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悪魔ニ「共感」シテル俺 [Archives]

ベガーズ・バンケット

ベガーズ・バンケット

  • アーティスト: ザ・ローリング・ストーンズ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルインターナショナル
  • 発売日: 2002/11/09
  • メディア: CD

このアルバムに入ってるThe Rolling Stones
の〝Sympathy For The Devil〟の邦題が
『悪魔を憐れむ歌』なのは違和感を覚える。

だってこの曲、悪魔を「憐れむ」なんてこたぁ
全くしちゃいねえんだから。
確かに英和辞書で〝Sympathy〟を引くと
最初に出てくるのは「同情する」「憐れむ」だけど
本来は「共感する」って意味だ。

なんでまたこんな話するかってゆーと…

    

広島女児殺人犯のペルー人が言ってた
「悪魔が入ってきた」って言葉に
俺も「共感」しちまったからだ。

 

最近は似たような事件が多い。
栃木でも女児が殺されて
今度は塾の講師が女生徒を刺し殺した。
「悪魔が入ってくる」ヤツはかなり多い。
そして俺もその予備軍の1人なのだ。

また誤解を招くかも知れない。
でも俺的には「人でなし」と言われようが
もうどーでもよくなってる。
だって正直にそう感じたのだから。

確かにあのペルー人の供述は二転三転だし
本国でも同じような犯行を重ねてた。
当初判明した名前が偽名だったのも
前科を隠す為だったんだろう。

だから問題の「悪魔が入ってきた」って供述も
精神疾患を装った減刑狙いなんじゃねーかと
多くの人間は思う。

特に子を持つ親は生理的に嫌悪感を覚える。
「何が悪魔だ。ウソつきやがってフザけるな」
そりゃ自然な感情だし、俺も被害者感情まで
逆撫でする気はない。

しかし俺は犯人が他のあらゆる面でウソを
ついてたとしても「悪魔が入ってきた」って
表現はいたって正直だと感じてしまう。

  

てゆーのは、俺も前に「悪魔が入りこんだ」
コトがあったからだ。そしてそれはまた
いつ再発するかわからねえ。
とりあえずテメエがまだマトモなうちに
その「悪魔」を説明してみよう。

     

俺の場合は、今から7〜8年前だったか?
その「悪魔」とエレベーターで会った。
もっとも兆候はその前から現れてたけど。

最初のきっかけは当時、一番調子よかった
仕事が突然終わったコト。
それ自体は俺のせいじゃなかったのだが
歯車は1つ狂うと全てオカシクなるもんだ。

その後も仕事先でケンカしてクビになったり
みてえな事件が立て続いて、ふと気づくと
睡眠もロクに取れなくなってた。

そして仕事の1つに穴を開けた。
原稿書いてたら、「続いては…」って後に
続く、文字数で言うとほんの2〜30字分
の簡単な説明が表現できなくなったのだ。

同じ内容の文章を一晩中あーでもねえ
こーでもねえと接続詞を変えたり形容詞を
変えたりしてるのに、「これでよし」って
気になれない。全く先に進めない。
いわゆる強迫観念に取り憑かれたのだ。

それで〆切に間に合わなかった。
完全にアタマがおかしくなってたのだ。

そんな時に、どーしても行かなきゃならねえ
用事で仕事先に出かけた。その打ち合わせ
も何も思い浮かばず、うまく行かなかった。
自分が「取るに足らない」人間に思えた。

    

で、その帰りに乗ったのが
全面ガラス張りの高層ビルのエレベーター。
観覧車が見えてた。天気もよかった。
でも、その時は何かが違う感じがした。

それが何か分かったのはエレベーターが
下がり始めた時だ。

  

何というか? 地獄に堕ちてく感覚だ。
地獄って「血の池」とか「針の山」みてえな
光景を思い浮かべてたが、違うのだ。
多分、地獄はこの世にある。

もう生きてるコト自体が苦痛だった。
「ここから飛び降りた方が楽じゃねーか?」
大袈裟だと思われるかも知れねえけど
ホントにそう思ったのだ。

そしてその時の俺は俺じゃなかった。
「人間」というより「機械」だった。
そもそも何も考えられなかったのだ。

    

