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ルート181/ミシェル・クレイフィ監督、エイアル・シヴァン監督 [ドキュメンタリー]

風邪が治りきっていなかったのか油断したのか、うたた寝をしてしまったおかげで、「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー山形in東京」の初日、2005年度の大賞を受賞した『水没の前に』、映画館に駆け込んだのは上映開始五分前で既に満席、なんと通路に座って観るはめになってしまい、コンディションが悪かったせいか幾度も睡魔に襲われあまりピンとこず、同じく2005年度の最優秀賞を受賞した『ルート181』も、イスラエルの実現しなかった境界線を旅し土地の人にインタビューした四時間半の作品と聞いただけで、『ショアー』を英語字幕のみで観た苦行のような経験が思い出され、まぁつまらなかったら寝るか帰るかしよう、くらいの気持ちで臨んだのだ、実は。
しかしロードムービーの形を取ったこの作品は、美しい風景のための創意や、あざとすきる演出があるわけでもないのに、四時間半全く退屈することがなく、最初から最後まで画面に惹きつけられた。パレスチナ人に対し非道なことを喋り続けるユダヤ人の老人が表情を曇らせ「君たちの態度は変だ」と主張し始める瞬間、まだ年端もいかない少年がイスラエル人かパレスチナ人か自分のアイデンティティーを笑いながら問いながら、一瞬表情に緊張が走る瞬間、撮影者/質問者は映像内にいっさい出てこないのだが、撮影対象の反応によってその存在がちゃんと浮かび上がるようになっており、それは「パレスチナ人」でも「イスラエル人」でもない、そう、つまるところ物見高い私たちそのものなのだ。
ちょうどオウム真理教元教祖麻原の死刑が確定し、それに伴い関連施設の一斉立ち入り捜査のニュースなどが目に入っていた時だった。しかし当たり前のようだがオウム真理教や麻原を一貫して悪として扱い、サリン事件の被害者や被害者家族の憤懣やる方ないコメントや、二度とこんな事件を起こさないためにと文字を連ねた記事を読みながらも、心のどこかで、「ちょっと待てよ」と警笛が鳴ってしまうのは、きっと森達也監督の『A』、『A2』を観たせいであろう。しかし警笛が鳴ったからといって、そのもやもやとしたものが何か言葉のような形になるわけではなく、そのことについて考える時間-遅延-を生むだけだ。
そういえば『A』だったか『A2』だったか忘れたが、オウム反対の住民運動をしている中年男性が、質問に答えながらふと顔を曇らせ「あんたどこの局? オウム側の人?」と森監督の素性を怪しむような質問を投げかけるシーンがあった。それはそのままミシェル・クレイフィ監督とエイアル・シヴァン監督の素性を怪しむユダヤ人老人の姿とダブる。
一見非常に政治的な映画に見えてしまうこの映画も、フランスでは上映反対運動が起こり、その中には敬愛するアルノー・デプレシャン監督がいたり(彼ら十二人の文化人の主張によれば、この映画には『ショアー』の悪質なパロディが含まれているという)と、考えなければいけないことは多分山ほどあるのだろう。しかしパレスチナ-イスラエル問題にあまり明るくない人でも、この映画の視線の明晰さ、優れた強いドキュメンタリー作品だけが持ちうる遅延の時間の贅沢さは、十二分に受け取ることが可能であろう。必見(あと二回上映ありhttp://www.cinematrix.jp/dds/2006/08/181.htmll)。ミシェル・クレイフィ監督・エイアル・シヴァン両監督の他作品の上映も求む。

ルート181・パレスチナ‐イスラエル 旅の断章

ルート181・パレスチナ‐イスラエル 旅の断章

  • 作者: ミシェル・クレイフィ, エイアル・シヴァン
  • 出版社/メーカー: 前夜
  • 発売日: 2005/10
  • メディア: 単行本


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