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米国では失敗?ロージー監督《ドン・ジョヴァンニ》 [《ドン・ジョヴァンニ》FILM]

先日の記事で紹介したジョセフ・ロージー監督の『ドン・ジョヴァンニ』のDVDの付録のドキュメンタリーをかいつまんで紹介します。

オペラ映画《ドン・ジョヴァンニ》の初公開はパリだった。トスカンはすぐにこれを世界中に見せたいと望んだ。彼は、その普遍的な側面が最終的にアメリカの市場を魅惑することを期待していた。
イベット・マレーがゴーモンのニューヨーク事務所の責任者だった。
イベット・マレー談
ダニエルには夢があった。アメリカを征服する方法を考えていた。彼の考えでは、フランスこそが文化的中心、すばらしい土台であり、これは、外国で、大国で、文化がはじけてこそ明らかにすることができるのだ。彼は、リンカーンセンターで初公開した。Alice Tully Hallは1200人を収容できる。満員だった。チケットは簡単に売れた。宣伝が効いた。あらゆるところにポスターがあったし、ニューヨークタイムズに広告を出した。
学生を雇って、映画の登場人物の格好をさせた(写真左)。すばらしい軽食を準備した。すごかった。この軽食は実にびっくり物だったので、一時間の中休みのあとも、客たちは二幕を見るために席に戻りたくなくなったみたいだった!(笑)
観客は前半が終わったあとでわくわくしたわけだ。すばらしい軽食でもてなされて動きたくなかったみたいだった。映画を楽しんだけどのろのろと動いていた(たらふくくってのろのろとしか動けなかった...^^;)。

ニューヨークのかなり重要な新聞が映画をけなした。Vincent Canbyは、この映画は音楽愛好者を納得させずにドン・ジョヴァンニファンを惹き付けるだけだろうと考えた。

イベット・マレー談
それは厳しい批評ではなかったが、彼はこう書いた。「ひどく醜いライモンディを見るよりは、家でレコードを聴くほうがましだろう。あれには、参った。歌手にとっては、すご〜〜〜く悲惨だった。それでも、ロージーは平気で冷静にユーモアを持って行動した。ライモンディは粉砕(クラッシュ)されちゃったようだった。
ライモンディ談
成功したことは疑いようがなかった。ハリウッドに思い知らせてやった!(笑)
最初の上映後、いくつか批評が出た。当然ながら、歌手たちには明らかにされなかった。他の人たちは困惑した。後でみんなでレストランに行った。それから、雰囲気が変わった。
(以下は、皮肉でしょうね)
私はアメリカ映画が大好きだ。シナリオにはよどみがない。おもしろい。いつだって簡単明瞭だ。時間の無駄がない。シナリオは哲学的だ。この映画は長過ぎたのかもしれない。とっても雑な作りに思えたんじゃないの? 観客はおそらくイタリア人の暴君ってのは女を口説いて過ごしている奴らだと思ったんだろう。
ゴーモン 会長談
正直言って、フランス人は最高に受容力が高い。何万人もがあの映画を見た。あれほどの人気を得て成功した国はフランスだけだ。ロージーの国とリーバーマンの国は正反対だった。リーバーマンは長い間ハンブルク・オペラの監督だった。我々はハンブルクに行ったときめちゃくちゃだと思った。理由はよくわからないが、アメリカとドイツでは、例えば、オペラ愛好者と他のオペラ関係者は、映画の侵略にあまりにも能天気だった。映画の危険性を感じなかったのだろうか。
フランスで、我々はオペラの世界を納得させようと頑張った。パリ・オペラ座は直接関わった。オペラを大衆化する企ては名案だった。他のどこかで出来ただろうか。他の国は、あの映画はもはやオペラではないが、映画と言うなら、あまりにも「オペラ」過ぎると感じる人が少なくないのだから。

あの映画の目的のひとつは、オペラを大衆化することだった。しかし、批評家たちは、あの映画は難しすぎて大衆には受け入れられないと思った。トスカン自身、残念だと言った。
「あの映画を見るたびに困惑する。二幕のあの延々と続く二つのテノールの部分があるところまでは満足だ。...モーツァルトに感謝!... あれについては完全に忘れていた。....私はリーバーマンとマゼールとロージーにあれは観客にとては長過ぎるだろうと何時間も説明した。ひどい話し合いだった。彼らはあれを映画にするのがどういうことかわかっていたなかった。天才たちもまた間違いをおかす。....テノールはばかばかしいことを叫び続け、字幕がそれをさらに悪くした。音楽家たちはあれを変更したがらなかった。ロージーはリーバーマンとマゼールの同意を望んだが、あの二つのテノールのフレーズは映画にちゃんとある」


