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2002年の汽車旅4-後編- [汽車旅2002]

2002年3月17日(日曜日)、函館本線、室蘭本線、千歳線を通り、白石(Shiroishi)で函館本線に戻った(と言っても、上り線を走行)臨時快速<ミッドナイト>は6時31分、終点札幌3番ホームに到着した。ちなみにJR北海道は到着を「ホーム」、発車を「のりば」と案内している。

実は前日、私の知人も北海道入りしていた。私の天敵、ヒコーキで北海道に突入し、新得のスキー場で“大人の冬休み”を満喫している様子だが、スケジュールの都合で会うことはなく、ニアミスとなった。

札幌で下車するのは早過ぎるので、1番のりばから6時53分に発車する普通電車小樽行き(クモハ721-7)に乗り換え。前3両はキハ183系500番台のパクリ的なフェイスをした721系、うしろ3両はイカツイ顔をしたロングシートの731系だが、迷うことなく、転換クロスシートの721系を選ぶ。ちなみに乗車した車両は初期の赤い転換クロスシートだった(画像上段は札幌、画像下段は終点小樽で撮影)。


手稲でコジマ電器を発見!! 関東ではもっとも安い値段で売る電気屋だが、九州にも進出しており、全国展開するつもりなのだろう。目指すは世界制覇なのかも。

石狩湾オーシャンショーとなり、“秘境駅”として名高い臨時駅の張碓(Hariusu)を通過。今までこの駅に停車した姿を見たことはなく、年中休業。また、張碓駅は行くだけでも迷路のような困難さをきわめていたことから、2006年3月17日(金曜日)でフォーエヴァー。当然、この日も電車が停まることはなかった。

7時39分、終点小樽に到着し、下車。おなじみの小樽運河をボケーッと眺めて過ごす。滞在時間は30分程度だが、見れただけで満足し、8時10分発の普通電車旭川行き(クハ711-208)に乗り込む。

普通電車旭川行きはバリエーションがいくつかある711系シリーズで、冷房改造車や3ドアに改造(通常は2ドア)された車両もあるが、迷うことなく冷房改造車へ。冷房がかかることはないが、先頭車に乗るのは旅の習性だから。

途中の手稲で快速<ニセコライナー>札幌行き(キハ201-101)に乗り換え。キハ201系は初乗車で、3両の車内は満員御礼。ロングシートの通勤形気動車で、運転台はずいぶん高い位置にあり、馬力は充分にあるが、残念ながらそのパワーを発揮することはなかった。

余談だが、気動車のキハ201系は電車の731系と並結できる車両で、フェイスは共通なので、“双子の兄弟”と言える。ちなみにこの日、731系と併結することはなかった。

電車と気動車の併結は昭和61年(1986年)暮れ、エル特急<雷鳥>と臨時特急<ゆぅトピア和倉>が始まり。金沢で分割・併合を行ない、当時、非電化の七尾線で臨時特急<ゆぅトピア和倉>が金沢-和倉温泉間を自力で走るものだった。また、エル特急<雷鳥>併結中は電車形式でいう「クロ(付随車かつグリーン車)」の扱いだったため、常に最後部となっていた。そのため、臨時特急<ゆぅトピア和倉>は2両編成でしか運行できなかった。

平成3年(1991年)9月1日(日曜日)、七尾線津幡-和倉温泉が電化され、臨時特急<ゆぅトピア和倉>の役目が終わり、今では特急<サンダーバード><はくたか>、エル特急<しらさぎ>の一部便が乗り入れている。また、和倉温泉-七尾間は第3セクター、のと鉄道と共用化。七尾以遠はのと鉄道に譲渡したものの、赤字のため、2005年4月1日(金曜日)以降、穴水から先のレールは途切れた。

