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公教育 ~何のために学校に行くのか~ 前編 [主張-時事]

単位未履修の問題が騒がれている。
この件については、
1・大騒ぎする問題ではない
2・原因が学校にあるという主張は稚拙
3・根本にある「何のために学校に行くのか」という問題

…このあたりを押さえておけばいいだろう。
この件自体ではなく、その背後に大きな問題があるので、そこを追究したいと思う。


1.
まず、「大騒ぎする問題ではない」ということ。
まぁマスコミが国防関連の話題をしたくないというのはわかるし、
教育改革を掲げる内閣をバックアップするためには
現状がいかにひどいかを事前に大々的に報道しておいて
改革の成果を引き立てたいということもわかる。
しかし、連日の報道はひどすぎる。
どっかの某朝日新聞は「偽装」という単語を使っていた。
こんな低能な新聞に教育云々を言う資格はないと思うが、ここは
冷静に一つ、マスコミ批判をしておこう。
なんだか大問題のように語られているが、実際のところは
耐震偽装やBSEと並べて語る次元の話ではない。
こんなことより、藤田東吾の暴露するアパグループの偽装の方が
よっぽど問題だと思うが、そっちは見事にひねり潰されている。

倫理や家庭科を教えてなかったから、卒業できないかもしれない。
だったら、今から急遽教えればいいだけのことだ。
どうやって教えるかって?年末年始に集中授業を行えばいいのだ。
形式上。

朝7時から夜9時までプログラムを組んで、12月31日も1月1日も
授業を行うことにすればいい。

で、やったことにすればいいじゃん。

出席は取らない。テストも行うけど「教師の裁量」に成績判定を委ね、
というかテストもやったことにして書類をでっち上げて、
適当に2~5をつけて、赤点をつけなければいい。
これを、生徒とPTAと学校の3社が黙っていればいい。
マスコミに何か聞かれても「え?授業やりましたけど」と
言っておけばいい。

そもそもどこの馬鹿がこの問題を最初に言い出したのだろう。
よりによってこんな時期に。受験生がかわいそうだ。
何でも悪は正しましょうとか内部告発しましょうとか言うが、
いたずらに混乱を招くだけで何も生まない正義は、むしろ悪だ。
こういう足を引っ張る負の力はどんどん断ち切るべきだ。

2.
この問題については一概に原因を語ることができないのだが、
少なくとも教師や校長が悪代官化しているという主張は違うと思う。

確かに、この問題は進学校や名門校で多く起きている。
都内のある学校も、進学重点校だ。
つまり、進学の実績を上げるために、受験に必要のない科目を
教えるのをやめて、その分英語や数学に時間を割いたのだろう。
学校によっては生徒からそういった要望が出てそれに応えたというところもある。

ここにも、成果主義の限界が露呈している。(これについては昨日の記事をご高覧賜りたい)
今や学校にも評価とか競争とかいったことが求められている。
小学校では学校選択制がなされ、さらには教育バウチャー制度の導入が検討されている。

小生の母校の高校は、都立の進学校だ。
小生が通っていた当時はそうでもなかったが、現在は進学重点校に指定されたこともあり、
学校行事を削ってでも勉強をさせているそうだ。
おまけに、校長は民間人。どこぞの企業の重役だったそうで、「経営」を学校に持ち込んで
乱暴にやっているそうだ。

小生が通っていた当時は、未履修の問題はなかったはずだ。地理、倫理、政経、
家庭科、保健…全部あった。まぁ家庭科はよくサボっていたし保健は寝ていたから、
未履修に近いものがあるが…一応テストは受けて赤点ではなかったから、
履修したことになるのだろう。

学校は会社ではない。生徒に教えるのは受験のために必要な勉強だけではない。
そこを分かっていない人間が評価をする側にいるのだから、この問題は容易に
解決できないだろう。

受験を優先させた履修プログラムを作ったのは確かに校長や先生方だが、
それを望んだ親・生徒もいるわけだし、それをして成果を挙げなければ
叩かれるのだから、仕方なかったと言える。
ただ一つ教師側に問題があるとしたら、それは倫理や家庭科の教師だ。
なぜ、自分の専攻科目が減らされる事に対して抵抗しなかったのだろう。
その必要性を説くべきだし、その過程で「履修しなければ卒業できない」という
システムを見つけ出すこともできたはずだ。
これは倫理や家庭科の教師の怠慢だと言わざるを得ない。

