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問題にされなかった「問題提起」 [新しい歴史教科書をつくる会]

西尾先生は西尾先生なりにhttp://nishiokanji.com/blog/2006/04/post_315.html、藤岡先生は藤岡先生なりにhttp://blog.so-net.ne.jp/fujioka-nobukatsu/2006-04-24、それぞれご自分の周りを固められて落ち着き場所を探されたことで収拾がつきそうな気配である。それはそれでいいのだが、私の「問題提起」はどこでも全く問題にされてはいなかったことに思い至った。顧みれば5年前からいろんな場で執拗に言いつづけてきたことだ。要するに、「教育委員会をターゲットにしたことに誤りがあったのではないか」ということだ。そもそも支部レベルでの運動当事者としての自己反省だったのだが、このたびのドサクサの中であらためてつくる会全体の問題として取り上げるべきことと思われ、発言した。http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-03-19
http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-19-1

私からすると、「このたびのドサクサ」は「ドタバタ」でしかない。このままでは、つくる会に関わった(関わらされた)ことへの悔いが「しこり」として固まりかねない。体に悪いので解きほぐす手立てを考えねばならない。私なりの課題である。


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知足

> 私からすると、「このたびのドサクサ」は「ドタバタ」でしかない。このままでは、つくる会に関わった(関わらされた)ことへの悔いが「しこり」として固まりかねない。体に悪いので解きほぐす手立てを考えねばならない。私なりの課題である。

良く分かります。今回のドタバタは色々、良いことをもたらしつつあると思っています。最大のことは、運動の中枢に、根本に立ち返って考えてみなくてはという機運を生みつつあることです。内紛関連者が自粛すれば、それが加速すると思います。次に良いことは、運動支援者達にも問題を投げかけたことです。関連諸団体のこと、宗教団体のこと、右翼のこと、政治活動のことなどなど。
by 知足 (2006-04-27 11:20) 

機械計算課長こと松井康雄

どうしたものかな。

印象でいうとおそらく西尾先生の心情から考えるとめいさんの書いた方向は無理じゃないだろうか。「三丁目の夕日」という映画を見てその情緒性があるかぎり日本は駄目なんだと書いているでしょ。最近のベストセラーである「国家の品格」で書いてある日本人観もおそらく西尾先生には強い違和感があるはず。というのは「国家の品格」では理(本では論理と表現)より精神の骨格を作るのが先だとのべ、論理の制約を述べているからです。精神の骨格とは情緒に近いものをいっています。こういう本が百万部を越えるベストセラーになって受け容れられている事実があるわけです。

 教育の何を変えるべきか
   秩序感覚の回復を

の文章を何度か読んだけど、「何事に対しても批判的であることの大切さを教え込んでくれた」女の先生ははっきりいって無知だと思う。またはバカだと思う。

評論家や文学者やいわゆる知識人の多くは批判することで飯を食っているから仕方がないですが、社会人の多くはそんな生き方をしていません。

論理ばかりで情緒がない人間は最悪だと「国家の品格」に書いてありましたが、そういう人間が平気で人を殺すのでしょう。第一論理や批判・批評というのは西洋文化で発達したものであって、西洋の歴史を見てもわかるように争うためのものだったのです。そういう人間を敗戦後というか明治の近代化=西洋化の波の中で作ってきたわけです。まともな骨格でさえ出来上がっていない子供に論理という疑いを前提にした道具を与えるのが妥当かどうかを考えてみればすぐわかります。精神の骨格=人間としてあるべき姿が固まってからでないと論理はある前提でしか成立しませんから逆にいうとその前提の是非なくて使うと論理的に正しいから平気で人殺しをする人間が製造されることになります。

日本人の場合は言葉は相互理解やコミュニケーションをとるための手段ですから、断定的な言い方を好みません。暗示かまたは別の話をしながらやわらかいクッションのような表現を好みます。そして言い方も遠まわしでお互いに距離を置いて話をします。抜き身を机の上につきさすような表現も好みません。出来うる限り対決を避けて、喧嘩にならないように工夫します。私は今回の西尾板での先生の主旨はいまだに理解できませんが、多くの人間が西尾先生の言葉のいいまわしにあまりに非日本的、逆に言うと西洋的なイメージを受ける書き方に反発を感じている可能性があると思っています。

