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沢田教一キタ━━━(゚∀゚)━━━!!! [報道局]

今回は戦場で活躍した報道カメラマン沢田教一をご紹介させていただきます。w  ヽ(^∀^)

私が報道カメラマン沢田教一の写真と出会ったのは20年くらい前、前回の記事でご紹介した映画「キリング・フィールド」を観たのがキッカケでした。沢田教一の人間味のあふれる数々の報道写真。戦場という危険地帯の中にあって真実を報道するジャーナリスト魂には本当に感銘を受けました。

  

報道カメラマンキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

 

沢田教一キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

 

世界のSAWADAキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

 

FLEE TO SAFETY

Pulitzer Prize

PHOTOGRAPHY    Kyoichi Sawada of United Press International

1966年度ピューリッツァー賞 写真部門 「安全への逃避 FLEE TO SAFETY」 沢田教一

The Pulitzer Prizes http://www.pulitzer.org/index.html

 

ピューリッツァー賞キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

 

SAWADA サワダ

SAWADA

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2006/11/25
  • メディア: DVD

1996年 五十嵐匠監督作品 製作=みちのく銀行 配給=グループ現代
【声の出演:根津甚八】

Group Gendai映画 [SAWADA]のページ http://www.g-gendai.co.jp/movie/sawada/sawadatop.html

 

報道カメラマン沢田教一とは 

沢田教一 (さわだ きょういち)   1936年2月22日-1970年10月28日

UPI通信社   ピュリッツァー賞受賞報道カメラマン

1936年2月22日、青森市に生まれる。
1953年、青森県立青森高校卒業。同級生に寺山修司がいた。
1955年、米空軍三沢基地内PXの写真店に勤務。妻のサタさんは同店の先輩。
1956年12月、サタさんと結婚。
1961年、UPI東京支局入社。
1965年、UPIサイゴン支局。ベトナム戦争を取材し、ハーグ第9回世界報道写真グランプリ、USカメラ賞受賞。
1966年、ピューリッツァー賞、世界報道写真展1,2位、USカメラ賞、アメリカ海外記者クラブ賞受賞。
1967年、アメリカ海外記者クラブ賞受賞。
1968年、UPI香港支局に写真部長として赴任。
1968年、USカメラ賞受賞。
1970年、再びサイゴン支局に戻る。
1970年10月28日、カンボジア・プノンペン南方の国道2号沿いで、カンボジア戦線を取材中に、プノンペン支局長フランク・フロッシュとともにゲリラによって狙撃され殉職。享年34歳。

(´・ω・`)

1971年、ロバート・キャパ賞、講談社文化賞受賞。
1982年2月26日、NHK特集「カメラマン サワダの戦争~5万カットのネガは何を語るか」が放送される。
1991年7月17日、NHKスペシャル「戦争を記録した男たち~ファインダーの中のベトナム戦争」が放送される。
1991年9月29日、日本テレビ「知ってるつもり?!」が放送される。
1996年、ドキュメンタリー映画「SAWADA」が製作される。
1999年12月15日、名古屋テレビ制作・ドラマ「輝ける瞬間」がテレビ朝日系で放送される。
2002年7月27日、NHKアーカイブス「映像に記録された戦争の真実」が放送される。
2003年、日本テレビ「一億人の大質問!?笑ってこらえて」が放送される。
2003年9月12日、NHKアーカイブス「平和の大切さ、命の重み!」が放送される。 
2004年3月12日、朝日放送制作・ドラマ「戦場に散った愛の物語… 感動スペシャル・戦場カメラマンの愛と死」がテレビ朝日系で放送される。
2004年3月27日、ヒストリーチャンネル「戦場カメラマンたちの肖像」が放送される。

 

Kyoichi Sawada

沢田教一が米空軍三沢基地PXの写真店に勤務していた当時は、同基地は朝鮮戦争の後方支援基地でした。仕事柄ロバート・キャパや多くの報道写真に興味を持ち、この頃から報道カメラマンの道に進もうと考えていたようです。

その後上京し、1961年にUPI東京支局写真部に入社しました。キッカケは三沢基地PX勤務時代の米国人の知人からの紹介によるものだそうです。

UPI東京支局写真部では写真の編集作業や、1964年の東京オリンピックなどを取材していました。しかし、ベトナムをはじめアジア各地から送られてくる同僚達が撮った写真を見るに付けて、ベトナム戦争の取材を心から希望していたようです。