例えて言うと「スイッチ」が少しずつ
オンになって「突き動かされる」感じ。
マトモな精神状態なら絶対やらねえ
ことを「衝動的に」したくなるのだ。

それでヤバいと思って病院に駆け込み
今もその種のクスリ飲み続けてるのだが、
思うに、多分アレがペルー人の言ってる
「悪魔が入ってくる」だったのだ。

俺の場合は、別に他人を殺してえとは
思わなかったけど、「衝動」なのは同じ。
その違いは要するに衝動のベクトルが
「内向き」か「外向き」かってだけ。

そしてこの種の衝動を抱えてるのは
別に俺だけじゃないだろう。
〝Sympathy For The Devil〟の悪魔も
こんなコトを言ってる。

〝Just As Every Cop Is A Criminal
 And All The Sinners Saints
 As Heads Is Tails〟
「全ての警官は実は犯罪者で
 全ての罪人は聖人。表裏一体だ」

ちなみに俺の卒業した高校じゃ
俺の在籍当時に理事長として
俺らに「人の道」を説いてた神父が
後に赴任した別の学校の職員を
刺し殺した挙げ句に自殺してる。

神父さえも簡単に人を殺すのだ。
「俺は全うに社会人として生きてる」と
自負できる奴にゃ理解できねえだろう。
でもごく一部の人間だけに「異常性」を
押しつけて非難するのは簡単だ。

ワイドショーのコメンテーターみてえに
ロリコンブームやら何やらに事件の真相を
単純に落とし込んで「怖い事件ですね」で
済ませりゃ、それで事件は無くなるのか?

大学の同期の警察官僚はこう言ってた。
「殺人事件の供述証書取ってると
 話の辻褄なんか全く合わないのが殆ど。
 ホント下らない動機で簡単に人殺すぞ」

以下はそいつが担当した殺人事件。

事件が発覚したきっかけはラブホテルの
ウォーターベッドが異常に膨張したコト。
マットの下に隠されてた女の死体の体内
で細菌が異常発酵して膨張したらしい。

刑事ドラマにでもなりそーな冒頭だ。
予期せぬ遺体の膨張は計画殺人を突き崩す
被害者の「ダイイングメッセージ」ってか?

ところが、そっから先がどーにも陳腐だ。
被害者は売春婦で、同業仲間への証言など
からあっけなく挙がっちまった犯人は
顔見知りの常連客。しかもその動機が…

「8000円でヤるって言ってたのに
 部屋入ったら1万円って言われた。
 金がないって言ったらバカにされて
 カッとなって殺した」

正確な金額は忘れちまったけど
たかだか2000円程度で人殺すのだ。
これも俺には犯人のオヤジに
「悪魔が入りこんだ」としか思えない。

そして悪魔は誰にでも簡単に入り込む。
今年読んだ中でそれを説明してたのはこの本。

心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈下〉

心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈下〉

  • 作者: スティーブン・ピンカー
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2003/07/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

心のメカニズムをどれだけ科学的に説明できるかが
テーマの『心の仕組み(How The Mind Works)』は
アメリカでベストセラーになった認知科学モノ。

一方で物議を醸す内容だったりもするモンだから
その名も〝The Mind Doesn't Work That Way〟
ってタイトルのアンサーブックまで出てる。

それはともかくとして、この本に
インドネシアの「アモク」の話が出てくる。

「アモク」はマレー語で、愛やカネや面目を失った
孤独な人間が時に引き起こす殺人騒ぎのことだ。

この心理状態に陥った人間は周囲の状況が全く
目に入らず、説得も脅しも利かないオートマトン
(自動機械)と化す。

その「アモク」に陥った殺人犯7人に心理学者が
行った聞き取り調査を要約すると…

「俺は重要人物じゃない。
 俺なりの自尊心を持っているだけだ。
 俺の人生は耐え難い侮辱でしかなくなっちまった。
 だからもう、何の意味もない命以外失うモノはない。
 だから俺の命を他人の命と交換する。
 交換は俺の為だから、一人じゃなくて大勢殺す。
 そして俺が属してる集団で名誉を回復する。
 その途中で死んでも構わない」

    

ちなみにコレ読んだ時、池田小の殺傷事件の
宅間守が思い浮かんだのは俺だけか?
「俺の人生は耐え難い屈辱でしかなくなっちまった」
のは俺もそーだった。
ここでも前半の4行までは俺も「共感」しちまうのだ。

それを俺は「突然スイッチが入った」と表現し
ペルー人は「悪魔が入ってきた」と呼んだ。
形而上学的に「悪魔」など存在しないと仮定
した場合、その正体は一体何なんだ?