だから『「人の言うことは素直によく聞くこと」とばかり思い込んでいた私にとって、世界がひっくり返るような教えだったのだと思う。』というのは正しい感想だと私も思う。論理世界が正しければ米国で起きた若年層の凶悪犯罪がそのまま日本で起きる理由が納得出来なくなります。

個人主義でも同じですね。もともと個人主義という言葉は非難する意味が強かったそうです。自由気ままに世間や共同体関係なく自分の判断が正しいとして行動するのですから非難されるのでしょう。これが変化してきたのは戦後の話であって、個人主義の個人の中には立派な基準があって、それで主張していることは正しいに変化してきたようです。そんなばかげた話はありません。実際に貴方がお書きのように『「人権の尊重」とか「自由と平等」とかの言葉で西洋仕込みの個人主義をたたき込まれるわけで、いくら「公共の福祉」やら「寛容の精神」やらで和らげようとしても、世の中もめていてあたりまえ、みんな自分の思いのまま、強いものが得をする、そんな感覚になってしまわざるをえない』ということにならざるを得ません。多くの世界は一人で生きていけるほど裕福ではありませんし、裕福な場合は非常に少数の人間が裕福であって、格差社会そのものになりますから、社会が安定するわけがないのです。

西洋や米国は資源の簒奪の前提と自分たちは絶対に正しいからという大前提があって成立した思想が日本人が素直に受け容れるわけがないのです。


>私にとっての戦後教育の改革はこうした原理的なところまで射程に置いていたつもりでした。そこから出発すると「日本人としての共通意思」とは、ことさら新しいものを「つくる」のではなく、今その中で生きている中から「発見するもの」ということになります。

とお書きだけど私もそう思うけどこれを西尾先生に期待しても無駄でしょう。過去に書いてあった西尾論文を見ても「日本人としての共通意思」というより、歴史認識というもっとプリミティブでない部分を先生はお書きだからです。
by 機械計算課長こと松井康雄 (2006-04-28 14:27) 

めい

知足さん

>今回のドタバタは色々、良いことをもたらしつつあると思っています。

私にとっては、うやむやのうちに遠ざかろうとしていた「つくる会」との関わりの体験について、あらためて振り返る機会を与えていただきました。もっとも、それが今後プラスに展開するのかマイナスに展開するのか今のところまだわかりませんが。

機械計算課長さん

>「何事に対しても批判的であることの大切さを教え込んでくれた」女の先生ははっきりいって無知だと思う。またはバカだと思う。

たしか作文の時間のことだったと思います。当時山形は「綴り方教育」のメッカでした。(無着先生の「山びこ学校」は、ここから車で30分足らず。山越えで山形市へ行く途中です。)今思うに、その先生もその影響下にあったのではないかと思われます。いま検索して次のような記事を見つけました。

   *   *   *   *   *

生活綴り方教育は、自分たちの生活をリアルに表現して、不平等社会を無くそうという運動であった。それは自由で豊かな生活につながると考えられた。虚飾を取り去ることを主眼にしていた。決して悪い運動ではないが、貧しさを武器にした傾向があり、貧困層と富裕層との対立と捉えた面があった。ここまで認識されていたか分らないが、資本主義社会どっぷりの今こそ、富の極端な偏りに、この運動は声上げてもらいたい。

今大人気の「百マス計算」を生み出した岸本裕史さんや「生活綴り方教育」の無着成恭さん、「教えるということ」を問い続けた大村はまさん、教員たちの官製教育に対する姿勢としては、大いに評価できる。しかし、その教育を受けた生徒はどうなったか、そこまでフォローがない。先生たちのエゴで行われたかもしれないと思っている。

「生活綴り方教育」の影響を東小学校で強く受けたのは加藤君、南小学校では浅野君だった。その後、二人は綴り方教育で受けた影響から抜けるのは容易ではなかった。アンチ体制の思想は、批判するにはいいが、その中で人生を送るとなると、自分のよって立つ思想を作り直す必要がある、かもしれない。よってたつ思想考えが、彼ら自身の中でどうなったかか、生きるためにはどうでもいいでは困る。二人と親しかった私にはそう思えた。
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/2006/03/post_433a.html