そんな中、1964年8月「トンキン湾事件」勃発。これにより米空軍による北爆が開始されました。

ベトナム戦争は泥沼化へ・・・。

(´・ω・`) 

そして、ついに沢田教一は自費でベトナム行くことを決心しました。

1965年2月~3月に一ヶ月間の長期休暇の許可を得て、フリーの立場でのサイゴン行きが決定しました。

UPIからはプレスカードを用意してもらい、日本の報道各社からは資金援助を得ました。

ベトナムの戦場ではジャーナリストとしての使命感と真実への探求心で、危険をかえりみずに多くの写真を撮り続けました。

沢田教一の自費での現地取材は評価され、

1965年7月、UPIのサイゴン支局写真記者として赴任することとなりました。

 

FLEE TO SAFETY

1966年度ピューリッツァー賞「安全への逃避」

この写真は、1965年9月6日、「サーチ・アンド・デストロイ」に赴く部隊と共に、同行取材で訪れたある村で撮影されました。

サーチ・アンド・デストロイとは、ベトコンと関係が有りそうな村に赴き、徹底的な調査・探索を行い、その痕跡などを発見した場合にはその村を焼き払うという作戦行動で、情報収集とゲリラの掃討が目的といわれています。

ベトコンの拠点と目されるこの村に対し、米空軍がナパーム弾による空爆を開始しようとしていた時でした。

逃げまどう罪のない一般の村人達。米兵に追い立てられターゲットとなる村の外へ。

その中で、小さな子供4人を連れた母親が必死に川を渡る姿を発見しました。

(´・ω・`)

親子を手助けしながら、シャッターを押し続ける沢田教一。

 

この光景は、沢田教一の写真によって世界中の人が見ることとなりました。

この写真によって、報道カメラマン沢田教一は「世界のSAWADA」になりました。

写真に写っている親子は、確か後のドキュメンタリー番組で取材を受けていることから、生存していることが確認されています。

 

世界のSAWADA

沢田教一の写真は世界に配信され国際的評価を受けはじめました。 

1965年、第9回世界報道写真グランプリ、USカメラ賞受賞。
1966年、ピューリッツァー賞、世界報道写真展1,2位、USカメラ賞、アメリカ海外記者クラブ賞受賞。
1967年、アメリカ海外記者クラブ賞受賞。

1968年 9月、UPI香港支局に写真部長として赴任。
1968年、USカメラ賞受賞。

1970年1月、戦争拡大にともない、再びサイゴン支局に戻りインドシナのカバーにあたるようになりました。

 

しかし、

1970年10月28日、カンボジア・プノンペン南方の国道2号沿いで、カンボジア戦線を取材中に、プノンペン支局長フランク・フロッシュとともにクメール ・ルージュと思われるゲリラによって狙撃され殉職。享年34歳。

(´・ω・`)

 

ちなみに、ロバート・キャパは、1954年5月25日ベトナムで地雷を踏んで殉職されました。

 

ベトナム戦争の報道カメラマン

沢田教一が活躍した時代の報道カメラマン達は、比較的に戦場における取材を自由に行うことができました。

当時は当局による報道管制というものが緩く、検閲というものもほとんどありませんでした。

戦場に向かう米軍部隊と一緒にヘリに乗り込み、現地では戦争のありのままを撮ることができました。

報道カメラマンの安全は兵士達が守ってくれますが、もちろん自己責任による前線への移動であるため、危険と隣り合わせの取材活動となります。

沢田教一の写真の中には、最前線の兵士より前に出て撮影したと思われるものが何点も有ります。おそらく先回りしながらシャッターを切ることもしばしばあったのでしょう。

 

自己責任とはいえ、危険をおかしてまで、決定的瞬間を撮る必要があるのでしょうか。

しかし、彼らが現場で撮影した写真は世界に配信され、戦場の真実の姿を伝えることができるのです。

おかげで、私達はそれらの貴重なシーンを見ることができます。

ベトナム戦争はメディアに負けた戦争であったと言われています。

事実、米軍にとって戦況は悪化していた状況下でしたが、世界的な反戦への盛り上がりに火をつけたのはメディアでした。米軍は撤退し、南ベトナム軍だけでは首都を支えきれなくなり、ついにサイゴンは陥落しました。

 

これらのことから、その後の戦争では情報操作の重要性が認識されるようになり、戦争報道はいちじるしく変わることになります。

 

