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神に「マスタープラン」は無い [Archives]

IQみたいな個々の人間の能力の違いを
「遺伝」だと説明すると厄介な事になる。
倫理がからんで「政治問題」になるからだ。

思うに「優性遺伝」とか「劣性遺伝」と言った
専門用語が恐怖を掻き立てるのだろう。

血液型で説明すると「優性遺伝」ってのは
「A型」「B型」みたいに2つの染色体の
どちらかにその因子があれば自動的に
子供に受け継がれる性質。
「劣性遺伝」ってのは「O型」みたいに
両方の染色体に因子がなければ、子供
には受け継がれない性質のことだ。

要するに「どっちの性質が遺伝しやすいか?」
ってだけの話で「性質の優劣」じゃない。
なのに意味もわからず、言葉ヅラで短絡的に
他人の欠点を「劣性遺伝だ!」とか口走る
ヤツがいる。それがバカだっつーの。

さらにそれが高じると「偏見」になって
「日本人は中国人や韓国人よりも
 遺伝子的に優れている」とか意味不明の
戯れ言までほざくからタチが悪い。

そーゆーバカのおかげで科学の世界でも
「人間を考えるのに遺伝を持ち出すのは
 かつてのナチスの『優生論』みたいな
 人種や性別による差別的偏見に繋がる
 からやめましょう」みたいな風潮が強い。

犯罪衝動や暴力性について議論する時、
客観的事実なのに「黒人の犯罪率は高い」
なんて言ったら大問題になる。
だから社会問題の原因は「遺伝」より「環境」
って事になって「遺伝」とは関係のない原因を
無理矢理こじつけて説明したりする。

一方で聖書の記述を絶対的に正しいと考える
キリスト教原理主義者も遺伝の法則に裏打ち
されている「進化論」を認めない。
聖書に「この世は神様が七日間で作った」って
書いてあるからだ。

一般の人々が無意識に抱く「遺伝の不気味さ」
を都合良く利用して、ヤツらは凝り固まった教義
をゴリ押しする。そして現代科学を否定する。

「だいたい人間の脳や目みたいな複雑な器官が
 なぜできたというのですか?単純な進化論など
 で説明できるハズがありません」
「だとすると、やはり生きとし生けるもの全ては
 全知全能の神が作ったのです」みたいな論理。

では、アタマの悪い「良識派」や宗教関係者は
どーしてこの手の誤解が改められないのだろう?
ちょっと考えてみたら、こんな考えが浮かんだ。

多分それは、人間が何か精密な機械を作る時
まず設計図から作るコトが原因だと思うのだ。
神様もきっと、頭の中に完璧な設計図、つまり
「マスタープラン」を思い描いて生物を作った
ハズだと信じたがるからではないだろうか?

いきなり結論から言わせてもらうと
神様は「マスタープラン」などお持ちでない。
それをデジタルに説明してくれるのがこの本。

    

イギリスの生物学者リチャード・ドーキンスの
『遺伝子の川』を読みやがれ!
(Richard Dawkins"River Out Of Eden")

ドーキンスは、人間(そして全ての生物)を
「“利己的な遺伝子”が後世に子孫を残そうと
 自己複製を繰り返し、増殖した結果の産物」
だと説明する。

“利己的な遺伝子”と言うと、遺伝子自体が
意志を持って増殖していく「パラサイトイブ」
みたいな間違ったイメージを抱いちまうバカ
が多いのだが、これも「神様が思い描いた
設計図通りに生き物を作った」的発想から
来る誤解だ。

何の事はない。ドーキンスは「進化にゴール
なんて全くない!デタラメと偶然の繰り返し
の結果として、生物は生まれたのだ!」って
口が酸っぱくなるほど言い続けてる学者だ。

