SSブログ

忘れられない日① [その他]

今から11年前 1995年の1月17日
忘れられない あの 阪神大震災の日

思い出しただけでも 涙があふれてきそうです・・・

かなり長くなりそうですが 忘れてはいけないあの日の出来事を書いていきたいと思います




当時 高校生だった私
午前5時46分・・・  寝ている私に何か どーんっ!! という すごい衝撃がきました
目覚めの悪い私もすぐに目が覚めてしまった あの衝撃・・・

何秒後かに ぐらっ と揺れ 私は 「あ 地震だぁ」と 思いました
そしてその揺れはおさまるどころか徐々に大きく揺れだし 体験したことのないぐらい
横に大きく大きく揺れだしました

止みそうにないその揺れに 恐怖は急に沸きあがり 「きゃーーーーっ!」と叫びました

冬なのでまだ部屋は暗く なにがどうなっているかまったくわかりませんでした
そのうちに揺れはおさまり ガタガタ震える手で電気をつけようと 布団から出ました
でも 電気がつきません (電気の供給がストップしていました)
とりあえずカーテンを開けると・・・

部屋の中がぐちゃぐちゃ 足元には大きなデスクトップのパソコンが転がっていました
足の上に落ちていたら 骨折していたと思います 
ベッドも机も本棚も なにもかもが ぐちゃぐちゃでした

そして 窓の外から ご近所のかたの声が聞こえてきました
ふと窓から外をみると・・・・

そこは 17年見慣れた自分の部屋からの景色ではありませんでした
向かいの2階建ての文化住宅がぺっちゃんこ その向こうの景色がよく見えました
一階部分が全部つぶれていました
そして みんなが二階の窓から道路に這い出していました

一瞬 何がなんだかわかりません
しばらく 呆然と見ていて ふと 「お母さんとタム!!!」と 我に返りました

お母さんは隣の部屋にタムと一緒に寝ています
あわてて隣の部屋に走りました
お母さんの部屋には 和ダンスがたくさん置いてあり その真ん前に布団を敷いて寝ています
お母さんの部屋に入ると タムを抱いて放心状態でした
見ると 和ダンスの観音開きの扉が開いてから布団のほうに倒れていました
開いたタンスのドアと布団のすき間にお母さんはちょうど寝ていて それで助かったようです

お父さんは消防士で24時間勤務でした
その日は朝9時に仕事を終えて帰ってくる日でした
いつもお父さんは一階に寝ていたんですけど その部屋もタンスが倒れていて
お父さんがいなくてよかったと思いました

私とお母さんは ふたりで泣きながら 一階に下りていきました
私たちがなかなか家から出てこないので ご近所のかたが心配して 家の窓やらドアやらを
ドンドンたたいて 「いたら返事して~!!!」って 必死になって叫んでくれていました
玄関がゆがんでドアが開かなかったので 開く窓から這い出しました

もう外は 私の知っている景色ではありませんでした
時が止まったように静まり返っていて ただヒトの声だけが聞こえている そんな感じでした
ガス漏れのにおいがしました 何かが燃えているにおいがしました
それに 持ち家である目の前の文化住宅が半壊です
いったいどうなるんだと 高校生ながら これからの恐怖に言葉がでませんでした

近くの道路は陥没したり亀裂が入ったり盛りあがったり・・・ 
コンビニも お金を払わずに商品を持っていく人がいたり そこはもう日本ではありませんでした

私たちは 何度となく続く余震に怯え 震え 近所の人を我が家に集め
10人ぐらいで身を寄せ合って 何十時間も共に過ごしました





っと かなり長くなりそうなので 今日はここまでで終わりにします
続きはまた書いていこうと思います

いま これを書きながらも 思い出すともうダメですね 泣きそうになります
でも これは忘れたい出来事でもあるけれども 絶対に忘れてはいけない出来事です
もしよかったら 続きをまた読んで下さるとうれしいです