現代の戦争報道は当局から厳しい制限を受けています。多くの場所が立ち入り禁止となり、プール制の代表取材と映像の検閲など、戦場ではメディアは完全に統制下にあります。

 

グローバリゼーションの現代ではメディアもその中に取り込まれています。

しかし、メディアには戦争報道に限らずあらゆる場面で、ピューリッツァー賞の精神を持って限りなく正確な情報を報道して欲しいものです。

 

そして、私達の知る権利と報道の自由が守られるように、世界が平和であって欲しいですね。

 


 

沢田教一を題材としたドキュメンタリー 

NHKアーカイブス 

「NHKアーカイブス」2003年(平成16年)9月12日放送「平和の大切さ、命の重み!」 http://www.nhk.or.jp/archives/program/back040912.htm

NHK特集「カメラマン サワダの戦争~5万カットのネガは何を語るか」 1982年(昭和57年)2月26日放送(49分)、現代の映像「ベトナム帰休兵」 1966年(昭和40年)4月22日 放送(29分)

 

「NHKアーカイブス」2002年(平成15年)7月27日放送「映像に記録された戦争の真実」 http://www.nhk.or.jp/archives/program/back030727.htm

NHKスペシャル「戦争を記録した男たち~ファインダーの中のベトナム戦争」 1991年(平成4年)7月17日放送 : 80分

 

日本テレビ「知ってるつもり?!」 沢田教一

1991年9月29日、日本テレビ系で放送。

 

 

沢田教一を題材としたテレビドラマ

Glorious Moment 
ドラマ 輝ける瞬間 「コンバットカメラマン沢田教一の愛と青春」

1999年12月15日、テレビ朝日系で放送。(名古屋テレビ制作)

【出演】大沢たかお、財前直見、西田敏行、押尾 学、他

輝ける瞬間(とき)

輝ける瞬間(とき)

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2000/03/24
  • メディア: ビデオ
TOHO-A-PARK.COM---ビデオ---輝ける瞬間 http://www.toho-a-park.com/video/new/v-k/index.html

東宝ミュージック:「輝ける瞬間」 http://www.toho.co.jp/music/soundtrack/glorious/index.htm 

 

ドラマ「戦場に散った愛の物語…
感動スペシャル・戦場カメラマンの愛と死」

2004年3月12日、テレビ朝日系で放送。(朝日放送制作)

【出演】萩原聖人、斉藤由貴、天野晴、佐倉徹、高橋花衣、和田慎太郎、清水三世、他

 

 

沢田教一関連 ~出版社、美術館 リンク

 

-くれせんと- HomePege ピュリッツァー賞 受賞カメラマン 「沢田教一」 の記録 http://www.geocities.jp/lsyu25/index.html

青森県立美術館 平成18年度常設展示「青森コンプレックス」・展示室J デスパレートな青森:小島一郎と澤田教一 http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/3/

 


 

沢田教一関連 ~Amazon リンク

 

SAWADA

SAWADA

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2006/11/25
  • メディア: DVD

泥まみれの死―沢田教一ベトナム写真集

泥まみれの死―沢田教一ベトナム写真集

  • 作者: 沢田 サタ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/11
  • メディア: 文庫

 

戦場―二人のピュリツァー賞カメラマン

戦場―二人のピュリツァー賞カメラマン

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 共同通信社
  • 発売日: 2002/04
  • メディア: 大型本

 

ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日

ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日

  • 作者: 青木 富貴子
  • 出版社/メーカー: 文芸春秋
  • 発売日: 1985/03
  • メディア: 文庫

 

沢田教一プライベートストーリー

沢田教一プライベートストーリー

  • 作者: 沢田 サタ
  • 出版社/メーカー: くれせんと
  • 発売日: 2005/07
  • メディア: 単行本

沢田教一ベトナム戦争

沢田教一ベトナム戦争

  • 作者: 沢田 教一, 沢田 サタ
  • 出版社/メーカー: 地方・小出版流通センター
  • 発売日: 1989/04
  • メディア: 大型本

サワダ―遺された30,000枚のネガから 青森・ベトナム・カンボジア

サワダ―遺された30,000枚のネガから 青森・ベトナム・カンボジア

  • 作者: 沢田 教一, 鍵和田 良輔, 豊崎 博光
  • 出版社/メーカー: くれせんと
  • 発売日: 1990/06
  • メディア: 大型本

ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日 (1981年)

ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日 (1981年)

