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歴史認識問題1 [国際法・国際関係]

歴史認識問題について考えてみました。

今大学院の同期の人たちと歴史問題について、研究しています。今日はF教授(うーん、ばればれな気が・・・)の話を聞く機会あったので、それを思い出しながら書きます。

かつて、歴史認識問題で今いきなり解決しなければならないことはない。ということはない、と書きましたが、そうはいっても問題といえば問題で、いろいろなところで障害がところどころ問題が生じているのは事実。ということで情勢分析をもう少し考えてみました。少し論調が変わってるかもしれませんが、あの時と少し成長したのだと思って、見過ごしてください。

どの国の歴史もそれぞれ独自の解釈に基づいているのだし、どの国も他国に対して偏見が存在しています。その他事情も相俟って、この違いが大きくなっているのが今日の歴史認識問題なのだと思います。

最初に、国際的に日本はどう見られているのか、ということを見てみたいと思います。特に欧米ですが、程度の差こそあれ、ドイツとの対比によって日本の態度が見られています。

1995年に戦後50年を迎えるドイツは、冷戦の終了、東西ドイツの統合からドイツへの脅威を持っている欧米諸国から偏見と不信の目を向けられることになります。そこでドイツはそうした不信感を払拭するために公的にもナチスドイツに対する批判と戦後ドイツの国際平和に対する姿勢を強調することになります。

ちょうど同時期、日本も戦後50年くらいで村山首相が自らの意思で反省とお詫びのための談話が発することになりますが(村山談話)、社会党の村山政権を支え、事実上支配していた自民党が自らの立場と異なることを強調するために所謂「妄言」の類の発言を繰り返します。村山談話自体は一応の評価はなされますが、却って自民党の行動が際立ってしまい、むしろマイナスの評価が強まっていきます。こうして次第に、「反省しているドイツ、反省していない日本」というイメージがこの頃定着しだします。

無論、戦後の国際政治の中で、ドイツと日本では置かれた状況は異なります。また、ドイツではナチスがあまりに残虐なことを繰り返していたために、戦後ドイツ人はナチスを完全に他者として区別することができたからこそ、ナチスに対する批判が可能でありましたことも日本と違うと思います。しかし、実際問題として日本の偏見も相まって「反省しない日本」というイメージができたのも事実です。日本企業がドイツ企業と異なり賠償に応じていないのも一因であると考えられます。

こうした動きと連動しているかはともかく、中国でも歴史認識の問題について日本を批判する出版物が出るようになります。

そこで中国を見ることにします。ちなみに中国では日本とアジアの見方が違うようです。やはり中華ということか、自分たちとの友好を結ぶことがアジアとの友好であると考えている節があります。そして、中国だけではありませんが、現在の日本を脱アジア化している西欧の国だと見る向きがあります(これは日本がアジア重視といいながら、現実において日米同盟第一としていることがそのように受け取られる原因を作っているのだと思います。現に今でも多くの人が欧米に親近感を感じている人が多いのではないかと思います)。

重要な出来事として冷戦終了があります。中国の存在意義が日米にとって失われます。同時に中国も米国にたいして封じ込めの脅威を感じます。同時に、人民解放軍の問題があります。そしてベトナムにも負けることからも明らかなように、数が多いだけであまり役に立ちません。しかし、数が多い分だけお金がかかります。冷戦終了頃になると減らされないように、国防の必要性を訴え、人民の忠誠心を高める必要が出てきました。これが愛国教育に結びつくのですが、以上のようにこれらは内向きの要請に基づくものです。しかし、そのとき目に見える形で敵として用いられたのが日本でした。そしてこのとき用いられた反日が日本の政治家の失言、靖国、教科書、さらには上で書いたような動きと組み合わさり強くなっていきます。

しかし、中国にもこうした勢力だけではありません。鄧小平の改革開放政策以降台頭した経済官僚たちは、現在の胡 錦濤政権にもあるように平和台頭、経済の発展を志向しています。彼らにとって、人民解放軍は金食い虫だし、無用な軍事リスクを生み出す厄介な存在です。しかし、「中国の最大の敵は中国」といわれるように、軍の暴走を恐れています。軍は巡航ミサイルとか原子力潜水艦の開発など無駄に金がかかり、成功が難しそうな問題を要求しています。

官僚たちは軍を少しづつ抑えていきたいと考えているようなのですが、靖国はこうした軍を勢いづかせ、軍の存在意義を与えてしまっている状態にあります。去年、中国は日本に首相は靖国に行かないように述べ、日本では内政干渉であるという反発を招くことになりますが、中国にとっては国内事情を踏まえた上で、この辺で線を引こうとするというための、メッセージだったのです。

一方韓国、韓国も同じように反日イメージは作られていきますが、中国と様相が違います、彼らの関心は最初教科書と政治家の妄言でした。意外なことに、最近のノムヒョンになるまで韓国は中国と歩調を合わせて日本を批判をすることはありませんでした。かつて、江沢民が金大中にたいして反日キャンペーンを一緒にやらないかということを提案しました。しかし、金大中はこれを断ります。金大中のときに日本から謝罪が行われ、「これで歴史問題を問題化しない」といった趣旨の発言を行います。彼はそろそろ問題を終了させる時期だと思っていたようです。しかし、この発言について、韓国としては首相は靖国に行かない、教科書は検定制度の中で適切な態度をとるということが前提として考えていたのに、日本の側はこれで韓国は大人になった、もう靖国についても文句を言ってこない、だから靖国に言っても大丈夫、と考えたようです。そんなわけないのに。

この韓国の反日は、隣国で経済的に大国である日本に対して強い憧れと、脅威の認識、そして反発といった複雑な感情が混じっているのだと思います。

 

とこんな感じなのですが、最近別個の問題として、民衆の問題が出てきました。これまではなんだかんだいってもテクノクラート同士問題で話し合われていたのですが、インターネットの普及は民衆(特に中国ですが)が問題に直接にかかわるようになる契機を与えています。彼らは生の、感情むき出しの発言を氾濫させ問題を感情の向くままに日本を批判します。もともと権威主義的な政権の下、フラストレーションの強い彼らは互いに呼びかけ行ったのが、4月頃のデモです。中国は民主主義国ではありませんが、彼らは何時民衆の声が自分たちに向くかを非常に恐れており、そのため民衆の声を大変気にします。

といっても、その数はそんなに多いわけではなく、一部の知識層の問題を全体であるかのように捉えることは妥当ではありません。過小評価も、課題評価もせずに見ていくべきでしょう。

 

と、長いな。ASEANとか日本とか、これからの展望は次回、ということで。


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