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這えば立て、立てば歩め? [こどもモノがたり]

這えば立て 立てば歩めの 親心

・・・なんて言いますよね。

自分が子どもを持ってみて、子どもは子どもなりに成長していくし、まぁ、環境にを用意して置いておけば何もせずともいろいろ吸収して育っていくし、何かができるようになるのには、その子どもそれぞれにタイミングがあり、早いも遅いもないんだから、何も慌てなくて大丈夫。

・・・と思っていても、親心とは恐るべし。

自分自身、兄弟や他の子どもと比べられたこともないし、比較って一番されたくないし、したくないことだよなぁ・・・って思っているにもかかわらず、今、息子ができないことを、同じ月齢やもっと小さなお子さんができる、というのを目の当たりにすると、焦りに近い感情なのかもしれないけど、どこか胸の奥でざわざわするものがある。

まぁ、それを口に出して息子に励めよ、という気もないし、だから慌ててその能力を教え込もう、とか思うわけではないんだけど、あぁ、わりとのんびりやの私の中にも、こと、子どものことに関しては、そういう雑念があるんだぁと発見して驚いたりもして。

大丈夫と確かに思う一方で、ちゃんとできるようにしてあげたいな、とか、いろんな可能性を広げてあげたいな、って強烈に思う心がありまして。
やっぱり幼児期ってとっても大事だと思うしね。

そういう思いが、比較対象が目の前をちらつくことで、刺激されるのねぇ。
知らなきゃ気にならないのに、「情報」が入ることで、一瞬だけど心がざわめいてしまう。

それには、まぁ自分の育った過程を振り返るのが一番なのだが、こんな小さい時期は記憶も定かじゃないし、自分の育った過程や時代とは条件も違うから模索することも多く、自分の趣味や関心領域でもあるものだから、いろんな本を読みながら、考え、実践する毎日でありまして。

このところ、シュタイナー、モンテッソーリと読みあさっているママなのですが。

実際、息子達には少しばかり身につけてほしいこと、があるのですが、それは、手取り足取りではなく自分の力で身につけてほしいし、本来そうあるべきだと思うんです。

でも、それには時間が必要。
こどもってそんなに器用じゃないしね。
それに、一度で何でも覚えていくのではなく、少しずつ感じてわかって、子ども達の核になっていくことだろうから。

だからこそ、ふさわしい環境を用意してあげたい。
そして、常に子どもの時間に寄り添って、ゆっくり待ってあげたい。

・・・と思っていても、子ども二人に、復帰すれば仕事も抱えて、日常生活というスケジュールをつつがなく動かしていくためには、待ちきれないことや、手を出してしまうこともあったりもして。

なんせ、長男には「急ぐ」とか「慌てる」という概念がほとんどないんだもん。
せいぜいぎりぎりまでトイレ我慢したときくらい(笑)。
まぁ、私がそのように育てたためなんだろうけど、好奇心いっぱいで、あちこちに興味をひかれてそれをやりたくなる、そういう気持がとっても強いみたいなのよね~。

いろいろ気づいて楽しめることや好きなことへのこだわりはよいのだが、「リミット」があってそれに従って動かねばならぬとき、どうしても、その思いを中断させなくちゃ行けなくてママはジレンマを感じるのだ。その「リミット」が、仕事の開始時刻のように絶対的なモノならいざしらず、ママや次男の都合でママが「生じさせざるを得ない」と思っているもので、後で無理が生じるけど待とうと思えば待てる・・・というとき、一番、ママの中では葛藤が生じるのだ。

一方で、子ども特有のことなのかもしれないけど、一つのことをじっくりやることもあれば、「やる」と言っているのによそ見してたり意識が散漫になっていたりして、それゆえこちらがいらだちを感じてしまうこともある。

好奇心が強いのはよいのだけど、何かをやろうとしているとき、やっているときに、いろいろ散漫になると、こどもは器用じゃないから、目の前のことができなくなったりもする。
食事中のテレビ、なら、テレビをつけなければよいのだけれど、例えば、はさみで紙を切りたい、といい、その作業を見せようとしているときに、よそ見したり、他の遊びやイメージが目に入ったり、脳裏に浮かんでしまったとき。「やるのやらないの?」って状態。

私自身、やらなくちゃいけない家事とかで、じっくり座っていられないときもあるので、何か二つのことを平行してやることが日常結構あるから、その影響か・・・と反省もあるのだけれど・・・。