ライモンディ談
音楽愛好者はおそらくあの映画を嫌った。新たな観客はオペラの構造を知らなかった。彼らはあの部分をカットしても気にしなかっただろう。音楽評論家はカットを指摘しただろう。その他の観客にとってはすばらしかったようだ。どうすれば一番良いのだろうか。映画が2時間を超えないようにするといった一定の選択をする必要があると思う。普通の観客にとっては2時間が限度だ。3時間10分の映画を考えてみればわかる。

ドン・ジョヴァンニのあと、他の監督が二番目のオペラ映画を制作した。ゼッフィレッリは一般受けする映画を撮ろうと思ったので、オペラの数カ所をカットした。

ゴーモン 会長談
我々はカットをしなかったわけだから、それを検討したと言ってもはじまらない。我々はダ・ポンテが書き、モーツァルトが作曲したドン・ジョヴァンニを採用することに決めた。オペラ映画ではなくオペラに基づいた映画だと思っていたというのが本当のところだ。映画の書法はオペラとは異なる。映画を制作したいだけなら、ゼッフィレッリの上を行かなければならない。それが、アマデウスだ。音楽、この場合は「モーツァルトの音楽」は主題であり、この音楽を中心に据えて、すべてが組み立てられ、創作された。


■アメリカではなぜか受け入れられなかったか?
このドキュメンタリーを見ての感想:
1.歌手たちのメイクと扮装がアメリカ人には抵抗があった。大雑把にいえば、伝統と文化の違いでしょうか。
(私の場合は、歌舞伎で、ああいうメイクには慣れているのか、ドン・ジョヴァンニのあのメイクにまいっちゃいましたけど...ね)
2.長いアリアが多いにもかかわらず、カットをしなかった、特にテノールの。
テノールの最初のアリアは、ゴンドラに乗ったドン・オッターヴィオが運河を進みながら歌い続ける。もう一つは、ヴィラ・ロトンダの芝生の庭を昼寝をしている使用人達をまたいだり、蹴っ飛ばしたりしながら歌う。
(ロージー監督破れかぶれのアイデアかもしれませんが、それなりに意味があるようでさすが!と感心しながら見てますけど...ね)

▼きのけんさんのサイトの《追悼:ジョゼフ・ロージー》にこのオペラ映画《ドン・ジョヴァンニ》のレビューがあります。


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TARO

うっかりしてましたがPALだったんですね。(笑)まあ、PCだと見れることは見れるんですが。NTSCの登場を待つことにします。

それにしても、アメリカ人は・・・とても信じられません。
私なんか当時仙台に住んでいたのに、これ見るためにわざわざ銀座のヤマハまで行ったっていうのに。
ケネス・リーグルは、せめてもうちょっとスマートだと良かったですね。
by TARO (2006-06-14 03:18) 

