SSブログ

おタクの恋 ブログ版 1-2 [小説]

1-2
 地下鉄大江戸駅では大量の乗客が車内から吐き出され、あっと言う間に海宮は彼女と離れてしまう。
客の流れに乗り、改札口を出て、階段を昇りながら海宮は彼女の姿を目で追っている。
ここで彼女を見失ったら二度と会えないのではないかという強迫観念が彼を支配していた。
《何を考えてんだ。同じ学校の生徒じゃないか》
 理不尽な脅えに囚われた海宮を誰かがあざ笑った。

 ビルとビルの隙間からこぼれる太陽の光に向かって彼は歩いて行く。
周囲には学生よりも社会人が多い。オフィスへと向かうサラリーマンとOLたち。
しかし交差点を一つ渡ると学生服とセーラー服の濃度はぐっと高まる。
交差点の先には昇り坂があるのだが、その坂の上は行き止まりで正面に大江戸神社、右手に海宮の通う都立大江戸高校があるだけだった。
 坂の手前にはコンビニエンス・ストアがあり、海宮はそこで紙パック入りのトマト・ジュースを買うことを日課としていたが、今日はそれを省略した。
彼は彼女の少し後ろから坂を昇り始める。
 海宮の横に大柄な男子高校生が肩を並べた。海宮をチラリと見てからかうような口調で言う。
《だから何を心配してんだよ》
 海宮は黙ったまま答えた。
《世の中、何が起こるか分からないよ》
 大柄な高校生は彼女の後ろ姿に目をやった。
《躓いて坂を転がり落ちちゃうとか?》
《やめてくれ。もし本当にそうなったらどうする》
 大柄な高校生は肩を竦めた。
《ウミちゃん、その心配は無用だと思うよ。見なよ。あのフット・ワーク。かなりの運動神経の持ち主と見たね。小柄だけどいいスタイルしてるじゃん》
 大柄な高校生はニヤニヤ笑いを浮かべた。その笑い顔に別の人間の顔が混入して一瞬重なった。
それは海宮とは面識の無い二年生の男子だった。
彼は大柄な高校生の体を通り抜けて海宮を追い越して行く。

 別に異常な現象ではない。
通り過ぎて行った二年生の男子が実体であり大柄な高校生が幻影であるということにすぎない。
大男は海宮の作り出した幻影で海宮にしか見えない存在なのだ。

もっとも海宮が意識して幻影を作り出したわけではない。
幼い頃から海宮の周囲には勝手にこのような幻影が出現する。
 父親の幻、母親の幻、そして友達の幻。
 海宮は他人には見えないくせに饒舌に話しかけてくる疑似人格にまとわりつかれている。そういう少年なのだ。
 もちろん、神経科の医師の診断をあおげば即座に「ビョーキです」と言われてしまうだろう。
 なにしろ海宮の見る幻覚は完璧なディティールを備えている。
その証拠に大柄な高校生の鼻の穴からは鼻毛が伸びていた。

 幻影の疑似人格は細い目に悪戯っぽい光を浮かべて海宮を一瞥すると海宮の肩を抱く。
《とにかく一目惚れってわけだな》
《さあ》
《しっかりしろよ。そうでなくてもウミちゃんは主体性が薄いんだからさ》
《俺の主体性を奪ってるのは誰なんだよ》
《それをいったらミもフタもないでしょう》

 海宮が人知れずトークを重ねているうちに坂は終わりに近づいていた。
海宮のすぐ前では女生徒の二人連れが春休みの積もる話を笑い声を交ぜながらおしゃべりしている。
 その二人の前方に彼女はいる。
ショート・カットの髪が微かに揺れている。
おろしたての黒のコインローファーは着実な歩みを見せている。
 海宮は彼女が無事に大江戸高校の門をくぐるのを確認して安堵を覚える。
海宮がホッとしたのを見抜いたように大柄な高校生の幻影は含み笑いを残して消え去った。

 樹齢二〇〇年と言われる大銀杏で有名な大江戸神社。
森の緑に囲まれた都立大江戸高校は上野、日比谷と並ぶ名門校とされている。
 ただし昨年の東大入学者は五人。
かっては一五〇人という時代もあったのだから、学力レベルの長期低落傾向は他の都立高校同様に否定できない。
学区制による地域格差にも原因があるとして巻き返しを狙ったコース制が三年前から導入された。
とにかく都心では子供の数が減ってしまったのだから全都から入学者を募れば何とかなるのではという期待が関係者にはあったらしい。
しかし、最も優秀な人材は相変わらず国立高校と有名私立に流れている。
 とはいうものの校舎が東京の中心部に位置しておしゃれだったし、百年の伝統を持つ進学校であるには違いない。
生徒たちは受験戦争の勝者となるために自分たちがまずまずの位置をキープしているという自覚もあって、それなりのプライドを持ち通学しているようだ。
 だが、海宮はそうした受験戦争の中での位置付よりも単に家が近いという理由でこの高校を選んだ。
 努力しなくても勉強ができてしまうタイプだったので海宮の選択肢は広かった。
中学の担任教師はトップクラスの私立高校の受験を薦めたが海宮はやんわりと否定した。
教師の薦める私立高校は大江戸高校よりも時間にして十五分ほど自宅から遠かった。
彼は趣味のために使う時間を無駄にしたくなかったのだ。

 海宮の趣味はいくら時間を使っても追い付かない性質を持っていた。

(つづく)→http://blog.so-net.ne.jp/kid-blog/2007-04-14


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。