  • 作者: 青木 富貴子
  • 出版社/メーカー: 文芸春秋
  • 発売日: 1981/04
  • メディア: -

 

ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日

ライカでグッドバイ―カメラマン沢田教一が撃たれた日

  • 作者: 青木 冨貴子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2000
  • メディア: -

泥まみれの死―沢田教一ベトナム写真集 (1971年)

泥まみれの死―沢田教一ベトナム写真集 (1971年)

  • 作者: 沢田 教一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1971
  • メディア: -

密封されたフィルム―日本人カメラマン12年のベトナム総集 (1979年)

密封されたフィルム―日本人カメラマン12年のベトナム総集 (1979年)

  • 作者: 沢田 教一
  • 出版社/メーカー: 紀伊国屋書店
  • 発売日: 1979/08
  • メディア: -

 

 

 

 


 

2006年10月24日に発表された世界報道自由ランキング (対象は168の国と地域)

日本の順位は前年より14位下がって51位と厳しい評価となりました。

パリを拠点とする言論の自由擁護団体「国境なき記者団」では、日本での報道の自由が侵食されつつあることに、強い懸念を示しているそうです。

国境なき記者団
Reporters sans frontières - Reporters Without Borders - Reporteros sin fronteras http://www.rsf.org/

報道の自由:日本に厳しい評価 国境なき記者団がランク-話題:MSN毎日インタラクティブ http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061025k0000m040095000c.html

NIKKEI NET:国際 ニュース イラクで記者らの死者100人に・国境なき記者団が発表 http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060803AT2M0300Y03082006.html


 

 

戦場のジャーナリスト ~ つづく 

 

 

(^ー^)ノシ

 

 

☆ キタ━━━(゚∀゚)━━━!!! Archives ☆

 

キリング・フィールドキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

http://blog.so-net.ne.jp/modspants/2006-11-03

中波ラジオキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

http://blog.so-net.ne.jp/modspants/2006-10-09

ラジオ送信所キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

http://blog.so-net.ne.jp/modspants/2006-10-01

スーパーロックKYOIキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

http://blog.so-net.ne.jp/modspants/2006-09-23

ニュースサイト・リンク集キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

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つぎはぎニュースキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

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富士フォトサロンキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

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北海道のメディアきた━━━(゚∀゚)━━━!!!

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       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       | 世界の皆に真実を伝えるために撮るお
       \_____  ________________
                ∨
                         / ̄ ̄ \  アマリムリシナイデ
      /\         /  ̄ ̄\   |_____|     / ̄\
     /| ̄ ̄|\   |_____| ∩(・Д・ ;||┘  | ̄ ̄| ̄ ̄|
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AAアジト公開中! 

 


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コメント 15

うまっち

キリング・フィールド、怖い映画でした。
でも、カンボジアでは本当に恐ろしい時代があったのですからね~。

キリング・フィールド。最後に流れる「イマジン」は記憶に強く残っています。
by うまっち (2006-11-11 22:48) 

ahtoh

報道の自由は、言われてみれば制限されてきているような・・・。
そして発言の自由も間接的に厳しいものがありますよね。
マスコミに対して言ったことに対して、多くの人にすごいバッシングを受けたケースもあるようですし。
by ahtoh (2006-11-12 09:05) 

moonrabbit

日本の報道なんて各社の思想・思考が反映されまくっていて、公平・自由な報道なんて程遠いと思いますよ。どんなに気をつけていても、限られたスペースに記事を書き込む段階で何を盛り込むかの選択がなされているわけですから。
写真も中国が南京虐殺を誇大広告したように、全く別のものに使われたりできるという両面性を否定できないところも、もどかしさを感じます。
でも現場に行って撮るという行為は貴重であり、誰かがやらなければ正しく伝えることができない、正しいことを知ることができないという当たり前のことも分からない世の中なんですよね。こんなに情報があふれていますが。(--
by moonrabbit (2006-11-12 11:48) 

Ryo

moonrabbitさんも書かれていますが、検閲や表現の自由以前に、日本のメディアの現状を懸念しますね。
大手新聞社の偏向報道はほとんど宗教に近い・・・。
実際こういう現場で切り取られた正確な情報を、どう報道するかが重要だと思うんですけどね。
by Ryo (2006-11-13 08:41) 

