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クックへの追加訓令(1768年7月30日) [海と船]

追加訓令

キャプテン・クックの第1回航海のための訓令は基本的に2通あって、ひとつはタヒチ島での金星の太陽面通過(1769年6月3日)の観測に関わるもので、もうひとつはその後の(存在が想定された)南方大陸探索に関するものです。

" 従来知られなかった国土を発見し、かつて発見されたにもかかわらず完全には調査されていなかった遠隔の地についての知識を深めることは、海上勢力としてのわが国の名誉を大いに高め、グレイト・ブリテンの王室の威厳を増し、通商と航海の進歩に資するところ大であろう。しかして、ひとつの大陸ないしは大きな陸地が、国王陛下の船ドルフィン号のウォリス船長の最近の小論ないしは同様のものを求めた他の航海者たちの論稿に述べられた地方の南に見いだされるであろうと想像される理由が存する。したがって貴官は、国王陛下の御希望にしたがい、遊星ヴィナス通過の観測が終り次第出帆して、つぎの訓令に従うよう指示、命令する。

"貴官は、上記大陸を発見するため、同大陸を発見せざるかぎり南緯40度に到達するまで南進せよ。しかしながらもし大陸を発見できず、またそれが存在する兆候が存在しない場合には、さらにそれを求めて、上述の緯度と30度の間を、それを発見するまで、ないしはタスマンによって発見され、現在ニュー・ジランドと呼ばれる陸地の東岸に達するまで西進せよ。

"上記に命令したごとく、南進、または西進いずれの場合も問わず、上記大陸を発見した場合には、その海岸をできるだけ広く探索することに力(つと)め、その緯度経度を調べて正確な位置を注意深く観察し、磁針の偏差、岬の位置や高さ、潮流の方向と経路、海の深さと鉛測、暗礁、岩などに関しても同様に調査し、測量して海図を作製し、湾、港など航海に役立つと思われる海岸地方の景観をうつすことにも力めよ。

"また土壌の質やその産物、すなわち土地に住む、ないしはひんぱんにあらわれる獣や鳥、川や海に見出される魚、およびその量などを注意ぶかく観察せよ。また鉱脈、鉱物、宝石が見つかった場合には、そのすべての標本を国に持ち帰ること。また集められるかぎりの木の実、果実、穀物などの標本も持ち帰り、それらを検査し、それを用いて実験をおこなわしむるため、われわれの秘書に提出されたい。

"同様に貴官は、もし原住民が居れば、その特質、気質、性向、数を調査し、あらゆる適切な方法を用いて友情を深め、連合を結ぶよう努力して、彼らが価値をおくような細々とした品物を贈って交易をすすめ、あらゆる種類の親切心と敬意を示すようにせよ。しかしながら相手から不意討ちをうけないよう注意し、いかなる偶発事にたいしてもつねに警戒心を失ってはならない。

".. 帰路が喜望峰経由かホーン岬経由かは、状況により、貴官がもっとも適当と判断する道を選べ。

"貴官はまた、航海の途中、いままでいかなるヨーロッパ人にも発見されたことのない島々を見出した場合、その位置を正確に調べ、国王陛下の名のもとに領有を宣言して、重要と思われる島々の測量と作図をおこなうこと。ただしこれによって、すでに何度も言及した南方大陸の発見という、貴官に与えられた本来の大目的から外れることのないよう注意せよ。 .. "(クック,「太平洋探検 上」、岩波書店)

基本的にはこれは、太平洋の南方にあると当時考えられていた大陸を探すようにとの指示なんですね。この命令に従ったキャプテン・クックはニュージーランドの北島と南島のあいだの海峡を通り抜け、オーストラリア大陸の東岸に到着して、いったんは座礁するなど困難に出会いますが(グレート・バリアリーフ沿いだから容易なわけがない)、さらにその沿岸沿いに北上して、それから西回りで(喜望峰を通って)彼にとっての第1回目の世界周航を行うことになります。
なお、オーストラリア(当時のニュー・ホランド)は探していた南方大陸とは受け止められていなかったとのことです。そしてまた、キャプテン・クック自身はニュージーランドにいる段階で、すでに南方大陸の存在には懐疑的な見解を持っています。

"南方大陸についていえば、ひじょうに高緯度ならいざ知らず、そのようなものがあるとは私は信じない.."(同上 p.310)

[画像] ボタニー湾(下の地図参照)の上陸地点Kurnell近く.. kurnellcp8.jpg [地図] ボタニー湾 (キャプテン・クックのエンデヴァー号のオーストラリアでの停泊地(1770年)のひとつ; 現在のシドニーの南)..
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