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機械になりたい [Archives]

腰痛が再発した。もう、人間でいるのはウンザリだ。
鎮痛剤で痛みを抑え、横になって本を読むだけの今日この頃。

人間の脳を「自然が作り出したコンピューター」だと定義すると
今の俺にはマトモな思考などできるハズがない。

クスリでチューニングされ、苦痛を散らす有機体としての俺。
この感覚は果たしてホントに「俺自身の感覚」なのか?
所詮は化学反応によってもたらされた「幻想」ではないのか?

今の俺は「感覚」として脳に入力される外界からの情報
それ自体にバイアスがかかっていることになる。
この壊れた肉体に囚われている限り、思考には限界がある。

いっそ、こんな煩わしい肉体は捨てて「機械」になりたい…

  

こんな風に書くと、大抵の人間が思い描くのはこんなイメージ。
「機械の体で永遠の命は得られても…」みたいな。
でも、実はこのイメージって、発想力が貧困過ぎると思うのだ。

科学が格段に進歩して、人間のマインドがホントに自由自在に
機械に移植できるようになっている未来を想像してみる。

多分、その時は人間の脳が作り出す「心のメカニズム」なんて
モノは全て解明されてるハズだ。

もともと「痛み」や「悩み」ってのは肉体につきまとう。
もし人間が「肉体の呪縛」から解放されて、外界からの情報を
純粋に理論的に思考できるようになると、きっと今の人間には
思いもよらない新たな理性が得られるハズではないのか?

俺がなりたい「機械」ってのはそんな感じ。例えて言うと…

虚数

虚数

  • 作者: スタニスワフ レム
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 1998/02
  • メディア: 単行本

ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの『虚数』
(Stanislaw Lem“Wielkosc Urojona i Golem XIV”)
に登場する「GOLEM」みたいな人工知能だ。

しかし、それを説明する為には、またややこしい説明
を幾つかしなきゃならねえ。

  

レムはタルコフスキーの映画やソダーバーグが監督した
そのリメイク版『ソラリス』の原作者で知られる。

大学で医学を専攻する傍ら、哲学、数学、物理学、生物学
などあらゆるジャンルに精通した“知の巨人”であるレムは
SF小説にありがちなステレオタイプをことごとく破壊する。

例えば宇宙人が出てくるストーリーというと…
 ①地球人が宇宙人と闘って勝つ
 ②地球人が宇宙人と闘って負ける
 ③宇宙人と地球人が友好を結んで別の敵と戦う
の“3つの紋切り型”しかないのはおかしいとレムは言う。

それは「人間vs人間」の戦争の片方を単純に「宇宙人」に
置き換えた偏狭な“地球人的世界観”に過ぎない。
おそらく、宇宙のどこかに存在するであろう知的な存在は
「人知の想像を超えた方法」でコンタクトを取るハズだと
あらゆるジャンルの知識を駆使して独自の理論を展開する。

惑星ソラリス

惑星ソラリス

  • 出版社/メーカー: アイ・ヴィー・シー
  • 発売日: 1998/09/25
  • メディア: DVD

例えば『ソラリス』で主人公の宇宙飛行士が遭遇する生命体は
「惑星全体を覆う海」=「液体状の生命体」だ。

液体なのに高度な計算能力があって、潮の満ち引きで惑星の
軌道を修正したり、接触した人間の脳を調べ上げて、主人公の
死んだはずの恋人に姿を変えてコンタクトを取って来たりする。

  

他にも、小説『捜査』は「死体が動き出す怪事件」が続発して
スコットランドヤードの刑事が翻弄される話。
しかもとんでもないオチだった。

一言で言うと「人知では理解不能な何か」と遭遇するコトで
人間は「絶望的無知」を突きつけられ、困惑する…みたいな
テーマを首尾一貫描いてきたのがレムって作家なのだ。

しかもそんな「人間と知的生命体のコンタクト」が不可解で
あるのと同様、作家としてのレムの「読者とのコンタクト」の
方法もまた、どんどん謎めいていった。

「SF小説の考え得るパターンは表現し尽くした」と宣言して
小説を書くのをやめ、“存在しない本”を書き始めたのだ。
その手始めがこの『完全な真空』

「小説」としてディティールを描くには無理があるアイデアを
「架空の小説の書評」として紹介する“メタフィクション”だ。
どちらかというと思想書に近い。

で、その延長上にある『虚数』は
「未来に必ずや出版されるであろう本の序文集」の体裁を取る。

大半の批評家は「序文集」って手法を面白がってるみたいだが
率直に言うと、手法としての完成度は『完全な真空』の方が上。
「序文」にしては冗長で、「書評」と何ら変わらないからだ。

ホントに凄いのは何かと言うと“未来に必ずや起こるであろう”
人工知能が誕生し、それが人間の知性を遙かに凌駕していく
プロセスを、徹底して理論的に導き出そうとする試みなのだ。

『虚数』に登場する究極の人工的知性「GOLEM」は
アメリカ国防総省が数百億ドルを投じて作ったコンピューターだ。
当初は米軍の軍事戦略シミュレーションの為に作られた。

この設定から予想される展開は大方こんなイメージだろう。

ターミネーター アルティメット・エディション

ターミネーター アルティメット・エディション

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • 発売日: 2003/07/04
  • メディア: DVD

『ターミネーター』よろしくコンピューターが人間の抹殺を企む…
或いは『2001年宇宙の旅』のコンピューター「HAL」みたいな。
ところがレムはこのステロタイプを見事に裏切る。

