故郷離れて・東急デハ5000 [2005年の旅]
東急の東横線に軽量・張殻構造車体・カルダン駆動のデハ5000がデビューしたのは昭和29年の事でした。私は高校二年生。
その年の12月、兄のカメラ、オリンパス35Ⅳを持って自転車で、東横線の新丸子~武蔵小杉間の築堤までやってきました。どのくらい待ったでしょうか・・・・やってきました三両編成、デハ5000+サハ5050(デビュー当初)+デハ5000。明るい草色の塗装も美しく、渋谷に向かって走って行きました。
さて、時は流れて、現在2006年、デハ5000は東急には在籍せず、全国各所に散って行き、そして現役を退いて行きました。まだ、二両が熊本電鉄で元気で働いているとの話。
昨年暮の九州旅行の折、この熊本電鉄に立ち寄ったのです。
2005年12月10日、空路、鹿児島入りし、市電を乗りまわした私は、一夜明けた、12月11日、九州新幹線~リレーつばめ、で熊本に着きました。各停の電車に乗り換え、上熊本駅で下車。 その駅前、左側に熊本電鉄のターミナルがありました。ターミナルと言っても、線路が一本、行き止まりになっていて、ホームが一本。
(1) 居ました、5102Aのナンバーで両運に改造されてはいましたが、デビュー当時を偲ぶには充分な出で立ちです。
(2) 上と同じ「上熊本駅」です。
(3) 熊本電鉄社章、ナンバーの切り文字、ワンマンの表示、車内風景。
(4) 上熊本駅から単線をのんびり走ります。途中トンネルがあったり、バラエティに富んでいます。ほどなく、熊本電鉄の車庫もある「北熊本駅」に到着。相棒の5101Aも休んでいます。5102Aと5101Aの二両の、元東急デハ5000形は、この短い支線内での運行を担当しているようでした。
(5) 北熊本駅構内の、5101Aと5102Aの兄弟電車。
(6) 5102Aの左に一寸だけ元・南海の電車が覗いています。右のステンレスカーは、元・東京都営地下鉄三田線の6000で、ここでも6000系と称されていました。
5102Aの右端、遠くに小さく、元・国鉄モハ90のモハ71が居ました。これは、貴重な電車です。
私は、このあと、本線?の終点の御代志駅まで行き、すぐ引き返しました。そして、北熊本駅を通り、熊本市のターミナル「藤崎宮前」まで乗ったのです。藤崎宮前は、昔は側線もある大きな駅だったようですが、現在は、単線が一本、無造作に行き止まりになっているだけです。そういえば、本線の終端、御代志駅も、線路は一本でした。
折角ここまで来たのですから、藤崎宮に参拝し、参道のお店で、お汁粉と、お餅で一休みしたのです。
探索中の1970年代の写真が出てくるまで、昨年から今年にかけての旅で拾った『電車写真』を出したいと考えています。
仕事で熊本に行っていた頃、時々熊本電鉄を見物に寄り道しました。
のどかで静かなところをノンビリ走る電車という感じでしたね。
東急時代を知っていると、なおさら感慨深いですね〜。
by quatre-l (2006-09-06 16:09)
今では元東急、先代の5000系はここだけの運行となりましたか。まだまだ健在であって欲しいものです。
by 岸田法眼 (2006-09-07 00:04)
「青蛙」の初乗は1970年代後半、友人の大学下見に付き合った帰りの自由が丘から渋谷まででした。その時点でも既に骨董品に触れたような感動を味わったものでした。今もまだ現役、しかも色もそのままなんて、熊本電鉄も粋な計らいをするものですね。
by no (2006-09-07 08:31)
米沢市の高橋です。 東急の青蛙の写真を見て感激です。
あれに詰め込まれ通学しましたが混んで下りられないこともありました。
福島電鉄にあったとき乗りました。熊本で現役なのですね。
by まちりの高橋 (2006-11-16 09:03)
一般には青蛙ですが、子供の頃、おたふくと呼んでいました。
それにしても、緑一色というのが、かえって新鮮に感じられます。
by manamana (2007-02-02 23:40)
■ 東急のデハ5000は、このページ、トップの写真のように、私が高校2年生のときにデビューした電車です。台車・床下は「黒色」が常識だった時代に、グレー塗装。制動停止時にやかましい音が出ていた以外は、静かな良い電車でした。エアコンは無かったけれど、今なら危険って言われちゃいますが、大窓が全開出来、涼しい風が沢山入りました。
デハ5000は第二の人生(車生?)を全国各地に散らばって頑張りました。手近なところで岳南鉄道には未だ廃車体が有るのではなかろうかとおもいますが、如何なのでしょう?
by む〜さん (2007-02-03 16:06)