   *   *   *   *   *

子供時代のそうした影響から完全に抜け出すことが容易でないことは私も体験したことでした。それが私にとって教科書運動に関わることになった原点だったのでしょう。長男が中一で不登校になったとき、世間的には困ったことになったと思う半面、その気持ちが分かるような気がして、早起きして運動に連れ出したり、「学校に行かないなら家の仕事を手伝え」と一緒に仕事をしながらいろいろ話すようになり、以来、それまで何かと反発して扱いにくい子どもだと思っていたのが、今ではけっこう頼りになる息子に育ったりしているわけで、あのまま学校に行っていたらどんな人間に育ったかと思うとちょっと空恐ろしいと思ってしまうだけ、やっぱりいまの教育はおかしいと思わざるをえないわけです。私にとって、歴史認識以前の教育が問題であるゆえんです。
by めい (2006-04-28 21:24) 

知足

めいさん

> 私にとっては、うやむやのうちに遠ざかろうとしていた「つくる会」との関わりの体験について、あらためて振り返る機会を与えていただきました。もっとも、それが今後プラスに展開するのかマイナスに展開するのか今のところまだわかりませんが。

どちらに展開するにせよ、この運動の持つ意味を根こそぎ露にしてくれた、このことは日本の精神史で大きな前進と思います。時代を何年も先に進めてくれたのに匹敵すると思います。

話変わって、横田早紀江さんは日本社会の「(歴史)洗脳」を解くのにものすごいほどの貢献をして下さいました。「つくる会」とは比べ物にならないくらいです。このお方も、めぐみさんと共に、時代を何十年も先に進めてくれたことになろうと思います。
by 知足 (2006-04-29 20:54) 

めい

知足さん

横田早紀江さんとブッシュ大統領の会談にはどこかいかがわしさを感じてなりませんでした。案の定、次のような記事が出てきました。

「北朝鮮との戦争 - 安倍晋三が3兆円負担で大統領面談を買った」
http://critic3.exblog.jp/pg/blog.asp?eid=b0087409&iid=&acv=&dif=&opt=2&srl=4542667&dte=2006%2D05%2D02+23%3A30%3A00%2E000
by めい (2006-05-05 04:05) 

知足

めいさん 

> 横田早紀江さんとブッシュ大統領の会談にはどこかいかがわしさを感じてなりませんでした。案の定、次のような記事が出てきました。

読みましたが、ピンと来ませんでした。安倍さんもブッシュさんも政治的思惑を抜きにしては考えられないでしょうが、3兆円の話とはあまりにも突飛すぎて、脈絡はつけにくいと思いました。横田さん等の活躍を面白く思わない人達の思いつきそうなことかと想像します。

めいさんが「いかがわしさを感じ」られた背景を知りたいと思いました。
by 知足 (2006-05-06 14:21) 

めい

>めいさんが「いかがわしさを感じ」られた背景を知りたいと思いました。

藤原直哉という人の「御用達経済論」というのが気に入ってデビュー当時から本屋で見つけると買ったり立ち読みしたりしているのですが、1年ほど前、「国家破綻最終章―2005年あなたの預金と借金がゼロになる!」を読んで次のような書評を書いたことがありました。

   *   *   *   *   *

ややもすると「狼が来るぞー」と叫びつづける狼少年とだぶって見えたりもするが、大きな世界の潮流として考えれば10年間という時間はそう長いものではないのかもしれない。「世界メガ・トレンド」(1994)以来の著者の主張は一貫している。破綻の先に見える、ユダヤ的金銭感覚とは対照的な、地域に根ざした人と人とのつながりを大切にする御用達経済への見通しは、暗闇の先にある希望である。その希望をつないでくれている著者の存在がうれしい。

北朝鮮についての見方が新鮮だった。
「多くの日本人は、世界中が北朝鮮を『悪の帝国』と誤解している。だが、北朝鮮と戦おうとしている国は、アメリカと日本しかいない。……金正日は、北朝鮮内部では穏健派であるというのが、私の見方である。……いまは金正日の権威をもってして、静かに北朝鮮を変えていくしかないと、ほとんどの国が思っているのである。」

