもいいや。」という気持ちもあるのですが・・・
昔「お墓などどうでもいい。」と思っていた時、大学付きの宗教主事の先生(牧師ですね。)から、「あら、お墓は大切よ。」と言われたことを思い出します。
キリスト教では魂だけでなく”肉体の復活”も大切なことなので、土葬が基本だったようです。
そこらへん、私も中途半端な知識しかないので何とも言えないのですが・・・
klaviaさんのお気持ち、ちょっと笑いながら拝見させていただきました。
でもそれにぴったりの歌も見つけてしまったんです!(もともと知っていましたが。)
それはMozartの『ラウラに寄せる夕べの思い』という歌曲で「私のお墓の前で一粒の涙を流してくれ。・・・すみれの花を供えてくれ。・・・」というようなことを歌っているのですね。・・・」
訳が硬いので、「まじめな歌だ」と思っていましたが、こうして見ると「正直な歌だな~」と思ってしまいます。
この歌に関して次の記事でもちょっと触れる予定です。
お墓はその人が生きた証・・・本当にそうですよね!
でもこの歌がお墓を軽視しているとは思えないのですが。
昨日は宝塚の「千の風になって」も聴きました。
娘役が軽やかに歌っていました。
又日野原重明さんたちの合唱のアレンジはなかなかいいと思いました。
by Cecilia (2007-09-17 08:42) 

Cecilia

Krauseさん、nice&コメントありがとうございます!
昨日はこの曲に関して調べるためにネットサーフィンしていている間に気がついたことがあり、それは次の記事でも書く予定なのですが、それはこの歌の「私」がイエス・キリストなら私にとっては非常にしっくりする歌詞になるな~ということです。
ちょっと考えてみたら死者が生者に向かって語りかける・・・という歌は今までほとんどなかったと思うのです。
少なくとも私の知っている歌曲などでは生者が死者に向かって語りかけるものばかりです。
死後の世界のことは誰にもわからないのに、この歌では確信を持って♪そこにわたしはいません。眠ってなんかいません。・・・♪と歌われる・・・!
ここが違和感を感じる原因の一つかもしれません。
死後の世界のことを確信を持って語れるのは神様しかいない、と感じますので「私」が「キリスト」(他の方にとっては神様や仏様でもいいかもしれませんが。)なら納得ができるのです。
by Cecilia (2007-09-17 09:11) 

Cecilia

xml_xslさん、niceありがとうございます!
by Cecilia (2007-09-17 09:13) 

Cecilia

2ndLTさん、nice&コメントありがとうございます!
この歌の作詞者は深い思想があったようには思えません。
かといってその場の思いつきでもなさそうですが、”素朴な歌”・・・これに尽きるのでしょう。
万人に向けてのメッセージではなく、愛する人に向けての個人的なLove Songであるなら文句の付けようがありません。
上の方々へ書いたコメントの内容に加え、この歌詞の冒頭が「もし私が死んでも・・・」で始まっていたら自然で納得がいく・・・と感じます。
by Cecilia (2007-09-17 09:19) 

aranjues

余り深く考えたこともないです。歌詞にメッセージ性を求めるのか、
個人的なLove Songと思うのか、これはまったく個々の価値観の
問題でしょうから。
宗教観と結びつきますか~~。
いかに多くの人は歌詞をいい加減に聴いてるか、参考となる調査が
あります。
この曲の題名の認知度があるテレビ番組でのアンケートでは、50%
余り、、。で、間違えのほとんどが「千の風になって」ではなく
「千の風にのって」と思ってました。これが実態です。
by aranjues (2007-09-17 09:54) 

megmeg

 私もクリスチャンなのですが、先日この曲のことで同じくクリスチャンの母と意見の相違がありました。私はこの曲は初めのうちは「いい曲だな」と思っていたし、勤めている中学校でも男の子なんかが戯れに歌ったりしていて人気があり、授業でもちょこっと歌わせたりしていました。私がこの曲を好きだと思ったのは、「私」があくまでもクリスチャンという前提で、死んだ後は天国に行っているのだから悲しまないでくださいよ~っていう内容だと受け取っていたからなんです。が、母が言うにはこの曲は信仰的ではない、と。(牧師もそういうことを言っていたそうです)
 私はそれに対して、でも新垣さんも歌っているよ~と反論したのですが、よく考えてみると確かにこの曲の詩は聖書の教えていることとは違いますよね。作った人だってクリスチャンとは限らないわけだし。Ceciliaさんのブログを読んでも、なるほどなあと考えさせられました。うーん、軽々しく考えて歌ってはいけないものですね!ただ、秋川雅史は顔はかっこいいですが歌はそんなにいいとは私は思っていないし、さすがにこれだけ流行っているとだんだん飽きてきちゃいましたが・・・(^^) 
by megmeg (2007-09-17 18:28) 