3.へ行きたいところだが、
長くなってしまったので続きはまた明日


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なつみ

ほんとその通り。全く持って同感です。
それにしても俺さんの鋭い切り口に毎回うならされています。
確かに本当に仕組まれている気がしてならないです。
政治的なものを感じますね。

その3が早く読みたいです。わくわく♪
by なつみ (2006-10-31 03:08) 

okko

そうだ!そうだ!その通り。
by okko (2006-10-31 10:17) 

m_kikuchi

冴えていますね~!
by m_kikuchi (2006-10-31 21:35) 

apj

TBありがとうございます。

 問題が学校の中だけにとどまるのなら、おっしゃるような議論でいいと思うのですが、調査書にウソを書いて大学に出した時点で、公立学校なら虚偽公文書作成・同行使で、刑法に抵触します。この場合の保護法益は、公文書の社会的信用です。有印公文書の場合は、罰金刑はありませんから、起訴されたら最後、執行猶予がついても公務員の欠格事由となります。
 学校では、知識を身につけたり進学の準備をしたりするのですが、同時に法治国家の構成員を養成するという役割もあります。その学校で、刑法に抵触する行為が日常的に行われているのでは、いくら口先で倫理や社会規範を唱えても、説得力を持ちません。

 さて、成果主義だといっても、まともに責任を問われればクビが確実だという危険までおかすか?というと、教師のような「安定した」職業の場合は特に疑問です。法律のボーダーのかなり黒いところまでやらないと儲けが出せない悪徳企業とは状況が違います。
 ですから、自分たちがやっていることがどれほどの罪か、認識できていなかったのではないかと疑わざるを得ません。罪の認識を正常に持てない人が無視できない割合居て、成長途中の高校生の指導にあたっているという事実の方が、本当に憂慮すべきことではないでしょうか。

 生徒は、学校が示した時間割に従うしかないし、「単位読替できます」などと教師から説明されたら、そのまま信じてしまっても仕方がありません。提示されたカリキュラムに従っていれば普通に卒業できるはず、と思うのは普通ですし、これがまさに学校制度に対する信頼に他なりません。だから、生徒の責任はこの場合ほとんど問えないでしょうし、ウソの説明をした学校は生徒の信頼も裏切ったことになります。
 生徒や親が「受験に力を入れて欲しい」と要望したことは事実で、成果主義のもとで学校がそれに流れた面もあったかもしれません。しかし、生徒や親は、それをやるとどの程度の違反になるかということを、わかってやっていたのでしょうか?「校長以下教員は軒並み刑法に抵触、未履修がバレたら(過去の例からみて)えらいことになりますよ」ということまで知らされた上での三者の選択であれば、よほど考えた末の苦渋の決断と思わないでもないですが、今回のはあまりにも安易に行動しすぎに見えます。そしてやっぱり、「安易にそれをやるとどうなるか」という想像力が大幅に欠如しているらしいことが、社会の安定を考える上でかなり怖いことではないかと思うのです。
by apj (2006-11-01 01:48) 

MANTA

Niceありがとうございます。2については、私も先生が原因ではなく、国の責任が大きいとおもっていました。
ところが未履修問題で影響を受ける現役生徒は7万人を超えています。これはセンター試験受験者数50万人強の10%以上です。耐震偽装でもBSEでも、ここまでの不具合報告があったわけではありません(実態は謎ですが、それは未履修問題も同じ)。おまけに、いじめ問題に対する学校や先生の対応も極めてまずい。いかに成果主義の弊害とはいえ、もはや擁護できないところまで来た感じです。もう改革されてしまえばいいのだ、とすら思い始めています。
関連記事を近日中にUpしますので、またお読みいただければ幸いです。
by MANTA (2006-11-01 06:11) 

maha-rao

公教育には公教育の使命がある。それが受験でゆがめられるという。ならば高校の単位履修と受験資格を切り離せばよい。つまり高校を卒業しようとしまいと入試資格を検定合格者に限るわけだ。そうすれば世界史未履修者は大検に受からないからいやでも履修するだろう。
by maha-rao (2006-11-01 12:25) 

TBありがとうございました。
現役の高校教員です。教科科目の「読み替え」が頻繁にしかも進学校で行われはじめたのは平成元年の学習指導要領の改訂からだと記憶します。「世界史4単位」が必修になってからです。これを機に、各校あらゆる手を使って「読み替え」をした結果、今回の騒動になっていると思います。