平穏に慣れていた日本人にとって、たしかに「拉致」の事実はショッキングであった。しかし、拉致問題で、私も含め日本中が沸き立っていた頃、80歳になる知人が「むかしは人さらいなんて日本でもよくあったことなんだけどな」とつぶやいた言葉がいつまでも心に残った。考えてみれば、爆弾での人殺しと拉致とでどちらが悪質か、誤解を恐れずに言えば、生かされているだけでも拉致はまだましなのだ。そんな思いが芽生えかけたときに出会ったのがこのたび、著者の北朝鮮に対する見方だった。

何が大切かを自分の感覚に立ち返って確認し、そこから暮らしのあり方を組み立てなおす時代なのだと思う。そうすると案外、頭はユダヤ的金銭思想に侵されてはいても、日本人の実際の暮らしは御用達経済感覚でなりたっているわけで、破綻の先、そこのところに光が当たるようになるのであるならば、著者の
言うように、日本の将来は決して暗いものではない。

   *   *   *   *   *

昨日だったかのテレビで、ラムズフェルド国防長官が講演の折、聴衆に「殺人鬼」と野次られている場面がありましたが、9.11テロ以来のいかがわしさhttp://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-06
http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-07
http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-08が背景といえば背景といえそうです。

「悲しみ」や「善意」が、「目的のために手段を選ばぬ」政治の中で利用され翻弄される様を見るのはつらいものです。本来政治とはそういうものではないものだと思うのですが・・・。(「だからおまえはダメなんだ」という声が近くから飛んできそうです。わかってます。)
by めい (2006-05-07 20:15) 

知足

めいさん

> 北朝鮮についての見方が新鮮だった。「多くの日本人は、世界中が北朝鮮を『悪の帝国』と誤解している。だが、北朝鮮と戦おうとしている国は、アメリカと日本しかいない。……金正日は、北朝鮮内部では穏健派であるというのが、私の見方である。……いまは金正日の権威をもってして、静かに北朝鮮を変えていくしかないと、ほとんどの国が思っているのである。」

陰謀や謀略があるのは仕方ない。しかし、それが明らかになれば、責任を取るのが建前の社会です。北はその建前さえ無視している。犯罪国家を野放しにしているのは世界の良識ある国々にとって、大きなな負債である。北は国連に席を得る資格はないと思う。早く、安保理などの決議を得て、対処されるべきだと思われる。もし、それがなされないならば、日本は国連頼るに足らずと、独自の自衛体制を築くくらいの覚悟が必要と思います。隣の家から貴重なものを盗まれた。隣の家は、盗んだことを認めた。しかし、それを返そうとはしない。訴えるべき警察もいない。隣の家と交際している人には、絶交、断交を迫ってまでも、この非道を訴えるのが、最低限、人の道、社会のためだと思います。自警体制を立て直し、夢うつつの家訓(憲法)の改訂へのエネルギーにする絶好の機会とするくらいの覚悟が望まれます。それで、万一、極東の安寧が崩れることがあっても、それは非難される事柄ではないと考えます。戦後60年間の安寧のつけを払わされるのだと思うべきです。
by 知足 (2006-05-08 10:46) 

めい

知足さん、世の中の実際は知足さんの思われるようなレベルで動いているのではないようです。「犯罪国家」云々のレベルでいえば、ないものをあると言いくるめて戦争に持ち込んでやたらめった人殺しをやる国の方が、犯罪としては人攫いの北朝鮮の比ではないということなのです。その辺の冷静さを欠いてあまり息巻いてしまうと国の大事を見誤りかねません。大東亜戦争終結までほぼ中枢にありつづけた遠藤三郎中将が戦後なぜ護憲運動に挺身することになったのか、彼の生涯をたどると無心の人であったことがわかるだけに、その意味の重さを噛みしめさせられています。
http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-20
by めい (2006-05-09 06:53) 

