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エル・アルコン〜青池保子を宝塚でやるということ [ヅカ的近況]

広いおうちに引っ越して何がうれしいって、実家に置きっぱなしだった漫画をどっさり持ってこられたことです。幼い私の血肉となった漫画たち…。文芸少女への道まっしぐら!

だったのにねー。なぜか今、ヅカファンなんだよなー。というわけで、まず読むべきものはこれです。次々回の星組公演の原作である青池保子の『エル・アルコン』『七つの海七つの空』。『エロイカより愛をこめて』とか『イブの息子たち』に比べたら、地味でハードな話だったような…。ヅカでやるとどうなんだろう…。

で、15年ぶりぐらいに読み返してみると。

塩野七生が描くところのチェーザレ・ボルジアみたいな人でした、ティリアン・パーシモンさん。壮大な野望のためには何でもする、冷酷で残酷な人物。平気で身内も殺す。しかも、絶対に負けない頭脳と度胸の持ち主。だから畏怖され、そして尊敬される。でも友達にはなりたくないタイプ。つーか、友情とか愛情とかとは無縁。

男役の美学という点では、ヅカっぽくていいねー。海を舞台にした冒険活劇っぽくもあるし。でも、トウコ(安蘭けい)でこれって、どうなんだろう。ティリアンは強すぎる。トウコにはちょびっと脆い面も見せてほしい。むしろ、トドさん(轟悠)ぐらいクールな人のほうが似合うかも。。。ま、トウコと長いつきあいの齋藤君だから、きっとトウコに合ったキャラだてにしてくれるはず。そう願いたい。

でね。一番心配なのは、ラブです。ヒロインが出てこないじゃんよ、この話! 出てくる女性はみんなティリアンに利用され、蹂躙される人ばっかり。利用されるとわかっていて利用される女の哀しさ、みたいなのはなかなか深くていいけど、それじゃあヅカっぽくないよう。公演案内のあらすじに登場するのは女海賊ギルダ。かっこいい女性だけど、やっぱりティリアンに愛されてはいない。ま、尊敬されてるだけ、マシかな。

しかし、なんでこれをヅカにふさわしくないって思うんだろう、自分。ラブがメインじゃない話なんて、けっこうヅカには(外から見てるイメージとは違って)多いのに。

もちろん、バカみたいにラブラブな話でなくちゃいけない、と思ってるわけじゃないです。『ダル・レークの恋』は、一瞬通じた愛情がメンツや立場で結局成立しなかったという話だから、深い。だけど、一応、愛し愛されの「量」は同量だったと思うな。『野風の笛』の松平忠輝は、いろは姫よりも外国や仲間との友情に夢中だけど、でもいろは姫のこと粗末には扱ってない。ということになってる。ただ、描かれてないだけ。だから建前上は一応、愛し愛されの「量」が同量ってことになってる。

でもさー、ティリアンは女性のことを微塵も愛してないって場面が、アリアリと描かれちゃうんだもん。描かれてないだけ、なんて逃げ道はない。愛してないって大声で言われちゃってるようなもの。うえーん。漫画で読んでるぶんにはいいんだけど、劇場で観ると思うと、なんか悲しいのよね。なんでだろうね。

思えば、青池保子の秀作では、女性ってかなり扱いが悪いよね。差別ってことじゃなくて、扱い自体がすごく小さかったり、恐ろしい存在だったり。『エロイカ』、『イブの息子たち』、『アルカサル』…、必然的に、男性と相思相愛の女性はまず登場しないんじゃないですかねぇ。『Z』があるぐらいか。メインは男同士の熱い友情、ハードな政治的なかけひき。自分ができないことを漫画の中の男性に代わりにやってもらって、だから読者は熱狂するんだけど、ふと思うと、自分自身を投影する役は無いんだよね。。。

あ、そっか。私は漫画を読んでるときは自分を誰にも投影してない、もしくは少年とか男性キャラ(エル・アルコンなら、ティリアンにかわいがられているニコラス少年)にも投影できるけど、ヅカを観るときは娘役に自分を投影してるんだ!! ま、娘役に自分を投影しない人も多々いると思うので、男同士の物語だけでいいのかもしれないけど…。女なんかに心動かされないぐらいクールな男に自分もなりたいなっていう。あ、それで最近はラブの比率が減ってるのかな。ふぅ~む。

齋藤君はどうアレンジするのかなあ。できれば、女海賊にちょっとラブしてよろめくけど、振り切る、ぐらいの話にしてほしいなぁ。でもそれじゃ、青池保子の世界じゃないんだよなぁ。

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