モッズパンツ

>>うまっちさん
nice!&コメントどうもありがとうございます!
うまっちさんも映画「キリング・フィールド」は御覧になっていらっしゃいましたか。ラストシーンはトテーモ感動しましたよね。 (^ω^)b
戦場のジャーナリストは相当な覚悟と使命感が無ければ勤まりませんよね。報道カメラマン沢田教一は本当にすごい人だと思います。 (´∀`)ノ 

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2006-11-13 23:39) 

モッズパンツ

>>ahtohさん
コメントどうもありがとうございます!
「国境なき記者団」では日本の閉鎖的な記者クラブ制度やマスコミに対するバッシングを言っているようです。もちろん、マスコミから一般の方への報道被害があっては絶対にいけませんよね。 (^ω^)b 
いつか機会がありましたら、報道カメラマン沢田教一の写真集を御覧になってみて下さいね。 (´∀`)ノ
 
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2006-11-13 23:41) 

モッズパンツ

>>moonrabbitさん
nice!&コメントどうもありがとうございます!
報道各社にはそれぞれカラーがありますよね。全社の報道を見るのは大変ですが、できるだけ目を通すことを心がけなければいけませんね。w (ノ∀`) アチャー
報道カメラマン沢田教一のように、危険で困難な現場で取材する記者達は本当に貴重ですよね。 (´∀`)ノ
 
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2006-11-13 23:43) 

モッズパンツ

>>SWEET16さん
nice!&コメントどうもありがとうございます!
新聞各社少しずつ論調が異なるということは、少なからずも言論の自由が守られているということなのでしょうか。読者である私達はより一層真実を読み解く力を高めなければいけませんね。w (ノ∀`) アチャー
報道カメラマン沢田教一をはじめ戦場で活動するジャーナリストの、高い志しと強い使命感によって取材した記事と写真は、本当に正確に報道して欲しいですよね。 
(´∀`)ノ

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2006-11-13 23:57) 

うぃん

死んでしまったら元も子もないような気はしますけどね。。。
そこまでして伝えたかったものがあるのでしょうね。
真実を伝えない報道なんて必要ないと思います。
by うぃん (2006-11-15 00:39) 

モッズパンツ

>>うぃんさん
nice!&コメントどうもありがとうございます!
1923年、イギリスの登山家ジョージ・マロリーは、ニューヨーク・タイムズのインタビューの中で、「なぜエベレストに登るのか」という質問に対し、「Because it is there」と答えました。戦場の報道カメラマンもニュアンス的に同じような想いを持っていると思います。危険があっても「そこに戦場があるから」ということなのでしょうね。 
(^ω^)b 
うぃんさんも、いつか機会がありましたら、報道カメラマン沢田教一の写真集を御覧になってみて下さいね。 (´∀`)ノ
 
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2006-11-16 06:55) 

サダー

映像って選択しだいではどうにでもなる怖さがありますよね。写真の場合は瞬間の静止画であるがゆえに力がさらにあると思います。
あの有名なアメリカ将校がベトナム人の頭を打ち抜いた瞬間の映像しかり。

戦争報道を規制しようが中間選挙で共和党は敗北。
のちのちこの歴史はどう判断されるのでしょうか。



いずれにしろ、ヘタレな私は前線に行くこと自体ムリです。(^_^;
by サダー (2006-11-19 17:25) 

モッズパンツ

>>サダーさん
nice!&コメントどうもありがとうございます!
やっぱりニュース映像は演出を排除した状態で、真実を正確に伝えて欲しいですよね。 (^ω^)b
サダーさんも機会がございましたら、報道カメラマン沢田教一の写真集を御覧になってみて下さいね。w (´∀`)ノ

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2006-11-21 19:27) 

be-happyyy

沢田さんの写真は強烈ですよね。
しかし、34歳って若すぎますねぇ。
もちろん覚悟の上でのことなのでしょうが。
by be-happyyy (2006-11-25 10:50) 

モッズパンツ

>>BE-HAPPYさん
nice!&コメントどうもありがとうございます!
戦場という危険な場所で現実に起こっていることを、命がけで撮るわけですから、物凄い集中力と精神力が必要ですよね。 (^ω^)b
BE-HAPPYさんも機会がございましたら、報道カメラマン沢田教一の写真集を御覧になってみて下さいね。w (´∀`)ノ
 
(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2006-11-26 22:07) 

モッズパンツ

>>yutakami先生
nice!どうもありがとうございます!

(^ー^)ノシ
by モッズパンツ (2006-12-29 00:21) 

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