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バッファロー姉妹(中) [GBA]

バッファロー姉妹(上)」 からの続きです。



お姉ちゃんは遺書を残した。

私と旦那と息子と父と母、家族5人にそれぞれ1通ずつの封筒が、
居間に置かれた硝子のテーブルに、きっちり等間隔で並べられていた。
遺した財産の分与や自分の葬式への要望といった全員が見るべき内容は、
別にA4用紙で簡潔にまとめられ、キッチンのコルクボードに押しピンで留めてあった。
まるで明日作る夕食のレシピのように。

そんな手際の良いやり口が、いかにもお姉ちゃんらしい。

私が自分宛の遺書を読んだのは、初七日を終えた後。

それまで開けなかったのは、書かれている内容がどんなものでも、
私は少なからず受けるだろうショックに臆病になっていたから。

だけど開けるに至ったのは、やがては受けるショックならばと、
眠れぬ夜にピリオドを打つべく覚悟を決めたから。

私が悩んでいたのは、この遺書にあのゲームのことが書いてあるか、否か。
それだけ。
お姉ちゃんの亡骸を見てさえなお、執拗にその一点だけにこだわり続けていた。

この遺書を開けることは、それまで20年続き、以後も10年続けられるだろう継続を断ち切ること。
20年間信じてきたお姉ちゃんとの絆を確かめること。
それがどんな結果になっても、私は受け入れられるだろうか?
受け入れなければならない。
お姉ちゃんは、既にこの世にいないのだから。

私は、私とお姉ちゃんしか知りえない秘密のゲームの存在が外へ漏れるのを避けた。
たとえ、家族であっても。
このゲームのルールのように。
その方法として、私は誰宛ての遺書も見ないし、誰にも見せるつもりがないことを公言した。
家族は私の意志を尊重してくれた。
内容が遺書だけに、たとえ家族であろうとも私の訴えを拒絶することはできない。
私の予想したとおり、誰ひとり深く追求しなかった。

後からわかったことだが、
お姉ちゃんは両親宛ての遺書に、妹のワガママをしばらく許して欲しいと書いていたようだ。
それは、これから読む遺書の内容にも通じること。
両親の面倒を見ることが余儀なくされた私に、長女としての負い目を感じていたらしい。

このときは何も知らぬまま、
緊張に震える両手でゆっくりと、鈍く光るペーパーナイフを便箋の背に滑らせた。

純白の和紙に踊る、右上がりの角ばったクセ字が懐かしかった。




「親愛なる妹へ」

突然のお別れをお詫び申し上げます
私はいろいろなものに勝てませんでした

今まで本当にありがとう
あなたとの楽しい思い出がたくさん記憶に残っています

大変勝手な言い分ですが
お父さんとお母さんをよろしくお願いします

また夫婦・親子ともに仲良く
家族が円満でありますようにお祈りしております

                         姉より




呆然と顔を上げた。
何のショックも受けなかった。

どのように解釈すれば良いのだろう?
思わせぶりに個別で託された遺書には、何かしらのメッセージがわずかでも含まれているはず。
あのお姉ちゃんなら。

もう一度、目を落とす。
もちろん焦点を当てるべきは、「私はいろいろなものに勝てませんでした」という一文だが、
これは私たちのゲームについて指すのだろうか。
それとも仕事に情熱を注いだお姉ちゃんの人生的な勝ち負けを意味するのだろうか。

答えはわからないまま。
お姉ちゃんは旅立った。
私の打つべきピリオドは行き場を失い、くるくると風景を暗転させた。
その日はそのままベッドに倒れこみ、眠れも起き上がれもしないまま、
宙ぶらりんな意識の中をさまよった。

私はいったい何のためにここにいるのだろう?
答えは何もわからないまま。

その代わりにわかりたくないことがわかってきた。
前述の疑問を解消するかもしれないヒントになること。

実はお姉ちゃんの仕事は随分前に行き詰っていたこと。
あまりよくない類の恋愛に深く傷ついていたこと。
気分を落ち着かせるためのタブレットを多数服用していたこと。

確かにお姉ちゃんは、世間一般で言う「負け犬」に括られる属性だったのかもしれない。
だけどこれらがお姉ちゃんに死を選ばせるまでに至った、決定的な原因とも思えない。

性懲りもなく、いまだ私はお姉ちゃんが死んだという事実を受け入れることができないでいる。
どこかテレビドラマのシナリオを辿るような、出来すぎた設定に馴染めずにいる。
悲劇にしてはありがちで、やけ薄っぺらい。

小学生の頃。我が家でひっそりと楽しんだ家族の七夕。
私はお父さんの書斎に忍び込み、
お姉ちゃんが作った短冊に「バッファロー」と書いて床に落とした。
そんな飛び切りチープな仕掛けを思い出させる薄っぺらさ。

肉親の死を悼まずに、その人生を薄っぺらなどと考える私はなんと冷たい人間なのだろう。

妻であり母であり娘である前に、身勝手にも妹であり続けようとする自分を恥じた。

そんな気持ちを慰めるかのように、
私たち夫婦には、もう一枚、別の遺書が同封されていた。
お姉ちゃんが甥である、私たちの息子へ宛てた手紙のコピーだった。




「おばさんとの やくそく」

ひとつ まいにち はをみがくこと
ひとつ いつも にこにこしていること
ひとつ だれも いじめないこと
ひとつ あいさつを わすれないこと
ひとつ どうしても なきたいときは なくこと
ひとつ だれにも このやくそくは いわないこと

やくそくが まもれたら
みんなで いつまでも しあわせに くらせるでしょう




そして最後に手書きの文字で、
「私たちの秘密の「やくそく」です。私にも子育てを少しだけ手伝わせてください」
と書いてあった。

息子をまるで自分の子どものように可愛がってくれたお姉ちゃん。
本当はもっとオモチャなど買ってあげたいだろうに、
私たちの了解なしで息子にプレゼントを送ろうとしなかったお姉ちゃん。

息子は「おばさん」のことを一番に大好きだった。

私たち夫婦は相談の末、息子へ宛てられた遺書について知らないフリをした。
特に私は秘密を共有するという楽しみを充分に理解している。

息子は息子なりに、死というものを受け止めている様子で、
それ以後の「おばさん」の期待に応えようと努力する姿が健気でいとおしかった。
お姉ちゃんの遺志が生かされている実感が幸せとなって私を包んだ。

それでもやはり気にかかることがある。

私宛の遺書のあの一文は、
成功を見込めない仕事と恋愛、崩れかかった精神面を指していたと解釈するのが妥当だろうか?
事実、他の家族は私宛の遺書など読まなくても、衰弱しきった姉の精神状態を哀れんだ。
やはりそれが世間一般での普通なのだろう。

だけど、私たち姉妹の絆を「一般」や「普通」なんて言葉で片付けてしまうことに、
どうしても違和感を感じる。

20年間をこのゲームに費やしてきた私の思い込みだろうか?

お姉ちゃんは私たちだけの秘密のゲームを忘れてしまったのだろうか?

お姉ちゃんの「しあわせ」とは、やはり世間一般のそれと同じなのだろうか?

ビー玉を喉の奥に詰まらせたような、釈然としない気持ちを引きずりつつ、
それでも私たちの生活は時間とともに連続することを強いられている。

時間が過ぎて行く。
生活に埋もれて行く。

そして、10年が経過した。
                                       (つづく)


明日が最終回になります。


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