平成元年(1989年)4月29日(土曜日・みどりの日)、気動車(キハ183系1000番台)の臨時特急<オランダ村特急>が電車(485系)のエル特急<有明>と並結を開始。気動車が先頭に立ち、世界で初めて電車を引っ張った。電車も通常通り、動力を持って運行していたため、これを「協調運転」と言うのだが、平成4年(1992年)3月25日(水曜日)に特急<ハウステンボス>が誕生したことにより、御役御免となった。

そして、平成9年(1997年)3月22日(土曜日)、JR北海道731系とキハ201系の併結運転がスタート。朝ラッシュ時の運行本数確保のためだが、キハ201系は電車の201系と同様、コストの面などから大量増備には至らず、2007年2月25日(日曜日)時点、併結便は意外と少ない。

8時58分、終点札幌8番ホームに到着。下車して、雑用を済ませる。札幌の街は休日のせいか、“お目覚め”ではない様子。

札幌に戻ると、3番のりばにエル特急<スーパーホワイトアロー6号>新千歳空港行きが到着した。この電車はここから、快速<エアポート92号>新千歳空港行き(4号車指定席モハ784-505:uシート)となる。ちなみに快速<エアポート>の号数は上2ケタ(または1ケタ)は札幌を発車する時間帯で、下1ケタはその時間帯の本数を表すもので、「92号」は“9時台、1本目の新千歳空港行き”というふうになっているが、わかりやすいのか、わかりにくいのかは皆様の判断にお任せしよう(当方は判断つかない)。


2002年3月16日(土曜日)のダイヤ改正で、785系は指定席uシートの連結を開始。721系シリーズから始まり、781系にもお目見えしたが、いずれも半室。785系は1両まるごととした(その後、721系シリーズも1両まるごとに改めた)。

さっそく、785系の指定席uシートに乗り込んでみよう。

まず、温かみのある車内が目立つ。シートピッチを広くしたので、自由席車にあった簡易的な足のせはなくなったが、白木のテーブル、アメ色の照明が豪華さを醸し出す。また、パソコンコンセントも備え、充電の残量を気にせず、ノートパソコンを使用することができる。但し、客室とデッキの仕切り上部にスキマがあり、寒気が流れ込む恐れがある。

指定席uシートは300円で利用できるから、おトク。ちなみに画像はエル特急<スーパーホワイトアロー1号>旭川行きで撮影したものを使用している。快速<エアポート92号>新千歳空港行きでは撮影ができないからだろうと思ったからだが、その通りだった。

2日前(2002年3月15日)までエル特急<ライラック>が快速<エアポート>を兼任していたが、恵庭を停車駅に加えると、MAX120㎞/hの781系では所要時間が延びるため、MAX130㎞/hの785系で運行するエル特急<スーパーホワイトアロー>にトレードして、札幌-新千歳空港間の所要時間を従来通りにした。また、721系は一部の車両をMAX130㎞/hに改造し、3000番台に改番した(その後、輸送力増強のため、4000・5000番台が登場。また、1000番台は当初からMAX130㎞/h)。

9時25分に札幌を発車し、白石から千歳線に入り、10時01分、終点新千歳空港に到着。快適な坐り心地は36分しか味わえず、全区間(旭川-新千歳空港間)乗り通してみたい。また、車掌が1人1人のお客にあいさつをしていたのが印象的だった。

下車せず、10時04分発の快速<エアポート101号>小樽行き(5号車モハ721-3018)へ。次の南千歳で下車し、青春18きっぷから普通乗車券にチェンジして、帰京につく。せっかくの北海道を仕事の都合により、週末しか味わえないのが残念だが、その思いは夏に6泊7日という大縦断で晴らした(年内に掲載予定)。ちなみに知人は復路もヒコーキだったが、ちゃっかり785系の快速<エアポート>指定席uシートを利用していた。

南千歳から10時19分発の特急<北斗8号>函館行き(2号車指定席キハ182-510)に乗る。

「このまま快速<エアポート101号>小樽行きで札幌まで乗り、特急<スーパー北斗10号>函館行きで折り返してもいいじゃん」

という声が聞こえてきそうだが、私はどういうワケか、振子車両は体質に合わず、乗りもの酔い寸前の状態に陥ってしまう。よって、特急<北斗8号>函館行きにした。それに特急<北斗>を中心に使われるキハ183系500番台は1番好きな気動車なのだ。もし、メールアドレスを作るとすれば、「kiha183-500」となるのだろうか?