CineKen2=きのけん

 keyakiさんのブログが最近とみにサクサク動くようになったんで非常に助かります。一頃どっかでつっかえちゃって、途中でフリーズしちゃうか、表紙が表示されるまで数分かかるなんて時期がだいぶ長く続いたもんで、途中で諦めること数十度。そのうちにサブのMacOS−Xでちゃんと表示されるようになり、さらにしばらくしてメインのOS−9でも支障なく表示されるようになりました。その間 so-netのメンテナンスが入ったこと数度。あれは絶大な効果がありました(少なくとも僕のマシンでは)。
 さて、僕自身はこのフィルムは映画館で憶えているだけで最低4度は見ているんで、どうもDVDなんかで見る気が起きないんですよねえ(笑)。再度見るなら、やっぱり映画館だな!…というわけで新ヴァージョンが出たのも知らなかったし、別項で助六さんが報告しておられるシネマテークでの上映というのも全然気が付きませんでした。今調べてみたら、少なくとも定期会員向けのプログラムには載ってません。1月なら、僕はロベルト・ロッセリーニ特集、イザベル・ユペール特集(ジャコが出たヤツだ)+松竹無声映画特集で通い詰めに通っていたので気が付かないはづはないんだけどねえ…。
 それから、アメリカでの評判なんぞを気にすることは一切ないと思いますが、そもそもジョゼフ・ロージーという人は自国アメリカで受け容れられたことが一度もないんです。1950年代初めロージーはアメリカ映画で最も将来を嘱望される映画作家でしたが(だいたいフリッツ・ラングの《M》のリメイク (1951)を御大よりもさらに見事に撮っちゃった…なんて常人の為せる技じゃないやね!)、マッカーシーの例の赤狩りに引っ掛かって欧州に追放されてからというもの、亡くなるまで彼はアメリカから呼ばれて映画を撮ったことが一度もなかったんです。だいたいヴィザが下りないんで、生前祖国に足を踏み入れたこともなかったんじゃない?…。アメリカってのはそういう文化後進国的なとこがありまして、フランスに居着いちゃったジュールス・ダッシンも同様ですね(彼の息子がシャンソン歌手のジョー・ダッサン)。フランスのシネフィルは普通ロージーを英国人だと思ってるよね。
 《ドン・ジョヴァンニ》を最後に見たのはシネマテークが追悼全作品回顧上映を組んだ2004年のことなんですが(>リンク↑)、全作品を全部見終わった時点で、改めてこれを見てみると、やっぱりダニエル・トスカン・デュ・プランチエの注文を受けて作ったただ単なる委託作品とはその質を異にする水準のフィルム、ロージーの最高傑作の一つと形容できる優れた作品になっていることを再認識しました。この人の名声を決定的なものにした《エヴァの匂い》(1962)を見ると納得いくことと思いますが、これはあれの続きなんだよね。否、むしろ《エヴァ…》がこれを準備したことは確実だし(あっちではミシェル・ルグランのジャズがものの見事にヴェネツィアと融合してる!)、あるいは《エヴァ…》でやりたくてできなかったことをこっちで実現したのかも知れない。そのくらいの意気込みで撮った代物だよね、これは…。
 もう一つ、ロージーがあれに心魂込めたもう一つの動機が彼の演劇への回帰だったんです。ロージーというのは若い頃ブレヒトとの親交もあったし(彼は舞台演出家としてブレヒトの《ガリレオの生涯》の北米西海岸初演を演出してます。ちなみに英訳はかの名優チャールズ・ロートンでした)、当時の欧州演劇の最先端を実地でつぶさに見てきた人なんだよね。それこそ、ブレヒト、マックス・ラインハルトは勿論のこと、ソ連の未来派演劇、メイエルホリドなんかとも関係があったし…、それが1970年代に入って、立て続けにイプセンを脚色した《人形の家》(1973:ジェーン・フォンダだけれどアメリカ映画じゃなくて英仏合作)やまさにその《ガリレオの生涯》(1975)を撮ってるんだよね。そいつを発展させた論理的帰結が《ドン・ジョヴァンニ》(1979)というわけで、ロージーにはこれを撮る二重の内的動機があったというわけだ。いっぱしの映画評論家ならそこまで追っ掛けてから物を言ってくれやい!と言いたくなるところなんだけど、まあ、それはいいやな(笑)…。
 うん、あの時オッタヴィオには困っちゃったらしい…。というのも、当時パリ国立歌劇場のオッタヴィオはスチュアート・バロウズの定番と決まってたわけ。僕自身これ以上のオッタヴィオを未だかつて聴いたことがないくらいなんですが、あの人は映画は無理だよね。それで苦肉の策がケネス・リーゲルだったというわけ。というのも、彼は《ホフマン物語》や《ルル》〜はその後ですけど〜シェローなんかとも結構仕事をしており、テノールとしてはかなり柔軟な知性を持った人だったの。
 それから、これは映画を見ると一発で納得いくと思うんだけど、女性軍が通常の配役と逆になってるんだよね。つまり普通のキャスティングではアンナに一番重い人を持ってきて(カール・ベーム盤なんて、なんとビルギット・ニルソンだぜい!)、次がエルヴィラ、一番軽いのがスーブレットのツェルリーナという構成にしないとバランスがとれないんだけど、映画ではそれが正反対になってるんだよね。声の響きとして一番重いのが、ここではベルガンサつまりメゾ・コロラトゥーレがやってる年配のツェルリーナで、次がエルヴィラのキリさん、一番軽いのがアンナのエッダ・モーザーで、この人は普段夜の女王なんかのソプラノ・コロラトゥーレをやってた人なんだよね。この組み合わせはまさに映画用のものなんで、マゼールとしちゃ、あれには文句があったはづなんだ(笑)。でも映画を見ると、何故ベルガンサのツェルリーナにこだわったか一目瞭然だよね。僕もあれに一番驚かされたんだ!。
 そうそう、当時エッダ・モーザーさんと仲良くて、貴女エレクトラはやらないの?…なんてカマ掛けたら、目を剥いたぜ(笑)。ご冗談でしょ、お前さんみたいなのが勝手なことを言うもんで歌手が声をダメにするんだ!…と言いた気に人を睨みつけるんだよね(笑)。こっちはしてやったり!とニンマリして、そうじゃあないの、「エレクトラ」じゃなくて「エレットラ」!…《イドメネオ》の!…と切り返したらナットク…というくらい軽い声だったわけよ。それから10年して、彼女、ケント・ナガノ指揮で《サロメ》までは歌ってますが…。
 それから実際の公演ではマゼール指揮は一度もなし。初演時がショルティで、再演はマッケラス、シルヴィオ・ヴァルヴィーゾ、ピーター・マークにヤノシュ・クルカ。アンナも勿論エッダ・モーザーなんて一度もなしで、普通マーガレット・プライスかユリア・ヴァラディ、エルヴィラがキリさんかテレサ・ツィリス=ガラ、ベルガンサのツェルリーナも一度もなしで、いつもはジャーヌ・ベルビエ(これもメゾ・コロラトゥーレ)、ドンはだいたいコンスタントにライモンディさん…。ただし初演の時はフランス人で行くってんでロジェ・ソワイエ(バレンボイムの英国室内楽団盤の主役)、それからレポレロはライモンディさんと名コンビだったガブリエル・バッキエでヴァン・ダムは一度もなし。ライモンディさんが言ってました。バッキエさんを見てると、あまりに可笑しいんで、歌ってる途中で吹き出しちゃったことが何度もあったよ!…だって。そういや僕も、ドン(すなわちライモンディさん)の真似してエルヴィラを口説いているバッキエの背後で、楽屋の方、つまり逆方向を向いちゃってクックックなんて笑ってるライモンディさんを一度だけ見たことがあるような気が…。
CineKen2=きのけん
by CineKen2=きのけん (2006-06-14 07:17) 