彼のいう“利己的”ってのは「遺伝子が自分
のコピーを作って後世に子孫を残していこう
とする事が生物界では最優先課題なのだ」
って意味。言い換えると…

「遺伝子は非情だから子孫を残すの不必要
 なアイテムは全く進化させません」ってコト。

例えば、死ぬ時イタイのや苦しいのはイヤ。
でも彼の理論だと人間がいくら進化しても
遺伝子がこの痛みを無くす可能性はゼロだ。

だって遺伝子は個体に子供を作らせて自分
の「コピー」さえ後世に残せばそれでOK!
子供を産んだ後の個体がカマキリみたいに
カミさんに食われようが、八つ裂きにされて
殺されようが、遺伝子は知ったこっちゃない
…ってコトなのだ。

つまり進化は人間が幸せに生きる為に人体
をデザインしてくれてるワケじゃない。
遺伝子が未来に残るのに都合のいい方向
しか生物は進化しないのだ。

しかもドーキンスはこの生物の進化という
「自己複製のメカニズム」を、たった2つの
法則だけで笑っちゃうほど鮮やかに説明する。
「突然変異」と「自然淘汰」だ。

「突然変異」ってのは遺伝子が自分のコピー
を作る時、誤字脱字を起こすことだ。
間違い自体はデタラメだから、殆どが失敗。
失敗した遺伝子を受け継いたら個体が死ぬ
可能性は高くなる。

ただし!ごくまれに環境によっては生き残る
のに都合がいい「間違い」が起こる。
そうなると「間違い」が「正解」になる。

それを何千何万もの生物が数万年数億年
かけて繰り返すと「偶然起こった間違いが
都合よく転び続けた個体」だけが生き残る。
これが「自然淘汰」だ。

「デタラメと偶然だけでそんな事起きるかよ!」
と疑問を抱くムキもあるだろうが、動物学者の
コンラート・ローレンツ(だったと思う)は
進化の偶然とデタラメぶりをこう説明してる。

通常、魚の尾ビレは「垂直」なのに、なぜ
クジラやイルカの尾ビレは「水平」なのか?
コレが偶然とデタラメの根拠だというのだ。

魚類は背骨を「左右」に揺らす事で水中を進む。
中には突然変異で体の側部に妙な突起ができ、
泳ぎにくくて死ぬ個体なんかもいただろうけど、
陸に近かったりすると「奇形」だったはずの突起
がぬかるみから這い出るのに役に立ったりする。
もし突起のカタチが動くのに都合がよかったら
その個体はより多くの遺伝子を後世に残す。

こうして数億年もかけて突然変異を繰り返し、
進化した結果が、足を持つ両生類や爬虫類。

ところが、陸に上がってみるとまた事情が違う。
背骨を「左右」に動かす歩き方は進みが遅い。
自分よりも動きが速い動物に食われたりする。

だから背骨を「左右」より「上下」に揺らして
地面を蹴って飛び跳ねるように速く走れる
ように突然変異した個体が子孫を増やす。

こうしてまた数億年かけ、背骨を「左右」より
「上下」に曲げやすい哺乳類が登場した。
それなのに、ここから先がデタラメだ。

陸を速く歩ける足を持ってたのに、また海に
戻ったヤツがいる。それがクジラやイルカだ。
呼吸器官は「エラ」から「肺」に変わっていて
呼吸する為には、一旦海面に浮上しなきゃ
ならねえ。背骨の構造も変わっちまってて、
昔のように左右には動かしづらいのに…
だからクジラの尾ビレは「水平」なのだ。

もっともクジラがバカだったワケではない。
多分、陸上より水中に獲物が沢山いたとか
それなりの事情があったのだろう。

「マスタープラン」なんかありゃしねえし、
海から陸に上がってまた海へ、みたいな
単なるデタラメの連続なのに、結果として
①突然変異が環境にハマッて
②数万年、数億年と時間さえかければ
環境にマッチして生き残るヤツもいる。

複雑な生命の機能や進化のプロセスも
全て説明できる。この論理的でクールな
エレガントさが進化論や遺伝学の魅力だ。

なのにバカは「遺伝」って言葉にことさら
過剰に反応する。
「原因が遺伝だなんて言ったら、例えば
 犯罪者が人を殺すのも遺伝のせいだと
 なってしまうかもしれない」とか
「結局、遺伝だったら矯正のしようもない
 じゃないですか」みたいな。