アートフル ドジャー

 日本人の無宗教観っから来るんでしょうかね~。僕は自身でもお経を唱える純粋な仏教徒なのっでイマイチ理解出来ない所ですね~。
by アートフル ドジャー (2007-09-17 19:07) 

Cecilia

aranjuesさん、nice&コメントありがとうございます!
私も「千の風に乗って」だと思い込んでいました。
そちらのほうが自然に受け容れられるかもしれません。
受け止め方はそれぞれ自由だと思いますが、心のもやもやを抑えることができず記事にしてみました。
私の知人の牧師さんでも無宗教の葬儀でこの曲を演奏されるそうです(彼はフルート奏者)。
無宗教の人にとってはどんな感じなのでしょうか?
by Cecilia (2007-09-18 02:01) 

Cecilia

megmegさん、コメントありがとうございます!
以前コメントをいただきましたでしょうか?(いただいたような気が・・・)
それともはじめまして・・・だったでしょうか?
新垣さんも歌われていますし、日野原先生も歌われている(関わっていらっしゃる?)らしいので、「やっぱりキリスト教的なのかな?」という気もしていたのですが、やはりいくら考えてもそのような結論は出せませんでした。
私も日ごろいろいろな音楽に触れ、それこそキリスト教的ではない音楽にも接していますが、それでも”真実”を感じることができるものも多いのですね。
この曲はまずそのような感覚的なところでまず違和感を感じたものですから・・・。
aranjuesさんへのコメントに書いたように、知人の牧師さん(私より保守的な信仰をお持ちの方です。)も演奏なさるそうですので、堅く考える必要はないのかもしれません。
これを信仰的に捕らえなおして聴く・・・という人も多いのでしょうけれど、やはり根本が違うように感じるのです。
次の記事のコメント欄にも載せましたが、この方の考え方がぴったりきました。(無教会の方のようです。)
http://www.asahi-net.or.jp/~EJ2T-TKHS/denshou/sennnokaze.html

でも神様は間違った理解だから救わない・・・ということはないと思うのです。
by Cecilia (2007-09-18 02:42) 

Cecilia

アートフル ドジャーさん、nice&コメントありがとうございます!
お経を唱えるのですか?
何宗なのでしょうか?
私は実家は真言宗で法事があってもお経を唱えたことがないのです。
夫の実家は曹洞宗で法事では般若心経を唱えます。
by Cecilia (2007-09-18 02:51) 

Cecilia

nyankomeさん、niceを追加してくださってありがとうございます!
by Cecilia (2007-09-18 02:58) 

Cecilia

みどさん、niceありがとうございます!
by Cecilia (2007-09-18 10:29) 

Papalin

難しいお話です。

僕は、キリスト教の音楽が好きで、そこからキリスト教に近づいている人間です。他に何も用事がないかぎり、毎週礼拝に通います(プロテスタント)。キリスト教を学び始めた頃は、矛盾だらけな聖書に戸惑いました。今でも聖書に出てくる(ここか肝心で、聖書は人間が書いたもの)神さまは、どんな人間でも届かない唯一絶対的なものではないと思っています。キリスト教の神様は人間を試みにあわせますし、差別もなさる。唯一絶対的なものなら、一言も言葉を喋られないはず。言葉を発した瞬間に、矛盾が生じると思います。ある意味では仏教の方が素晴しいと思うこともあります。仏教は人間道だと思うし、キリスト教のような「神さまの例示」がないだけ素直だとも思います。

ここで宗教論を展開する気持ちはありませんが、僕がそれでも首にクロスをかけているのは、唯一絶対なものの存在を信仰しているからです。どんなに僕が悪行を働いても、それが人には見えなくても、唯一それをご存知の方がいらっしゃる、その方だけには嘘はつけない・・・そういうものの存在を感じることによって、自分が自分でいられるからだと思っています。それともう一つは、そうした唯一絶対的なものを信じて精一杯生きてきた人間が素晴しい偉業を成し遂げていることかな。これは多分に音楽でのお話になりますが。

で、この歌。Ceciliaさんw始め皆さんのご意見を伺っていて、たしかに「宗教っぽい」ところは気になります。僕もあれこれ調べたのですが、宗教的というより、この詩の作者の個人的な人生観に基づくもののようです。真相はわかりませんけれど。

風になったり、星になったりは、キリスト教(やユダヤ教、イスラム教)では考えられません。かといって輪廻転生を説く仏教でも、そうコロコロとは変わらないででしょう。つまり「私が愛してきたあなたたちよ、お墓の前で嘆いてばかりはいてくれるな。私はいつでもあなたたちを見守っているよ。だから私はここにはいない。さぁあなたたちの場所にお戻り。」と歌っているように思います。