keyaki

TAROさん
>NTSCの登場を待つことにします。
出るのかなぁ。。。ドキュメンタリーだけでもTVでやってくれないかなぁ。

リーバーマンのオペラの民主化、若い世代をオペラハウスに呼び込もうという企画にオペラ好きのトスカンがのったということなので、キャストはリーバーマンが独断で決めたようです。トスカンは、どうやら3人の歌手が気に入らなかった(誰かは不明)ようです。
三人となると、もしかしたらライモンディも??なんて思っちゃいますけど、一体全体誰でしょうね。でも他にドンにふさわしい歌手がいたとは思えないし。ロジェ・ソワイエは、ライモンディに似ているけど、強烈な個性はないように思うし、、
きのけんさんのコメントからするとベルガンサ、モーザー、あとはリーゲルかダム????うう、わからん。

この映画に関しては、アメリカで受けなかったということで、日本にはアメリカ万歳さんが多いですから、見もしないで、嫌っている人が多いような気もしますね。最近はそうでもないですけど、1970年代は、文化もヨーロッパから直ではなく、アメリカ経由で入ってきてましたものね。
by keyaki (2006-06-14 15:25) 

keyaki

きのけんさん、
ソネット、フランスからだとサクサク入れるのかなぁ、なんか改善したなんて言ってますが、私自身がなかなか入れない状態です。参っちゃいます。

ジョゼフ・ロージーは、ソ連の実態を知るまでは筋金入りのコミュニストだったようですから、アメリカではね、、、、でも、公開の時はちゃんとアメリカに行ってるんですよ、上のライモンディとの写真がそうですけど。
NYタイムスでVincent Canbyが、けなしたことについては、ロージーが質問状を送ったようで、それについて奥さんがなにか言ってますが、コトバの壁でちょっとわからんです。
どうやら、この評論家は、ベルイマンの「魔笛」を引き合いに出したらしく、これについては、リーバーマンが、あんなもんと比べるなんてバッカじゃないのというような感じで反論してました。

ロージーは、オペラは、見るだけで、かかわったことはなかったので、ジャニーヌ・レイスさんのところに通って、スコアを勉強したり、録音にも毎日来ていて、CBSの録音担当者からは変わった人みたいに言われてました。彼は撮影現場での同時録音を望んだそうですが、いくらなんでもオケを現場になんて不可能、でもレチタティーヴォは、撮影現場で同時録音したんですよね。