かたや、パズルに集中して、とことんやるまで終わらない、とか、永遠にごっこ遊びを続けてる、とか、集中してじっくりやりだすと止まらないこと、も、多いから、必ずしも散漫、ってわけではないんだけど、「うまくできないこと」とかのときには、どうしてもそうなりがちなように見える。

そんなとき、そのちょっとしたつまづきを、自分で考えて取り組んで超えていくチカラ。
そんな能力を、身につけられるといいなぁ・・・と思うのでありまして。

そこで本日読み終えたのがこの本。
ちょっと前に「お母さんの「敏感期」」のほうを読んで面白かったので、入手してみたのです。
このへんのヒントが得られるんじゃないか、と、思って。

お母さんの「発見」―モンテッソーリ教育で学ぶ子どもの見方・たすけ方

お母さんの「発見」―モンテッソーリ教育で学ぶ子どもの見方・たすけ方

  • 作者: 相良 敦子
  • 出版社/メーカー: ネスコ
  • 発売日: 2000/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


で、さっそく今朝、こんな場面が。

昨夜、折り紙の本を発見し、やってみたくなった長男。
まだきちんと三角を折る、という点もどうだか、なので、いきなり作品が折れるはずがない。
でも、結果が見える以上、それを作りたい。
当然、ママ、教えて、とか、一緒にやろう、ということになる。

長男の場合、前は折ってあげていたけど、今回は自分でやりたがっているし、そういうチカラを身につけはじめた時期でもある。となると、できるだけ自分で考えながら作業して、わかった!できた!を体験させて、また次のチャレンジにつなげてあげたい。

皆さんは、そのとき、どうやって教えます?

モンテッソーリ教育の「提示」という手法がヒントになりそうなんだけど、実際、それをイメージして教えてるつもりでも、そう簡単にはうまくいかないんだよね。当たり前だけど・・・・

まず、折っているモノに手を出すのか、それとも、隣で一緒に折るか。

「どうやってやるの?」と言いながら、「見ててね」と言ってもよそ見したり、いざ、やる段になるとやってみせたことと全然違うことをやる場合、どうしたらいいんだろう?

一番単純な「折る」という動作の練習からやらせたいけど、既に複雑なものに取り組みたがっている場合とか、見せたとおりにやらないからうまくいかなくてやる気を損ねる場合は?

一番単純な「切る」作業を練習させたいのに、保育園の半年お兄ちゃんのクラスメイトが「かっこよくはさみできるんだよ~」と憧れて難しいことをやろうとする場合や自分で比較してうまくできないとやる気を損ねる場合は?

パパはもっと大きな子どもだけど教えるという仕事をしてるし、バスケットボールにも分解練習というやり方があるからモンテッソーリ教育のもわかるんだけど、教室でも教具でもなく、また訓練された教師でもないママがいざ家庭で現れた局面で応用しようとするといきなりは難しい。

これから、試行錯誤を重ねることになりそうです。


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ichiroumama

子育ては親育てだよねえ。
一緒に泣いたり笑ったり悩んだり
長男君は甘えたいのかな
折り紙は口実でママを独占したいのでは?
今はいっぱい抱きしめてあげて。
19歳にもなると側へも寄ってもらえないから。
by ichiroumama (2007-01-30 16:27) 

私もこのへんは難しいなーと思いつつ、かなり適当にやりすごしてしまっています…^^; うちの子は、お絵描きをさせてみても自分であまり描かないうちにすぐに「ママ描いて!」となったり、すぐに他のことを始めたり… これは単にお絵描きに興味があまりない(つまり、この子の個性)のか、それとも集中力がないのか…?と考えてしまうこともしばしばあったりして。テレビを見せすぎているのがいけないのかなぁと反省したり(これは自業自得^^;?)。mamaruさんおすすめのシュタイナーの本も買ってみたので、ゆっくり読んでみます!
by (2007-01-30 18:16) 

みやじー

仕事と違って、自分の子どもに対する時、「感情」がかなり入ってくるので時にこちらが「ギャオー!」となってしまいます(笑)。だから子育ては難しい…。

あと、サッカーの指導者ライセンスを取った時に「M-T-M(マッチ→トレーニング→マッチ)」という、ゲームで始まりゲームで終わるサイクルをたたき込まれました。
ゲームの中で足りないスキルを抽出し、それをトレーニングで改善して最後にゲームに戻すわけですが、これは「課題」を理解できる段階でないと無理なわけで…。