大多数の人間がこのエレガントな理論の
根幹を理解してないコトにあぐらを掻いて
極論を持ち出すのだ。

だからドーキンスは、何度も口を酸っぱく
して説明を繰り返すのだけど、それでも
なかなか誤解は解けない。
論理的に遺伝の法則性を話してるのに
善悪の倫理的判断とかを持ち出すから
話がブレてこんがらがってしまうのだ。

実はこの状況は俺が『ジェネジャン!!』で
学歴社会を肯定すると、学歴不要派ども
の反感を買う構図とよく似ている。

「日本は学歴社会じゃない」って主張は
いつ聞いても根拠が乏しくて感情的だ。
俺がいつも、あれだけ口を酸っぱくして
説明してるのに、なぜなんだろ?

そう考えてふと思ったのだが、
もしかすると実はこの手の学歴不要派
も無意識に「遺伝の恐怖」に怯えてる
のではないだろうか?

ハッキリ言うと学歴不要派は低学歴だ。
「なぜ自分には学歴がないのか?」と
誰もが一度は自問した事があるだろう。

その時、自分より勉強の得意な人間が
間近にいると多分脳裏をよぎるだろう
“最も説明の簡単な理由”がある。
でも、それを言うのが怖いのだ。

「生まれつき頭が悪い」って理由だ。
だから「平等」って言葉をやたら連発し
能力の優劣で人を判断するのは決して
やってはいけないと必死に主張する。
言ってる事が支離滅裂だったりしても
気づかない。それは「信仰」だから。

平等ってのは、権利について認められる
モノであって能力を平等に扱えってのは
無理があり過ぎる。それに元々遺伝子は
「誰もが平等な能力を持つ」ようには、
人間をデザインしていない。

『強者の論理』を主張したいんじゃない。
「知能」とか、遺伝的要因の一要素だけ
取り出して考えるからおかしくなるのだ。

遺伝子の突然変異がもたらす能力差は
トランプで個々のプレイヤーに配られる
持ち札の違いに過ぎない。
そのゲームで全ての持ち札をどう使うか
が勝敗の決め手になる。

もし明日、全面核戦争が起きて世界が
『マッドマックス』みたくなったとすれば、
腰痛と糖尿持ちの「ペトロ族」はさっさと
死に絶え、バイクを乗り回し獲物を狩る
「ウカジ族」は繁栄を極めているだろう。
将来、さらに文明が発達すれば、人間
の論理的思考能力が全く必要なくなる
という可能性もないとは言えない。
環境が違えば結果も違う。それだけだ。

さらにドーキンスはこうも言っている。
「すべての生物がすべての遺伝子を
(中略)子孫を残した祖先から受け
 ついでいる以上、あらゆる生物は成功
 する遺伝子を持つ傾向がある」

「マスタープラン」なんかありゃしねえ
のに偶然とデタラメだけの生存競争を
勝ち抜いてきた人間って、実は強運だ。

しかもそれは種族としてだけじゃない。
人類誰もが、ものスゴい強運の持ち主
であり、結果的に見るとあらゆる人間が
生存競争を勝ち抜いてきたという意味
で「確率的には平等」ってコトなのだ。

だからいいかげん「個人の能力の違い
を遺伝で説明するのはやめましょう」
みたいな風潮自体、やめた方がいいと
思うのだ。結局、違いを踏まえた上で
問題を考えるコトこそが真の解決法
なのだから。

注記

無論だからと言って、先天性の障害者
のように遺伝子的に“突然変異による
困難”を抱えた方々を平気で見捨てて
いいというのではない。

弱者を保護するのは本来、社会全体が
行うべき「政治的問題」であり、それは
実行しながら「遺伝性を危険視する」
偏見も打破しなきゃならんってコトだ。

そんなの「言わずもがな」のコトなのに
誤解をされない為にとわざわざこんな
政治的配慮までしなきゃならないから
ただでさえ長い文章が余計長くなる。
これも無意味な偏見がまかり通ってる
証明だ。言いたい事も迂闊に言えねー
から、メンドクセエったらありゃしねえ。


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