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《シチリアの晩鐘》ボニゾッリのアリーゴとか...M.ジョルダーニも.. [シチリアの晩鐘]

 ヴェルディ作曲《シチリアの晩鐘》は、序曲だけ演奏されることが多く、オペラ全曲は、あまり上演されないものの一つですが、イタリアオペラのバス歌手にとって、愛国の志士ジョヴァンニ・ダ・プロチダは定番ともいえる役です。歌手を揃えるのが難しいということもあるのかもしれませんが、各劇場、ほぼ10年に一回程度のペースで上演しているようです。ライモンディも公演回数こそ少ないですが、23歳でローマ歌劇場(歌手デビュー)、その後、スカラ座、フィレンツェ音楽祭、パリ・オペラ座、NYメト、そして、2004年には、歌手デビュー40周年記念公演ということでチューリッヒで歌っています。CDもライブ,スタジオ録音両方ありますが、このたび、1974年11月のパリ・ガルニエの録音を聴くことができました。なかなか面白いキャスティングで、テノールが、フランコ・ボニゾッリです。ライモンディは、リーバーマン時代に、1974、1975、1978年とプロチダを歌っています(写真右:Segalini著"Ruggero Raimondi"から)。


I VESPRI SICILIANI (Giuseppe Verdi)
1974年11月パリ・ガルニエ/ジョン・デクスター演出/ヨーゼフ・スヴォボダ舞台美術
Elena: Cristina DEUTEKOM クリスティーナ・ドイテコム(1932.08.28- )
Arrigo: Franco BONISOLLI フランコ・ボニゾッリ(1937.05.25- 2003.10.30)
Monforte: Peter GLOSSOP ピーター・グロッソップ(1928.07.06- )
Procida: Ruggero RAIMONDI ルッジェーロ・ライモンディ(1941.10.3)
指揮:Nello Santi ネロ・サンティ (1931.09.22- )


♪4重唱

♪シチリアーナ(ボレロ)

♪ La brezza aleggia..
☆写真左からグロソップ(ケネディではありません)、ドイテコム、ボニゾッリ

4幕:アリーゴの裏切りで、エレナ公女とプロチダはモンフォルテに捕らえられる。アリーゴは、モンフォルテが実の父だと知らされ、どうしていいかわからず迷って裏切ったことを告白する.....プロチダは、アリーゴがモンフォルテの息子と知らされ驚く。ここで歌われる、それぞれの心情を歌う4重唱♪プロチダ→モンフォルテ→アリーゴ→エレナの順に歌います。 ☆歌詞

5幕:終幕での婚礼の場面のシチリアーナ ☆歌詞
この《シチリアーナ》は一般に《ボレロ》として有名。このオペラの中でエレナ公女が歌う唯一の幸せと喜びに満ちあふれたソロで、コロラトゥーラの技巧が要求されます。

※エレナ公女はレナータ・スコットも得意としていますが2006-02-08の記事で、4幕の"Arrigo! ah! parli a un core...それでもアリーゴあなたを愛しています"と歌う至難のアリアとこのボレロが聴けます。
エレナのボレロに続いてアリーゴが永遠の愛を誓って歌うアリア"La brezza aleggia intorno"。
最後のカデンツァは高音のRe(D)まで登りつめます。この高音のRe(D)のせいかどうかは知りませんが、舞台ではカットされることが多いようです。もちろん、ボニゾッリは、思いっきり延ばしています。カットした場合は、エレナのボレロの後、すぐにプロチダがエレナに、結婚の鐘を合図に、シチリア人が一斉に暴動を起こすことを伝えます。☆歌詞

※2004年のチューリヒのライモンディ40周年記念の公演では、マルチェッロ・ジョルダーニが、カット無しで歌っています。

GiordaniとMarrocuの
La brezza aleggia intorno
同年、めったに上演しないこの演目をメトでも上演していますが、この部分はカットしています。プロチダはレイミーが歌っていますが、声の揺れが顕著で聞き辛く、ラドヴァノフスキーのエレナもやっとこさで、放送で聞いた限り、とてもレベルの高い公演とはいえませんでした。ちなみに1982年ライモンディが出演した公演以来12年降りの《シチリアの晩鐘》でした。