サッカーの指導の場合、小学校低学年以下については「好きになる」「楽しませる」ことに重点を置きます。それをそのまま持ち込めば、やはり「楽しむ」ために何をさせるかに尽きるんでしょうね。
だから、それを阻害する要因が、教えた通りにやらないところにあればどうするんだ?となると、明確に答えが出せない訳なんですが…。その子の特製や、その時の状態によってベストな対処法は変わってくるだろうし…。

すいません、長々とまとまりのないことを書いてしまって…。自分の記事より長い文章です(笑)。
普段、mamaruさんのように子育てに対してそれほど深く考えていないので(これでも商売は教師ですが…)、mamaruさんのところに来るといつも考えさせられます。
by みやじー (2007-01-30 19:24) 

あっこ

子育てって本当に思考錯誤ですよね。
私は迷ったら、「自分が子供のときどうしてもらったらうれしいか」もしくは、
「自分が子供のときどうしてもらったら効果的だった可能性が高いか」
と基本的には「自分が子供のとき」を基準にしてその時々で流動的にやっています。簡単にいうと、適当ってことなんですが笑

いろいろな子育て理論を目にする機会があると、ほんとに迷いますよね。
悩みますよね。
自分の脳も使ってない部分が子育てで活性化されていくような
気分になるときがあります。
by あっこ (2007-01-30 21:43) 

mamaru

いやー、私は、教育法ヲタク(笑)。子どもを産み育てる前からの疑問を、子育ての過程で解決していこうとするからこうなるんですよ~。

そこで、自分の興味として知りたいのでいろんな本を読みあさったりしているけれども、けっきょく、今のところの結論は「答えは息子が持っている」ので、息子を見つめて、一緒に寄り添っていることが私にとっての正解なんだなってところで。

主人に言わせると、あれこれと知りすぎるのは「一番悩むタイプで、ぶれるのが駄目だ」と(笑)。そして、折り紙の教え方は「うーん・・・わかんないね。今は折ってあげればいいんじゃないの?」とシンプルでした。
でも、一番正解な気がします。

ほんと、一緒にいて、ぎゅっと抱きしめて、ずっと見守ること。
親にできること、一番やらなくちゃいけないことは、これに尽きますよね~。

なんか、一生懸命過ぎるより、適当、くらいのほうが、いいんだと思う。
そのほうが、おおらかにいられるし、結果、いいんじゃないかなぁ、と。

そんなに不安にならずとも、子どもと自分を信じていけばいい。
とりあえず、今の時点での結論はそんなところで。

今の私って、たぶん暇すぎるんですよね~。で、情報過多!
昔、母が子育てしてる頃はやらなきゃいけない家事は多いし、インターネットとか雑誌とかもないから情報も少ないし。
こんなことで悩んだり、インターネット巡回して購買欲をそそられている間に、手芸や料理でもしていたほうが心身の健康にもよいし、健全な時間が過ごせるのかもしれないなぁ・・・とか(笑)。

エネルギー過剰気味の人間は、ほどほど、が肝心みたいです~。
たはは。

長男を産んだときに言われた言葉。
いろいろ悩むこともあるかもしれないけど、ママが子どもを一生懸命見つめて、その子のためにやったこと、決断したことはすべて正しい。
ほんと、最終的にはそこにかえるんですよね~。
by mamaru (2007-01-30 22:09) 

mamaru

あ。

のんのんさん、うちのもそうですよ~。
いつまでも「ママやって!」ってなっちゃっていいのかな?やっちゃっていいのかな?って思うんですよね~。
どこまで手を出して、どこから自分で、って、生活習慣のしつけでも、お絵描きとかそういう能力を伸ばしたいってことでも、いつも悩ましいところですよね。かといって、最初から自分でできるわけもなし。教え込むのも好きじゃないし、教えるより感じられるのがいいよなぁとか・・・。
子どもの成長も、振り返るとわかるけど、進むときもあれば、逆行するときもある。でも、逆行されると、あれれ?なんでーってなるしね~。手を出し過ぎちゃった?って反省したら、どうもそういう時期だったのか?とか。
まぁ、子育てってけっきょくそういうもんなのかもしれないよねぇ。

あとは、あっこさんもおっしゃるとおり、私は自分や自分の人生が大好きだから、やっぱり自分がどうやって育てられて、何が楽しかったか。
そこにかえっていきます。
自分みたいに育って欲しいの!それは私にとって揺るぎない真実。
あ、でも、パパが持ってる私にない優れたところは身につけて欲しいけど。
欲張りなんですよね(笑)。