この映画は、イタリアでも歌劇場主催で上映されているようですから、日本でも新国あたりで上映会をするといいと思いますけどね。安い経費で収入にもつながるとおもうんだけどなぁ、、、、
by keyaki (2006-06-14 16:11) 

きのけん=CineKen

 ケネス・リーゲルが気に食わなかったことは確かだよね。あとはマゼットのマルカム・キングとジョン・マッカディかな?…。確かに二人ともリバーマンのお気に入りで当時そこいらじゅうに出てたし…。でも、あのベルガンサにはさすがのトスカン氏だってびっくりしたと思うよ。じゃなかったらエッダ・モーザーかも?…でも彼女はリバーマンのお気に入りじゃない。リバーマン時代はカール・ベームの《魔笛》の初演時に登場したくらいかな?…。
 ロジェ・ソワイエってのは、本来ドンを歌って映えるような人じゃないんで、ショルティの初演時に起用されたのはフランス人を主役に…という政治的な配慮以上のものはないでしょう。そもそもリバーマン自身、その後ソワイエをもっと上手く使ってます。あの人はロッシーニ《ラ・チェネレントラ》のアリドロとか《ペレアス》のアルケル、小澤征爾との《子供と魔法》…バロックや現代音楽なんかを見事にやる人なんで、ドンには大人し過ぎなんだよね。一度だけライモンディさんとダブル・キャストになったことがあるけど、これはやっぱし比較にならなかった。バレンボイムの最初の録音では、なにせオケを極小編成にして室内オペラ版を作ろうという発想なんで、ドンにも思い切り小型の人を起用したわけだね。
 それからすごく面白かったのはレポレロに誰が出てくるかで、ライモンディさんの感じがえらく変わっちゃうことでした。上に書いた通り僕はバッキエとの名コンビが一番よかったけれど、レポレロに英国のジェレント・エヴァンス〜この人がまた名優で、カラヤンなんかドレスデン盤の《マイスタジンガー》ベクメッサーにわざわざ呼んで使ってるでしょ〜だとまた違うし、かなり獰猛な下男だったスタフォード・ディーン…とかで、それに対応するライモンディさんのドンが変わってくる。ちゃんと相手を見て対応してるんだ。あの人アタマいいねえ!…。 
 「アメリカ万能」さんたちはどうでもいいんですが、僕自身ひところそんな傾向があったと思いますが、シネフィル的な映画ファンが妙な偏見からこれを見ないとなると問題だよね。じゃあ、ロージーのこれ以上に見事なフィルムを挙げてみろ!…と言ったら、そう沢山はないでしょう。それにキャメラのジェリー・フィッシャーの最良の時期だったし…。あと、アメリカ以上にひどいボシャり方をしたのがイタリアらしいね。イタリアは共同制作元だったから、僕がインタビューした時も、さすがにトスカンさん、腹に据えかねてるという感じでしたよ(宣伝部がナマクラだったからだとまでは言わなかったけど…)。ただ、フランス(…というかパリですが)では、あの映画のお陰で、皆ビビっちゃって以後ロクな舞台制作がないんだよね。リバーマン時代のアウグスト・エファーディンク版は映画が出て以後上演されなかったし、次のルイ・エルロ版(これもライモンディさんじゃなかったっけ?…、指揮はジャン=クロード・カザドゥシュ)もいまいち、モネー座から持ってきたヴァン・ダム主役のカール=エルンスト・ヘールマン版も、ストレーレルがケッケッケと嘲笑してるくらいのものだったし…、ポネル=バレンボイム=パリ管版なんか全然憶えてない。実現しなかったジョン=エリオット・ガーディナー版…どうもいかんですな(笑)。現行ミヒャエル・ハーネケ版なんて見る気も起こらん(笑)。一度だけユーグ・ギャル時代のジュネーヴ大劇場がマティアス・ラングホフという超大口径の演出家を担ぎ出して、あれをパリに持ってくるという話が持ち上がったんだけど、皆怖れをなして(笑)結局来なかった。
きのけん=CineKen2