ちなみに僕は、両親の法事では、両親が親しんでいた宗派の仏教で行ないます。お経も進んで唱えます。祈る方法は問わない、祈るとことに意義を感じている、いい加減な日本人です。(^_^;)
 
by Papalin (2007-09-20 08:15) 

Cecilia

Papalinさん、nice&コメントありがとうございます!
実はこの記事を読んでPapalinさんがどう思われるか気になっていました。
何度も演奏をアップなさっているし、この曲がお好きのようなので。
たぶん出勤前のお忙しい時間に丁寧なコメントをいただき、ありがとうございます。
現在礼拝をサボっている不真面目クリスチャンにこのようなことを語る資格もないのですが、それでも信仰をなくしているわけではない・・・と思っているので。(礼拝を守ることが大切だ・・・と説教で言われるので辛いところなのですが。)
聖書は人間が書いたもの・・・そうですよね!
だから間違いもあります。
いろいろな派があるもので聖書は一言一句誤りのない神の言葉・・・とするところもありますが、私は教会や大学の授業でそこら辺は学問として学びました。
私は徹底的に「人間として」歩まれたイエス様に惹かれます。
それから私もプロテスタントの信仰の中で歩んできましたが、プロテスタントは非常に理屈っぽいところがあって、神学を理解しないと信仰者ではないような感覚に陥るのですが、そうではないと思うのです。
何か理解したから救われる・・・というわけではないですよね。
それから神様の愛を知りながら、罪の中に生き続けるクリスチャンも多く・・・私もその一人ですが・・・それよりも素晴らしい異教徒の方々、無宗教の方々はたくさんいらっしゃいます。
「千の風になって」・・・言葉通りに捉えるよりも、Papalinさんがおっしゃるように捉えるのが良いでしょうね。

私も以前はいろいろ思うことがありましたが、夫の実家の法事ではお経を唱えます。
後、食前のお祈りを人前で堂々とできないのでしない私です。
by Cecilia (2007-09-20 14:12) 

hiro

昔のエントリーにコメしてごめんなさい。

僕もこの曲は引っかかってました。
で、ずーっとプロテスタント的な考えの詩なのかなぁって思い込んでました。
お墓の前で泣かないでって、偶像崇拝禁止に近いのかなって。

僕は真言宗の仏教徒ですが、そう言われてみれば確かに仏教的かも。
お世話になってるご住職は、「死んだは阿弥陀様のところにいるから、心でお祈りすればいつでも届くんだよ」って言ってます。

それでもやっぱりお墓や仏壇にお祈りしたいですけどね。
by hiro (2008-01-08 10:36) 

Cecilia

hiroさん、はじめまして。
コメントありがとうございます!
昔のエントリーへのコメント、大歓迎です!
この記事はそれほど昔ではありませんし、かなり前の初期の頃のでもコメントいただければ必ずお返事を書くことにしています。

この曲、キリスト教的と感じる方もいれば、仏教的と感じる方、神道的と感じる方・・・もいる・・・という不思議な曲ですね!
そこら辺が宗教的・思想的にいい加減というか、感覚的過ぎるのではと感じます。
紅白で聴きながら、娘達と語り合いました。
やはり何度聴いても、鳥になったり、星になったり・・・では忙しすぎますね!
”願望”ならわかるのですが。
あまりにも確信のある歌詞にはとまどいを感じてしまいます。

私は昔は墓石や仏壇を毛嫌いしていましたが、やはり大切なもの・・・と考えています。
by Cecilia (2008-01-08 11:25) 

March Hare

私はこの曲が嫌いなので、今まで歌詞も見たこともありませんでしたが、なるほどそういう歌詞だったのですか。
私にはブルーグラスの有名曲"Bury me beneath the willow"(柳の下に埋めてください)の方がよっぽどしっくりしますね。
振られた恋人を憎む女声の歌ですが。(爆)

Oh bury me beneath the willow
Under the weeping willow tree
So he may know where I am sleepin'
Then perhaps he'll weep for me.

My heart is sad and I am lonely
For the only one I love
When shall I see him, oh no never
'Till we meet in heaven above.

He told me that he dearly love me
How could I believe it untrue
Until the angel softly whispered
He will prove untrue to you.