てっきり、特急<北斗>で使うキハ183系500番台系列はMAX130㎞/h対応に改造したモノと確信していたが、数少なくなった感じの未改造車だった(MAX120㎞/h。入団時はMAX110㎞/hだった)。ちょっぴりガッカリ。

私は2号車指定席へ。残念ながら、JR北海道の気動車特急に指定席uシートは連結されていない。特急<サロベツ><まりも>以外はグリーン車があるからであろう。ちなみに2002年12月1日(日曜日)に誕生した特急<スーパー白鳥>はJR北海道の電車特急では唯一、指定席uシートがない。

キハ183系500番台は昭和61年(1986年)、当時の国鉄に入団。ホワイトをベースにオレンジと赤茶色の帯を巻き、窓まわりをブラックで囲み、グリーン車はハイデッカーにするなど、国鉄の概念を打ち破る設計は衝撃的だった。しかし、今は塗装もシートモケットも変わっている。ちなみに入団時の塗装は東武鉄道6050系、100系、300系、350系に似ている(窓まわりが黒いのは100系のみ)。

キハ183形1500番台となる1・6号車はいずれも喫煙車というのはシャクだが、誰も坐っていない1号車指定席最前列で前面展望をしてみるも、窓ガラスの破損を防ぐ、ポリカーボネードをあとから装着したせいで、眺望がよくない。

ハイデッカーグリーン車は森発車時点で、6人利用。入団当初は黒のシートモケットで、2人掛けだったが、現在は2人掛け-1人掛けに改めている。また、車内販売のワゴンサービスに支障のないスロープもいい。

室蘭本線、函館本線を通り、大沼公園では沼が氷と化し、13時32分、終点函館に到着。次回乗車する時はハイデッカーグリーン車で過ごしてみたい。

函館で特急<はつかり22号>盛岡行き(1号車自由席クハ481-3020)に乗り換え。指定席券はすべて売り切れとなっており、やむなく自由席を利用する。

13時40分に発車し、車掌はオレンジカード売りに一生けんめいの様子だが、売れゆきはよろしくない様子。

江差線、海峡線に入り、14時27分、青函トンネルに突入し、14時36分に吉岡海底、14時40分に海面下240メートル地点、14時46分に竜飛海底を通過し、14時53分に青函トンネルを抜ける。そこだけMAX140㎞/hで、轟音は相変わらずだが、50系5000番台よりはマシだ。

中小国からJR東日本津軽線に入り、青森で進行方向が変わり、東北本線へ。17時52分、終点盛岡3番線に到着。11番線へまわり、東北新幹線<やまびこ24号・こまち24号>東京行き(1号車自由席E223-24:やまびこ編成)に乗り換え。これも指定席が取れず、<やまびこ24号>東京行きの自由席で過ごすが、一部の座席は荷物置場にされ、困ったものだ。また、仙台まで母子連れと相席になるが、女の子の赤ん坊は私のシャツの袖を離そうとはしなかった。

刺激的なMAX275㎞/h運転は宇都宮まで続き、帰京した(東京20時25分、23番線着)。

★備考

①張碓駅について、くわしくお知りになりたい方はこちらにクリックして下さい。

②『秘境駅へ行こう!』ホームページはココにクリック!!

特急<ハウステンボス>は平成8年(1996年)3月16日(土曜日)のダイヤ改正で、エル特急に昇格した。

④指定席uシートについて、くわしくお知りになりたい方はこちらにクリックして下さい。

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③2007年2月26日(月曜日)で観客動員数は76,000人に到達しました。ありがとうございます。


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