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東京国際映画祭(1)(2005.10.22~25) [映画祭]

いよいよ東京国際映画祭開幕。まず10/22、占領下のフィリピンでの日本人兵と現地男性の恋を描いたフィリピン映画、ジョエル・C・ラマガン監督の『愛シテイマス、1974』。日本兵の一郎が、多少日本語がヘンなことを除けば私たち日本人から見ても違和感なく、よく描けていると思う。日本兵の残酷さも描きながら、ゲリラ同士のリンチなどもきちんと描き戦争の虚しさをよく伝えている。終盤の女性主人公が怒りから立ち上がりゲリラのリーダーとなって勇敢に闘うところは、少し『アルジェの戦い』を思い出した。みんなそれぞれの立場があり、特に悪人がいるわけでもないのに騙しあい、殺し合う緊張感と公平さを全編通して貫けているのはたいしたものだと思う。この映画では、占領下で犯されるのは何故か女ではなく女のふりをした男であった。愛と友情の間に引き裂かれながらもそれを重んじることを貫き拷問にも耐え抜いた誇り高きゲイの姿にはついつい涙。
10/23、パク・チャヌクの処女作『三人組』。パク・チャヌクは好きな監督の一人だが、どうもこの映画はピンとこなかった。「復讐」というオブセッションがないと、意外と平凡な人だったりするのだろうか。まぁ私は『 JSA』 も未見だし結論は新作の『親切なクムジャさん』を見終わってからにしよう。サイトによるとティーチ・インがあるようでもしかしたら来日しているらしい監督が・・と期待に胸をふくらませたものの何も起こらなかった。がっかり。この映画は「韓流の源流」という特集三本のうちの一本で、「韓流の源流」というのなら『下女』くらいやってよね・・と憎まれ口を叩きたくなるが、そんなエグイ映画は今日本で流行っている「韓流」の源流ではないか・・。
10/25、コンペティションに出品されている中国映画『私たち』。老婆と少女の触れ合いの話というと、とても地味なものを想像するのだが、この映画は冒頭から非常に映画的な驚きと喜びに満ち溢れている。少女が家主である老婆に要求する、叫ぶ、瑞々しい生命感が、老婆の固くなってしまった体と心をほぐしていくのが分かる。中盤の花火のシーンは、ああ花火が印象的な映画のリストに一つ加えなくては、と思う。全く豪奢ではない質素な花火なのに、心の闇に火が灯るようだ。演出は一貫して素晴らしいので、中盤以降物足りなさを感じたのは脚本の問題だろう。老婆と少女が過ごした時間を反芻するような仕掛けかエピソードでもあれば、もっと感動が深くなったのになぁ、などと思う。しかしそれこそアメリカ的、或いは日本的なシナリオ術に毒された感覚なのかもしれない。考えてみると中国映画はあまりそんな風に「お話」に意匠を凝らさないものが多い。なのにあんなにも心を揺り動かすヤンヤン・マクの『胡蝶』やチュー・ウェンの『海鮮』はだからこそ他の追随を許さないほど素晴らしいのだと思う。
ティーチ・インには美しい女性監督のマー・リーウェンと、少女役のコン・チェが出席。コン・チェはチラシ等に使われていた写真はあまり可愛くなくて残念なのだが、映画では本当に魅力的な少女であった。コン・チェ本人は美術を学んでいる内気な少女らしい。マー・リーウェン監督は、中国で映画を撮り続けることの困難さを語りながら「才能があれば埋もれることはないと思う」という発言からも凛とした強さが印象的であった。((2)に続く)


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