PS:
「シネマテーク」というのは要するにフィルム・ライブラリー、フィルム・センターのことなんで、フランスで「シネマテーク」と言えば、パリにある国立シネマテークの代名詞みたいなもんなんですが、トゥールーズにも大きなのが一つあります。パリのヤツは元アメリカ人留学生文化センターの建物を使って、映写室4(フル回転してるのが3室、教育用1室)、常設展と特別展(現在アルモドバル展)スペースを備えた施設で、これに付属して郊外に倉庫とネガの修復なんかをやるラボラトリーがあります(←のTBにあるINAとは
別の組織)。パリではそっちから持ってきたプリントを上映しているというわけ。そういや1980年代に東京のフィルム・センターが大火災に遭った時、ここが協力して厖大な量のプリントを日本に寄贈したそう。そんなことで日本映画の上映なんかも、国際交流基金を通すことなくかなり充実したプログラムが組めるというわけ。
 …というわけで、これを送信して直ぐ《ノストラダムスの大予言》を見てきます(笑)。
by きのけん=CineKen (2006-06-14 18:04) 

keyaki

きのけんさん、いつもながら楽しいコメントありがとうございます。
レポレロが誰かでライモンディの演技が変わってくるって、さすがですね。ルーチンに陥ってしまう歌手が多いと思いますけど。

イタリアでもこの映画がうけなかった話は、きのけんさんのレコード芸術のボリスのレポートでふれられていましたね。
ライモンディが、イタリアでオペラファン以外に知られるようになったのは、1991年のTVで世界同時中継された「再現トスカ」のスカルピアらしいですね。

3人の気に入らない歌手の件ですが、トスカンさんではなくて、リーバーマンが3人の歌手を録音しなおしたいとトスカンに手紙をだして、その手紙の内容をCBSのポール・マイヤースに伝えたということのようです。でもポール・マイヤースは、何を今更ということでそのままだったそうですけど。
んんーーん、ますますわかりませんが、オッターヴィオ、騎士長、マゼットで、きのけんさんのが当たっているような気がします。
by keyaki (2006-06-15 02:31) 

きのけん

 …そうなんです。これはベオグラードでライモンディさん自身にも言ったんですけど、僕がいちばん先に驚かされたのがそのレポレロをやる人によって彼のドンがまったく違って見えるという点だったんです。こりゃすごい人なんじゃないか…ってその時思った。僕の場合は最初がジェレント・エヴァンスで次からしばらくバッキエで、スタフォード・ディーンの時また違った。ライモンディさんは、そりゃ、あんた!、相手が違ったら、こっちだって変わるのは当たり前だよ、なんて事もなげに言ってましたが…そんなことはないぜ。相手が誰だって全然変わらない奴の方が多い。別項のカプチッリなんか、《シ ン・ボッカネグラ》の時、フィエスコがギャウロフだろうが、ライモンディだろうが、マリアがフレーニだろうがリチャレリだろうが、お構いなしにまったく同じでした(まあ、これはストレーレル演出だったから、即興の余地が無かったのも?…)。
 さ〜あ、3人の歌手に不満だったのがリバーマンだったとすると、僕にも判らなくなってきたなあ…。やっぱし女声トリオのバランスかなあ?…。リバーマンにはあの女声トリオのバランスがちょっと悪いってのは判ってたでしょうから…。
 ただ、僕、録音だけを採り上げてみると、いちばん問題ありなのはマゼールじゃないかと?…。あれって、いかにもマゼールがやっつけ仕事をしてるって感じがちょっとありません?…。映画を見てるとあまり気にならないんだけど、音だけ聴いてると、やっぱりあのせっかちなマゼールが気になりますねえ…。
きのけん
by きのけん (2006-06-15 04:05) 

助六

>きのけんさん

シネマテックの上映会の件は確か「パリジヤン」紙かなんかで見たものです。検索してみたら文化相演説なぞが出てきました。

1月16日に「トスカンへのオマージュ」という催しの枠内で、ライモンディとベルガンサ出席で上映会があったのは確かのようですが、おエライさんと招待客だけの「儀式」だったんでしょうね。トスカン氏はトゥールーズのシネマテックの館長も務めたらしけど、報道はパリのシネマテックでとなっていたと思います。

ですからリマスターとは関係なさそうですね。記事ではその話題も一緒に触れられていたので思い出した次第です。

まあどうでもよいようなことですが、keyakiさんはライモンディ絡みの情報は多くて不満ということはないでしょうから(笑)。

http://www.culture.gouv.fr/culture/actualites/index-discours.htm?http://www.culture.gouv.fr/culture/actualites/actu1.htm&http://www.culture.gouv.fr/culture/actualites/actu2b.htm&http://www.culture.gouv.fr/culture/actualites/dis.htm
by 助六 (2006-06-15 07:01) 

