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中国のナショナリズム [国際法・国際関係]

歴史認識問題では主に国際政治的なことを書きましたが、今回は中国のナショナリズムの形成を見たいと思います。

写真:国際問題 2005年12月号 No.549

因みに元ネタは前回歴史認識問題の

ところで触れたように、

「国際問題」という雑誌を参照しながら書いています。

 

 

中華人民とは何か、その定義は困難です。まず、中国文明という文化的同質性を根拠とするものがあります。そしてまた、血縁集団に基づいた種族集団としての中華民族です。この発想は、漢民族による排外的な発想です。孫文がこの発想の主です。しかし、現実問題として中国には多くの民族がいます。そこで、中華民国が成立したときに<1912>、五族協和が主張されます。この五族協和のなかでは、あくまで漢民族が中心としながら、文化という後天的なものと、血統という先天的なものとを混在させることにより、排外的な色彩を糊塗することになります。

中華人民共和国ができると、毛沢東によって、こうしたナショナリズムに代わり、人民、即ち階級によるナショナリズムが主張されます。

毛沢東が逝去し、鄧小平が改革を唱えるようになると、毛沢東の人民概念は色あせて生きます。ここで、大衆が3つの周縁化を被ります。第一に、文化の担い手としての地位が知識層の復権かとともに失うことによる文化的周縁化。第二に、新自由主義ののもと拡大する貧富の差による、経済的周縁化。第三に、経済エリートが共産党に入党することが促されることにより生じた、政治的周縁化です。

この周縁化に伴い、毛沢東の人民概念が色あせ、大衆の中では、かつての漢民族中心の中華民国的ナショナリズムが復活しだします。自らの文化程度、経済程度の向上により、自らもその中心になるとこの出来なかった大衆、即ち周縁化された大衆は、アーネスト・ゲルナーの言葉を借りれば種族的同一性という「たった一つの哀れな卓越性に、激しい情悪の念をもって固執する」ことになります。

現在のコキントウ政権は、鄧小平・江沢民時代に周辺化された大多数の大衆をどうするか、ということを最大の問題としています。彼らが最大の脅威だからです。彼のスローガンである「調和する社会」などは、まさしく彼のそうした考えを反映したものとなっており、経済発展によって支払わなければならない対価として、大衆ナショナリズムにどうするかが問題となるのです。

天安門以降、中国とASEAN諸国の関係が修復されると、ASEANにいた華人が中国への投資を行う環境が出来てきます、それに伴い人の移動が活発になり、中国が海外渡航の要件を緩和したことにより、より活発になったといえます。彼らによって伝統文化の復興の動きが加速します。これが国内の大衆ナショナリズムと結びつくことで、種族主義的ナショナリズムが加速され、中華民族の公式ナショナリズムとしの「愛国主義」の立場を脅かすようになり、また、混同されるようになっていきます。

また、他にも仏教・道教・キリスト教・イスラム教などの宗教の動きが時を同じくして、国外から影響浸透を与えていきます。宗教は少数民族問題をも結びつきます。

愛国主義教育はこうした文脈の末に出てくるものです。

即ち、周縁化される大衆の精神的な中心回帰、種族主義的なナショナリズムへの毒抜き、少数民族ナショナリズムへの牽制、という意味があると考えられます。国家が大衆ナショナリズムと、それと相反する経済自主主義の両者の関係を折衷しようとしたものであります。

中国の『愛国主義教育実施要綱』は反日という文脈で捉えるべきではなく、かかる観点から捉えられるべきであります。『愛国主義教育実施要綱』は民族の精神を訴えるけれども、それが何なのかは定義してないし、定義できないのだと思われます。

1990年代後半にインターネットが普及しだします。インターネットは都市の大衆まで普及するようになります。かつて共産主義時代に成長した大衆は公共の場における理性的な討議の訓練を受けていません。インターネットは非理性的な言説の吹き溜まりとなります。外国の言語を知らない彼らは増々、内向きの排外的な議論に傾倒していきます。

コキントウは以前にも書きましたが中華民族の振興の前提として、経済発展を目標としています。そのためには国際環境の安定は欠かせません。だから彼は、日本との問題には紛争として激化させることを望んではいないのだと思われます。

にもかかわらず問題が複雑化しているのは、尖閣、東シナガス田、国連改革、台湾、靖国、教科書、など多くの問題が一気に出てきたという偶然の事実に加えて、日本の行動にも一因があります。日本国内でしか通用しない論理を用いて、正当化を試みること、などがその例です。また中国が反日教育を行い外交カードをナショナリズムの高揚により手にしようとしている、という偏狭、偏見も問題です。たしかに反日的内容はありますが『愛国主義教育実施要綱』にも反日という文言はありませんし、日本の人が思っているほど反日教育を行っているわけではありません。むしろ韓国よりも教育については穏健であるとさへ見ることができます。さきにも見たように、政府は偏狭なナショナリズムを抑えることに最大限の努力を図っているのです。彼は大衆の反乱をなによりも恐れています。

であるからして、逆に大衆のナショナリズムに譲歩した行動を行わざるを得ないところがあります。

 

小泉さんはこうした中国の意図をどれだけ考えているかは分かりませんが、中国政府のはしごをはずし続けていることになっていると思われます。最近は中国の関心はポスト小泉に行っているのかもしれません。


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コメント 1

ましま

TBありがとうございました。
近代中国の知識は浅いのですが、中華民国的ナショナリズムというのが具体的に何をさすのかわかりませんでした。あとは、その通りだなあと思います。本当の中華思想を知るには孔子の頃から始めなければなりません。それがまた、日本を知ることにもなると思います。
by ましま (2006-01-10 20:04) 

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