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エンターテインメントとしての「死刑」 [Archives]

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当エントリーはXXX-Rated。人間の本質について語る為
一部刺激的映像が含まれています。見たくねえ奴は見るな!

  ×  ×  ×  ×  ×

数日前Discovery Channelで『グラディエーターの真実』って番組を見た。

    

映画でもおなじみ、武器を手にした戦士が競技場で命をかけて闘う
ローマ時代の「剣闘士」の歴史検証ドキュメンタリーだ。

コレ見てたら、サッカーのW杯予選とか余計アホらしく思えてきた。
何が「絶対負けられない闘い」だ。球蹴りなんかどーでもいいだろ。
古代ローマじゃ殺し合いが「エンターテインメント」として成立してたのだ。

これが今できりゃ、K-1なんか目じゃねえ。
TVで生中継したら確実に高視聴率取るキラーコンテンツになるぞ?

そんな「人でなし」な考えを脳裏に巡らせていたら
頭の中で何の脈絡もなく存在していた物事が突如1つに結びついた。

    

殺し合いが無理なら「死刑」をエンターテインメントにすりゃいいじゃん?
そーすりゃいろんな問題が解決できると思えてきてしまったのだ。

事実、中国とかじゃ未だに公開処刑が行われてる。

    

Billie Holidayの"Strange Fruit"を思い出す。

奇妙な果実

奇妙な果実

  • アーティスト: ビリー・ホリデイ, ソニー・ホワイト, エディ・ヘイウッド, ジョン・ウィリアムス(ベーシスト), ジョン・シモンズ, エド・ショーネシー, シドニー・カトレット, フランク・ニュートン, ドク・チータム, ヴィック・ディッケンソン
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
  • 発売日: 1999/12/01
  • メディア: CD

もっとも、ぶら下がってるのは南部のポプラの木じゃねーけどさ。

大半の人間は野蛮だと拒否反応を起こすかも知れねーけど
よく見ると後ろに見物客が映り込んでる。楽しみに観に来たんだろう。
この残酷さが「エンターテインメント」なのは否定できないと思うのだ。

考えてみりゃギリシャ悲劇からシェイクスピア、現代のスターウォーズに
至るまで、名作とされる物語には一人も死者が出てこない方が珍しい。
聖書の中さえ、神様がバンバン人間を殺してる。

それほどまでに人の死とは「ドラマティックな装置」なのであって、
俺らはそれを何らためらうコトなく楽しんでる。

「フィクション」はよくて「現実」はダメとかって勝手な線引きじゃねーか?
現実に今も毎日、世界中で多くの人間が殺されてる。

    

ホントに人が死ぬのが悲しけりゃ、イラクとか中東とかチェチェンとか
世界中の紛争に目を向けて、解決へのアクションを起こしてるハズだ。
でも平和で豊かな国に暮らしてる俺らの大半はその事実に目を背ける。

なんでなんだろ?
自分が殺されたり、死んだりする立場になるコトを考えたくないからだ。
自分らの楽しい暮らしを生理的な嫌悪感で邪魔されたくないからだ。
それが人間の本性なのだ。「倫理」を振りかざすのは建前に過ぎない。

つまり先進国の人間は利己的な動機から「死」に対して強迫観念とも
言える「潔癖性」になってるのだ。だから「死」を闇から闇へ葬り去る。
非公開で行われる、現行の日本の死刑制度がまさにこれだ。

死刑制度の存在する根拠を考えてみる。多分主な理由はこの2つだ。
①死刑制度の存在が殺人事件の歯止めにつながる
②遺族の悲しみを思えば、命で命を償うべき
だが、現行の死刑制度のあり方はこの2つの根拠と矛盾している。

①密室非公開での死刑執行は、社会へのアピール効果が殆どない

「イベント」になってないから、国民の殆どは気づきもしない。
人殺しをやらかしそうな犯罪者予備軍は輪をかけて意識しない。
ホントに殺人の抑止が目的なら、死刑は公開で行うべきだ。