先頃、パレルモ・マッシモ劇場来日公演でも上演しましたが、このテノールの歌は、歌われたのでしょうか?
せっかくですからマルチェッロ・ジョルダーニの歌をアップします。(2004年5〜6月チューリヒ歌劇場《シチリアの晩鐘》から、ジョルダーニとマーロック)

※マルチェッロ・ジョルダーニ:1963年シチリア出身。1986年スポレートのコンクールで優勝、《リゴレット》マンドヴァ公爵を歌ってデビュー。2005年来日《アドリアーナ・ルクヴルール》のマウリツィオを歌った。

関連記事:
レナータ・スコット(1934- ) ☆シチリアの晩鐘アリア
RRのエピソード:オペラ歌手デビュー(21)一か八かのプロチダ"O tu Palermo"
ヴェルディ「シチリアの晩鐘」1964ー2004主な公演
藤原の「アドリアーナ・ルクヴルール」
マルチェッロ・ジョルダーニがマウリツィオ


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コメント 5

euridice

このオペラは熱心に観ても聴いてもいないのですが、序曲の旋律は大好きです。
はるか以前の記事、TBします。
by euridice (2007-07-11 21:14) 

keyaki

クリス・メリットがアリーゴのやつですね。なんでムーティがメリットに歌わせたのかな、と思ってましたが、ハイCより上のDのある歌があるんですね。どうやら、この歌をカットすることも多いようですが、原典主義といわれているムーティとしては、絶対カットしたくなかったでしょうから、メリットに歌わせたんでしょうね。
TBありがとうございます。

この序曲は、運動会とかの入場行進にもよく使われてますよね。
by keyaki (2007-07-11 22:18) 

彩

記事とはちょっとずれた感想で恐縮ですが・・・

ジョヴァンニ・ダ・プロチダといえば、地中海を東奔西走して対フランス包囲網を
はりめぐらした主謀者だという伝説があるんだそうで、
(御年70代なので、ご本人が動き回るのは無理だったろうということですが)
私、てっきりこのオペラ、プロチダが主役なんだと思ってました。
ま、考えてみれば、国際謀略じゃオペラにゃならないか(笑)。

歴史業界では「シチリアの晩祷(示壽)」でほぼ決まりなので、
(少なくとも私は見たことないです。Vesperが晩課のことですしね。)
オペラのタイトルは「シチリアの夕べの祈り」だったり、「シチリアの晩鐘」だったりいろいろあるんだ、と逆にびっくりした次第。
“結婚の鐘が合図”なら「晩鐘」でもいいですもんね。
by (2007-07-12 22:13) 

keyaki

彩さんは、西洋史が専門でしたね。
このオペラで、実在の人物は、プロチダだけだそうですね。
確かにパレルモでシチリア民衆の、反フランス暴動はあったそうですが、諸説あって、規模も時代もはっきりしないので、創作と考えた方が、いいそうです。
オペラの日本語タイトルは、いろいろで一本化されてないので、困っちゃいます。
私も気分でいろいろ使ってますが、昔は、「シチリアの晩鐘」,今は「シチリア(島)夕べの祈り」が一般的なようですね。
多分、Vespriは、夕べの祈りを指す言葉だということで、晩鐘ではなく夕べの祈りが使われるようになったんでしょうね。でも晩祷の鐘を合図に、一斉に蜂起してフランス人を虐殺したわけですから、「晩鐘」というのもすっきりしてなかなかいいと思います。
それから、「島」が入ったり入らなかったりもあるんですよね。
・シチリアの晩鐘
・シチリアの夕べの祈り
・シチリア島の夕べの祈り

人物の描き方が類型的ということで、ヴェルディは、この台本が気に入らなかったそうですが、書き直してはもらえなかったということです。
by keyaki (2007-07-13 00:54) 

euridice

>晩祷の鐘
ミレーのあの有名な絵もたしか「晩鐘」でしたし・・
by euridice (2007-07-13 06:26) 

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