Bowles

そうです、きのけんさんのおっしゃるとおり、

>アメリカでの評判なんぞを気にすることは一切ないと思います

>シネフィル的な映画ファン

は現在のアメリカ映画には、完全に背を向けていると思います。あっ、ついでに言うと、オペラ・ファンもかも...。
by Bowles (2006-06-15 09:12) 

keyaki

きのけんさん
>いかにもマゼールがやっつけ仕事をしてるって感じがちょっとありません?
マゼールはすっごい過密スケジュールで、ライモンディはなにも言ってませんでしたが、女性歌手さん達は、25年以上たっても忘れないくらい、ひんしゅくものだったようです。
by keyaki (2006-06-15 21:54) 

keyaki

助六さん、ありがとうございます。
Raimondiの名前発見しました。写真ないのが残念です。(笑
トスカン氏はライモンディと同年なんですよね。ちょっと早すぎですね。
by keyaki (2006-06-15 22:00) 

keyaki

Bowlesさん
経済だけでなく、文化面でも、世界を牛耳りはじめているような....
ちょっと話がずれますが、日本版の"Shall We ダンス?"をアメリカで上映した時のすったもんだを周防監督がドキュメンタリー?にしていますが、やっぱり、2時間以内にカットさせられたり、いろいろあったようです。
芸術、文化も経済一緒くたマーケティング至上主義とでも言うんでしょうかねぇ。
by keyaki (2006-06-15 22:34) 

きのけん=CineKen2

>助六さん:
 そのシネマテークの上映というのは内輪でやったみたいですね。僕ら定期会員には連絡さえ来なかったよ。うん、それは残念だなあ…。僕が最後に見たのは旧シネマテークでのロージー特集内だったんですが、音響は新シネマテークの方が断然いいから…。
 考えられるのはイザベル・ユペール特集内の特別企画で、この間彼女ずっと居続けで討論会なんかに出ていたみたいだから…というのも、彼女を売り出したのはトスカンさんだし、若い頃トスカンさんの愛人だったのよ(笑)。皆、トスカンがいなかったら、彼女あんなに有名にはならなかったって言うんだけど、つい先週オラが町の映画上演会でマイケル・チミノ《天国の門》(1980 : >CineKen2_FORUM No. 936-938)をやったんで見に行ったんですが、すごくいいんだよね。あの子昔からちょっと露出狂的(笑)なところがありまして、若い頃はすっぽんすっぽんすぐ脱いじゃったり、トスカンさんがいなくても有名になったと思うけどねえ…。
 そういや、今東京でイザベル・ユペール写真展をやってるでしょ。彼女が撮ったんじゃなくて撮られたもの。ヘルムート・ニュートンとかアンリ・カルチエ=ブレッソンとか…錚々たる写真家たちが名を連ねてますよ。ルイ・ヴィトンの後援だからしこたま資金が出たみたいね。
きのけん=CineKen2
by きのけん=CineKen2 (2006-06-17 15:08) 

助六

>きのけんさん

ユペールとトスカンはそういうことだったんですか。「La Dentellière」もトスカンでしょうか。
そう、若い頃は「すっぽんすっぽん」(確かに!《笑》)脱いでましたね。「La Dentellière」の他すぐ思いつくだけで「Les Valseuses」とかボロニーニの「椿姫」とか。レジの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」のときもピエール・プチのおっさんが「何でマドモワゼル・ユペールの胸をこうもおっぴろげなければならんのか」とか書いていたのを覚えてます。ユペール、映画では好きですが(最近のエヴァ・ジョリー判事役も小生には結構それらしく見えました。「天国の門」は昔シネマテックで満員で入れなかったです。)、ジャンヌはマルト・ケラーの方が良かったような。

ところでガルニエの「イフィジェニー」の演出は、ユペールはどういう経緯で起用され(結局正式には発表されなかったのかな)、かつ降りちゃったんですかね。
by 助六 (2006-06-18 08:03) 