nice!(1)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 5

ごんぞう

私も覚えています。朝起きて、TVつけたら、ボロボロになった街の映像が。「え?どこかの国で大地震?」って一瞬思いました。神戸と聞いて唖然・・・。とりあえず会社に行くと、神戸出身の同僚が出社していて、「これから神戸へ向かいます」っていうので、上司が当時はまだ普及していなかった会社の携帯電話を持たせて、送り出しました。あとで聞いたら、神戸の家まで辿り着くのに3日かかったそうです。幸い、同僚の家族はみな無事でしたが、すごいショックを受けていたそうです。ともっぴーさんは経験されたんですね。さぞかし大変な思いをされたのではないかと思います。我が家もわずかながら水や食料の備蓄、防災グッズを揃えたりしていますが、願わくば、地震など来ないでほしいです。
by ごんぞう (2006-01-19 20:59) 

cinnamon

私も忘れられないです。当時私は名古屋に住んでいました。
名古屋でも朝、かなり揺れ目が覚めました。
その後いつもどおりに会社に出勤したら、関西で凄い地震があったと
騒ぎになってました。当時主人の両親は関西で別々の病院に入院していて
安否を確認するにも電話が繋がらなくて…
幸いどちらの病院でも大きな被害はありませんでした。
1月20日に義母の手術があったので、名古屋から病院へ向かう電車の
中、救援物資のリュックを背負った人がたくさん乗っていたのを覚えています。
ともっぴーさんは大変な思いをされたんですね。
続き、また読ませてくださいね。
by cinnamon (2006-01-19 22:07) 

みゆき

私はその時東京でした
この日記の続きがとても読みたいです
知らないからこそ知っておきたいと思います
よろしくお願いします
by みゆき (2006-01-20 14:51) 

momo_barbie

読んでたら涙が出てきました。ともっぴーさんと私は同じ年齢で、その時は私も高校生で神戸に知り合いが誰も居なかったので、遠い所で起こっている出来事だと思っていました。でも毎日TVのニュースで見て辛かったです。
私が体験したことのある地震は大きくても震度4ぐらいで、それでもものすごい恐怖を感じます。それ以上の恐怖を体験されたんですよね。
新潟の地震があった時に友達から話を聞いたけどすごく恐かった。言葉でうまく表現できないけど、すごく辛かったです。
続きのお話をまた読ませてください。
by momo_barbie (2006-01-21 01:52) 

ともっぴー

ごんぞうさん
職場の神戸出身の方 車で神戸に向かわれたんでしょうか?
道路もヒドイ状態でしたので大変だったと思います
その方のご家族もご無事で本当によかったですね
地震大国の日本はいつ大きな地震が来るかわかりませんよね
防災グッズ うちにはありません(汗)
準備しておかないとダメですね~

cinnamonさん
名古屋でも揺れたんですね~ 旦那様のお父様お母様が神戸にいたなんて・・
それは心配されたことでしょう・・・
でも ご無事で本当によかったです
連絡が取れるまで けっこう日にちがかかったんじゃないですか?
1月20日はもう電車は動いていたんですか?
救援物資を運んで下さる方がたくさんいらっしゃってとても助かりました
感謝の気持ちでいっぱいでした

みゆきさん
こんばんは!コメント残してくださったんですね~ありがとうございます!
お仕事で東京にいらっしゃったんですか?
なんだか長くなりそうだけど・・・また書きます~☆

momoさん
niceありがとうございます!
当時テレビをずっとつけていたんですけど 自分がその出来事のなかに
いるとはどうしても信じられませんでした・・・
震度4でもかなりの揺れですよね~ 私の住んでいるところは震度6でした
それでも寝ていると上下がわからなくなるぐらいでした
なにかのアトラクションに乗っているような感じでしたよ
by ともっぴー (2006-01-21 19:17) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

2006冬バーゲン③忘れられない日② ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。