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『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(佐藤優 著) [読書]

2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、現在は有罪判決を受けて控訴中の外務官僚(起訴休職中)による暴露本的な著作。
一読して感じたのは、この本を読んだ人がどれだけ真に受けるのか?はたまた受けないのか?というコト。取調べ時に担当検事と渡り合った(と書いている)佐藤や作中に度々登場する鈴木宗男に現在拘留中のホリエモンを重ね合わせている人も少なくないんじゃないかとも思う。実際、鈴木宗男はこの間TVで拘置所暮らしについてアレコレ語っていたし。。。でもね、佐藤さんと堀江さんは根本的に違うと思うワケです。

話題はちょっと変わるけど、ボクは骨の髄までメディア漬けの謂わばメディアジャンキーだ。こんな風に内省の過程を端折った思考をブログに書いて不特定多数の人に情報を発信しているコトを鑑みれば、精神活動さえもメディアに取り込まれていると云っていいだろう。つまり、ここに書いてあるコトがそもそも思考と呼べるか?というコト。新聞、TV、本、ネット、日常会話、あらゆる媒体を通して得た情報を更にボクという漏斗を経て垂れ流しているだけという気さえしてくる。思考の媒体化だ。先日“ことば”について書いたけれど、人間は自らを媒体化することで、本質に近付こうとすればするほど掴みどころのないモノに変質していく言葉に迎合した。言葉は思考のツールであると同時に伝達のツールだから始末が悪い。どこかで整合がとれなくなってくるワケ。そこで救世主の如く登場するのが“信念”だ。ボクはこれこそが、雑誌やらネットのニュースなんかでたまに取り上げられる日本の右傾化の要因であると思っている。かいつまんで云えば、金が思考や信念に先行するバブル時代を経て、思想・哲学ブームがやって来た。しかし、拝金主義の染み付いた世の中に哲学なんてモノが合致する筈もなく、イイとこどりのような形でポストモダン的な(悪く云えば節操のない)思想形態だけが生き残った。徐々に何でもありの様相を呈する社会に秩序を見出すべく、一部の政治家や木鐸気取りの評論家、或いは明日のオピニオンリーダーを目指す者達が共謀して担いだ御神体が保守の理論だ。マスメディアがこれを煽る形で“右傾化”の道筋が開ける。
保守主義は右翼とは似て非なるモノだが、バブル以前の右翼思想は現在殆ど機能していないので大雑把に“右”と括ってハナシを先に進める。
佐藤の議論は、大枠で愛国心を語りその内枠でチクチク組織だとか権力の堕落を嘆くコトで『信念』を保とうとする典型的な右の論法だ。既にメディアに飲み込まれている世論は釈然としない気分に引きずられながらも結局佐藤やムネオの主張を受け入れる他ない。
一方で、堀江は彼等とは全く別の次元の存在だとボクは考えている。右、左どころか凡そ“信念”のカケラさえ感じさせない堀江は、見ようによっては佐藤や鈴木、或いは必死になって彼等を評価しようとするメディアを超越した雲の上の存在にも見えてくる。それはまさに媒体化する個人の究極の姿と云えるかも知れない。


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