きのけん

 《ジャンヌ》にユペールを起用したのは演出のクロード・レジに違いない。彼氏なら当然ロバート・ウィルソンがユペールを主役に作った芝居だって見てるでしょうから…。ただ、マルト・ケラーと較べてどっちがいい云々というのは如何なもんでしょう?…。クロード・レジの芝居を多少ご覧になっていれば一目瞭然ですが、マルト・ケラー型の古典的なディクションをやる役者はレジ劇にはそぐわないんですよ。具体的な例を掲げると、ボート・シュトラウスの《大と小》(両方共オデオン座=ヨーロッパ劇場に客演してます)。世界初演をやったペーター・シュタイン演出版では主人公ロッテはエディット・クレーファー、仏初演をやったクロード・レジが選んだ女優さんはビュル・オジエ。これ以上対称的な女優さんもいませんが、あの二人を較べてクレーファーの方が絶対的にいいとは言えないんですよ。ペーター・シュタイン劇が必要としているのは言うまでもなくクレーファーで、彼女以外では誰でもダメ。レジが必要としていた女優さんは、やっぱりマルグリート・デュラスなんかを見事に語ることのできるビュル・オジエだったんです。つまり片方が押しの強い迫力型の女優さんなら、他方は引く型、存在感を極度に稀薄化できるタイプの女優さん。ケラーが前者なら、ユペールは後者というわけですね。
 なお、
by きのけん (2006-06-19 09:41) 

NO NAME

 《ジャンヌ》にユペールを起用したのは演出のクロード・レジに違いない。彼氏なら当然ロバート・ウィルソンがユペールを主役に作った芝居だって見てるでしょうから…。ただ、マルト・ケラーと較べてどっちがいい云々というのは如何なもんでしょう?…。クロード・レジの芝居を多少ご覧になっていれば一目瞭然ですが、マルト・ケラー型の古典的なディクションをやる役者はレジ劇にはそぐわないんですよ。具体的な例を掲げると、ボート・シュトラウスの《大と小》(両方共オデオン座=ヨーロッパ劇場に客演してます)。世界初演をやったペーター・シュタイン演出版では主人公ロッテはエディット・クレーファー、仏初演をやったクロード・レジが選んだ女優さんはビュル・オジエ。これ以上対称的な女優さんもいませんが、あの二人を較べてクレーファーの方が絶対的にいいとは言えないんですよ。ペーター・シュタイン劇が必要としているのは言うまでもなくクレーファーで、彼女以外では誰でもダメ。レジ劇が必要としていた女優さんは、やっぱりマルグリート・デュラスなんかを見事に語ることのできるビュル・オジエだったんです。つまり片方が押しの強い迫力型の女優さんなら、他方は引く型、存在感を極度に稀薄化できるタイプの女優さん。ケラーが前者なら、ユペールは後者というわけよ。
 それからマルト・ケラーのジャンヌがやたら気に入っちゃったのは助六さんに限らず、小澤征爾!。あんなに音楽的な役者さんは初めてだ、なんて僕に言ってましたよ。早速彼女に、オザワがそう言ってたぜ!と伝えときましたけど(笑)。でも、あの人、元はといえばバーゼル歌劇場のバレリーナ出身で音楽の素養は元々結構あるんだよね。

 なお、上に出てくるクロード・シャブロルの新作の CineKen2版コメントは以下から:
http://perso.orange.fr/kinoken2/cineken2/cineken2_cont/cineken2_archive/forum0602.html#731

 《Les Valseuses》は以下へ…:
http://magicdragon-hp.hp.infoseek.co.jp/MK/euro_jazz/eurojazz_9/eurojazz_09.html

 チミノの《天国の門》は以下の No. 936-938へどうぞ:
http://bbs.infoseek.co.jp/Board01?user=cineken2
(Infoseekがちっとも対応せんので、またまた掲示板荒らしにやられてると思うけど、あんなものはお気になさらずに〜笑〜)

 ちなみに、おっしゃるシネマテークでの上映の時、僕は階上の1列目の左端に居たと思います。おらが町の上映会では観客はたった10人ほど。うち1人はモギリのお姐ちゃんでした(笑)。僕はついこないだシネマテークのボロニーニに入れなかったよ(笑)。僕同様入れなかった一人が演出家のベルナール・ソーベルさんで、二人でチエっ!とか言ってすごすご引き上げたんですわ。まあまあユペール特集にはわんさか人が集まってまいったよ!。
きのけん

PS:1月16日のスケジュールにはやっぱり入ってない。さては内輪でやりやがったな(笑)。僕は同日フランソワ・オゾンの《Sous le Sable》に行こうと思って、もう見てたのを思い出して止しちゃったんだ。うん、いつもは10本くらいやってるのに、この日(月曜はいつも…だけど)は4本しか組んでない。あやしいな(笑)。
by NO NAME (2006-06-19 10:38) 

きのけん

↑はきのけんです。
by きのけん (2006-06-19 10:58) 

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