②日本では被害者の遺族は死刑執行にも立ち会えない

アメリカには被害者の遺族に死刑執行の立ち会いを許可する州もある。
なのに日本では刑の執行が被害者の遺族に事前通知すらされない。
本当に報復感情を満たす為なら、怒りが収まらない遺族を死刑執行に
立ち会わせるサービスがあって当然だ。
「スイッチオン」ぐらいさせてくれてもいいハズだろ?
なのに「人を殺せるのは国だけ」とばかりに政府が勝手に殺っちまう。

まあ国ってのは、戦争になったら外人を平気で殺すのはもちろん、
好きなだけ国民を徴収して死にに行かせる特権も持ってるワケで
仕方ねえと言やぁ仕方がねえのだが、かなり自信過剰なもんだから
時々罪もない人間を「冤罪」で死刑にしちまったりもする。

死刑を非公開で目立たなくしてるのも、多分その辺の「後ろめたさ」
や論理的脆弱さをうやむやにするコトがホントの理由なのだ。

でも今や「国の情報公開」が声高に叫ばれるこのご時世。
どーせやるなら、死刑も公開にした方がいい。

そーすりゃ遺族の報復感情もよりやわらぐんだろ?

テレビで生中継でもすりゃチンケな保険金殺人や連続猟奇殺人を
しでかしそうなサイコパスどもの犯罪抑止効果も強くなるんだろ?

国は絶対的な正当性で加害者を死刑にしなきゃならなくなるから
司法判断も引き締まるし「冤罪」も減るだろ?

何よりバカな国民は娯楽に飢えてる。
政府は政府で不祥事を繰り返し、国民の怒りを買ってる。
怒りの矛先をそらしつつ、国民の溜飲を下げ、国民の一体感まで
この上なく高められる絶好の「エンターテインメント」だ。

中には反対する人間も出るだろう。
でも、その中から「死」についての意識を高める奴も増えるから、
世界各地の紛争で死ぬ人間なんかも減るんじゃねーのかな?

さらにここで、もう1つひらめいた!「希少動物の保護」だ!
たとえばチンパンジーと人間の遺伝子は98.4%共通だ。
類人猿は人間の「親戚」と言えるほど近縁の存在なのに
医学的臨床実験で数多くが殺されてる。

    

人間様が長生きする為に、罪もない猿たちが犠牲となって
今絶滅の危機にあるのだ。

だったら死刑囚を臨床実験の被験者にすりゃあいいじゃん?
その方がダイレクトに医学的効果が測定できるぞ?
しかも死刑囚の死が単なるムダな死に終わらない!

経済学的にもエコロジカルな希少資源の有効活用だ!
人類の幸福につながるから罪悪感も薄れて、国民はまったく
後ろめたさを感じずに「エンターテインメント」を楽しめる!

ついでに言うと、臨床実験ってのは時間がかかるから、
長時間視聴者の興味も引っ張れる。
正真正銘の「リアリティ系エンターテインメント」だ。
どれをとってもいいコトづくめ。究極の解決策じゃねーのか?

いやぁ〜俺って天才?それとも「バカは死ね」?
どうせバカはこれをまた「文字通り」に受け止めるんだろう。

こんな時はブルースでも聞くのが一番だ。
罪滅ぼしに自分に1曲捧げる。

Martin Scorsese Presents the Blues: Bessie Smith

Martin Scorsese Presents the Blues: Bessie Smith

  • アーティスト: Bessie Smith
  • 出版社/メーカー: Sony
  • 発売日: 2003/09/09
  • メディア: CD


Bessie Smithの”Send Me To The 'Lectric Chair”
痴話喧嘩で男を殺しちまった女が
「私を電気椅子に送って」って訴える曲だ。

まったく業の深さってのは、死ぬまで治らねえ。


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