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ホリエモン考 3日目 [主張-時事]

引き続きホリエモン考察の3日目。

今このページを初めて見たという方は、是非下記記事から読み始めていただけたら幸いである。
ホリエモン考1
 「欲望の肥大化という危険性」
ホリエモン考2
 「危惧すべき視野の狭小化」

では始める。

「視野の狭小化」の最たる悪弊、第三の問題点としては、「自分の興味ある分野しか選ばなくなる」「知らない分野との出会いが大幅に減少する」ということが挙げられるように思う。
例えば、今はインターネット上で新聞記事を読むことができる。
また、こうしてホリエモンの日ごろ主張する「パブリックジャーナリスト」なる一般人の主張や取材記事がブログという形式で読めるような時代になった。
ただ、ここで新聞・テレビと決定的に異なる点が一つあるのにお気づきだろうか。無意識で「新聞は120円だけどネットならタダで読める」なんて言っていたら、もう貴殿はこのネット社会に毒されたホリエモン世代の一員である。
決定的に異なる点、それは「与えられたものを受動的に読むのではなく、自ら選択して読む」という点だ。もっと言えば、「検索機能などで選択がしやすくなり」、その代わりに「意識して記事をクリックしなければ興味のない分野の記事は一切目に飛び込んでこない」ということだ。

だから、新聞の隅々までをじっくり読むということは、おそらくネットに依存するとできなくなる作業となる。実際今この記事を読んでいらっしゃる皆さんはこの記事へどのようにしてたどり着いただろうか。「明日を拓く」を定期的にチェックしているという方もいれば、「ホリエモン」「ネット社会」といったキーワードで引っ掛けて出てきた興味のありそうな記事をクリックしたのかもしれないし、たまたまso-netブログのトップページのアクセスランキングや新着記事の欄から見つけたかもしれない。
しかし、おそらくその皆さんの中で、どんな分野の記事を読もうか決めていなかったけどたまたまたどりついたという方は非常に割合として少ないのではないだろうか。

そう、端的に言うと、ネット社会の盲点は、「偶然の出会い」「新たな出会い」「未開の分野を開拓」という点においては極めて弱い。だから、一時の調べものとしての利用ならば図書館に行って新聞を開いて探すよりもよっぽど容易に、適切な情報を得ることが出来るが、その反面、この作業を日常化してしまうと、自分の興味のない分野、普段接しない分野についてますます疎遠になってしまう。その結果、幅広さを失う。

これを幼少の頃からやり続けてしまうと、本当に視野の狭い内向的なオタクが次々と生まれる恐れがある。もしかしたらまだ自分の知らない、でもすごく興味の持てる分野があったとしても、それに触れる機会を失ってしまうのだ。

これが人と人とのコミュニケーションにおいても起きたらどうなるか。それこそ1億3000万人総引きこもり化というのも極論として考えられる。

我々は、偶発的な出会いによって日々進化していく。例えば、たまたま同じ地域の同じ年齢の子というだけでくくられたり、同じ偏差値の子というだけでくくられる、学校のクラス。そこにおいて、我々は友達を見つけていくわけだが、中には友達になれなさそうな、タイプの違う子もいたり、自分にはないものを持っていたり、様々な子との出会いがある。決して仲良くならなくても、嫌いなやつとのケンカであっても、そうした子とのふれあいはどんな形であれ自分にとって経験となり勉強になる。これを繰り返して人は成長していく。
ところが、限られたジャンル分けされた世界で、「自分に合った人間をピックアップしていく」というネットの社会は、「嫌いなやつとけんかをする」という嫌な経験は一切排除できるが、その代わり世界は極めて狭くなる。

こう言うとホリエモン世代の反論としては「いや、閲覧者の希望を取り入れてる。双方向だ」と言うだろう。
しかし、それは所詮「アクセス数ランキング」「アンケート調査」程度にしか反映されない、極めて限定的なものだ。
うまく言葉に出来ないが、彼らの言う「双方向」は「一本道」なのだ。寄り道を知らない。極めて効率的なようで、成長を止める悪しきシステムである。

…以上、、、、、やはり言いたいことはうまく言葉にならなかった。ただ単に長々とした駄文になってしまったが、意図が1%でも伝われば本望である。

おっと、最終日のつもりが、書いていたら長くなってしまった…続きは翌日へ。


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