で、けっきょく子育てって正解はないんですよね。
みやじーさんもおっしゃってるけど、けっきょくケースバイケースで子どもによる、っていうのは、本当にそうで、その子にとって最適な育児はその子の親にしかわかんないし、だからこそ、親なんだっていうことよね~。

・・・と、こういうこと書いてると尽きることなし(笑)。

それと、教育ってけっきょく、誰もが当事者だから、一番誰でも議論できるし、でも、誰もが答えを出せない。
で、行為の結果が結実するまでは相当な時間がかかるから、答えが見つかる前にけっきょくまた前に戻ったり、その繰り返しになりがち、っていう教育問題の話も似たり寄ったり、な気がします。

シュタイナーもモンテッソーリも面白いけど、すべてがそれで解決するわけでもないし、けっきょく、自分の子育ては自分の中と息子の中にしか答えはないんだと思います。そして、子どもを見つめて、それに応じて作用する、ということは、シュタイナーとモンテッソーリの共通点。
方法はいろいろあれど、けっきょくは、子どもを見て、支える。
そこに尽きるんだろうなぁと。
by mamaru (2007-01-30 22:24) 

rika_morita

いろいろな本を読んで教育法を知っておくのは大切ですよね。
知らないより知っていた方がいいし。知っていたら自然に日常にその方法を使ってたりするし。
私も幼児教育オタクかも。親がいろいろ勉強して、子供に押し付けるのではなく、子供にその時がきたらきちんと教えてあげられる、遊んであげられる、促してあげられればいいんじゃないでしょうか。
きっと、今は子供中心の生活だからいろいろ考えてしまうのかも。
ママとパパが仲良く、元気でいればそれだけで子供は幸せなのでは。と思います。
by rika_morita (2007-01-31 11:02) 

mamaru

そう!両親の絆って大事よねー♪
仲良く元気、本当にそれが一番。
そして、すべては流れに任せること。
無理矢理、とか、親の都合やエゴや見栄、じゃなければ、なんだっていいんだよなーって。
ほんと、面白いよね。
ということで次の記事の結論に至る!
by mamaru (2007-01-31 11:53) 

ふ〜む、mamaruさんの中にも、そんな感情が
あるんだなあ〜、なんて、親近感をもってしまいました。
(すいません)確かに比較する対象があれば、何故に我が子は
できない???と、焦りますよねえ?
でも、何となく私はのんきなのか。。。いつか追いつくさ。。。
なんて、楽天的に考えてます。
基本的にやらせたい放題。道具もオモチャも、ものすごく、
自己流でつかいたがったり、あっ!と驚くような遊び方を
していますが、本人が楽しいなら、それでいいか?なんて、
思ったり。。。こちらが教えられる事も多くて、子供の
発想の豊かさに、感動しちゃったり。。。
おはしの持ちかたや、ペンの握りかたとか、時期が来たら、
正しく教えてあげたいなとは、思ってるんですけどね。
最近は、洋服の着脱やなんかも、手伝いすぎないように
しなくちゃな〜って、思い始めました。
子育てって、ほんとに奥が深いですね!!!
by (2007-02-03 01:26) 

mamaru

そうなの、あったのよ~。おどろきもものき、だわよ。
qoooさんのこないだのコメントを拝見して、うーん自然体でまめ太君のことよくみてらっしゃるなぁって一人感動していたのですよ~。
ほんと、本人が楽しければそれでいいし、大人の発想なんか軽々越えていきますよね、彼らは。
こどもって育ちたがりだから、教える、というより、どうサポートできるか、また、その育ちを待てるか、見守れるか、という感じがします。
本当に!
by mamaru (2007-02-03 20:02) 

neige

昔、近所の幼児にドレミファソラシドを教えてあげたとき、子どものお母さんから、「我が子が相手だと、イライラして冷静に教えることができないから、他人に教えてもらった方がいい。子どもも甘えてくるし。」と言われたことがありました。
最近、ちょっとづつその気持ちが実感できるように。。。(微笑)
うちはどうなるのかなぁ~、楽しみなような、怖いような・・・
by neige (2007-02-06 00:14) 

mamaru

あ、それわかりますよ~。
すんごいわかる!

だから、お教室とか習い事とか、「これ」と思うのがあったら通わせるのも一つの手だろうなーって思いますよ~。
時間と経済力があれば、ね。

あとは、私のように、自分でやってみたいという好奇心がある人なんかは、試行錯誤を重ねて居るんでしょうけど、イライラとか、失敗はどうしてもつきまといますね。
by mamaru (2007-02-06 09:39) 

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