知足

めいさん

> 「犯罪国家」云々のレベルでいえば、ないものをあると言いくるめて戦争に持ち込んでやたらめった人殺しをやる国の方が、犯罪としては人攫いの北朝鮮の比ではないということなのです。

北と米とを同列に置く論法は無理があります。米には少なくとも(政府のみならず民間も)対話という手段があるが、北にはその欠片もありません。あるのは恫喝と開き直りと保身と欺瞞ばかりではありませんか。民主主義が全く機能していない北の行為より、機能している米の行為をより犯罪的と断じるのは全く理解できません。

いくつか質問があります。もしめいさんが横田夫妻の立場であっても、同様な主張をなされますか?
「国民大多数の平和と安全のためには、横田夫妻やめぐみさんたちには仕方ないから諦めて貰いたい」という日本国民の要望があるとしたら、それには正当性があるとお考え(賛同される)でしょうか?
by 知足 (2006-05-09 19:59) 

めい

>もしめいさんが横田夫妻の立場であっても、同様な主張をなされますか?
 
横田ご夫妻の人間性に対しては全幅の信頼を置いているつもりです。これまでの行動、発言に対してなんら異議をさしはさむものではありません。当然のことを当然のようになさっておられると思います。そうであればこそ国民の共感を得ているのです。それだけに、大きな政治の大局の中で「利用」されるように見えるのがつらいのです。言うまでもありませんが、「いかがわしさ」を感じたのは横田さんに対してではありません。
by めい (2006-05-10 06:54) 

知足

めいさん

> それだけに、大きな政治の大局の中で「利用」されるように見えるのがつらいのです。言うまでもありませんが、「いかがわしさ」を感じたのは横田さんに対してではありません。

もし、めいさんが安倍さんや小泉さんの立場だったら、どういう態度を取られるのでしょうか?
《大きな政治の大局の中で「利用」されるように見える》ことを避けるためには、今回のような大統領との会談などは推進しないで、どんなことをなされるのでしょうか?

また小泉さんがイラク派兵をしなかったら、どういうふうになったかの展望をお聞かせ下さい。以下は私の懸念です。

イラク派兵をしなかったら、ブッシュの再選はなかったし、アメリカは覇権をかなり喪失します。その結果、世界はより安定に向かうでしょうか? 私はそうは思いません。ますます混迷の度を深め、それは日本をさらに脆弱な立場に落ち込むでしょう。現在のような景気回復など夢のまた夢です。そして、世界は危険一杯になるでしょう。日本は自立、自衛の必要性が高まり、共謀罪以上の強行な措置が必要になるでしょう。

私にはめいさんがそういう冷徹な目を失われたように見えます。失わせた契機は何だったかに関心があります。
by 知足 (2006-05-10 11:06) 

めい

知足さん、私にとってここいらの問題はもう蒸し返したくもないことです。これまで私が言ってきたことを読んでいただければ普通ならお分かりいただけると思うのですが。小泉政治になってからの日本人の心の荒びは私には目を覆うばかりのように思えます。しかしそれも、「光が差してくるとこれまで隠れて見えなかったものが見えてくるものです。悪がはびこるように見えるのは世の中が明るくなりつつあるからです。」という言葉で気を取り直しているところなのですが。
by めい (2006-05-11 01:13) 

めい

>現在のような景気回復など夢のまた夢です。

こんな記事がありました。http://interceptor.blog13.fc2.com/blog-entry-464.html

   *   *   *   *   *

あなたは『裸の王様』か?

正直者にしか見えないという衣を身にまとって街中を練り歩く
素っ裸の愚かな王様

あれは馬鹿な王様の話
馬鹿な王様と馬鹿な取り巻きの話
NOとも言えないバカモノどもの話
ものの本質なんか分かっていないと、詐欺師のような仕立て屋が仕掛けた話
馬鹿者同士の化かし合いがそれなりに滑稽に映る世界的な寓話だ

ところで、あなたは『裸の王様』か?

小泉"以降"の「好景気」って「見えない衣」を纏わされ
なんとなくその気になっている人たちはもしかして裸の王様?

