2日目午後、いよいよ山寺へ 【南東北紀行】 [紀行]
仙山線に乗って仙台を出発した僕は、窓の外を駆け抜ける稲穂とちぎれ雲に心を奪われていた。
列車は途中止まり。ひとまずそこで降りて、後続の山形行きを待とう。
※ここは「愛子」。 愛子と書いて、さてなんと読むでしょう?
正解は…
「あやし」と読みます。駅のすぐ近くに中学か高校かがあって、テニス部らしき部活の
さかんなかけ声がほっとさせてくれました。他には何にもありませんでしたが。
さて話を戻して…
快速電車は山々を切り拓き、風を切って西へ行く。
車内ではハイキング客がにぎやかにこの後来るであろう楽しみを語っている。
そして走ること1時間。面白山の長いトンネルを抜けると、パッと山河が広がる。
山寺に到着…
岩の上に岩が重なって、山ができて、その後に木や苔やお堂がくっついたという感じだ。
川を越えると旅館や蕎麦屋が出迎えている。ひとまず今は蕎麦屋の売り子に目をやることなく、
山道へと急いだ。
閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声
途中の風景。9月下旬にもかかわらず、まだ蝉が鳴いていた。でも、
観光客の多さで「岩にしみ入る」どころかかすれるくらい謙虚に鳴いていた。
ついに到着!片道1時間のはずだが、5~10分に感じた。それだけ無心で石段を踏み踏み登ったということか。
頂上から見下ろす。
なんだか怖くなってきた。高さにか。落ちることにか。
自分がつまずくからじゃない。風が強いからじゃない。
なぜだが、後ろから押されるんじゃないかという恐怖があるのだ。
不甲斐ない。そもそも落ちるのが怖いというのは死ぬのが怖いということだ。
自分は、死ぬ気で生きてきたか。人はいつ死ぬかわからないが、いつ死んでも
悔いが残らないように、一分一秒を誠実に生きているだろうか。
お堂の近くのダリヤを眺めながら、ぼんやりと考える。
自分はなぜ片道1時間の道をたった5分の感覚で登ってしまったのだろう。
辛い事、苦しい事から逃げているからではないか。
それらを考えないように、ただ前の人の背中だけを見て、無心に石段を登ったのだ。
無心に…1分1秒を自分で実感できない、こんな生き方で俺はいいのか。
問えどダリヤは答えてくれない。そんなことより、私を見てよと。
敗北感を背に、石段を下る。先ほどの高所の怖さゆえか、足が震える。
一段一段降りるたびに、足の震えが止まらない。
でも、その震えが何故か、生きてる実感を与えてくれた気がする。
ふもとにたどり着いて、こんにゃく玉を食べながら、今感じたことを書き留めた。
そして、考えた。
次にここに来る時には、頂上で景色を楽しめるようになっているか、と。
こんにゃくの味を引き立てる和がらし。赤褐色の団扇。
芭蕉に涼風を送る、緑。
>自分はなぜ片道1時間の道をたった5分の感覚で登ってしまったのだろう。
>辛い事、苦しい事から逃げているからではないか。
私はそーは思わないです。
無心になった後自分を見つめる事は勇気がいる事です。
だから敗北感を感じる必要もないと思います。
いい時間が過ごせましたね。
あと、高い所が怖いという人が私の身近にいました。
彼は「自分からふわーっと飛び降りちゃいそうだから怖い」んですって。
色々ですね^^
by kiki2jiji2 (2006-10-07 04:35)
旅行中は、お天気が続き良かったですね~
無心で登り、自分の中の何かが変わったからこそ、
最後の言葉が出てきたのでは…『ありがとう、山寺。』と…
>次にここに来る時には…
きっと、頂上の景色を楽しむことが出来ましよ。
その時は、先端へ行ってもしっかり支えてくれる人と一緒に…
by mana (2006-10-07 12:22)
「お天気が続き」では、ちょっとおかしいですね。
「良いお天気が続き」ですね。ごめんなさい。m(__)m
by mana (2006-10-07 12:25)
そんな人生の悩みとは関係なく、人は高い場所に何故か憧れるんですよ。
上から見下ろす優越感?いや、それとも違うな、かなり哲学的要素を含んでいますね。教会の尖塔が高いのは一歩でも天国に近付けるからとか、
とにかく、そういうことで、その美味しそうなこんにゃくにかぶりついて、笑う脚をなだめてください。
by okko (2006-10-08 10:30)
しばらく山寺には行ってないです。また行きたくなりました。
by きくちん (2006-10-08 15:49)