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memorial days [あの日から今日まで]

1999年6月20日”あの日”からもう”6回”の記念日を通り過ぎた…。

こうして記録と記憶を紐解いているうちに、あらためて思い知った気がしている…。どの年を振り返ってみても”彼”の色々な想いが溢れているのだ。

私は、ただ側に居て、笑ったり、泣いたり、怒ったりしていただけなのに

一年一年を大切に刻み込んでくれてきた事に感謝…


 

1st.2000.6 in福岡

「俺、この福岡のどこかで生まれたんだ~」と告白。

初めてこの場所に来る気になった…と言った”彼”の気持ちがどんなモノか?全部を理解してあげることは、出来ないと思う。

ただ、最初の記念日の旅がこの場所で、初めて訪れる時の同行者として、私を連れて来てくれた事がとてもうれしかった。

”彼”を産んでくれた人もまた”母”である。”彼”がこの地で産声を上げた時、その人がどう思ったかは知らないけれど…。私は、この場所でしか言えない気持ちを”彼の両親”の思いと共に、こんな言葉に換えて”彼”に贈った。

「雅樹が生まれてくれてよかったなぁ…そうでなきゃ、今はないもの(笑)」

「そっか…そうだなぁ(笑)」と言った時に見せた、はにかんだ子供のような笑顔が今でも忘れられない…。


 

2nd.2001.6 in東京

二回目の記念日を迎える頃、私たちの関係がとても微妙な状態になっていて、本当は、旅行などする気分ではなかった…。たった一度だけ”別れる”という気持ちになった出来事があった直後だったからだ。

”彼”がその壁を乗り越えるために選んだ場所が、東京である…。

私が知らない”彼”の全てを知る”心友夫妻”との出会い。

”彼”曰く、≪俺の人生の一回目のピーク≫ そんな時代を共に過ごした二人との出会いは、とても感慨深いものであった事は言うまでもなく、今では私にとっても、かけがえのない存在である。

付き合い始めた頃に、”彼”の両親から言われたのと同じ言葉を二人から聞いた…。

≪雅のコトよろしく頼む…。≫ ≪雅のコトお願いね…。≫

私は”彼”に何かをしてあげられる程、”出来た女”ではないのだけれど…

 私が”別れ”を感じてしまう程の事件と、この”心友夫妻”との出会い~その後については”次の章”で記すつもり…。 


 

3rd.2002.6 in河口湖

この年の記念日はちょうど”彼”の友人の結婚挙式・披露宴に招待された。

その友人、実に三度目の結婚であり、しかもその三度とも結納~披露宴までの段取りをきちんとこなしてきた”ツワモノ”なのだ。(笑)

経験豊富な”新郎”?は、終始余裕の笑顔で、司会者泣かせなまでに、披露宴を取り仕切って周囲を笑わせた

その披露宴で泣いたのは司会者だけではない…。

涙もろい私は、花嫁さんの涙を誘うシーンでもれなく”もらい泣き”するタイプである。この時も例外ではなく、泣きまくりだった…

そして、3回目の”ただのもらい泣き”を大きく勘違いした”彼”はテーブルクロスの下に隠して、私の手を”ギュ”っとつないでくれたのである…。

でも、本当に”彼”が心配したような”羨望”の涙ではなかったのにな

もちろん、その誤解を何度か否定してはみたけれど、言えば言うほど「わかってるって…。」と言って取りあわない”彼” (ワカッテナイってば

      コレを読んだら ≪ふざけるなって怒られそう…(笑)


 

4th.2003.6 in河口湖(再訪)

 きっと、前年の結婚披露宴での”涙の理由”を誤解したままだった”彼”は、それ以来、ずっと心のどこかで気掛かりになっていたに違いない

この年、再び河口湖へ行くと言う…。

そして、去年と同じホテルにチェックインした後、”三度目の挙式”を見届けたホテルのチャペルで、思いがけないプレゼントを受け取った

”待った事を絶対に後悔させないから、俺の嫁さんになるまで待ちくたびれるなよ”と言って、私の左手の薬指にリングが重ねられた…。

その指輪に輝く、透明で少し青い光は色褪せることがない。

それは”彼”がくれた言葉も、色褪せることはないという証だと信じて待つ

”おばあちゃんになる前にしてね(笑)”と言ったら、”いいじゃん、美由がおばあちゃんなら、俺はおじいちゃんになってる(笑)”と返された

         ≪こらぁそういう問題じゃないよぅ マジな話…


 