いろいろ賛否両論だと思いますが、それによって、すくなくとも真剣に進路を考えている生徒たちの負担が決して軽くなったわけでなく、大変なのは読み替えても同じだということです。つまり振り回されるのは最後は「生徒」です。

世界史は通常4単位&一年で教科書は終わらない科目です。0時限目や放課後講習、夏休み冬休みの8割以上使っての課外講習を以てしても、規定のカリキュラムをすべてこなすのが至難の業になって、「ゆとり教育」が皮肉にもゆとりない状況に追い込まれてもいます。
一方で昔からずっと読み替えをしている学校はどうやら私立を中心にあっていたようですね。

倫理や家庭科の教員は学校にいても1~2人(最悪、いません)。しかも主要五科でないことでどうしても発言力はおのずと薄らいでいます。それでも、進学情報やそのスキルに長けた人もいますので、高校の先生はた専門教科を教えられるだけではなくなってきたというのが現場の「今」のような気がします。
次の学習指導要領の改訂はもうじきです。その前に教育基本法も全面リニュ。つぎは「美しい日本」になぞらえて、「日本史」が必修になったら、笑いますよ、ホント(汗)

学習指導要領をもっともっと学校関係者以外の人にも読んでいただきたいです。とても理想的な、且つ矛盾たっぷりの内容です!^^;;
by (2006-11-01 18:26) 

mwainfo

明日を拓く/俺さんへ
 トラックバック有難うございます。幅広い視点と書評のブログですね。
月日は百代の過客にして、で始まる奥の細道の書評が有りましたが、
今年は、武士道解題を書かれた、李登輝台湾前総統が、桜の咲く時期
にぜひ奥の細道を訪ねたいと言われましたが、叶いませんでした。
 来年の春にはぜひ訪日されて、どこかの大学で、ノーブレス・オブリー
ジュについて講演されるよう願っています。
from mwinfo(2006-11/1 at 18:29)
by mwainfo (2006-11-01 18:31) 

hm

本当に色んな面からの的確な指摘,殆ど同感で読みました。
 素晴らしい分析!!

 教育の,学びの持つ本来の自主性,自由な幅の広さ,そういうものの原点に立ち返るべきだとおもいます。
by hm (2006-11-01 22:35) 

MARUNIKK

始めて レス書かしていただいてます‥
実は 自分の感覚が現代の感覚とは違うのでは?位は 考えていました‥ 時代は ”核”に揺られ‥ 学校といえば ”学生””児童”はたまた”教師”と ”自殺”報道に槍玉に挙げられる‥
確かに ”ゆとり教育は 必要でした!”確かに 時代は変わった!” でも 彼らから奪った物が 有ります!
今 彼らが持っていない物は 何か‥
それは ”痛みを自分で感じる”事‥そして‥”痛みすら感じられない事”なんじゃないですか?
口先まで出てきた”言葉”を 飲み込めない子供ばかりになったからでは有りませんか? このことに関しては もう一つ言いたい!
今 ”親”世代の 同年代の皆さん!
自分の子供に”ウザイ!””キモイ!”だの 言われたことわありませんか?
で その時 どうしましたか! 
そんな ところから 学歴詐称にまで すすむのでは ありませんか!
子供達は 難しい‥
でも 声だしましょうよ!

子供を自殺なんて道に進ませないように!!!
もしかしたら 子供は 親の言葉を待ってるかもしれない‥ョ‥

”核”の是非 ”戦争”の不可 ”虚偽”の叱咤 ”責任”の是非‥

親が 痛みを持って教える事の筈です‥


その責任を”放棄”した”親”と呼ばれる”大人”見たいな人が 問題です!!
by MARUNIKK (2006-11-02 12:55) 

俺

こんばんは。皆様、コメントありがとうございます。

>なつみ 樣
ありがとうございます。仕組まれたものは絶対あると思うのですが、でもやはり現場レベルで変わっていけば全うな教育は必ず生き残るだろうと信じています。
by (2006-11-04 00:14) 

俺

>okko 樣
恐縮です。まだまだ言うだけ番長ですが…
by (2006-11-04 00:14) 

俺

>あすなろう 樣
恐縮です。テレビのコメンテーターもまともに喋ってる人が減りましたね。
by (2006-11-04 00:14) 