Tomorrow was our wedding day
Oh God, oh God, where is he
He's over talking to another
And now he cares no more fore me.
by March Hare (2008-01-09 06:22) 

Cecilia

March Hareさん、コメントありがとうございます!
「千の風になって」・・・歌詞がひっかかるくせにカラオケでついつい歌ってしまいます。
「柳の下に埋めてください」・・・関係ないですがヴェルディの「オテロ」の柳の歌を思い浮かべました。
http://blog.so-net.ne.jp/santa-cecilia/2006-02-18
(この記事の次の記事はロッシーニの「オテロ」の柳の歌の話題なのですが・・・)
試聴でしか聴いた事がないですが、シェークスピアソングの「柳の歌」に興味があります。(トマス・モーリーだったかな?)
by Cecilia (2008-01-09 07:20) 

March Hare

> 試聴でしか聴いた事がないですが、シェークスピアソングの「柳の歌」に興味があります。(トマス・モーリーだったかな?)

作曲者不詳ですね。波多野さんの「オフィーリアの歌」の8曲目に入っています。
このアルバム買って損はないですよ。

同じトマスならトマス・キャンピオンの方が好きですね。
"Though you are young and I am old"とか。
http://www.hyperion-records.co.uk/hypersearch/al.asp?al=CDA66186&f=Couperin
by March Hare (2008-01-09 09:35) 

Cecilia

March Hareさん、コメントありがとうございます!
トマス・キャンピオンも好きです。
(トマス・モーリーは"It was a lover and his lass"が好きなのです。)
そういえばその「オフィーリアの歌」はnyankomeさん(上のリュートのアイコンの方です。)が波多野睦美さんがお好きでお持ちだったはずです。
最近もタブラトゥーラのコンサートに行かれたようですよ。

Hyperion、好きです。(持ってないけれど、試聴したらよいものが多かったので。)
by Cecilia (2008-01-09 11:39) 

March Hare

> (トマス・モーリーは"It was a lover and his lass"が好きなのです。)

その曲、この前私が紹介したMiranda Sex Gardenの"Madra"の中にも入ってますよ。13曲目です。女声3声のマドリガーレ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/565108
by March Hare (2008-01-09 12:13) 

Cecilia

March Hareさん、そういえばあることは知っていましたが、時間がなくて聴けていませんでした。
今試聴していますが、速いですね~!
ちなみにこの曲の記事です。
http://blog.so-net.ne.jp/santa-cecilia/2006-08-11
コメント欄から、「シェークスピア劇場」の「お気に召すまま」の場面での歌の場面が見れます。
by Cecilia (2008-01-09 12:22) 

March Hare

なるほど、私は曲しか知らなかったのでこれはこういう劇音楽だったのですね。勉強になります。

ちなみに、上記のCDでは他に、
3曲目"Though Philomela lost her love"
8曲目"Lady those eyes"
20曲目"This love is but a wanton fit"
22曲目"See mine own sweet jewel"
がトマス・モーリーの曲です。
by March Hare (2008-01-09 12:58) 

Cecilia

March Hareさん、コメントありがとうございます!
シェークスピアの記事(上にリンクしたものの前の記事)、いつもではないですが、時々いろいろな方からのコメントが続きます。
今もそこにいただいたコメントを見たばかりです。

もう一度試聴してみますね。
NAXOS MUSIC LIBRARYはとても重宝しているのですが、作曲家の検索欄にモーリーがないので地道に探すしかないのです。

シェークスピアソングと言えばこれもよかったですよ!
http://blog.so-net.ne.jp/santa-cecilia/2007-05-31-1
現代曲ですが、素敵な合唱でした。
by Cecilia (2008-01-10 05:06) 

hiro

お返事ドーモです!

>思想的にいい加減というか
あはは、確かに(笑)
まぁ日本的な感覚ではウケるのかもしれないですけどね・・・
僕は一人暮らしですが、大好きだったおばあちゃんをどうしても連れてきたくて、実家を出るとき写真を持ってきました。
ついでに線香立てと普通のお盆を買って、簡単な仏壇(?)を作ってお祈りしてます。
この歌を聴いてると、お祈りや感謝する心を無くした言い訳に聞こえるんですよね・・・。お墓参りするのメンドクサかったけど、行かなくてもいいっていうエクスキューズが与えられた、みたいな。

やっぱり違和感を持ってる人って少なくないんだなぁってのがわかってよかったです!
by hiro (2008-01-18 17:01) 

Cecilia

hiroさん、コメントありがとうございます!
亡くなったおばあちゃん、きっと喜んでいらっしゃいますよ。

私は言い訳とは思わないのですが、この曲でお墓参りに行かなくてもいい・・・と思う人がいるんだなあ・・・・と不思議に思います。
この曲が流行って慰められる人はそれでいいと思うのですが、だからといって葬儀で流して欲しくないなあ・・・と思います。(流して欲しい人は別ですが・・・。)

ちなみに夫の実家のお墓が遠くて困っています。(夫の実家からも遠い。)
以前はそれでも車で2時間半あればいける距離でした。
今は新幹線を使わないと行けません。
お墓参りは大変だと思います。
by Cecilia (2008-01-19 11:11) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。