ピンカーはこう説明する。
「アモクを誘発するのは外的刺激でもなければ
 脳腫瘍でも脳内の化学物質のデタラメな放出
 でもなく、ある観念」だと。

しかもそこには多くの人間が陥る可能性のある
「普遍的」で「独自の冷たい論理」があるという。

つまり殺人衝動さえ、実は「論理的」だってコト。
もちろんその感情の働きの論理は不合理だし
マトモな人間にゃ理解さえしたくねーだろうが、
人でなしには人でなしなりの「歪んだ論理」が
どーもあるみたいなのだ。

さらにピンカーは幾つかの仮説も提起してる。
面白いのは政治学者ジェームス・Q・ウィルソン
と心理学者リチャード・ハーンスタインの指摘。
「犯罪者は不当に低い割引率で取引する」って
説明だ。

「割引率」は経済学とかによく出てくる概念だ。
例えば、今持ってる現金1万円が将来、いくら
になるかを考えて投資家は株を買う。

     

今持ってる現金を、この株を買うのに使えば
×年後に5%や10%、下手すりゃ200%増える
かも知れねえぞと「割引率」の計算が全うに
できてるから、ライブドア堀江や村上ファンドは
株投資で儲けが出せるワケだ。

しかし女児殺人を「ビジネスモデル」と想定し
その「割引率」を考えてみると、それにかかる
コストとリターンはどう考えても割に合わない。

例えば犯罪者がそれを実行できたとすると
「1億円」に相当する快感が得られたとする。
まあ滅多にできねえことだから。

しかしコレをやっちまうと大概捕まっちまうし
最悪だと「死刑」が待ってる。
死刑にならないとしても、もはや社会復帰は
できねえ。周囲や家族にも迷惑がかかる。

今風に言うと「プライスレス」ってヤツで
100億円の価値でも釣り合いが取れねえ。
どう考えても「不当に損な取引」だ。
だけど犯罪者はそれを平気でやっちまう。

宅間守なんかもその典型。
多分、「殺した方が得」みてえに「割引率」
の計算が狂っちまうのだ。

逆に言えば、何となく誰もが直感で感じる
「人を殺しちゃダメ」を道徳的に説明する
のも、実は単なる後付けじゃねーのか?

マトモな感覚だったら「それやったら損だろ」
だからやらねえだけじゃねーのか?
とどのつまりは「損得勘定」じゃねーのか?

ただウィルソンとハーンスタインはこうした
「脳の計算間違い」の原因が「知能の低さ」
にあると考えてるらしく、それもまた短絡的
な結論としか思えない。

自殺も殺人のバリエーションの一種と考えりゃ
学者や哲学者で自殺してる人間は沢山いる。
「知能の低さ」だけで説明するには無理がある。

そこで次に出てくるのが心理学者の
マーティン・デイリーとマーゴ・ウィルソンの解釈。
人間の脳は「近視眼的な割引」をさせる「錯覚」が
時と場合によっては働きやすくなるって説明だ。

例えばダイエットを決意しながら、腹が減った時に
目の前にケーキを見せられてつい食っちまうような
経験は誰にでもあるモノだ。

俺も糖尿だからダメだと医者に言われてるのに
時々ラーメンのスープを全部飲んじまったりする。
今年、肺ガンで死んだ人間の葬式に出た後も
直後に休憩室で平気でタバコ吸ってたりする。

つまり人間は近視眼的な「錯覚」を起こしやすく
未来より現在の利益に囚われやすい。

しかも人殺しをしでかすような人間の多くは
「別に死んでも構わない」と思ってる。
だとすると「将来が無い」ってコトだから
今手に入る快楽=利益を得ようとするのは
実はある意味「論理的」だったりするワケで。