俺

>apj 樣
「法治国家の構成員を養成するという役割も担っている」というのはもっともなご指摘だと思います。コンプライアンスが言われますが、原理原則は学校教育の段階で教えるべきだと思いますし、それを教えていく立場である学校・教師がそれに反する場面を見せつけ、「それでもいいのか」と思わせてしまっては、確かに悪影響でしょう。

法律は、なぜ守られるか。それは「守ろう」という意識が人々の心の中に芽生えるからこそです。ここの大原則を理解しなければ、いくら口で「ルールは守りましょう」と言ったって無意味なわけで。どれだけ厳しい罰則を設けようとも、その罰則を恐れなければ、すなわち恐れて「ルールを守ろう」と思わなければ、法律は何の機能も有しません。ここまで言及して考えるならば、教師・学校の責任は勿論あるとしても、やはり問題はそこだけではないように思えます。
by (2006-11-04 00:15) 

俺

>MANTA 樣
確かに、全体の1割というのは到底無視できない人数ですよね。真摯に考えていかなければならない問題だと思います。
大きな問題だと思えるのは、この問題が単に制度の欠陥だったということにとどまらず、今の社会全体、「成果主義の云々」とまとめてしまいましたが親や生徒、それだけではなく企業も隣近所も含めた多くの現場での「受験熱とその根底にある学歴信仰」が根底にあるように思います。
by (2006-11-04 00:16) 

俺

>maha-rao 樣
高校の教育を受験と切り離すというのは確かに極論のようで現実味を帯びているように思います。事実、受験勉強という観点だけで捉えたら、高校で無駄に友人とつるんだり行事や部活にうつつをぬかしたりしないで受験科目だけを塾や在宅で勉強していれば非常に効率がいいわけです。
実際、そういう制度になったら多くの子ども達は高校に行かなくなるんじゃないでしょうか。
そうして、受験勉強だけひたすらやって東大でもなんでも入って、「で、それからどうするのよ?」と。ここまで考えて教育できる親が9割9分ならそんな心配もしなくて良いのですが…
by (2006-11-04 00:16) 

俺

>松matsu 樣
現場の先生の貴重なコメント深謝申し上げます。
「世界史4単位」の必修は、確かに規定のカリキュラムをこなすのがとても難しいですね。
「美しい日本」になぞらえて、「日本史」が必修…ありえそうですね。現場無視でのトップダウンが招いた悲劇であることがやはり言えそうです。
by (2006-11-04 00:17) 

俺

>mwinfo 樣
ありがとうございます。奥の細道は先日東北を旅して以来着目しているのですが、今は鳴子峡などの紅葉が楽しめそうで、また近々足を運びたいと思っています。李登輝氏も紅葉に心打たれることでしょう…。
by (2006-11-04 00:17) 

俺

>hm 樣
恐れ入ります。学びということの自主性と幅の広さ…本当に、おっしゃる通りです。今は受験という物差しが肥大化しすぎていますよね。ホリエモンVS宮内の法廷での低俗なやり取りを聞くにつけ、「人格を伴わない学力はダメだ」とつくづく思います…。
by (2006-11-04 00:18) 

俺

>NIGHT CITY E.. 樣
”痛みを自分で感じる”事‥そして‥”痛みすら感じられない事”、そうですね。現実味を帯びた自分の感覚として物を捉えきれない子どもが増えているのは痛感しています。子ども達の表現に「ある日」とか「~~と思われる」といった、自分のことを書いているはずが一歩引いてというか他人事というか、離れて捉えているのもそうですよね。
痛みを感じられないということと同時に、痛みから逃げている感じも見受けられます。昨今のいじめ自殺も、あまり言いたくはないですがいじめられた側のなんと短絡的なことか、と正直思います。ちょっといじめられたくらいですぐ死と直結させ、しかも恨み節を残して去っていく。あるいは、あっさりとゲームのリセットボタンを押す感覚での自殺。子ども達の死生観を育成できる場がなくなっているのも学校教育の課題ですよね。
by (2006-11-04 00:18) 

俺

皆様、ありがとうございました!引き続きコメント大歓迎です。小生含め、ここを訪れてくださった皆様がそれぞれ思索を巡らし、相互に自己研鑽できる場をつくれたらと考えています。

※「後編」へコメントいただいた方へのお返事は明日以降、できるだけ早くいたします!!
by (2006-11-04 00:19) 

MANTA

お返事ありがとうございます。関連記事をまたUpしました。TBさせていただきましたのでよろしければお読みください。
by MANTA (2006-11-05 14:01) 

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