 「格差社会」で根拠なく"勝ち組"のような気でいる人たち
  人の痛みも想像できず、明日はわが身と思えぬ人たち

 いつのまにやら戦後2番目の長さになったといわれる好景気で
  裸に衣を着た気になっている人たち

 政府から竹中さんから好景気だと言われれば
  疑うことなく懐具合も温かい気になってみる人たち

まんまと小泉+竹中の悪徳商人、仕立て屋に騙されているとは思わないですか?
いまのサラリーだってあっという間に吸い上げられますよ
"小泉的なるもの"の下で、雇用も、生活も、健康も、一生いまの余裕が維持できると思っているんですか?

小泉路線の継承者がポスト小泉なんて、"小泉以降"は続くのでしょうか?
気付きましょう、目覚めましょう
裸にされている自分の姿に
寓話の世界に入れられちゃいますよ

   *   *   *   *   *

地方の自営業者にとっては、「景気回復」は依然として「夢のまた夢」なのです。
by めい (2006-05-11 02:27) 

知足

めいさん

> 地方の自営業者にとっては、「景気回復」は依然として「夢のまた夢」なのです。

それはそのとおりだと思います。でも、構造改革をしなかったら、もっと酷い将来しか見えません。めいさんには何が見えるのでしょうか? 蜃気楼でないことを祈るのみです。

昨夜、中年zさんに始めて会いました。めいさん、桜子さん、アル中流さん、松五郎さんの話も出て、懐かしかったです。
by 知足 (2006-05-11 11:40) 

めい

>昨夜、中年zさんに始めて会いました。めいさん、桜子さん、アル中流さん、松五郎さんの話も出て、懐かしかったです。

「正気煥発板」はある日突然消えてしまいました。いつ踏ん切りをつけようかと毎日思っていただけに、その時は「それはそれでいいか」と思ったものでした。しかし、なぜ消えたのか、あるいは消されたのか、私には今もってわかりません。ネット世界のあっけなさを思わされた出来事でした。
by めい (2006-05-13 08:26) 

知足

めいさん

> 「正気煥発板」はある日突然消えてしまいました。いつ踏ん切りをつけようかと毎日思っていただけに、その時は「それはそれでいいか」と思ったものでした。

「正気煥発板」を閉じたいと思われたのが何故なのか良く分かりませんでしたが、それがなになか踏ん切りつけられなかったのも何故なのか良く分かりませんでした。めいさんは私にとって謎のお方でありつづけます。

> しかし、なぜ消えたのか、あるいは消されたのか、私には今もってわかりません。ネット世界のあっけなさを思わされた出来事でした。

「ネット世界のあっけなさ」を良く知っているものは、失っても慌てなくて済むような対策も並行させていると思います。私はもう15年くらい前から、必要最小限のバックアップを取り続けています。
by 知足 (2006-05-13 11:48) 

めい

>めいさんは私にとって謎のお方でありつづけます。

過大な評価(?)ありがとうございます。
もうくたびれたので閉じようと思いつつ、長年みんなで書き溜めたせっかくの過去ログに簡単にアクセスできなくなってしてしまうことへの未練がましさが、踏ん切りつけるのをためらっていた理由のすべてです。過去ログのほとんどは一応手元には残してあるので、思いついたものを何度かここでも出させていただきました。

ネット世界のあっけなさは、電気があればこそのいまの世の中全体にも言えそうな気がしてなりません。かりに電気が使えなくなっても生きてゆけるような人と人との絆を大事にしたいという思いがいつもあります。それにしても、電気が使えなくなったら私の仕事もたちまちお手あげになってしまうわけで、私の産土社にある電気の神さま、雷(いかずち)神社にはいつも感謝の思いで手を合わせています。
by めい (2006-05-13 21:55) 

知足

めいさん

> 電気が使えなくなったら私の仕事もたちまちお手あげになってしまうわけで、

めいさんのお仕事だけでなく、殆どの仕事はできなくなります。残るのは、未開地の生活のみでしょう。

> 私の産土社にある電気の神さま、雷(いかずち)神社にはいつも感謝の思いで手を合わせています。

何事にも感謝の気持ちを忘れないことは大切なことだと思います。教育基本法にも欲しいくらいです。
by 知足 (2006-05-14 14:19) 

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