おかしいのは最初の前提が「錯覚」なだけ。
あとは論理的に辻褄があってる。
人殺しする人間とそうじゃねー人間の違いって
実はそれだけなのだ。

そもそも「人を殺しちゃいけません」ってルールが
定着してきたのも実はほんのここ数百年の話だ。
それ以前の100万年ぐらいは他人を殺すことが
生き残る為には有利なコトも多かった。

そして、そーやって生き残ってきた「人でなし」ども
の子孫こそが今の俺らなのだ。
しかもその衝動は全く治まってない。

だって俺らの少し上の世代は人種・国籍を問わず
平気で殺し合いをしてた。ほんの60年前の話だ。
しかもそれを嬉々としてやってのけたりもしてた。

中東の自爆テロにしたって、「スイッチ」さえ入りゃ
人間が簡単に起爆装置になるってコトだ。
様々な証拠が「殺人マシン」としての人間の特質
を物語ってるのだとしか俺には思えない。

人間の脳は殺人という、現代社会においては
「不当に損な取引」を悪魔と取り交わすような
「錯覚」を引き起こしやすいってコトなのだ。

それを忘れて一部の人間の「異常性」だけに
原因を落とし込むのは虫のよすぎる話だ。
てゆーかそれも、人間の本質から目を背けて
「自分は違う」と安心していたいが為に
引き起こされる「錯覚」じゃねーかと思うのだ。

で、またこんなコト言ってると
「じゃ殺人が起きるのは仕方ねえってコトか」
とか非難されたりするのだが、それもそれで
「近視眼的」な短絡的思考だ。

たとえ殺人が「本能的な衝動」だとしても
多くの人間はその本能をちゃんと抑えられてる
ワケで、それが責任を逃れる理由にゃならねえ。
「衝動」は誰にでもあるが、それを実行するのは
結局のところ「自由意思」なのだ。

やれるコトと言えば、本能を抑えられる人間が
その原因を正しく理解した上で「できねえ人間」
をどーするか議論するってコトなのだ。

「獣としての情動」を引きずったままアップデート
されてない脳という「欠陥品のコンピューター」に
人間誰しもが突き動かされる可能性があるって
コトを前提に対策を考えなきゃならんのだ。

でも、今の論調を見てるとそれをやろうって奴は
殆どいやしねえ。どいつもこいつも事件の見かけ
に「近視眼的」に囚われてる。
そしてまた、モラルやお説教の繰り返し。

もっとも俺も「近視眼的」錯覚から抜け出せねえ。
「もういつ死んでもいいや」と思ってる。
俺の行動の全てがその前提に則ってる。
だから後先も考えずに言ったり書いたりする。

これも思うに、自分じゃもうおさまったと思ってた
「衝動」が今も続いてるってコトなのだ。
長期的な損得勘定は明らかに「損」だ。
テメエのクビを絞める「破滅」に繋がってる。

そんなコトは百も承知なのだ。
なのにそれでもやめられない。
そして多分、またいつかあの「スイッチ」が突然
入るんだろう。その意味で俺は悪魔に「共感」し
その悪魔に魅せられ続けてる。


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コメント 2

タクヤ

こんちわ、ペトロさん 悪魔ニ「共感」シテル俺 魔が入ることについて、普通ならしない行動とかスイッチとか共感しました。 僕もこうゆう経験ありました。

いろいろボロクソいわれてますがオレはどちらかといえばファンです。 がんばってください。     

記事はとにかく興味深いものばかりです。 共感するところが結構あります。 同族かもしれません。 まあ違うところも当然ありますけど、

国語力低いですがなにとぞよろしく
by タクヤ (2006-01-19 22:47) 

petrosmiki

わざわざコメントをくれたのは有り難いのだけど
個人的にはそれだけの理由でブログを使い捨て
にしてほしくなかったりもする。

「国語力低い」かどーかはこれだけの文章では
いかんとも判断しがたいのだが
文章うんぬん以前に重要なのは
「何となく思っているコトを言葉にしてみる」
コトだと個人的には考えている。
言いたいコトがちゃんとまとまってれば
文章は後からついてくるぞ。

元々別にブログがあるならそこでやってもいいし
今回作ったブログがその為ならそれもよし。
全くもって余計なお世話ではあるのだが。
by petrosmiki (2006-01-19 23:41) 

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