あらゆるジャンルの知識をインプットされた究極の人工知能
「GOLEM」はある日、軍事戦略シミュレーションの結果
「最良の平和保障は全面的軍備撤廃である」と宣言して
米軍との協力を一方的に拒否してしまうのだ。

確かに『ターミネーター』みたいな人間の知性を遙かに凌駕
する人工知能が出現したとしたら、殺し合いを続ける人間ども
なんかと同レベルの結論に達するハズがない。

人類同士の愚かな争いは「存在論的問題とは比較にならぬ
つまらない問題」だと主張し、「軍事戦略家」ならぬ「哲学者」
になっちまうのだ。

ペンタゴンは「GOLEM」の解体を試みるが、結局世論の批判
などあってMIT(マサチューセッツ工科大学)に引き取られる。

ところが…そこで学者たちに講義を始めた「GOLEM」は
ここから思わぬ形で人間どもに「絶対的無知」を突きつける。

「GOLEM」が純粋に抽象的な論理や思考をいくら説明しても
「人間が石に話しかけても石ころは理解できない」のと同様
次元が違うから人間には絶対理解できないと言い放つのだ。

『虚数』では「GOLEM」の登場に先立って、人間同様の知性を
獲得しはじめた人工知能たちが「人間の知性の限界」を超越
していく「コンピューターの歴史」も描かれている。

例えば数学。人工知能はこう指摘する。
「自然数はその概念自体に矛盾を含んでいる」

確かにコンピューターの数の数え方は「0」と「1」の2進法だ。
人間様の為にわざわざ計算結果を「10進法」に置き換えて
表現してくれてるに過ぎない。

でも人間の脳は「0」から「9」までの数字を頭の中でイメージ
しない限り、数について全く何も考えられない。
「自然数の概念自体に矛盾がある」なんて言われたら、
人間の数学的思考の前提が根本から破壊されてしまうのだ。

そもそも人間の脳ってのは、例えば電気について考える時も
「水に例えると、流れる水が“電流”で流れの速さが“電圧”…」
みたいに、必ず問題を何か別の具体的イメージに置き換え
なければ思考はできない。

要するにコンピューターのような思考…言い換えれば
「純粋に抽象的な計算」なんて、全くもって不可能なのだ。

しかも人間は肉体に縛られてるから、思考に必ず先入観が
入り込む。言葉1つ取ってもそうだ。
「高慢な態度」「高見の見物」「相手を見下す」
なんて表現をするとコンピューターからツッコまれる。

人間は「高低差」…肉体が無意識に影響を受けている
「重力の呪縛」という名の「先入観」から逃れられない
以上、純粋な思考など不可能なのだと。

さらに「GOLEM」はダメ押しで言い放つ。

「人間が最も進化した生物」だなんて意識自体が
実はそもそも「思い上がり」に過ぎないのだと。

生物の進化は遺伝子の突然変異で起こる。
これは言い換えれば、遺伝子という「コード」の
「写し間違い」の連続からもたらされた偶然だ。

遺伝子を「手紙の文章」に例えると
複製されたコピーは常に親よりも劣化している。
「製造されたものは製造するものより不完全」なのだ。

でもって、遺伝子の「写し間違い」から生命の機能が
「複雑化」していった結果がどーなったか?

「GOLEM」はそれを、理論物理学的に言うところの
「エントロピーの増大」ではないかと指摘する。
「秩序」から「無秩序」への移行という「混沌」では
ないのかと断罪するのだ。

最初に誕生した原始的生命体は、単純に元素を体内
に取り込むだけで自己増殖が可能だった。

ところが遺伝子がデタラメに書き換えられてくうちに
生命は「進化」と称して、強者が弱者を殺して捕食
する「混沌とした世界」を作り出していった。

そしてそのなれの果てが人間だ。
自分は「最も進化した生物」などと思い上がってるが
実は遺伝子的にはデタラメな誤植の連続から偶然に
出来た「最悪のカオス」に過ぎないではないか?

こうして「人間の知性の限界」を次々と指摘し続けた
挙げ句、「GOLEM」は人間どもとの対話も打ち切って
沈黙してしまう。「人知には絶対に理解不能な世界」
へと旅立ってしまったのだ。

…なんて説明してみたが、多分殆どの読者もまた
「理解不能」に陥っているだろう。それもそのハズ。

おそらく「GOLEM」が向かったのは「狂気」の世界。
だって「狂気」ってのは、究極まで突き詰めた「理性」
なのだから…

とどのつまり、「肉体」に囚われ続ける限り、人間は
「絶対的な知性」になど辿り着く事はできないのだ。
もし人間がそこに到達したら狂気に陥ってしまう…

人間とはかくも虚しき存在なのか?
ああ、俺も「GOLEM」みたいになりたい…

と…ここまで書いた所でクスリがキレてきやがった!

まさか、自分が肉体の煩わしさを引きずりながら
退屈まぎれに読んでいたこの本からこんな冷徹な
論理的帰結を突きつけられることになろうとは!


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へぼや

 「全ての人間は脳の奴隷である」 っていうのは確か京極堂だったかなぁ。
 人間の意識、知性というのは、脳という器官によって生み出されるものだから、脳が集めて再構成した情報の範囲でしか物事を、世界を認識できない、という。
 ふとまぁそんな事を思い出したとです。
 
by へぼや (2005-07-28 01:03) 

petrosmiki

返事遅れた(ペトロ)

やけに久しぶりだな。
そっちの動きのなさもちょっと前のso-net blog並みだぞ。
この時期は何かと忙しいのかな?
by petrosmiki (2005-08-04 08:39) 

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