「付き合い」と「空気」と「常識」と [僕の意見(人生観)]
「仕事なんだし付き合いってものがあるだろう?」
「空気を読んでものを言えよ」
「常識で考えたらわかるだろう?」
これらすべてが僕は嫌いです。
仕事上での付き合いだとか、仕事外にまで広がる上下関係だとか、それは自然発生的にあるものであり、それらを大切にするという一つの立場があるだけで、全員がそうしなければいけないわけではないはず。
なのに、そういって「付き合い」を重要視する人々はそういうのが苦手な人々に対してより排他的になり、集まって陰口を言って。
仕事外での人生観についてまで自分たちが上司・先輩だからと押し付けようとしたり。(ちょうど「付き合い」に関することだったりで。)
本当にくだらないと思います。
「空気」や「常識」なんて、とっても都合のいいもので、自分の思い通りにならないから持ち出す理屈でしょう?
気まずい空気を作り出すとわかっていても言わなくてはいけないこともあるし、
逆に、その通り言わなければいいこともありますが、
それは他人が「空気」を理由に制するものではないはず。
小中の先生に非常に多かったのは、なにかというと「常識」を持ち出す人。
「なんで?」と聞いて「常識だろ」って。
「じゃあ常識なるものをすべて書き出して、これは身につけなさい、って教えろよ」って思いましたね。
確かに、自分がいろいろと経験してみると、うまく説明できないけれどある程度こうしたほうがいい、というような行動規範はあるように感じます。そしてそれを多くの人が「常識」と呼んでいることも。
ただ、やはり他人(ましてや子供)を制するときに持ち出すべき概念・言葉ではないと思います。
空気が読めないはせがわです(笑
お久しぶりですー。
常識と似てるけど「普通」っていう言葉もなんだか引っかかります。
「だって普通はこうじゃない?」とか。
その人のスタンダードでしかないと思うんですけど。
まぁいちいち説明するのがめんどくさいのかなぁとも思います。
私もそうです。
by はせがわ (2006-04-11 02:14)
>はせがわさん
お久しぶりです。コメントありがとう。
「普通」も、「みんな」もこの類いだよね。
そういうことを疑わない人を僕は好きになれません。
もっと作為的なものですが、「流行」もこれに準ずるかと。
自分が好きか嫌いかとか、自分がどう感じるかに向き合っていくことが大事だと僕は思います。
だけど、説明がめんどくさいとき、うまくできないときにその言葉を使ってしまう、っていう指摘ももっともだよね。
実際僕もそうだし。だから自省するんだけど。
by ナガサキ (2006-04-11 16:22)