5th.2004.6 in伊豆 (月のうさぎ)

 5回目の記念日は”彼”の両親からのプレゼントで、とても素敵な旅を経験させてもらった…。

五年間…という時間の流れの経て、私は”彼”の両親から≪宝くじに当たったような嫁≫という身に余る”称号”をいただいてしまった

私の何をどう見て、そんな大層な気持ちになってくれたのかは、全く以て不明なのだけれど… 

清閑で隠れ家的な佇まいの”月のうさぎ”という旅館は、露天風呂付の離れがあり、現実を忘れて昔話の世界に居るような気持ちにさせてくれる。

いただいた”称号”と併せて、何とも贅沢なひとときに、身の丈が追いつかない事を痛感した…。

もしかしたら、宝くじに当たったくらいに”びっくりさせられる嫁”という意味かな

その方が分相応で、気が楽なのだけれど(笑)

今からでも、両親が誤解している通りの私になれる様に頑張れば、この旅行をプレゼントしてくれた気持ちに応えられるかな…と少し背筋に”ピン”と気合を入れ直した。


 

6th.2005.6 in愛・地球博

そして、今年の記念日…。

”今年はなぁに?”と聞いた。

”当然!万博だろ?”という返事に絶句… 思いっきり地元だもの。

”飛行機に乗りたくない美由が、万博を見られるのは最初で最後だよ(笑)”

”そうだけど…。”(この時点での万博期待度”ゼロ”だった私。)

”でも、マリオットのDXスイート宿泊だからセレブ感は充分だろ?(笑)”

”だから~高い所はイヤなんですけど?”

”じゃあ来年は核シェルターでもプレゼントするか?(笑)とにかく今回は変更しないよ。” 

(”彼”が決めた事を変更しないのは今回だけではない!一度もない!!)

こうして、地元に暮らしながらも高級ホテルの上級クラスの部屋に泊まり、地元で開催中の万博に行くことが決定!贅沢というより無駄遣いじゃないかな 

事実、夜景が見られる様にとの配慮でリザーブした窓際の席をチェンジ、部屋でも 窓際には近づけない始末…。 (トホホだよぅまったく!)

ラブラブで眠れなかった…のではない、怖くて眠れなかったのだ…。これホント 

 けれども、≪愛・地球博≫は感動した!”万博かぁ~”と内心はテンションが落ち加減であった私が言うのだから相当なものだ(笑)

私が見られる、最初で最後の機会になるであろうこの万博で、”彼”が用意してくれた記念となる思い出…。

朝日新聞とdocomoが協催していたイベントで、”幸せ”をテーマにした写真&メッセージをメールすると、それがその日の記事として掲載された新聞が一部いただけるものである。その上、そのメールが決められた時間に、エキスポビジョンという大画面で上映された…。

普段は写真を撮りたがらない”彼”が、この時は全開の笑顔でフレームに収まり…その後、コソコソとメールを送信して上映を待つ。

2005.6.20の朝日新聞(万博限定)に掲載され、愛地球広場で上映されたメッセージ…

  ”この笑顔がいつも隣にあればいい。この笑顔を守り続ける。

           六年前から今日、そしてこれから先もずっと…。”

超・感動!!! なのに、ブースで新聞を受け取ってガッカリというか爆笑!!!

感動の記事の上に掲載されていた記事…。

   ”ディカプリオさん女性に殴られケガ”  だった。   


時々ふざけて、”愛してる?”と聞くことがある(笑)

そんな時、決まって”彼”はこう答える。

”そんなコト聞かなきゃわかんない?アホじゃねぇの!!!”

本当にその通りです…こうして、思い出してみただけでも充分な程に”その想い”は発信され続けていました。

甘えすぎて、馴れすぎて、愛が足りないのは私の方かも知れません・・・(反省)

 


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